Shrine

足見田神社あしみだじんじゃ

三重県に鎮座する神社です。開運のご利益で知られます。

由緒

三重県四日市市水沢町に鎮座する延喜式内社で、旧社格は郷社。三重県神社庁は主祭神を志那都比古命・志那都比売命・瀬織津比咩命とする。一方で『神明帳考証』は祭神を日本武尊とし、東国平定の帰路にこの地へ立ち寄った日本武尊が「吾が足は三重に曲がるようでひどく疲れた」と語ったことから「三重」の地名が足見田の地に由来するという伝承も伝えられている。創建は垂仁天皇26年とも雄略天皇21年とも伝わり、詳細は定かでない。年間には春祭・新茶祭・慰霊祭・秋祭など、茶どころ水沢の生業と結びついた祭事が営まれる。なかでも7月31日の「水まつり」は享保5年(1720年)を創始とする雨乞い祈願の祭りで、境内に奉納される「お諏訪おどり」は、瀬戸用水の完成に尽力した庄屋・辻久善の功績をたたえる詞章にもとづく踊りとして伝えられ、昭和48年(1973年)1月7日に四日市市の無形民俗文化財に指定された。

例大祭

例祭は10月4日に斎行される。

年間行事

7月31日の夕方から「水まつり」が行われ、四日市市指定無形民俗文化財の「お諏訪おどり」が奉納される。花笠をかぶり締め太鼓をつけた踊り子が、笛・ほら貝・唄い手を伴って旋回しながら円を描いて踊る。ほかに春祭、新茶祭、慰霊祭、秋祭が営まれる。

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近隣神社

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三重県開運

陽夫多神社

やぶたじんじゃ

伊賀市東部、旧阿拝郡の谷あいに鎮座する延喜式内社で、伊賀河合郷の総社とされる。社伝では宣化天皇3年(538年)の創建と伝わり、国造の多賀連が祭祀にあたったという。もとは現在地より東の藤山に鎮座していたとされ、藪田神社、高松祇園社、河合天王などとも呼ばれた。主祭神は健速須佐之男命で、五男三女神を配祀するほか、明治期の神社合祀により多くの神々が合わせ祀られている。7月31日から8月1日の祇園祭では三重

所在地
三重県伊賀市馬場951
御祭神
健速須佐之男命、五男三女神
三重県開運

仙宮神社

せんぐうじんじゃ

創建年代は不詳。『天照皇大神御天降記』に記される志摩国の元伊勢伝承地・多古志宮の旧跡地とされ、伊勢神宮外宮の流れを汲む度会神道と関わりが深い。奈津の山中に祀られていた三狐神社(現在は神前神社に合祀)を「下の宮」と呼ぶのに対し、当社は「上の宮」と称される。社伝によれば仁治年間(1240年頃)に官符を賜り、興国・慶長・元和の各年間に諸方から寄進があったが、その記録は安政年間の高津波で流失したという。元

所在地
三重県度会郡南伊勢町河内甲宮山77
御祭神
猿田彦命、大宮比賣命
三重県開運

尾野神社

おのじんじゃ

創立年代は不詳。三重県神社庁が引く『桑名市史』によれば、当社はもともと入江・田宮・船戸の三か村の総社で、三村が合併して東方村となったのち、入江村の人々が尾野入江のほとりで尾野神社を祀ったという。尾野山北の鼻山に鎮座していた社を後に船着大明神の社へ遷して相殿としたとの説もあり、「船着大明神」の別名で呼ばれてきた。境内には御霊と称する前方後円型の古墳があり、往古はその付近に社殿が建っていたと伝える。永

所在地
三重県桑名市大字東方2194
御祭神
天押帯日子命、天照大御神
三重県開運

本居宣長ノ宮

もとおりのりながのみや

『古事記伝』を著した江戸中期の国学者・本居宣長を神として祀る神社。碩学である宣長を神として祀ろうとする気運は早くからあり、明治初年に川口常文らが主唱して実現した。明治8年(1875)3月、旧山室村にある宣長の奥墓のかたわらに社殿を建て、山室山神社と号したのが創祀である。明治22年(1889)に現在の松阪市役所が建つ地へ遷座し、明治36年(1903)には県社に昇格した。大正4年(1915)、松阪発祥

所在地
三重県松阪市殿町1533番地2
御祭神
秋津彦美豆櫻根大人(本居宣長)、神霊能真柱大人(平田篤胤)