由緒
日本統治下の朝鮮・忠清南道扶余郡扶余面に造営が計画された神社で、昭和14年(1939)6月15日に官幣大社として創立が公示された。扶余は百済最後の都・泗沘が置かれた地であり、朝鮮総督府はここを「神都」として整備する構想を掲げていた。祭神には応神天皇・斉明天皇・天智天皇・神功皇后が予定され、いずれも三韓征伐伝承や白村江の戦いなど古代の朝鮮半島との関わりで語られる存在である。昭和18年(1943)の鎮座を目標に勤労奉仕による造営が進められたが、完成したのは基礎工事の段階までだった。昭和20年(1945)8月の敗戦で工事は中断し、鎮座祭が行われないまま同年11月17日に廃止された。社殿が建てられることも神霊が奉遷されることもなかった、実現しなかった神宮である。