由緒
伊丹市の昆陽(こや)に鎮座し、昆陽村の東の氏神として崇敬されてきた神社。社伝では天平年間(729〜749年)に僧・行基が昆陽池と周辺の原野を開いた際、事業成就を祈願して創建されたと伝わる。昆陽村には東西二つの天神社があり、当社は市場町・辻町・大工町・中町・東町を氏子域とし、西天神社と対をなしていた。祭神は伊弉諾尊と伊弉冊尊で、万物を生み出した祖神として信仰を集める。門前には角柱型の道標が立ち、南面に「左 中山 三田 小濱 有馬」、西面に「右 大坂 尼ヶ崎」と刻まれ、有馬へ向かう街道の分岐点であったことを今に伝える。本殿の背後には昆陽村の庚申碑の一つも祀られており、これらの石造品は伊丹市の文化財として紹介されている。現在の本殿は1970年(昭和45年)に鉄筋コンクリート銅板葺で改築されたもの。