由緒
貞観元年(859年)、大安寺の僧・行教が宇佐神宮で八幡神の神勅を受け、「都の近くに八幡神を迎えたい」との願いにより男山に勧請したことが起源。奈良時代に「八幡大菩薩が東大寺の大仏建立を助ける」と宣言して以来、八幡神は仏教守護の神として朝廷の篤い信仰を受けており、その延長として京都近郊への勧請は自然な流れだった。源氏が「八幡神を武家の守護神」として深く崇敬したことで源平合戦の時代から武家との関わりが深まり、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康も相次いで社殿造営に関わった。男山のケーブルカーが整備される以前は急坂を徒歩で登る参拝が続いた。