由緒
南北朝時代に南朝方として戦った菊池氏を祀るため、明治3年(1870年)4月28日に菊池城址の丘で鎮座祭が行われました。発端は慶応4年(1868年)、熊本藩から明治新政府の参与に出仕した細川家一門の長岡護美が、菊池氏と加藤清正を祀る神社の創建を建議したことにあり、同年7月18日に太政官がこれを採択して熊本藩に祭祀を命じています。鎮座時は第12代菊池武時を主祭神とし、第13代武重と第15代武光を配祀神としていましたが、大正12年(1923年)に武重と武光も主祭神となり、三柱を主祭神とする現在の形になりました。あわせて菊池一族26柱を配祀しています。社格は明治6年(1873年)に郷社、明治8年(1875年)に県社、明治11年(1878年)に別格官幣社へと昇格し、現在は別表神社です。境内には菊池千本槍など菊池氏500年の歴史の遺物を展示する菊池歴史館が置かれています。