由緒
名取熊野三社(本宮社・新宮社・那智神社)の一つ。名取熊野三社は保安年間(1120〜24)に名取老女が紀州熊野三山を勧請したと伝えられ、平安時代末期には既に存在していたと考えられている。仙台湾を熊野灘、名取川を熊野川、高舘丘陵を熊野連山に見立てて本宮・新宮・那智を別々に勧請した、紀州熊野の世界を再現するような形が特徴。本宮社は家津御子神を主神とする作物の神で、本宮十二神とも称され、万治元年(1658)に小館と呼ばれる山上から現在地へ遷宮したと伝わる。永禄6年(1563)には伊達晴宗から神輿や御神馬が奉納され、元禄3年(1690)以降は伊達藩から毎年玄米三石五斗を拝領した。山伏が伝えたという市指定無形民俗文化財「熊野堂十二神鹿踊」が保存継承されている。