信仰

熊野信仰の神社

熊野三山を源流とする熊野信仰。

熊野信仰について

熊野三山を源流とする熊野信仰。信仰ごとの由緒や流れを踏まえて、神社を横断的に見比べる入口として使えます。

代表格として熊野本宮大社を登録しています。

中心祭神は熊野速玉大神熊野夫須美大神家都美御子大神です。

熊野信仰で有名な神社

有名神社を中心に、大社・一宮・総鎮守など比較の起点にしやすい神社をまとめます。

熊野信仰の神社一覧

32件中1-20件を表示しています。

和歌山県開運厄除け

鬪雞神社

とうけいじんじゃ

社伝によれば、允恭天皇8年(419)に熊野権現をこの地に勧請し「田辺の宮」と称し奉ったのが起源とされる。別の古文書では天武天皇の時代(684)に十二殿を構え「新熊野證誠十二所大権現」と称したとも伝わり、本殿の裏手にある仮庵山は古くから龍神信仰の中心地、あるいは祭祀の場・御神体として信仰されてきた。平安時代後期には別当・長範によって熊野三所権現が勧請され、1147年に第18代熊野別当・湛快が就任した際には天照皇大神以下十一神を勧請して新熊野権現と称したという。社名は、源平合戦の折に熊野別当・湛増が紅白7羽の鶏を闘わせて神意を占い、白(源氏)が勝ったことから源氏に加勢して熊野水軍を率いたという『平家物語』の故事に由来する。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産に追加登録されており、社殿は国の重要文化財。

所在地
和歌山県田辺市東陽1-1
御祭神
熊野三所神
系統
熊野
沖縄県開運厄除け

末吉宮

すえよしぐう

琉球八社の一社。社伝によれば、尚泰久王の時代にあたる1456年ごろ、天界寺の鶴翁和尚が熊野三所権現を勧請して祀ったのが始まりと伝えられる。主祭神は伊弉冉尊・速玉男尊・事解男尊の三柱で、ほかに土祖神・澳津彦命・澳津姫命・産土神を別鎮斎として祀っている。琉球王府から厚い保護を受け、首里の北方を守る社として崇敬された。本殿と参道の石造階段は戦前に旧国宝の指定を受けていた。現在は那覇市街を望む末吉公園の丘陵上に鎮座し、社殿へは公園内の参道をたどる。社務所は波上宮が兼務している。

所在地
沖縄県那覇市首里末吉町1-8
御祭神
伊弉冉神、速玉男尊
系統
熊野
福島県開運厄除け

新宮熊野神社

しんぐうくまのじんじゃ

天喜3年(1055)、源頼義が奥州平定にあたって紀州の熊野三山を勧請したのが始まりと伝えられる古社で、熊野本宮・新宮・那智の三山の神を祀る。拝殿にあたる「長床」は平安時代の建築様式を伝える茅葺きの建物で、太い円柱44本が5列に並び、周囲に壁を持たない吹き抜けの構造が大きな特徴となっている。国の重要文化財に指定されており、会津地方における熊野信仰の中心的な存在として知られる。境内には樹齢800年ともいわれる大イチョウがそびえ、秋には見事な黄葉となる。宝物殿も併設され、地元の新宮地区重要文化財保存会によって守り伝えられている。

所在地
福島県喜多方市慶徳町新宮字熊野2258
御祭神
熊野三山(家都御子神、熊野速玉大神
系統
熊野
和歌山県開運厄除け

熊野三山

くまのさんざん

熊野三山は、和歌山県南部に鎮座する熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社の三社の総称で、単独の神社ではない。紀伊半島南部は古来「熊野」と総称される聖域とされ、熊野川の中洲にあった本宮は川を神格化したものとして家津御子大神を、河口近くの新宮(速玉大社)は熊野速玉大神を、大滝の聖水がもつ生産力への信仰を根源とする那智は熊野夫須美(産霊)大神を、それぞれ主神として祀る。平安後期には神仏習合により三社の神々にも本地仏があてられ、熊野三所(十二所)権現と呼ばれた。三社が互いに三所(十二所)権現を祀り合うことで一体の霊場「熊野三山」となり、「日本第一大霊験所」を称して現世と来世の救いを願う人々の崇敬を集めた。院政期には百度に及ぶ上皇の熊野御幸として信仰が花開き、鎌倉時代以降は庶民にも広まって「蟻の熊野詣」と形容された。

系統
熊野
静岡県開運厄除け

高松神社

たかまつじんじゃ

文武天皇の勅願により、紀州熊野三社のうち新宮にあたる熊野速玉大社の分神を高松山へ勧請したのが始まりで、大宝元年(701年)9月のこととされる。社伝によれば、藤原不比等の娘・宮子が幼少より熊野三社を篤く信仰し、文武天皇の皇后となって懐妊した際に熊野へ誓願したところ、無事に皇子(のちの聖武天皇)が誕生した。これを喜んだ天皇・皇后が東国に三所の社を建てることとし、北は山続き、南は海を望むこの地を新宮の宮地と定めたのが高松神社である。西の三熊野神社(本宮)、北の小笠神社(那智)と合わせて遠州の熊野三山を成す。御祭神は伊弉冊尊・速玉男命・亊解男命。源頼朝が伊豆配流の折に当社へ祈願したという伝説も残り、以来1300年にわたり地域の氏神として信仰されてきた。

所在地
静岡県御前崎市門屋2068番地
御祭神
伊弉冊尊、速玉男命
系統
熊野
沖縄県開運厄除け

識名宮

しきなぐう

沖縄県那覇市繁多川に鎮座し、明治以前に琉球国府から特別の扱いを受けた官社「琉球八社」の一社。社号は『琉球神道記』(1608年)に「尸棄那権現」、『琉球国由来記』(1713年)に「姑射山権現」と記される。近世沖縄の権現信仰では、末吉宮を熊野新宮、普天満宮を熊野那智、当宮を熊野本宮に見立てて信仰された。社伝によれば、洞窟内に安置された賓頭盧が夜ごと光を放つのを大阿母志良礼が信仰したところ願いが叶い、尚元王(1556〜72年)の長子・尚康伯の病気平癒にも霊験があったため、王子が私財を投じて宮と神応寺を創建したという。尚賢王の代からは毎年1月・5月・9月の吉日に国王の行幸が始まった。社殿はもと洞窟内にあったが湿気で腐朽し、康煕19年(1680年)に洞外へ移して瓦葺とした。戦前の社殿は戦災で焼失し、昭和43年12月に復興、平成25年12月に新社殿が竣工している。

所在地
沖縄県那覇市繁多川4-1-43
御祭神
伊弉冉尊、速玉男尊
系統
熊野
宮城県開運厄除け

熊野那智神社

くまのなちじんじゃ

宮城県名取市の高舘山山頂に鎮座し、名取熊野三社の一つに数えられる。第一主神は羽黒飛龍大神、第二主神は熊野夫須美大神で、ほかに速玉神・家都御子神・大穴牟遅神など計7柱を祀る。社伝によれば、養老元年(717年)閏6月、名取郡廣ノ浦(現在の閖上)の漁師・治兵衛が海中から光を放つ御神体を引き揚げて家に祀ったところ、夜ごと西の山並みへ龍燈のような光が走った。神託を求めると「我は羽黒飛龍の神なり」との告げがあり、光の向かった高舘山に社殿を建てて羽黒飛龍大権現として祀った。これが養老3年(719年)6月10日と伝える。保安4年(1123年)には名取老女が紀州熊野三社をこの地に勧請し、那智の御分霊を合祀して熊野那智権現と号した。伊達家代々の崇敬が篤く、社地の拡張と社殿造営、祭祀料の寄進を受けた。明治31年(1898年)の拝殿移転工事の際には床下から懸仏や銅鏡155点が見つかり、国・県の文化財に指定された。

所在地
宮城県名取市高舘吉田舘山8
御祭神
羽黒飛龍神、伊弉冉尊
系統
熊野
岡山県開運厄除け

熊野神社

くまのじんじゃ

岡山県倉敷市林、児島半島の郷内地区に鎮座し、「日本第一熊野十二社権現宮」と称する。伊邪那美神・伊邪奈岐神・家都御子神・速玉之男神を祀る。社伝によれば、修験道の祖・役小角が文武天皇3年(699年)に朝廷から訴追されて伊豆大島へ配流された際、義学・義玄・義真・寿玄・芳玄の5人の弟子が熊野本宮大社の御神体を奉じて各地を巡り、役小角が赦免された大宝元年(701年)3月に神託を得て、紀州熊野本宮をこの地へ遷したと伝える。天平12年(740年)には聖武天皇が児島一円を社領として寄進した。応仁の乱で社堂を焼失したが、別当大願寺の天誉によって明応元年(1492年)に再建され、江戸時代には備前岡山藩主池田光政の厚い保護を受けた。南面して一列に並ぶ6棟の本殿のうち第二殿は国の重要文化財、残る第一殿と第三〜第六殿の5棟は岡山県の重要文化財に指定されている。

所在地
岡山県倉敷市林684
御祭神
伊邪那美神、伊邪奈岐神
系統
熊野
静岡県開運厄除け

三熊野神社

みくまのじんじゃ

文武天皇の皇后が紀州の熊野三社に「安産で皇子が誕生すれば東に三つの社を建てて日夜敬う」と誓われ、無事に皇子(のちの聖武天皇)を出産した。その誓いにより大宝元年(701年)、熊野本宮大社をこの横須賀の地へ、熊野那智大社を小笠山(現・小笠神社)へ、熊野速玉大社を高松(現・高松神社)へ遷座したのが起こりと社伝は伝え、あわせて遠州の熊野三社と称される。鎮座とともに朝廷から神領として笠原の庄を賜った。建武2年(1335年)元旦には新田義貞が戦勝祈願に参拝し楠木正成の鈴を奉納したと伝わる。天正6年(1578年)に徳川家康が横須賀城を築いて以降は歴代城主・家臣と城下近郷の信仰を集め、災難除・子授け・安産・縁結びの守り神として崇敬されてきた。御祭神は家津美御子神・伊邪那美神・事解男神。本殿は静岡県指定文化財。

所在地
静岡県掛川市西大渕5631番地の1
御祭神
家津美御子神、伊邪那美神
系統
熊野
沖縄県開運厄除け

天久宮

あめくぐう

那覇市泊に鎮座する琉球八社の一社。『琉球神道記』(1608)に「天久権現」、『琉球国由来記』(1713)に「天久山熊野三社大権現」、『琉球国旧記』(1731)に「天久山三社」、『球陽』(1745)に「天久山権現」「天久宮」と記されるなど、古記録に繰り返しその名がみえる。創建は成化年間(1465〜1487)と伝えられる。縁起では、銘苅村の翁子が天久野で気高い女人と法師に出会い、女人が中腹の洞窟のあたりで消えるのを見て王に奏上したところ、国王が臣下に命じて洞窟へ香を供えさせると自然に火がついたため社殿を造営したという。のちに「我は熊野権現なり。女人は国家の守護神・弁財天である」との神託があったと伝わる。御祭神は伊弉冉尊・速玉男尊・事解男尊。昭和19年(1944)の空襲で社殿を焼失し、戦後は御嶽形式で祀られたが、昭和47年に本殿を建立、本土復帰と同じ5月15日に宗教法人となった。

所在地
沖縄県那覇市泊3丁目19-3
御祭神
伊弉冉尊、速玉男尊
系統
熊野
宮城県開運厄除け

名取熊野三社

なとりくまのさんしゃ

紀州の熊野三山を模して名取の高舘丘陵に勧請された、熊野本宮社・熊野神社(新宮社)・熊野那智神社の三社をまとめた呼称です。保安年間(1120〜1124年)に熊野信仰を篤くした「名取老女」が勧請したと伝えられ、熊野那智神社は保安4年(1123年)に那智の分霊を合祀して社名を改めたとされます。仙台湾を熊野灘に、名取川を熊野川に、高舘丘陵を熊野の山並みに見立てて三社を配した地理的な対応関係が特徴です。中世以降は伊達氏の崇敬を受け、永正11年(1514年)の伊達稙宗以降、歴代当主と仙台藩主から寄進や奉納を重ねて受けました。三社の中心となった熊野神社の本殿は熊野造の特徴を持つ宮城県指定有形文化財で、春秋の例祭に奉納される熊野堂神楽・熊野堂舞楽は宮城県指定無形民俗文化財です。

所在地
宮城県名取市高舘熊野堂字岩口上51
御祭神
速玉男尊、伊弉冉尊
系統
熊野
東京都開運厄除け

王子神社

おうじじんじゃ

祭神は伊邪那岐命・伊邪那美命・天照大御神・速玉之男命・事解之男命の五柱で、総称して王子大神と呼ばれる。創建年代は不詳だが、源義家が奥州征伐の折に社頭で慰霊祈願を行い甲冑を納めたと伝わる古社。元亨2年(1322)に領主豊島氏が紀州熊野三社から王子大神を勧請して「若一王子宮」と奉斎し、これが「王子」の地名の由来となった。徳川家康は天正19年(1591)に朱印地二百石を寄進して将軍家祈願所と定め、三代家光は社殿を造営、紀州徳川家出身の八代吉宗は元文2年(1737)に飛鳥山を寄進して桜を植え、江戸庶民の行楽地とした。明治元年には准勅祭社(東京十社)に列せられた。戦災で社殿を焼失したが、樹齢600年と伝わる大イチョウ(東京都天然記念物)が焼け残り、戦後に黒塗りと金箔の権現造の社殿が再建された。

所在地
東京都北区王子本町一丁目1番12号
御祭神
王子大神(伊弉諾命、伊弉冉命
系統
熊野
静岡県開運厄除け

山住神社

やまずみじんじゃ

和銅2年(709)、伊予国の大山祇神社から大山積命の分霊を勧請して創建されたと伝わる古社で、標高約1100メートルの山住峠の頂に鎮座する、遠州で最も高所にある神社。古くから山犬(狼)を神使とする山犬信仰で知られ、狛犬も山犬の姿をしている。元亀3年(1572)、武田勢に追われた徳川家康が当地へ逃げ込んだ際、山犬が一斉に吠えて武田勢を退けたと伝わり、家康は翌天正元年(1573)に再び参詣して二振りの刀剣を奉納したとされる。境内には推定樹齢1200年余の二本の大杉がそびえ、静岡県指定天然記念物となっている。明治5年(1872)に現在の社名に改められた。旧社格は県社。

所在地
静岡県浜松市天竜区水窪町山住230番地
御祭神
大山積命、事解男命
系統
熊野
静岡県開運厄除け

小笠神社

おがさじんじゃ

社伝では、文武天皇の勅願により紀伊の熊野三山から熊野三神を勧請して創建されたと伝えられ、その歴史は1300年以上前にさかのぼるとされます。御祭神は事解男尊・伊弉册尊・速玉男尊で、同じく文武天皇の代の創建を伝える掛川市の三熊野神社、御前崎市の高松神社とあわせて「遠州の熊野三山」と呼ばれてきました。社殿は掛川市のほぼ中央に位置する標高265メートルの小笠山の山頂近くに鎮座し、山そのものが古くからの信仰の場となってきました。参道には樹高約20メートル、樹齢400年以上と推定される杉が立ち、市の天然記念物に指定されています。創建時に始まったと伝えられる神事「矢矧祭」が今日まで受け継がれ、五穀豊穣・家内安全・安産を祈願する祭りとして続いています。

所在地
静岡県掛川市入山瀬852番地
御祭神
事解男尊、伊弉册尊
系統
熊野
岩手県開運厄除け

三熊野神社

みくまのじんじゃ

社伝では、延暦21年(802年)、蝦夷平定に向かった坂上田村麻呂が紀伊の熊野三山に戦勝を祈願し、平定成就ののちに熊野三神(伊弉冉命・事解男命・速玉男命)をこの地へ勧請したのが始まりと伝えられます。北上川東岸の熊野山嶺一帯は、それ以前に僧行基が開いたとも伝わる古い信仰の地で、社殿と並んで、坂上田村麻呂が奉祀したと伝わる兜跋毘沙門天立像を祀る毘沙門堂が建っています。毘沙門堂は室町時代後期の建築で平成2年に国の重要文化財に指定され、三熊野神社本殿は昭和54年に岩手県の有形文化財に指定されています。境内では、田村麻呂が兵に相撲を取らせた故事にちなむ特殊神事「十二番角力式」(泣き相撲)が受け継がれ、花巻市の無形民俗文化財として、地域の子どもの健やかな成長を願う神事となっています。

所在地
岩手県花巻市東和町北成島5区1
御祭神
伊弉冉命、事解男命
系統
熊野
宮城県開運厄除け

熊野本宮社

くまのほんぐうしゃ

名取熊野三社(本宮社・新宮社・那智神社)の一つ。名取熊野三社は保安年間(1120〜24)に名取老女が紀州熊野三山を勧請したと伝えられ、平安時代末期には既に存在していたと考えられている。仙台湾を熊野灘、名取川を熊野川、高舘丘陵を熊野連山に見立てて本宮・新宮・那智を別々に勧請した、紀州熊野の世界を再現するような形が特徴。本宮社は家津御子神を主神とする作物の神で、本宮十二神とも称され、万治元年(1658)に小館と呼ばれる山上から現在地へ遷宮したと伝わる。永禄6年(1563)には伊達晴宗から神輿や御神馬が奉納され、元禄3年(1690)以降は伊達藩から毎年玄米三石五斗を拝領した。山伏が伝えたという市指定無形民俗文化財「熊野堂十二神鹿踊」が保存継承されている。

所在地
宮城県名取市高舘熊野堂字五反田34
御祭神
熊野櫛御家都御子大神、熊野牟須美大神
系統
熊野
三重県開運厄除け

花窟神社

はなのいわやじんじゃ

『日本書紀』に記される、日本最古の神社ともいわれる聖地。社殿を持たず、高さ約45mの巨岩を御神体とする自然信仰の社で、神々の母・伊弉冉尊が火神・軻遇突智尊を産み、灼かれて亡くなった後に葬られた御陵と伝わる。祭神は伊弉冉尊と軻遇突智尊。年2回(2月2日・10月2日)の例大祭では、百尋(約166m)の大綱を御神体の窟の頂上から境内の松の御神木に渡す「御綱掛け神事」が太古から続けられており、三重県の無形民俗文化財に指定されている。平成16年(2004)7月には「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産として世界遺産に登録された。

所在地
三重県熊野市有馬町上地130番地
御祭神
伊弉冉尊、軻遇突智尊
系統
熊野
静岡県開運厄除け

高塚熊野神社

たかつかくまのじんじゃ

後三条天皇の延久年間(1069〜74年頃、約940年前)に創建されたと口伝される古社。紀州熊野本宮の神主が全国行脚の途中でこの地に留まり、熊野の神々を祀ったのが始まりと伝わる。「高い丘を作って人々を救え」との夢告を受けた神主が村人とともに社殿の裏山に土を盛ったと伝えられ、安政の大地震の際には里人がこの丘に避難して津波の難を逃れたという。この塚が「高塚」の地名の由来になったとの説もあり、防災と地域救済の記憶を今に伝える。祭神は伊佐奈伎命・事解之男命・速玉之男命の熊野三神で、「開運みちびきの大神」として信仰される。

所在地
静岡県浜松市中央区高塚町4708
御祭神
伊佐奈伎命、事解之男命
系統
熊野
京都府開運厄除け

熊野神社

くまのじんじゃ

弘仁2年(811)、修験道の祖・役小角から十世にあたる僧日圓が、国家護持のため紀州熊野大神を勧請したのに始まると伝わる。聖護院の守護神として奉祀され、平安末期には熊野信仰に篤い後白河法皇が社殿を修造し境内を寄進した。歴代天皇や庶民の信仰を集めたが応仁の乱で荒廃し、寛文6年(1666)聖護院門跡の助成により再興、天保6年(1835)に大修造が行われた。本殿に伊弉冉尊、相殿に伊弉諾尊・天照大神・速玉男尊・事解男尊を祀り、縁結び・安産・病気平癒の神として信仰される。

所在地
京都府京都市左京区聖護院山王町43
御祭神
伊弉冉尊、伊弉諾尊
系統
熊野
大阪府開運厄除け

杭全神社

くまたじんじゃ

貞観4年(862)、征夷大将軍坂上田村麻呂の孫にあたる当道が素盞嗚尊を勧請し、祇園社として創建したのが始まり。のち建久元年(1190)に伊弉諾尊(第三本殿)、元亨元年(1321)に熊野三所権現(第二本殿)を勧請し、平野郷一円の守護神として崇敬を集めた。明治に社号を杭全神社と定めた。三棟の本殿はいずれも国の重要文化財で、境内には全国で唯一現存する連歌所が残り、大阪市の文化財に指定されている。毎年7月11〜14日の夏祭では9台のだんじりが曳行され、30万人を超えるともいわれる人出で賑わう。

所在地
大阪府大阪市平野区平野宮町2丁目1-67
御祭神
素盞嗚尊、伊弉册尊
系統
熊野

熊野信仰に関連するご利益一覧

熊野信仰の神社一覧から、よく紐づくご利益をまとめています。