由緒
陸奥総社宮は、陸奥国内の神々を合わせ祀る総社として創建されたと伝えられる。多賀城の国府に近い地で、国司が国内諸社を一所で祭祀するための社として崇敬された。東北古代史と国府祭祀の歴史を今に伝える。
宮城県に鎮座する神社です。社格は総社。開運のご利益で知られます。
陸奥総社宮は、陸奥国内の神々を合わせ祀る総社として創建されたと伝えられる。多賀城の国府に近い地で、国司が国内諸社を一所で祭祀するための社として崇敬された。東北古代史と国府祭祀の歴史を今に伝える。
ご利益や御朱印情報を、地域で絞り込んで確認できます。
同じ地域や分類に近い神社を合わせて見られます。
承和9年(842)、仁明天皇の御代に陸奥守として着任した参議・小野篁が、奥州鎮護の神としてこの地に創建したと伝えられる。御祭神は倉稲魂神・保食神・稚産霊神の三柱で、あわせて竹駒稲荷大神と称される。倉稲魂神は稲作・農耕や商工業、保食神は五穀豊穣と食物、稚産霊神は養蚕・生成発展や縁結びの神として信仰を集めてきた。江戸時代には仙台藩伊達家の庇護を受け、日本三稲荷の一つに数えられる大社となった。旧暦2月の
崇徳天皇の永治元年(1141年)、摂津国の住人で現在の宮司家の祖にあたる小山田清寧が勧請したと伝えられる。元亀2年(1571年)、その子孫が御神体を奉じて平泉へ向かう途中に小牛田で宿を取ったところ、御神体を持つ者が動けなくなり、この地に鎮まることを望んでいると考えて住み着いたという口伝が残る。天正3年(1575年)に祠を建てて御神体を鎮め、寛文2年(1662年)には仙台藩が小牛田駅を開くのに合わせ
宮城県名取市の高舘山山頂に鎮座し、名取熊野三社の一つに数えられる。第一主神は羽黒飛龍大神、第二主神は熊野夫須美大神で、ほかに速玉神・家都御子神・大穴牟遅神など計7柱を祀る。社伝によれば、養老元年(717年)閏6月、名取郡廣ノ浦(現在の閖上)の漁師・治兵衛が海中から光を放つ御神体を引き揚げて家に祀ったところ、夜ごと西の山並みへ龍燈のような光が走った。神託を求めると「我は羽黒飛龍の神なり」との告げがあ
紀州の熊野三山を模して名取の高舘丘陵に勧請された、熊野本宮社・熊野神社(新宮社)・熊野那智神社の三社をまとめた呼称です。保安年間(1120〜1124年)に熊野信仰を篤くした「名取老女」が勧請したと伝えられ、熊野那智神社は保安4年(1123年)に那智の分霊を合祀して社名を改めたとされます。仙台湾を熊野灘に、名取川を熊野川に、高舘丘陵を熊野の山並みに見立てて三社を配した地理的な対応関係が特徴です。中世