由緒
徳川家康は死の直前、「遺骸は駿河に葬り、一周忌後に日光へ小さな堂を建てて勧請せよ」と遺言した。元和3年(1617年)に小堂が建てられたが、3代将軍・徳川家光は「祖父の威光を天下に示す」ことを目的に大規模な造替を決意。全国の大名から資材と人材を集め、寛永13年(1636年)に現在の絢爛豪華な社殿群を完成させた。「見ざる・聞かざる・言わざる」の三猿や「眠り猫」などの彫刻は、単なる装飾ではなく人生訓や魔除けの意味が込められているとされる。幕府はここに将軍が参拝する「日光社参」の制度を設け、政治的権威と神聖性を結びつけた。