由緒
社名は「すいむじんじゃ」と読む。岐阜県神社庁によれば、宝亀5年(774)に飛騨国から隣村中之保村の宮本の地に遷座したのが始まりと伝わる古社で、主祭神に高照光姫命と大年命を祀る。慶長5年(1600)に岩山崎組の田面の中の大森に遷り、延宝6年(1678)に現在地へ遷座したと伝えられる。上之保村・中之保村がそれぞれ一基ずつ神輿を奉斎してきた歴史を持ち、旧武儀郡の山あいに位置する富之保の地の鎮守として崇敬されてきた。
岐阜県に鎮座する神社です。御祭神は高照光姫神。開運のご利益で知られます。
社名は「すいむじんじゃ」と読む。岐阜県神社庁によれば、宝亀5年(774)に飛騨国から隣村中之保村の宮本の地に遷座したのが始まりと伝わる古社で、主祭神に高照光姫命と大年命を祀る。慶長5年(1600)に岩山崎組の田面の中の大森に遷り、延宝6年(1678)に現在地へ遷座したと伝えられる。上之保村・中之保村がそれぞれ一基ずつ神輿を奉斎してきた歴史を持ち、旧武儀郡の山あいに位置する富之保の地の鎮守として崇敬されてきた。
水無神社の御祭神は高照光姫神です。
4月14-15日
ご利益や御朱印情報を、地域で絞り込んで確認できます。
同じ地域や分類に近い神社を合わせて見られます。
岐阜市長良に鎮座する天満宮で、菅原道真を祀る。社伝によれば、承久年間に京都の北面の武士から美濃国の目代に任じられた斎藤帯刀左衛門尉親頼を祖とする斎藤氏が、崇敬していた京都・北野天満宮の神霊を氏神として勧請したのが始まりで、およそ800年前にさかのぼるという。寛正年間(1460〜1466)に斎藤利藤が本殿を造営し、天正16年(1588)には池田輝政が社壇を築いて寄進した。慶長年間の社殿再建後も修復と
美濃国賀茂郡の式内社「神田神社」に比定される古社で、社伝では元正天皇の養老2年(718年)の創建と伝えられる。『延喜式』神名帳では社名を「かむだ」と読んだとされ、村名の「神土(かんど)」もこれに通じる。平安時代中期以降に衰微したが、嘉慶2年(1388年)に再興・修復され、神仏習合のもとで白山妙大権現と改称された。室町時代に再び衰えたのち永禄元年(1558年)に復興し、享保2年(1717年)には社殿
岐阜県飛騨市古川町上気多に鎮座し、大国主神を主祭神とする神社で、通称は「杉本様(すぎもとさま)」。創祀の年代は不詳だが、『日本三代実録』貞観15年(873年)8月20日条に従五位下を加階されたと見え、元慶5年(881年)には地震の霊異により従五位上へ昇叙されたと伝える。天正17年(1589年)に飛騨三万八千石を領した金森長近の子・可重が増島城を築くと、旧古川町の産土神であった杉本大神を合祀し、以後
霊峰白山を神体山と仰ぐ白山信仰の美濃側の拠点で、白山三馬場のうち「美濃馬場」と呼ばれた地に鎮座する。社伝では養老元年(717年)に泰澄が白山に登拝し、白山中宮長瀧寺を開いたのが始まりとされる。天長5年(828年)に法相宗から天台宗へ改まり、同9年には加賀の白山本宮、越前の平泉寺とともに白山三馬場の一つに数えられた。中世には1万3千石の神領と多数の坊院を擁して隆盛し、全国から信仰者が集まった。明治の