由緒
奈良県橿原市下八釣町、天香久山の北西麓・赤埴山の麓に鎮座する。祭神は健土安比売神で、公式には天児屋根命を併せ祀るとする。『延喜式』神名帳十市郡の「畝尾坐健土安神社 大、月次新嘗」に比定される式内大社で、近世には天照大神社と称した(旧村社)。『日本書紀』神武天皇即位前紀には、天皇が天香山の埴土を取って多くの平瓫を造り、自ら斎戒して諸神を祭って国土を安定させ、土を取った所を「埴安」と名づけたとあり、当社はその埴安に鎮まる土の霊とされる。天平2年(730年)には神戸の租稲九十束のうち四束が祭神料に充てられ(『大倭国正税帳』)、天安3年(859年)1月27日に従五位下から従五位上へ昇叙された(『日本三代実録』)。神社と天香久山の間には赤埴山と呼ばれる小丘があり、埴安伝承地の石碑が建つ。令和元年からは天香山神社とともに、神武天皇の埴採りの神話にもとづく神事を毎年斎行している。