奈良県で開運の神社を選ぶポイント
開運の参拝先を選ぶときは、所在地だけでなく、御祭神・由緒・アクセスを合わせて確認すると巡りやすくなります。奈良県内で複数の神社を比較し、旅程に合う場所から参拝先を絞り込んでください。
奈良県で開運のご利益を目的に参拝したい神社を一覧で紹介します。
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創建年代は明らかでないが、近隣の室生寺よりも古い歴史をもつと伝えられる古社で、水を司る高龗神(たかおかみのかみ)を祀る。奈良時代から平安時代にかけては朝廷が勅使を派遣して雨乞いの神事を営んだと伝わり、室生寺が当社の神宮寺と位置づけられた時代もあった。社殿の上流には龍神が棲むと伝わる洞穴「妙吉祥龍穴」があり、古代から神聖な磐境とされてきた。現在の春日造の本殿は、春日大社若宮の社殿を江戸時代の寛文11年(1671年)に移築したもので、奈良県の指定文化財となっている。毎年10月の秋祭りでは、2頭の獅子が五穀豊穣と魔除けを祈願して舞う「室生の獅子舞」が奉納される。
曽我川の右岸の堤に接して境内を構える旧村社。もとは「六所明神」「保田明神」と呼ばれていたが、神殿に六面の神鏡が掛けられていたことから、明治初期に六縣神社と改称された。祭神の六縣命は、高市・葛木・十市・志貴・山辺・曽布という大和国の六つの県(あがた)を司る神々とされる。境内は隣接する富貴寺と一体で、神仏習合の名残をとどめる。毎年2月11日の夜に拝殿で行われる御田植神事「子出来おんだ祭」で広く知られ、水見回り・牛使い・施肥・土こなげ・田植・螺拾いの六つの所作に続いて、妊婦(本厄の男性が演じる)が夫のもとへ弁当を運び出産の所作を見せる安産の神事、さらに種蒔きの所作が演じられる。この神事は平成18年(2006)に奈良県の指定文化財となった。
大神神社の摂社で、正式には狭井坐大神荒魂神社という。三輪山の北麓、大神神社の拝殿から北へ延びる「くすり道」を進んだ先に鎮座する。社伝では垂仁天皇の時代の創祀と伝えられ、『延喜式』神名帳にも名を載せる古社である。主祭神は三輪の神の荒魂で、その力強い神威から古来病気平癒の神として厚い信仰を集めてきた。境内の井戸は社名「狭井」の由来とされ、湧き出る水は薬水と呼ばれて万病に効くと伝えられてきた。4月18日の鎮花祭は「薬まつり」の名で知られ、大宝律令(701年)に大神神社とこの社で行う国家の祭祀として規定された疫病除けの神事で、現在も製薬・医薬関係者が多く参列する。境内には三輪山への登拝口があり、その受付を担っている。
奈良県橿原市木之本町に鎮座し、「哭沢の神社(なきさわのもり)」とも呼ばれる。祭神の哭沢女神(泣沢女神)は、『古事記』において国生みの最後の段階で伊邪那美神が火の神・火之迦具土神を生んで亡くなったのを、伊邪那岐神が悲しんで泣いた涙から生まれた女神と伝えられる。当社は社殿(神殿)を持たず、玉垣で囲んだ空井戸を御神体とするのが大きな特色で、境内には末社の八幡神社が鎮座する。また、桧隈女王が「哭沢の 神社に神酒据ゑ 祈れども 我が大君は 高日知らしぬ」と詠んだと伝わる万葉歌碑が境内に建てられている。『延喜式』神名帳の十市郡にもその社名がみえる古社で、天香久山の麓に鎮まる畝尾坐健土安神社とは至近の位置関係にある。
奈良県橿原市下八釣町、天香久山の北西麓・赤埴山の麓に鎮座する。祭神は健土安比売神で、公式には天児屋根命を併せ祀るとする。『延喜式』神名帳十市郡の「畝尾坐健土安神社 大、月次新嘗」に比定される式内大社で、近世には天照大神社と称した(旧村社)。『日本書紀』神武天皇即位前紀には、天皇が天香山の埴土を取って多くの平瓫を造り、自ら斎戒して諸神を祭って国土を安定させ、土を取った所を「埴安」と名づけたとあり、当社はその埴安に鎮まる土の霊とされる。天平2年(730年)には神戸の租稲九十束のうち四束が祭神料に充てられ(『大倭国正税帳』)、天安3年(859年)1月27日に従五位下から従五位上へ昇叙された(『日本三代実録』)。神社と天香久山の間には赤埴山と呼ばれる小丘があり、埴安伝承地の石碑が建つ。令和元年からは天香山神社とともに、神武天皇の埴採りの神話にもとづく神事を毎年斎行している。
奈良県吉野郡下市町の立石に鎮座する、立石の産土神。下市町の資料によれば、『神社記』の天保3年(1832)6月の調査には、当社の祭神は雨の神として祀られる氏神であり「竜王宮社」と名づけられていたと記され、その後に石神社を合祀して「海神社」と称するようになったと伝えられる。もとは下立石の垣内にあった八大竜王と、上立石字石神にあった石神の二社を合わせ祀ったもので、本殿に向かって右が八大竜王、左が石神であると地元では伝えている。社前の右側には稲荷神社も合祀されている。山上に鎮座する旧村社で、水の神・雨の神への信仰が集落の暮らしと結びついてきた神社である。
神仏分離以前は祇園社と称し、旧田原本村の産土神として祀られてきた。明治中期に書写された天治2年(1125年)の棟札に「建立」の文字があったとされ、平安時代後期にはすでに鎮座していたと考えられている。江戸時代には田原本の領主平野家の崇敬を受け、毎年米1石5斗の寄進を受けていた。明治2年(1869年)、平野家の本貫地である尾張国津島の津島社も牛頭天王を祭神とすることから、社名を津島神社と改めた。祭神は素戔鳴命・櫛名田姫命・誉田別命・天児屋根命で、本来は牛頭天王を祭神とする産土神であったとみられる。現在も夏には盛大な祇園祭が営まれ、地元では今も「祇園さん」の愛称で親しまれている。
生駒山を御神体として仰ぐ生駒谷十七郷の氏神で、通称は往馬大社。社伝では雄略天皇の御代の創祀と伝え、文献上は奈良時代の文書にみえる「往馬神」が初見とされる。祭神は伊古麻都比古命・伊古麻都比賣命をはじめとする七柱。古くから火を司る神として崇敬され、天皇一代一度の大嘗祭に際して火をおこすための火燧木を献上する習わしがあった。神域は小明から小平尾までの十七村におよぶ生駒谷一帯で、上大座・北方座・壱分座・下大座・六ツ座などの宮座によって祭祀が担われてきた。のちに八幡信仰が広まると気長足比賣命・譽田別命なども合祀された。スポーツの日の前日に行われる秋の火祭りは「勝負まつり」とも呼ばれ、松明を担いだ若者が石段を駆け下りる速さを競う行事で、奈良県の無形民俗文化財に指定されている。
奈良盆地を流れる川が合流する河合の地に鎮座し、水を司る神として信仰されてきた。社伝では崇神天皇9年、廣瀬の河合の里長への神託により沼地が一夜で陸地に変わって橘が数多く生えたことが天皇に伝わり、この地に社殿を建てて祀ったのが始まりという。『日本書紀』には天武天皇4年(675年)に大忌神を廣瀬の河曲に祀ったとあり、これが毎年4月と7月に営まれた大忌祭の起こりとされる。龍田の風神と一対をなす祭祀として朝廷に重んじられた。『延喜式』神名帳の名神大社で、朝廷奉幣二十二社のうち中七社の一社。弘仁13年に従五位、永保元年(1081年)に正一位を授けられ、明治4年に官幣大社へ列した。現在は神社本庁の別表神社である。
奈良市東部の大柳生に鎮座する氏神で、旧県社。『延喜式』神名帳の大和国添上郡に「夜支布山口神社」(大社、月次・新嘗)として記され、宮殿造営の御料林を伐り出す山の口に坐す神を祀った大和十三山口神社の一つに数えられる。『日本文徳天皇実録』嘉祥3年(850年)に従五位下、『日本三代実録』貞観元年(859年)に正五位上を授けられ、同年には風雨を祈って幣帛が奉られた。社名は養布・養父とも表記され、俗に高野宮・天王社とも呼ばれた。もとは南方約600メートルの上出集落に鎮座していたが、中世に巨石を神体とする立磐神社の境内へ遷ったと伝わる。摂社・立磐神社の本殿は、春日大社本社本殿の第四殿を延享4年(1747年)7月に移築したもので、国の重要文化財に指定されている。現在の祭神は素盞嗚命とされるが、山口神の性格から本来は大山祇命を祀ったとする説もある。
吉野の山あいに鎮座する、水を司る闇龗神(くらおかみのかみ)を祀る古社。社伝では天武天皇の白鳳4年(675年)、「人の声の聞こえない深山に社殿を建てて祀れば、天下のために雨を降らせ、長雨を止めよう」という神託を受けて創建されたと伝える。『延喜式』神名帳の名神大社「丹生川上神社」および二十二社(下八社)の論社で、朝廷は日照りには黒馬、長雨には白馬を奉って祈願した。この馬の奉献が絵馬の起こりになったとも語り伝えられている。明治4年に官幣大社丹生川上神社と定められたが、その後に鎮座地をめぐる議論を経て上社・中社が加わり、現在は三社が並立していずれも神社本庁の別表神社となっている。祭神は大正時代に高龗神から闇龗神へ改められた。
二上山の東麓、葛城市加守に鎮座する式内大社の論社。主祭神の天羽雷命は、機織や裁縫の技術を各地に伝えたとされる倭文(しとり)氏の祖神で、当社は全国の倭文神社の根本社と位置づけられてきた。創建年代は不詳だが、『日本三代実録』貞観元年(859年)に神階を授けられた記事が文献上の初出で、『延喜式』神名帳では大和国葛下郡の大社に列している。現在は一つの社殿に三社が相殿として祀られ、右殿には宮中の清掃を職掌とした掃守(かもり)氏の祖神・天忍人命を祀る掃守神社、左殿には二上山雄岳に本社を置く葛木二上神社の里宮として大国魂命を祀る。明治6年に村社に列し、明治40年には神饌幣帛料供進社に指定された。地元では通称「倭文神社」と呼ばれている。
吉野山の最奥、奥千本に鎮座する古社で、金峯山の地主神とされる金山毘古命を祀る。創建の年代は明らかでないが、『延喜式』神名帳に名神大社として載る式内社で、旧社格は郷社。金峯山は黄金を蔵する山とする信仰があり、明治の神仏分離以前は金精明神と呼ばれていた。『栄花物語』には藤原道長が参詣したことが記され、中世以降は修験道の行場として重んじられた。社殿から少し下った場所には、源頼朝の追手から逃れた源義経が身を隠したと伝える義経隠れ塔があり、屋根を蹴破って逃げたという伝承から蹴抜の塔とも呼ばれる。平成16年(2004)にユネスコ世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成資産の一部となった。
創建は不詳。延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳には大和国平群郡に「平群神社五座 並大 月次新嘗」と記され、5座が式内大社に列するとともに、朝廷の月次祭・新嘗祭で幣帛に預かる社と定められた古社である。もとは古代豪族・平群氏の祖神を祀ったとされるが、5座の内訳は明らかでない。嘉吉元年(1441年)の『興福寺官務牒疏』には「平群大明神」と見え、近世には「春日大明神」と称された。境内には神宮寺として竜花山西宮密寺があったが、神仏分離により廃絶して社務所となっている。明治維新後は村社に列した。現在の祭神は大山祇神一柱で、本殿に向かって左の摂社には天照大神を祀る。俗に「西宮」と呼ばれ、城山の丘陵上の森の中に鎮座する。
三輪山の北西麓、山の辺の道沿いに鎮座する大神神社の摂社。社伝では、崇神天皇の御代に、それまで宮中に祀られていた天照大御神を皇女の豊鍬入姫命に託して倭笠縫邑に遷し、磯城神籬を立てて祀ったのが当社の始まりと伝え、「元伊勢」と呼ばれている。天照大御神はその後、永久の鎮座地を求めて各地を巡り、垂仁天皇の代に伊勢の五十鈴川上流に鎮まったとされ、これが伊勢神宮内宮の創祀と伝えられる。本殿も拝殿も設けず、三ツ鳥居(三輪鳥居)を通して御神座を拝するという、本社の大神神社と共通する古い祭祀の形を今に伝えている。『延喜式』神名帳の大和国城上郡「巻向坐若御魂神社」の論社ともされ、末社の豊鍬入姫宮には豊鍬入姫命を祀る。
創祀・由緒とも不詳ながら『延喜式』神名帳に記載される式内社で、旧社格は村社。『特選神名牒』は祭神を不詳とするが、明治12年(1879年)の神社明細帳には船山神と記される。旧社地は現在地の南西約200mにあったが、大正4年(1915年)ごろ旧安明寺村にあった春日神社へ遷り、その春日神社を船山神社として祀って現在に至る。本殿の右隣には天児屋根命を祀る春日社、左隣には天照大神を祀る大神社が並ぶ。磐座信仰を伝える古社で、拝殿脇には旧社地から移された陽石が据えられている。背後の矢田丘陵の中腹には、神が乗って天降ったという船石と伝わる三体の巨石があり、明治元年(1868年)にその付近に祀られていた船上神社を当社へ合祀したと伝えられる。
猿沢池の北西畔に鎮座する春日大社の末社で、采女命を祀る。平安時代中期の歌物語『大和物語』によれば、奈良時代に天皇の寵愛が薄れたことを嘆いて猿沢池に身を投じた采女(宮中の女官)の霊を慰めるために創建されたと伝わる。社殿は池に背を向けて建っており、わが身を沈めた池を見るに忍びないと、一夜のうちに社が後ろを向いたという伝説が残る。例祭の采女祭は中秋の名月の日に行われ、JR奈良駅前から猿沢池へ花扇を奉納する行列が練り歩き、雅楽が奏でられる中で管絃船が池を巡って花扇を池に浮かべる「管絃船の儀」が行われる。
『延喜式』神名帳に大社として記載される式内社で、平群谷の古社の中でも特異な存在とされる。祭神は劔刃石床別命(饒速日命とする説もある)。本来は社殿を持たず、高さ約8m・幅約30mの中央に亀裂の入った巨岩を御神体とする磐座信仰の社で、古来「陰石」として信仰されてきたと考えられている。大正13年(1924)に旧社地から北へ約200mの越木塚集落内へ遷座し、現在は集落上手の小丘上に東面して鎮座する。旧社地には御神体の巨岩が露出したまま残り、「石床神社旧社地」として保存されている。
興津彦神・興津姫神・土祖神の三神を祀り、古くから竈神(かまどの神)としての信仰があったと伝えられる。火の神様として台所や料理にかかわる人々の崇敬を集め、大祭は1月28日・4月28日・9月28日の年3回斎行される。大祭の際にはJR・近鉄桜井駅北口から臨時バスが運行される。
創祀年代不詳の古社で、延喜式神名帳に「天乃石立神社」と記される式内社。本殿を持たず、扉のような形に割れた花崗岩の巨岩群をそのまま神体として拝する、古代の磐座信仰の姿を今に伝える。前立磐に豊石窓命、後立磐に櫛石窓命、前伏磐に天岩戸別命などを祀り、東側に拝殿のみが設けられている。旧社格は村社。神社の北方約100mには、柳生新陰流の祖・柳生宗厳(石舟斎)が天狗と立ち合った際に一刀のもとに切ったと伝わる巨石「一刀石」があり、柳生の剣豪ゆかりの地として知られる。
開運の参拝先を選ぶときは、所在地だけでなく、御祭神・由緒・アクセスを合わせて確認すると巡りやすくなります。奈良県内で複数の神社を比較し、旅程に合う場所から参拝先を絞り込んでください。
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