Shrine

山国神社やまぐにじんじゃ

京都府に鎮座する出雲系の神社です。御祭神は大己貴命、大国主命。開運のご利益で知られます。

由緒

京都市北部の京北地域、旧山国郷に鎮座する延喜式内社です。社伝では光仁天皇の宝亀年間(770〜780)の鎮座と伝えられ、延暦13年(794)の平安遷都にあたって大内裏造営の用材がこの郷から徴されたため一帯が御杣料地と定められ、修理職の官人が本殿を造営し、和気清麻呂が祭主を務めたといいます。以後、大嘗祭の悠紀殿・主基殿の用材を調える役も担いました。長和5年(1016)には三条天皇から正一位を賜り、御祈願所として菊花の紋章を許されたと伝わります。源平の争乱や元弘の乱でたびたび社殿を失いましたが、細川頼之の執奏により応永6年(1399)に復旧し、このとき足利義満が奉納した丸に二つ引きが以後の神紋となりました。慶長元年(1596)に後陽成天皇によって再建され、明治6年(1873)に郷社、明治33年(1900)に府社へ列格。幕末に官軍として東征した山国隊ゆかりの社としても知られます。

山国神社は何の神様?

山国神社の御祭神は大己貴命、大国主命です。

大己貴命

国土経営・縁結びの神。大己貴命の別名。出雲大社の主祭神として縁結びのご利益がある。 代表的な神社としては出雲大社、常陸国出雲大社、当別神社などが挙げられます。 総本社格としては出雲大社がよく知られ、各地の出雲系神社の中心的存在です。 別名として「大己貴命」とも記されます。 検索時は 大己貴命 でも参照できます。

大国主命

国土経営・縁結びの神。大己貴命の別名。出雲大社の主祭神として縁結びのご利益がある。 代表的な神社としては出雲大社、常陸国出雲大社、当別神社などが挙げられます。 総本社格としては出雲大社がよく知られ、各地の出雲系神社の中心的存在です。 別名として「大己貴命」とも記されます。 検索時は 大己貴命 でも参照できます。

例大祭

例祭は10月の第2日曜日に営まれ、還幸祭として山国隊軍楽保存会による鼓笛の奏楽と行進を先頭に、約70人が担ぐ神輿を含め総勢130人ほどが約6キロメートルの道のりを5時間ほどかけて練り歩き、飛地境内社の御霊神社へ還ります。前日の夜には御霊神社を発輿する神幸祭が行われます。

年間行事

1月1日の元旦祭、1月10日のえびす祭と歳ノ木祭(祈年祭)、例祭と同じ10月第2日曜日に参道で開かれる山国フェスタ、11月23日の七五三祈祷と新嘗祭・御火焚祭、12月31日の除夜祭ならびに家内安全・交通安全祈願祭などが行われます。

山国神社に関連する目的別ページ

ご利益や御朱印情報を、地域で絞り込んで確認できます。

近隣神社

同じ地域や分類に近い神社を合わせて見られます。

京都府開運

菅大臣神社

かんだいじんじんじゃ

社地は菅原道真の邸宅であった紅梅殿・白梅殿と、学問所「菅家廊下」の跡と伝えられ、道真誕生の地ともされています。境内には産湯に用いたと伝わる井戸が保存されており、大宰府へ左遷される道真が「東風吹かばにほひおこせよ梅の花」と詠みかけた飛梅の地であるとも伝えられます。創建は道真の没後まもなくと伝えられますが、その後たびたび兵火にさらされ、鎌倉時代には南北二つの社に分かれました。応仁の乱によって荒廃したの

所在地
京都府京都市下京区仏光寺通新町西入ル菅大臣町187-1
御祭神
菅原道真公、尼神
系統
出雲
三重県開運

平群神社

へぐりじんじゃ

創建年代は不詳です。古代豪族・平群氏の祖とされる平群木菟宿禰を主祭神とし、『日本書紀』が木菟宿禰は仁徳天皇と同じ日に生まれたと伝えることで知られます。その後裔が伊勢国へ移り住み、祖神を祀ったのが当社の始まりと伝えられています。延喜式内社に比定される古社で、社殿は平群山の東斜面に鎮座します。この地は倭建命が足を留めた場所という伝承も残り、境内には歌碑が建てられています。のちに武内宿禰、天照大神、大己

所在地
三重県桑名市志知3693
御祭神
平群木菟宿禰、武内宿禰
系統
出雲
三重県開運

名居神社

ないじんじゃ

創祀年代は不詳です。『日本書紀』には推古天皇7年(599年)に大和を中心とする大地震があり、四方に「なゐの神(地震の神)」を祀らせたと記されており、伊賀国におけるその一社が当社であると伝えられてきました。延喜式神名帳の伊賀国名張郡「名居神社」に比定される式内社で、旧社格は村社です。「なゐ」は本来「地」を意味する古語で、近世には地祇大明神・国津大明神と呼ばれ、国津神である大己貴命が主祭神とされるよう

所在地
三重県名張市下比奈知2092
御祭神
大己貴命、少彦名命
系統
出雲
和歌山県縁結び開運

淡嶋神社

あわしまじんじゃ

公式サイトの社伝によれば、神功皇后が三韓からの帰路に瀬戸の海上で嵐に遭い、船の苫を海に投げてその流れに従えという神託のとおりに進んだところ、友ヶ島にたどり着いた。島には少彦名命と大己貴命が祀られており、皇后は救われた礼として持ち帰った宝物を供えたという。のちに孫の仁徳天皇が同島を訪れ、島では不自由であろうと対岸の加太へ社を遷して社殿を建てたのが当社の起こりと伝える。祭神は少彦名命・大己貴命・息長足

所在地
和歌山県和歌山市加太116
御祭神
少彦名命、大己貴命
系統
出雲