由緒
江戸時代後期の文化・文政期(19世紀初頭)、羽田(現在の羽田空港敷地)の鈴木新田開墾の際、しばしば激浪で堤防が決壊して大穴があいたため、村人が堤の上に稲荷大神を祀ったのが起源と伝わる。以後風浪の害が収まり作物がよく実ったことから、「風浪が作りし穴の害より田畑を守る稲荷大神」として穴守稲荷と称された。御祭神は豊受姫命。昭和20年(1945年)の終戦直後、連合国軍による羽田空港拡張のため48時間以内の退去を命じられて遷座を余儀なくされ、現在地の羽田五丁目に再建された。羽田空港の守り神として航空関係者の崇敬が篤く、空港ビルには分社も祀られている。