由緒
滋賀県甲賀市甲賀町、南鈴鹿の霊峰・油日岳の麓に鎮座し、明治時代までは「油日大明神」と称した。『日本三代実録』には元慶元年(877)に「油日神」が従五位下を授かったと記されており、それ以前から存在した古社であることが分かる。古くは油日岳を神体山とし、山頂には今も岳神社が祀られる。中世には一帯に成長した武士の崇敬を集め、本殿造営の奉加を記した明応4年(1495)の「油日御造宮御奉加之人数」には、杣谷を中心に190にのぼる武士や寺庵からの寄進がみえる。戦国期には上甲賀の武士が結んだ同名中・郡中惣の拠り所となったことから「甲賀の総社」と呼ばれ、境内は「甲賀郡中惣遺跡群」の一つとして国の史跡に指定されている。本殿(明応2年)、拝殿(天正年間)、楼門および東西回廊(永禄9年)は国の重要文化財で、室町時代の社殿がまとまって現存する。