由緒
もとは塩穴郷にあり、天穂日命を祀って塩穴天神社と称したと伝わる。延喜元年(901年)、大宰府へ下る途上の菅原道真が船を待つ間、遠祖にあたる天穂日命の祠に参拝し、松や榎を植えて旅立ったという伝承が残る。長保3年(1001年)、道真の子孫と伝わる菅原為紀がこの地を訪れて旧跡を調べ、朝廷に願い出て道真を合祀し、社号を船待天神社と改めた。その後、寛治年間(1087〜1094年)に塩穴郷から現在地の湊村へ遷座し、村の産土神として再建された。境内には琴平神社・春日神社・豊倉稲荷神社・瘡神社などの末社が並ぶ。