菅原道真公を祀る神社
平安時代の学者・政治家。天神様として学問・合格祈願の神として全国で信仰される。 代表的な神社としては北野天満宮、太宰府天満宮、湯島天満宮などが挙げられます。 天神信仰の中心は北野天満宮と太宰府天満宮で、大阪天満宮や防府天満宮も代表社として知られます。
菅原道真公とは?
平安時代の学者・政治家。天神様として学問・合格祈願の神として全国で信仰される。 代表的な神社としては北野天満宮、太宰府天満宮、湯島天満宮などが挙げられます。 天神信仰の中心は北野天満宮と太宰府天満宮で、大阪天満宮や防府天満宮も代表社として知られます。
菅原道真公を祀る有名な神社
有名神社を中心に、大社・一宮・総鎮守など比較の起点にしやすい神社をまとめます。
太宰府天満宮
太宰府天満宮は菅原道真公を祀る神社。学業上達・厄除けのご利益で知られ、919年(延喜19年)に創建された由緒ある神社です。
- 所在地
- 福岡県太宰府市宰府4-7-1
- 御祭神
- 菅原道真公
- 系統
- 天神
三宮明日香大社
JR両毛線岩宿駅の近く、みどり市笠懸町阿左美に鎮座する。明治の神仏分離以前の姿を守る神仏習合の社であることを掲げ、神と仏の双方を祀る点に特色がある。祀られるのは天地宇宙を司る造化三神、現世と霊界を司り因縁の浄化を導くとされる天照大御神・月読大御神・月輪観世音菩薩、商売繁盛や金運・良縁を導くとされる大國主大神をはじめとする福徳の神仏、学業や芸能を司る文昌帝君と菅原道真公など十二柱。護摩による祈祷、お祓い、御供養のほか、宗旨宗派を問わない相談や占術鑑定にも応じている。
- 所在地
- 群馬県みどり市笠懸町阿左美3615-2
- 御祭神
- 天之御中主之大御神、高皇産之大御神
菅原道真公を祀る神社一覧
42件中1-20件を表示しています。
長良天神神社
岐阜市長良に鎮座する天満宮で、菅原道真を祀る。社伝によれば、承久年間に京都の北面の武士から美濃国の目代に任じられた斎藤帯刀左衛門尉親頼を祖とする斎藤氏が、崇敬していた京都・北野天満宮の神霊を氏神として勧請したのが始まりで、およそ800年前にさかのぼるという。寛正年間(1460〜1466)に斎藤利藤が本殿を造営し、天正16年(1588)には池田輝政が社壇を築いて寄進した。慶長年間の社殿再建後も修復と造替が重ねられ、現在の本殿は享和元年(1801)、拝殿は嘉永5年(1852)の建築である。江戸時代に長良が尾張藩領となると歴代藩主や支藩・高須藩主の崇敬を受け、長良三郷の惣社として庶民の信仰も集めた。約4,500坪の広い境内には、道真ゆかりの梅をはじめ多くの樹木が茂る。
- 所在地
- 岐阜県岐阜市長良1972-1
- 御祭神
- 菅原道真公
- 系統
- 天神
小平潟天満宮
天暦2年(948年)の創建と伝わります。近江国の比良神社の神主が須磨で菅原道真の神像を得て旅を続けたところ、猪苗代湖の北岸まで来たときに神像が急に重くなって動かなくなったため、この地に社を建てて祀ったのが始まりとされます。祭神は菅原道真で、天神信仰の広がりとともに会津や仙道の領主・領民から厚い保護を受けて栄えました。現在の社殿は天和2年(1682年)に会津藩主松平正容によって造営されたものと伝えられ、流造の形式をとります。猪苗代湖畔の天神浜の松林に囲まれて建ち、磐梯山を望む立地にあります。学問の神を祀ることから、現在も合格祈願や学業成就を願う参拝者が多く訪れます。
- 所在地
- 福島県耶麻郡猪苗代町中小松西浜1615
- 御祭神
- 菅原道真
- 系統
- 天神
北野天神社
承応3年(1654年)の創建と伝わる、菅原道真を祀る天神社です。尾張平野の北部にあたる江南市北野町に鎮座し、学業成就や合格祈願を願う人々の信仰を集めてきました。常駐の神職を置かない無住の神社ですが、1月と2月の日曜日、および毎月25日の月次祭には合格祈願などの祈祷が行われます。この神社を広く知らせているのが、昭和39年(1964年)に始まった筆まつりです。毎年1月中旬に行われ、長さ約4メートル、重さ約50キログラムの大筆を、厄年の男性と新入学児が御所車に載せて神社まで曳き回す大筆奉納行列が最大の見どころとなっています。境内にある石造りの大筆に願いを書くと字が上達するといわれ、書道や学業の上達を願う参拝者が訪れます。
- 所在地
- 愛知県江南市北野町天神8
- 御祭神
- 菅原道真
- 系統
- 天神
平出雷電神社
社伝によれば仁和2年(886年)、京都の賀茂別雷神社(上賀茂神社)の御分霊を迎えて創建されたという。主祭神は別雷之大神で、開拓・殖産のほか雷除け・嵐除け・災難除け・勝運の神として、古くから「雷電様」の名で親しまれてきた。応仁の乱の兵乱で社殿は荒廃し、正徳年間には廃頽するに至ったが、当時の領主・平出孝政が領民とともに浄財を募って本殿を再建した。天保5年(1834年)に再改築され、元治2年(1865年)には「雷電宮」の称号を受けている。7月第4日曜日の夏大祭では豊年を祈願する梵天奉納神事が行われ、地域の夏の行事として続いている。
- 所在地
- 栃木県宇都宮市平出町3848
- 御祭神
- 別雷之大神、誉田別之命
廿日市天満宮
広島県廿日市市の篠尾山に鎮座する天満宮。承久2年(1220年)に藤原親実が厳島神社の神主として着任し、守護神として天神を祀ったことに始まり、天福元年(1233年)に鎌倉の荏柄天神を勧請して篠尾山に社殿を構えたと社伝は伝える。親実は厳島神社の造営のため鎌倉から多くの職人を伴っており、その子孫がこの地に定住したことが廿日市の町の発展の基礎になったとされる。慶安5年(1652年)には町民から寄進を集めて社殿が再建された。明治17年(1884年)の火災で社殿を焼失したが、明治22年(1889年)に再建され現在に至る。学問の神である菅原道真を祭神とすることから、合格祈願の参拝者が多い。
- 所在地
- 広島県廿日市市天神3-2
- 御祭神
- 菅原道真
- 系統
- 天神
露天神社
大阪キタの中心、梅田・曽根崎の総鎮守で、通称「お初天神」。社伝によれば、上古に大阪湾へ浮かぶ小島の一つであった現在地に「住吉須牟地曽根ノ神」を祀ったのが始まりで、古代難波の「難波八十島祭」旧跡の一社とされる。創建年代は定かでないが、八十島祭が文徳天皇の嘉祥3年(850年)まで遡り、6世紀の欽明天皇の頃には形が整っていたとされることから、当社の起源もその頃と推察されている。社名は、昌泰4年(901年)に大宰府へ左遷される途中の菅原道真が当地で詠んだと伝わる「露と散る涙に袖は朽ちにけり」の歌にちなむとされ、元和8年(1622年)の社殿再建の際に道真公が相殿に合祀された。元禄16年(1703年)に境内で起きた心中事件を題材に近松門左衛門が『曽根崎心中』を著したことから、主人公お初の名にちなむ通称で広く知られる。現社殿は昭和20年6月の戦災で焼失した後、昭和32年9月に再建されたもの。
- 所在地
- 大阪府大阪市北区曽根崎2-5-4
- 御祭神
- 大己貴大神、少彦名大神
- 系統
- 天神
長草天神社
愛知県大府市長草町に鎮座し、菅原道真を祀る。明応3年(1494)に地頭・藤田民部の邸内に祀られていた道真を、村の産土神として迎えたのが創建と伝えられる。この地がかつて英比(あぐい)ノ庄に属していたことから、道真の孫にあたる菅原雅規(英比丸)も御祭神として併せ祀っている。学問の神を祀ることから合格祈願の参拝者が多い。例祭の「どぶろくまつり」は室町時代から500年以上続く神事で、藤田民部が寄進した田の収穫米でどぶろくを造り、氏子や参拝者に振る舞ったのが起源とされる。寛文8年(1668)にどぶろく酒造を再開した記録が残り、現在も境内のどぶろく酒造所で6つの酒元組が輪番で醸造している。大府市の無形民俗文化財に指定され、境内には道真の歌碑と鷽替神事之碑がある。
- 所在地
- 愛知県大府市長草町本郷44
- 御祭神
- 菅原道真
- 系統
- 天神
高天彦神社
金剛山の東山麓に鎮座し、平安時代に編纂された『延喜式』において最高位の名神大社に列せられた古社。御祭神は古代豪族・葛城氏の最高神で、記紀神話のなかで出雲へ国譲りの使者を遣わすよう命じた高皇産霊神。ほかに市杵嶋姫命と菅原道真を祀る。神社の形態は古く、社殿の背後にそびえる白雲峰そのものを御神体とし、参道の両側には樹齢数百年という杉の巨木が立ち並んで神さびた雰囲気を漂わせる。一帯に広がる「高天」の台地は、記紀に登場する天孫降臨神話の舞台、すなわち神々が住んだとされる高天原の伝承地ではないかと言い伝えられてきた。
- 所在地
- 奈良県御所市北窪158
- 御祭神
- 高皇産霊神、市杵嶋姫命
- 系統
- 天神
旦椋神社
式内小社で旧社格は村社。境内の由緒書によれば、養老4年(720年)の『日本書紀』に見える栗隈県の大溝(栗隈大溝)の東側、旦椋という地に古社として鎮座していたと伝えられるが、その社殿は天文19年(1550年)に焼失した。その後、永禄9年(1566年)に旧地の大久保町旦椋から天満天神が祀られていた現在地へ移されて再興されたことが、吉田兼右の『兼右卿記』に見える。延喜年間(901〜923年)に編纂された『延喜式』の神名帳に記載された延喜式内社の一つに数えられる。現在の御祭神は高皇産霊神と神皇産霊神の二柱に、遷座先で合祀された天満天神の菅原道真公を加えた三柱。本殿は延宝2年(1674年)の改築によるもので、京都府の登録有形文化財となっている。
- 所在地
- 京都府宇治市大久保町北ノ山109
- 御祭神
- 高皇産霊神、神皇産霊神
- 系統
- 天神
高天神社
掛川市南部にそびえる高天神山の山頂近くに鎮座する神社で、祭神は高皇産霊命・天菩比命・菅原道真公の三柱です。高天神城の略年表には913年に山頂へ宮柱が建てられたと記されており、古くからこの山が信仰の場であったことがうかがえます。戦国時代、この山には遠江支配の要とされた高天神城が築かれ、当社は城の守護を担う神社と位置づけられました。城は武田氏と徳川氏が繰り返し争奪した要衝で、天正9年(1581)の落城を経てのちに廃城となりますが、神社はそのまま山上に残り、周辺の人々の信仰を集め続けました。社名は「高天・神社」ではなく、菅原道真を祀る天神社を意味する「高・天神社」と解されています。近代社格制度では郷社に列しました。
- 所在地
- 静岡県掛川市上土方嶺向2650
- 御祭神
- 高皇産霊命、天菩比命
- 系統
- 天神
三宮明日香大社
JR両毛線岩宿駅の近く、みどり市笠懸町阿左美に鎮座する。明治の神仏分離以前の姿を守る神仏習合の社であることを掲げ、神と仏の双方を祀る点に特色がある。祀られるのは天地宇宙を司る造化三神、現世と霊界を司り因縁の浄化を導くとされる天照大御神・月読大御神・月輪観世音菩薩、商売繁盛や金運・良縁を導くとされる大國主大神をはじめとする福徳の神仏、学業や芸能を司る文昌帝君と菅原道真公など十二柱。護摩による祈祷、お祓い、御供養のほか、宗旨宗派を問わない相談や占術鑑定にも応じている。
- 所在地
- 群馬県みどり市笠懸町阿左美3615-2
- 御祭神
- 天之御中主之大御神、高皇産之大御神
錦織神社
創建年代は不詳だが、昭和10年(1935)の本殿修理の際に平安時代中期の瓦が発見され、その頃までさかのぼる古社と考えられている。錦織という地名は、百済から渡来した人々が綾織・錦織の技術を伝えて朝廷に献じたことに由来するとされ、当社もその一族の氏神として祀られたと伝わる。大和川支流の石川の谷に位置することから、建水分神社・美具久留御魂神社とともに河内国の三水分社の一つに数えられ、古くは『水郡神社』とも呼ばれた。現在の本殿は正平18年(1363)に三善貞行が再建したもので、総檜皮葺・漆塗り、丸みを帯びた唐破風の上に三角形の千鳥破風を載せた装飾性の高い建築として知られる。本殿と摂社天神社本殿・摂社春日社本殿の3棟が国の重要文化財に指定されている。明治40年(1907)に現在の社名へ改称された。
- 所在地
- 大阪府富田林市宮甲田町9-46
- 御祭神
- 建速素戔嗚命、品陀別命
御厨神社
創立の年月は火災で記録を失い不詳。社伝によれば、神功皇后が西征の途中に二見浦へ船を寄せて船子を集め兵糧を調えた際、土地の人々が食物を献じたことに由来し、神饌を調える場所を意味する「御厨」が社名になったと伝える。伊勢神宮の御厨(荘園)であったとする説もある。貞観年間(859〜877)に八幡宮を勧請し、延喜元年(901)に大宰府へ左遷される途上の菅原道真が船を二見浦へ寄せて社地に上陸したという所縁から、寛和年間(985〜987)に天満宮を勧請したと伝わる。長暦年間(1037〜1040)に現在地の「卯の花の森」へ遷り、以後は誉田別命・菅原道真・素盞嗚命の三座を相殿に祀る。道真が一夜を明かしたという「仮寝の岡」の伝承が残り、船頭や回船業者など海運関係者の信仰も集めてきた。境内には紅梅・白梅があり、紅梅は2月上旬から中旬、白梅は2月中旬から3月上旬に見頃を迎える。
- 所在地
- 兵庫県明石市二見町東二見1323
- 御祭神
- 誉田別命(応神天皇)、菅原道真
北野天満神社
埼玉県さいたま市岩槻区本宿に鎮座し、学問の神として知られる菅原道真を祀る。創建年代は明らかでないが、江戸時代後期に編まれた地誌『新編武蔵風土記稿』に記載があることから、遅くともその頃には成立していたと考えられる。本宿周辺の18軒の旧家によって祀られてきた村の鎮守で、明治6年(1873)の近代社格制度により村社に列した。明治44年(1911)の火災で社殿を焼失したが、昭和47年(1972)に北野天満宮から改めて分霊を勧請して再建され、現在に至っている。
- 所在地
- 埼玉県さいたま市岩槻区本宿327
- 御祭神
- 菅原道真
- 系統
- 天神
日部神社
大阪府堺市西区草部に鎮座し、彦坐王・神武天皇・道臣命を主祭神とする。彦坐王は、この一帯を拠点とした豪族・日下部首氏の祖神とされる。創建の経緯は詳らかでないが、本居宣長『古事記伝』は、神武天皇が東征の際に上陸し長髄彦と最初の戦いをした「日下の蓼津」をこの一帯に比定している。明治44年(1911)に近隣の八坂神社・熊野神社・菅原神社を合祀し、旧八坂神社の社地へ遷座した。現在の社地・本殿・神門は旧八坂神社のもので、拝殿は旧菅原神社から移築されたものである。本殿は、その前にあった石燈籠に「正平二十四年卯月八日」(正平24年/1369年)の銘が刻まれていることや建築様式から、その頃の建立と考えられ、石燈籠とともに大正6年(1917)に国の重要文化財に指定された。本殿の蟇股には多彩な彫刻が施される。神門は江戸時代の作で堺市指定文化財。
- 所在地
- 大阪府堺市西区草部262
- 御祭神
- 彦坐王、神武天皇
菅大臣神社
社地は菅原道真の邸宅であった紅梅殿・白梅殿と、学問所「菅家廊下」の跡と伝えられ、道真誕生の地ともされています。境内には産湯に用いたと伝わる井戸が保存されており、大宰府へ左遷される道真が「東風吹かばにほひおこせよ梅の花」と詠みかけた飛梅の地であるとも伝えられます。創建は道真の没後まもなくと伝えられますが、その後たびたび兵火にさらされ、鎌倉時代には南北二つの社に分かれました。応仁の乱によって荒廃したのち、慶長19年(1614年)に再興されています。現在の本殿は天保6年(1835年)に造られたもので、明治2年(1869年)に他所からこの地へ移築されたものです。学問の神として、また道真ゆかりの地として参拝者を集めています。
- 所在地
- 京都府京都市下京区仏光寺通新町西入ル菅大臣町187-1
- 御祭神
- 菅原道真公、尼神
- 系統
- 出雲
波氐神社
創建年代は不詳だが、社伝では延暦20年(801年)に伝教大師によって社殿が改造されたとされ、桓武天皇の代には既に祀られていたと伝える。それから約100年後に成立した『延喜式』神名帳に載る伊勢国一志郡の式内社で、古来より矢頭山を中心に信仰されてきた。伊勢国司の北畠氏も崇敬篤く、神領を寄進して社の経営を助けたという。波瀬村には矢頭山の神を祀る社が3社あり、村の中央に鎮座する小矢頭神社を本宮、約6km離れた山麓の矢頭神社を中宮、山頂の高岳神社を奥宮として、あわせて矢頭山蔵王権現と称した。明治6年(1873年)の神仏分離で矢頭神社が波氐神社と改称し、明治42年から43年にかけて中宮・奥宮を含む村内32社を小矢頭神社に合祀して現在の波氐神社となった。昭和20年(1945年)に県社に列格している。
- 所在地
- 三重県津市一志町波瀬4248
- 御祭神
- 火雷神、安閑天皇
- 系統
- 出雲
布多天神社
社伝では第十一代垂仁天皇の御代の創建と伝え、延長5年(927)成立の『延喜式』神名帳に武蔵国多摩郡の式内社として名を連ねる多摩地方有数の古社である。当初は少名毘古那神一柱を祀っていたが、文明9年(1477)に多摩川の洪水を避けて「古天神」と呼ばれる旧地から現在地へ遷り、そのとき菅原道真公を配祀した。江戸時代に甲州街道が整備されると上石原・下石原・上布田・下布田・国領の五宿が成立し、当社はその総鎮守として「五宿天神」と崇められた。明治22年(1889)に布田五宿が飛田給・上ヶ給と合併して調布町となってからは、調布町の総鎮守となっている。境内には豊臣秀吉が発した「太閤の制札」が伝わる。
- 所在地
- 東京都調布市調布ヶ丘1-8-1
- 御祭神
- 少名毘古那神、菅原道真公
- 系統
- 天神
船待神社
もとは塩穴郷にあり、天穂日命を祀って塩穴天神社と称したと伝わる。延喜元年(901年)、大宰府へ下る途上の菅原道真が船を待つ間、遠祖にあたる天穂日命の祠に参拝し、松や榎を植えて旅立ったという伝承が残る。長保3年(1001年)、道真の子孫と伝わる菅原為紀がこの地を訪れて旧跡を調べ、朝廷に願い出て道真を合祀し、社号を船待天神社と改めた。その後、寛治年間(1087〜1094年)に塩穴郷から現在地の湊村へ遷座し、村の産土神として再建された。境内には琴平神社・春日神社・豊倉稲荷神社・瘡神社などの末社が並ぶ。
- 所在地
- 大阪府堺市堺区西湊町1丁2-18
- 御祭神
- 天穂日命、菅原道真公
谷保天満宮
昌泰4年(901)に菅原道真が大宰府へ左遷された際、三男・道武は武蔵国多摩郡に配流された。延喜3年(903)、父の死を知った道武が父を偲んでその姿を刻み祀ったのが創建と伝わる。947年には村上天皇の勅命により神殿が建立されて官社に列し、1181年に道武の子孫・津戸三郎為守が社殿を現在地に移した。東日本最古の天満宮とされ、湯島天神・亀戸天神と並ぶ関東三天神に数えられる。1885年に府社に昇格。明治41年(1908)には有栖川宮威仁親王の先導によるわが国初の自動車遠乗会の目的地となり、日本初のガソリン自動車「タクリー号」も加わったことから「交通安全祈願発祥の地」としても知られる。境内の梅林では毎年2月に梅まつりが開かれる。
- 所在地
- 東京都国立市谷保5209
- 御祭神
- 菅原道真
- 系統
- 天神