由緒
琉球八社の一つに数えられる神社で、独立した社殿を持たず、金武観音寺の境内地下にある鍾乳洞そのものを御神体とする点に大きな特色があります。創建の年代を伝える確かな記録は残っていませんが、『琉球国由来記』の記述から、尚清王の治世にあたる1527年から1555年の間と推定されています。補陀落山を求めて海を渡ってきた日秀上人が琉球各地を巡るなかでこの洞窟を霊地と定め、自ら彫った三尊を権現の正体として祀ったのが始まりと伝えられます。祭神は熊野権現にあたる伊弉冉尊・速玉男命・事解男命です。洞窟は日秀洞と呼ばれ、龍神信仰の地として複数の拝所が設けられてきました。神職を置かず観音寺の住職が管理してきたため、琉球王府からの経済的援助を受けなかった点でも他の琉球八社と異なります。近代の社格制度では無格社に位置づけられました。