由緒
那覇市の断崖上に鎮座し、琉球王府から「琉球八社」の筆頭と定められた沖縄の総鎮守。創建の起源は漁師が海上に神が現れる幻を見て祈願したことに始まるとされ、その後に熊野三神が祀られ「波上宮」と称された。琉球王国時代、王府は年間を通じて多くの神事をこの社で執り行い、首里城と波上宮が沖縄の宗教的・政治的両輪を担った。沖縄戦で社殿が消失したが戦後に再建され、ビーチと市街地に隣接する高台に立つ朱塗りの社殿は「復興した沖縄」の象徴として人々の心に根ざしている。
波上宮は伊弉冉尊・速玉男尊を祀る神社。国家鎮護・航海安全のご利益で知られ、不明(琉球王国時代)に創建された由緒ある神社です。
那覇市の断崖上に鎮座し、琉球王府から「琉球八社」の筆頭と定められた沖縄の総鎮守。創建の起源は漁師が海上に神が現れる幻を見て祈願したことに始まるとされ、その後に熊野三神が祀られ「波上宮」と称された。琉球王国時代、王府は年間を通じて多くの神事をこの社で執り行い、首里城と波上宮が沖縄の宗教的・政治的両輪を担った。沖縄戦で社殿が消失したが戦後に再建され、ビーチと市街地に隣接する高台に立つ朱塗りの社殿は「復興した沖縄」の象徴として人々の心に根ざしている。
日本の国土と神々を生んだ女神。夫の伊弉諾尊と共に日本の創世神話の中心的存在。 代表的な神社としては多賀大社、三峯神社、白山神社などが挙げられます。 代表社としては多賀大社や白山比咩神社が挙げられ、国生み神話を伝える重要な女神として祀られています。
熊野三神の一柱。熊野速玉大社の神として祝われる。 代表的な神社としては波上宮が挙げられます。
熊野三神の一柱。熊野那智邉神社の神として祝われる。 代表的な神社としては波上宮が挙げられます。 熊野信仰では熊野那智大社や熊野三山の祭祀圏で語られることが多い御祭神です。
御朱印は書き置き・直書きに対応。初穂料500円、受付時間9:00~17:00。
2016/05/07 なんみん祭、波上宮例大祭 5月13日宵宮祭(金)、5月14日(土)、5月15日(日)、5月17日(火)詳しくは 日程表PDF をご覧下さい。 こちらを
初詣や節分で多くの参拝者が訪れる那覇を代表する神社。 2月上旬に節分祭を実施し豆まきが行われる。 七五三の祈祷を受け付け、風船や千歳飴など授与品も用意される。 5月のなんみん祭で神輿行列や琉球舞踊、獅子舞、じゅり馬などが奉納される。
波上宮の参拝前に確認したい情報をまとめます。
御朱印は書き置き・直書きに対応。初穂料500円、受付時間9:00~17:00。
授与所開設時間は午前9時から午後4時45分までです。
2016/05/07 なんみん祭、波上宮例大祭 5月13日宵宮祭(金)、5月14日(土)、5月15日(日)、5月17日(火)詳しくは 日程表PDF をご覧下さい。 こちらを
初詣や節分で多くの参拝者が訪れる那覇を代表する神社。 2月上旬に節分祭を実施し豆まきが行われる。 七五三の祈祷を受け付け、風船や千歳飴など授与品も用意される。 5月のなんみん祭で神輿行列や琉球舞踊、獅子舞、じゅり馬などが奉納される。
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琉球八社の一社。社伝によれば、尚泰久王の時代にあたる1456年ごろ、天界寺の鶴翁和尚が熊野三所権現を勧請して祀ったのが始まりと伝えられる。主祭神は伊弉冉尊・速玉男尊・事解男尊の三柱で、ほかに土祖神・澳津彦命・澳津姫命・産土神を別鎮斎として祀っている。琉球王府から厚い保護を受け、首里の北方を守る社として崇敬された。本殿と参道の石造階段は戦前に旧国宝の指定を受けていた。現在は那覇市街を望む末吉公園の丘
沖縄県那覇市繁多川に鎮座し、明治以前に琉球国府から特別の扱いを受けた官社「琉球八社」の一社。社号は『琉球神道記』(1608年)に「尸棄那権現」、『琉球国由来記』(1713年)に「姑射山権現」と記される。近世沖縄の権現信仰では、末吉宮を熊野新宮、普天満宮を熊野那智、当宮を熊野本宮に見立てて信仰された。社伝によれば、洞窟内に安置された賓頭盧が夜ごと光を放つのを大阿母志良礼が信仰したところ願いが叶い、尚
那覇市泊に鎮座する琉球八社の一社。『琉球神道記』(1608)に「天久権現」、『琉球国由来記』(1713)に「天久山熊野三社大権現」、『琉球国旧記』(1731)に「天久山三社」、『球陽』(1745)に「天久山権現」「天久宮」と記されるなど、古記録に繰り返しその名がみえる。創建は成化年間(1465〜1487)と伝えられる。縁起では、銘苅村の翁子が天久野で気高い女人と法師に出会い、女人が中腹の洞窟のあた
琉球八社の一つに数えられる神社で、独立した社殿を持たず、金武観音寺の境内地下にある鍾乳洞そのものを御神体とする点に大きな特色があります。創建の年代を伝える確かな記録は残っていませんが、『琉球国由来記』の記述から、尚清王の治世にあたる1527年から1555年の間と推定されています。補陀落山を求めて海を渡ってきた日秀上人が琉球各地を巡るなかでこの洞窟を霊地と定め、自ら彫った三尊を権現の正体として祀った