由緒
社記によれば、景行天皇の御代に日本武尊の命を受けた甲斐国造・塩海足尼が、大和の大三輪明神(大神神社)から勧請したのが始まりと伝える。『日本三代実録』貞観5年(863年)の条に美和神に従五位上を授けた記事が見え、一条天皇の代に第二之宮の号を賜って甲斐国二宮となった。中世以降は鎌倉・足利・武田の各氏によって社殿が修造され、武田氏滅亡後は徳川家康が社領を安堵、家光が朱印領177石を寄進して以後歴代が安堵した。一之宮の浅間神社、三之宮の玉諸神社と合同で行われた川除祭は明治3年にいったん途絶えたが、平成15年に復活している。社宝に国指定重要文化財の木造大物主神立像、山梨県指定文化財の白糸威褄取鎧や板絵著色三十六歌仙図などを伝える。