由緒
長久元年(1040)、肥後の阿蘇大宮司が家臣を遣わして阿蘇神社の分霊を勧請し創建されたと伝わる。御祭神は健磐龍命をはじめとする阿蘇十二神。天正年間には社領の没収や社殿の焼失に遭ったが、のちに加藤清正によって社領が回復されたと伝えられる。境内には、勧請の際に神霊を奉じた船を繋いだと伝わる御神木「船繋ぎの樟」(樹高約35m・幹周約13m、樹齢1300年以上)がそびえ、市指定天然記念物となっている。10月の秋季大祭は400年以上の歴史を持ち、奴舞・獅子舞・亀蛇舞の三つの伝統芸能が奉納される。
熊本県に鎮座する神社です。御祭神は阿蘇十二神。開運のご利益で知られます。
長久元年(1040)、肥後の阿蘇大宮司が家臣を遣わして阿蘇神社の分霊を勧請し創建されたと伝わる。御祭神は健磐龍命をはじめとする阿蘇十二神。天正年間には社領の没収や社殿の焼失に遭ったが、のちに加藤清正によって社領が回復されたと伝えられる。境内には、勧請の際に神霊を奉じた船を繋いだと伝わる御神木「船繋ぎの樟」(樹高約35m・幹周約13m、樹齢1300年以上)がそびえ、市指定天然記念物となっている。10月の秋季大祭は400年以上の歴史を持ち、奴舞・獅子舞・亀蛇舞の三つの伝統芸能が奉納される。
小川阿蘇神社の御祭神は阿蘇十二神です。
7月15日10月15日
秋季大祭(毎年10月第3日曜)では、寛政6年の文献に載る大名行列「奴舞(とこせい)」、加藤清正の出兵にちなむ「獅子舞」、妙見神の伝説に由来する「亀蛇舞(ガメ)」が奉納される。
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伝承では永承2年(1047)、関白藤原道隆が八幡神を祀って創建したのが始まりとされる。鎌倉時代に阿蘇氏の勢力下に入って阿蘇神社・甲佐神社の二社が合祀されて三宮社となり、古くは「阿蘇三社大明神宮」「三宮大明神」とも呼ばれた。しだいに主神である八幡神よりも阿蘇神社としての性格が強まり、現在は阿蘇十二神と八幡大神を祀る。創建の頃に寄進された社領は豊臣秀吉により没収されたと伝わる。旧薩摩街道沿いに鎮座し、
延久3年(1071)、肥後国司の菊池則隆が摂津の住吉宮から分霊を勧請し、海上安全の守護神として創建したと伝わる。以後は菊池氏の手厚い保護を受けたが、戦国期の争乱で社殿を失った。寛文13年(1673)に熊本藩主の細川綱利が現在地へ再建し、以降は藤崎八旛宮・北岡神社とともに細川家歴代が崇敬する肥後三大社の一つに数えられた。藩主の参勤交代の航路や、有明海に生きる地域の海上安全が祈願され、雨乞い祈祷の記録
文安元年(1444年)、伊勢神宮を篤く信仰していた太田黒孫七郎が天照大神の託宣を受け、翌文安2年(1445年)に伊勢の神を当地へ勧請して創建したと伝わる。孫七郎は菊池氏六代隆直の末裔とされ、伊勢へ足しげく参宮したことから「飛行孫七郎」と呼ばれた逸話が残る。天正年間(1573〜1592年)に佐々成政によって社殿が焼かれたが、のちに加藤清正が再興して崇敬を寄せ、細川家の代になると手厚い保護を受けた。幕
南北朝時代に南朝方として戦った菊池氏を祀るため、明治3年(1870年)4月28日に菊池城址の丘で鎮座祭が行われました。発端は慶応4年(1868年)、熊本藩から明治新政府の参与に出仕した細川家一門の長岡護美が、菊池氏と加藤清正を祀る神社の創建を建議したことにあり、同年7月18日に太政官がこれを採択して熊本藩に祭祀を命じています。鎮座時は第12代菊池武時を主祭神とし、第13代武重と第15代武光を配祀神