由緒
創祀年代は不詳です。この地の古代豪族・小槻山君の祖神である落別命(於知別命)を祀る式内社で、栗太郡八座の一つに数えられます。小槻氏は奈良時代に宮廷へ采女を出し、平安時代から明治に至るまで千年近く官務家として朝廷に仕えました。『日本三代実録』には貞観5年(863年)に従五位下、元慶6年(882年)に従五位上を授けられた記録があり、『日本紀略』には延喜11年(911年)に従四位下を受けたと見えます。中世には青地庄に拠った近江守護佐々木氏の分流・青地氏が篤く崇敬し、弘安4年(1281年)に青地基氏が本殿内陣の元宮殿を新造、康永年間には正一位の神位授与を朝廷に願い出て許されました。現在の本殿は永正16年(1519年)に青地元真が再建したもので、国の重要文化財に指定されています。配祀の大己貴命は、境内に接していた天台宗音楽寺との関わりから日吉西本宮を勧請合祀したものと推察されています。