由緒
『日本書紀』顕宗天皇3年(487)の条に、任那へ派遣される阿閉臣事代に月神の託宣があり、朝廷が山背国葛野郡の歌荒樔田(うたあらすだ)の地を月神に奉って、壱岐の押見宿禰が社を造営し祠官として奉仕したと記されており、これが当社の創祀と伝わる。以後、押見宿禰の子孫(壱岐氏・卜部氏)が世襲の祠官として仕えた。斉衡3年(856)、度重なる桂川の氾濫を避けて現在の松尾山麓に遷座し、以後は秦氏や松尾大社との関係を深め、現在は松尾大社の摂社となっている。御祭神は月読尊。天文・卜占の神から転じて、近世以降は農耕の神、また安産の神として崇敬されている。