由緒
滋賀県米原市能登瀬、天野川中流域の丘陵上に鎮座する式内社で、『延喜式神名帳』に近江国坂田郡の小社として名を連ねます。社伝では奈良時代、この地を本拠とした豪族・息長氏が祖神を祀ったことに始まるとされ、天平神護2年(766年)に近江の地6戸が神封として寄せられたと記録されます。祭神は国常立尊。仁寿元年(851年)に正六位、貞観8年(866年)に正四位下の神階を受け、寛平9年(897年)には金勝寺の鎮守として年分度者が認められました。暦応2年(1339年)には朝廷の祈願により社殿が修造され、文和3年(1354年)にも勅願があるなど、朝野の崇敬を集めて社領の寄進もたびたび行われました。中世は「青木の宮」と称しましたが明治に旧社号へ復し、明治14年に郷社、大正10年に県社へ列格しました。明治15年の参道拡張工事の際には境内から全長約46mの前方後円墳(山津照神社古墳)が見つかり、金銅製冠や銅鏡、馬具などが出土しました。現在も近郷20か村の氏神として崇敬されています。