由緒
社伝によれば、神功皇后が三韓からの帰途、忍熊王の挙兵を知って当地に弓矢と甲冑を納め、熊野大神を祀って祈ったところ戦に大勝したという。背後の峰を弓弦羽嶽(弓矢)とも六甲山(甲冑)とも呼ぶのはこの故事による。皇后が里の泉に姿を映したことから、この地は「御影」と呼ばれるようになったとも伝わる。8世紀末に弓弦羽ノ森が神領と定められ、嘉祥2年(849)正月14日に神祠を造営して改めて熊野大神(伊弉册尊・事解之男命・速玉之男命)を祀った。現在の本殿は明治3年(1870)の再建。平成7年の阪神・淡路大震災では社務所や鳥居が倒壊し、平成10年に再建された。八咫烏の導きにちなむ勝利祈願の宮としても知られ、「祭・地車(だんじり)」は神戸市登録無形民俗文化財の第1号、境内の椋木は市指定天然記念物である。