滋賀県で厄除けの神社を選ぶポイント
厄除けの参拝先を選ぶときは、所在地だけでなく、御祭神・由緒・アクセスを合わせて確認すると巡りやすくなります。滋賀県内で複数の神社を比較し、旅程に合う場所から参拝先を絞り込んでください。
滋賀県で厄除けのご利益を目的に参拝したい神社を一覧で紹介します。
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少彦名神・大毘古神・仁徳天皇・宇多天皇・敦実親王の四座五柱を「佐佐木大明神」と総称して祀る。延長5年(927)にまとめられた延喜式神名帳に名が載り、少彦名神がササゲの莢の舟で海を渡ってササキの郷に来たという伝承が残る。古くは沙沙貴山君の祖神とされる大毘古神を祀ったのが始まりとみられる。平安時代に宇多天皇の流れをくむ源成頼が佐々木庄に住み、孫の経方が佐々木を名乗って神主を務めて以来、宇多源氏・佐佐木源氏の氏神として六角・京極・黒田・朽木など一族の崇敬を受けた。文治2年(1186)には佐々木定綱が、源頼朝の筆と伝わる「佐佐木大明神」の額を大鳥居に掲げたとされる。現在の本殿・権殿・拝殿は江戸末期の火災後に丸亀藩京極家が再建したもので、楼門や回廊などを含む8棟が滋賀県指定有形文化財である。
滋賀県野洲市大篠原に鎮座する旧郷社。創建年代は明らかでないが平安時代中期と伝え、寛和2年(986年)に越智諸実が社殿を再建して社領を寄進したという。現在の本殿は室町時代中期の応永21年(1414年)の建立で、六角氏の家臣で岩倉城主の馬淵定信を願主として再建されたと伝わる。桁行三間・梁間三間、一重の入母屋造、向拝一間、檜皮葺。彩色を施さない素木造だが、欄間や戸の意匠、各所に配された彫刻の手法が優れ、東山文化の装飾性をよく伝えている。小規模ながら中世の神社建築として屈指の傑作と評価され、明治34年(1901年)に重要文化財、昭和36年(1961年)に国宝に指定された。参道を進むと左手に拝殿、その右手に寄倍の池、奥に本殿と境内社の篠原神社本殿が並ぶ。良質のもち米を産する土地柄にちなみ、鏡餅の起源を祀るという「餅の宮」も境内にある。
滋賀県長浜市余呉町中之郷に鎮座する、余呉のなかでも古い歴史と格式をもつとされる神社。現在の主祭神は大山咋大神だが、余呉観光ガイドの解説によれば、もとは天日槍を祀る神社として創建されたと伝える。天日槍は『古事記』に新羅の王子・天之日矛として登場する神で、当社では天日槍が坂口の山を崩して余呉の平野を開拓したと伝えられている。神社の周辺には「日槍屋敷」という地名や、日槍塚と呼ばれる古墳が残り、開拓伝承が地名や遺構として今も土地に刻まれている。
社伝では、元慶6年(882年)に伊賀国阿拝郡河合郷の篠山嶽から旧大原の地へ勧請され、のちに現在地へ遷されたと伝わります。神仏習合のもとで天台宗の大原山河合寺が営まれ、子院36院を擁して栄えました。中世には近江守護六角氏の崇敬を受け、河合社・河合祇園社・牛頭天王社などと呼ばれ、氏子からは今も「てんのうさん」と親しまれています。文禄4年(1595年)には花奪神事に豊臣秀吉の墨付きを得たと伝え、元禄2年(1689年)には桂昌院から修繕料が寄進されました。明治元年、旧大原荘の「大」と鳥居野の「鳥」を合わせて大鳥神社と改称。大正5年の火災で本殿を残して社殿を失いましたが、大正9年に氏子の力で復興し、拝殿など7棟が国の登録有形文化財となっています。御神体の素盞嗚命坐像は国の重要文化財です。
社伝によれば白鳳3年に建速須佐之男命を奉斎し、朱鳥元年(686)に大己貴命を合祀したことに始まる古社で、延喜式神名帳に記載される式内社。社名は古代の馬道(うまじ)郷の土豪・石邊君氏の氏神であることに由来する。中世には江州田中荘(吉身・守山など)の総鎮守「田中大明神」「田中天王社」と崇められ、鎮守の森は「天王の森」と呼ばれた。弘仁年間には嵯峨天皇の病気平癒祈願の功により神領などが寄進されたと伝わる。元亀・天正年間の野洲川周辺の戦乱で社殿や神宝を焼失し、江戸時代に再興されたが天明4年(1784)に再び火災に遭い、現社殿は文久2年(1862)の再建。明治9年に村社、明治14年に郷社に列した。祭礼では天下泰平・五穀豊穣を祈る古式踊「豊年踊」が奉納される。
御祭神は比叡山の山の神である大山咋神。社僧家に伝わる饗庭家文書によれば、保延4年(1138)にこの地の木津荘が比叡山延暦寺の千僧供領となった際に勧請されたのが始まりと伝わる。応永15年(1408)に氏子の争議が起こり、氏子が当社と現在の大國主神社とに二分され、琵琶湖畔に遷座した。江戸時代初期までは両社の例祭を「上の御前祭」「下の御前祭」と称し、上郷・下郷が共同で行っていたという。旧社格は村社で、高島市新旭町深溝の氏神として祀られている。
治暦元年(1065)、前九年の役ののち近江国錦織郷に館を構えた源頼義が、九州の宇佐神宮から八幡神(応神天皇)を勧請し、産土神として創建したと伝わる。社地を探していた頼義を神鳩が現れて導いたといい、以来この山は宇佐山と呼ばれるようになった。宇佐山の中腹に本殿と上拝殿、山麓に下拝殿と鳥居があり、「むしはちまん」とも称されて子どもの守り神として信仰される。本殿の両脇には子どもの成長を祈願する土鳩の人形が数多く奉納されている。例祭の「夜まつり」では松明の明かりの中、2基の神輿が上拝殿から下拝殿への急坂を威勢よく下る。平成26年(2014)には創建950年祭が斎行された。
社伝によれば奈良時代、聖武天皇の勅命により陰陽道の祖とされる吉備真備が災厄を封じる国の中心地としてこの地を選定し、社殿を造営して賀茂皇大神を迎え祀ったのが創建で、約1300年の歴史をもつ。祭神は賀茂建角身命・賀茂玉依比賣命・賀茂別雷命・火雷命。この地は天智天皇が日本で初めて馬の国営牧場を設けた地と伝えられ、「馬の聖地」として馬事関係者の信仰を集める。例祭の賀茂祭では、平安時代に京都・上賀茂神社で始まった競馬会神事を後白河上皇の意により当地でも受け継いだとされる古式競馬「足伏走馬」が奉納される。
建部大社は日本武尊を祀る神社。開運招福・厄除けのご利益で知られ、316年(景行天皇46年)伝承に創建された由緒ある神社です。
日吉大社は大山咋神・大己貴神を祀る神社。厄除け・方除けのご利益で知られ、崇神天皇7年(伝承)に創建された由緒ある神社です。
大荒比古神社・鞆結神社は、滋賀県高島市マキノ町浦に鎮座する、大荒比古神社と鞆結神社の二社を合わせ祀る神社である。社伝によれば仲哀天皇の時代に創建されたと伝わり、のちにこの一帯を指す鞆結郷の総社として崇敬を集めてきた。大荒比古神社には豊城入彦命・大荒田別命・大己貴命・須勢理姫命が祀られ、須佐男命と菅原道真公が配祀されている。一方の鞆結神社の主祭神は誉田別命(応神天皇)である。両社はともに平安時代の延喜式神名帳に記載された式内社の有力な比定先(論社)の一つとされるが、いずれも他に論社があり確定はしていない。明治9年(1876年)には郷社に列せられた。神紋には「鍬形」が用いられている。
長等神社は、天智天皇の御代、西暦667年ごろ近江大津宮の鎮護として長等山岩座谷の霊地に須佐之男命を祀ったことを起源とする。1300年以上の歴史を持ち、大津の町の守護神として崇敬されてきた。
日牟禮八幡宮は、近江八幡の八幡山麓に鎮座する古社。屏風岩や鏡池など、古くからの自然信仰を伝える境内を持ち、由緒は能楽「日觸詣」にも謡われている。近江商人の町とともに発展し、地域の総鎮守として崇敬されてきた。
厄除けの参拝先を選ぶときは、所在地だけでなく、御祭神・由緒・アクセスを合わせて確認すると巡りやすくなります。滋賀県内で複数の神社を比較し、旅程に合う場所から参拝先を絞り込んでください。
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