ご利益

厄除けの神社

厄除けのご利益で探せる神社を277件掲載。代表的な神社は須佐之男神社です。

厄除けで知られる御祭神

厄除けで有名な神社

京都府厄除け

八坂神社

やさか じんじゃ

八坂神社は素戔嗚尊・櫛稲田姫命を祀る神社。厄除け・疫病退散のご利益で知られ、656年(伝承)に創建された由緒ある神社です。

所在地
京都府京都市東山区祇園町北側625
御祭神
素戔嗚尊、奇稲田姫命
系統
八坂
長野県家内安全勝負運

諏訪大社 上社本宮

すわ たいしゃ かみしゃ ほんみや

諏訪大社 上社本宮は建御名方神・八坂刀売神を祀る神社。勝運・家内安全のご利益で知られ、神代(古事記)に創建された由緒ある神社です。

所在地
長野県諏訪市中洲宮山1
御祭神
建御名方神、八坂刀売神
系統
諏訪
愛媛県交通安全商売繁盛

大山祇神社

おおやまづみじんじゃ

大山祇神社は大山積神を祀る神社。海の守護・戦勝祈願のご利益で知られ、推古天皇の時代(伝承)に創建された由緒ある神社です。

所在地
愛媛県今治市大三島町宮浦3327
御祭神
大山祇神
系統
三島・大山祇
茨城県勝負運出世

鹿島神宮

かしま じんぐう

鹿島神宮は武甕槌大神を祀る神社。勝運・必勝祈願のご利益で知られ、紀元前660年(伝承)に創建された由緒ある神社です。

所在地
茨城県鹿嶋市宮中2306-1
御祭神
武甕槌神
三重県開運厄除け

伊勢神宮 内宮

いせじんぐう ないくう

伊勢神宮 内宮は天照大御神を祀る神社。国家安泰・開運のご利益で知られ、紀元前4年(伝承)に創建された由緒ある神社です。

所在地
三重県伊勢市宇治館町1
御祭神
天照大御神
系統
伊勢・神明

厄除けの神社一覧

277件中1-20件を表示しています。

兵庫県厄除け病気平癒

須佐之男神社

すさのおじんじゃ

鎮座した年代は明らかでないが、慶長年間(1596〜1615)にはすでに社があったと記録され、明治維新までは牛頭天王社と称していた。境内地は年貢を免除された除地であったと伝わる。主祭神の須佐之男命は祓いを司る神として、家内安全のほか疫病や方位にまつわる災厄を祓う神として広く信仰を集めてきた。相殿には天照皇大神と建御名方神を祀る。古くは土師氏の祖とされる野見宿禰の後裔がこの地に移り住んだと伝えられ、その縁故から子爵の五條為栄が参拝して自ら若松を植え、変わらぬ契りを記した碑が境内に残されている。阪神本線の香櫨園駅から北西へ700mほどの西宮市郷免町に鎮座する。

所在地
兵庫県西宮市郷免町2-1
御祭神
須佐之男命、天照皇大神
系統
八坂
島根県勝負運厄除け

平濱八幡宮

ひらはまはちまんぐう

創建年代は不詳。天永2年(1111年)に太政官の命を受けて陰陽寮が当社の遷宮の日時を占ったことが石清水文書に見えることから、それ以前の鎮座は確実で、出雲国最古の八幡宮とされる。一帯は京都・石清水八幡宮の社領であり、当社は「平浜別宮」と呼ばれて石清水の社家の支流が奉仕した。のちに出雲国八所八幡宮の総社と位置づけられ、戦国期には亀井氏・尼子氏・毛利氏によって社殿が造営され、江戸時代には松江藩主の直轄下に置かれた。昭和17年(1942年)に県社へ列格。境内西隣には武内宿禰を祀る境内社・武内神社が鎮座し、「武内さん」の愛称で延命長寿の神として広く信仰を集めている。

所在地
島根県松江市八幡町303
御祭神
應神天皇、仲哀天皇
系統
八幡
山口県勝負運厄除け

鰐鳴八幡宮

わになきはちまんぐう

山口市上小鯖に鎮座する八幡宮で、小鯖八幡宮とも呼ばれます。社伝では平安時代中期の寛弘・長和の頃(1004年〜1016年)に豊前の宇佐八幡宮から神霊を勧請したと伝えられ、その帰路、山口湾から椹野川をさかのぼって鰐石に上陸した際、供をしてきた鰐が神との別れを惜しんで鳴いたという言い伝えが社名の由来とされています。主祭神は八幡大神・足仲彦神・神功皇后で、仁徳天皇や天御中主神、大歳神などを配祀します。中世以降は在地領主の崇敬を集め、文安5年(1448年)の大内教弘、永禄3年(1560年)の毛利隆元、永禄10年(1567年)の毛利輝元による社領安堵状が『防長風土注進案』に記録されており、明治維新まで社領の供給を受けていました。本殿は貞享3年(1686年)9月に改造され、拝殿は寛政3年(1791年)9月に建てられたもので、山口市の歴史文化資源として紹介されています。

所在地
山口県山口市上小鯖583
御祭神
八幡大神、足仲彦神
系統
八幡
広島県勝負運厄除け

御調八幡宮

みつきはちまんぐう

神護景雲3年(769年)、宇佐八幡宮の神託事件で道鏡の野望を退けた和気清麻呂の姉、和気広虫(法均尼)が備後国へ流された際、この地に留まって宇佐八幡大神を勧請し、弟の赦免を祈願したことに始まると伝わる。宝亀8年(777年)を創建の年とし、以後、八幡庄の鎮守、備後総鎮護の社として崇敬を集めている。天正年間には三原城に滞在した豊臣秀吉が参拝し、境内に桜を手植えしたと伝えられる。木造狛犬一対をはじめ、木造行道面・木造神像・経典板木が国の重要文化財に指定され、シイを主とする社叢は広島県の天然記念物となっている。

所在地
広島県三原市八幡町宮内7
御祭神
応神天皇、仲哀天皇
系統
八幡
熊本県勝負運厄除け

塩屋八幡宮

しおやはちまんぐう

八代城下の西方に鎮座する八幡宮。寛永9年(1632年)、八代城に隠居した細川忠興(三斎)が、かねて崇敬していた豊前の宇佐神宮から分霊を勧請して創建したと伝わる。明暦元年(1655年)、八代城主松井興長が現在地へ社殿を移し、八代城下西域を守る鎮守と定めた。以来、塩屋町の氏神として町人の信仰を集めてきた。九州三大祭のひとつに数えられる八代神社(妙見宮)の妙見祭では、当宮が神幸行列の御旅所となる。11月22日に神輿が妙見宮から「お下り」して当宮に泊まり、翌23日の早朝、当宮を起点に「お上り」の行列が妙見宮へ向けて出発する。祭りの二日間、八代の町の中心となる社である。

所在地
熊本県八代市八幡町1-11
御祭神
応神天皇、神功皇后
系統
八幡
秋田県勝負運厄除け

金澤八幡宮

かねざわはちまんぐう

後三年の役(1083〜1087年)で激戦の舞台となった金沢柵の跡に鎮座する。奥羽を平定した源義家が藤原清衡に命じ、京都の石清水八幡宮から八幡神を勧請して社殿を建てたのが始まりと伝わり、創建は寛治7年(1093年)とされる。当初は金澤八幡神社と称した。江戸時代に入ると、義家の弟である源義光の子孫にあたる佐竹氏が秋田藩主となったことから厚い崇敬を受け、慶長9年(1604年)以降十数回にわたって修改築が重ねられた。平成元年(1989年)に現在の社名へ改められている。古鏡や蓋付陶製経壺、銅製経筒、貞和年間の写経による大般若波羅蜜多経など、秋田県指定有形文化財を伝えており、後三年合戦ゆかりの地の信仰を今日に伝える社である。

所在地
秋田県横手市金沢中野字安本館4
御祭神
誉田別尊、息長帯姫命
系統
八幡
福岡県勝負運厄除け

八幡古表神社

はちまんこひょうじんじゃ

山国川の河口西岸、吹出浜に鎮座する旧県社で、豊前国宇佐八幡宮の末社にあたる。社伝では欽明天皇6年(545年)、神功皇后の託宣を受けて息長大神宮と称して八幡宮が鎮まり、脇殿に住吉宮が祀られたことに始まるという。細男舞・神相撲の神々を祀る古表社の起源は天平16年(744年)と伝える。川を挟んで東に位置する大分県中津市伊藤田の古要神社とは姉妹社の関係にあり、両社はともに宇佐八幡宮の末社として傀儡子(くぐつ)と呼ばれる木製人形の神事を伝えてきた。人形が舞い、相撲を取る「細男舞・神相撲」は国の重要無形民俗文化財に指定されており、4年に一度の放生会で奉納される。豊前地方の海と川に開けた地に、千年以上にわたって信仰が受け継がれてきた社である。

所在地
福岡県築上郡吉富町大字小犬丸353-1
御祭神
息長帯比売命(神功皇后)、虚空津比売命
系統
八幡
京都府勝負運厄除け

宇治上神社

うじがみじんじゃ

宇治川東岸、朝日山の山裾に鎮座する。応神天皇の末の皇子で聡明さゆえに皇太子に立てられた菟道稚郎子命を主祭神とし、応神天皇・仁徳天皇を併せ祀る。社伝では、応神天皇の崩御後に菟道稚郎子が兄の仁徳天皇へ皇位を譲ろうとし、仁徳天皇も父帝の定めを変えられないとして3年にわたり譲り合った結果、世の乱れを憂えた菟道稚郎子が自ら命を絶ち、これを知った仁徳天皇が難波から急ぎ宇治へ赴いて手厚く葬ったことが、のちの創建の由来になったと伝える。京都府の説明によれば、本殿(国宝)は平安時代後期に伐採された木材を用いた一間社流造の三殿からなり、神社建築としては日本最古の本殿とされる。拝殿(国宝)は鎌倉時代前期に伐採された桧を使った優れた建物遺構である。「古都京都の文化財」の構成資産として世界文化遺産に登録されている。御神徳は学業成就・武運隆昌・家内安全で、祭神名の「菟」にちなみうさぎの授与品でも知られる。

所在地
京都府宇治市宇治山田59
御祭神
菟道稚郎子命、応神天皇
系統
八幡
香川県厄除け病気平癒

津嶋神社

つしまじんじゃ

香川県三豊市三野町、瀬戸内海に浮かぶ小島(津島)に鎮座し、素戔嗚命を祀る。お椀を伏せたような岩島は古くは「ねずみ島」と呼ばれ、その上に銅板葺の本殿が建つ。三豊市によれば宝永3年(1706年)に富山安兵衛が社殿を造営したと伝えられ、眺望の良さから浮世絵師二代安藤広重の絵にも描かれた。社に伝わる話では、ねずみ島の沖で美しい声で歌う女が巫女に「我は海中に住める神、名は津島神」と託宣し、里人が鳥居を建てて島を祀ったのが起こりとされる。牛馬が疫病で多く倒れた年にこの里だけ被害がなかったことから江戸時代は牛馬の神として信仰され、大正時代中頃からは流行り病から子どもを守る神として参拝が広がり、現在は「子どもの守り神」として全国から家族連れが訪れる。昭和8年(1933年)に当時の大見村長・倉田彌治郎が発起人となって津島橋が架けられ、昭和27年(1952年)に社名を「津島神社」から「津嶋神社」に改めた。

所在地
香川県三豊市三野町大見甲6816番地2
御祭神
素戔嗚命
系統
八坂
埼玉県厄除け病気平癒

調神社

つきじんじゃ

さいたま市浦和区岸町に鎮座し、地元では「つきのみや」と親しまれる。社伝『調宮縁起』によれば第10代崇神天皇の勅命による創建と伝わり、伊勢神宮へ納める調(貢)物の初穂を収めた倉庫群の中に造営されたため、貢物の搬出入の妨げとなる鳥居を設けないとされる。確かな文献では延喜5年(905年)に編纂が命じられた『延喜式神名帳』に武蔵国四十四座の一社として記載される。御祭神は天照大御神・豊宇気姫命・素盞嗚尊。「調(つき)」が「月」と同じ読みであることから、月の動物とされた兎が神使とされ、中世の月待信仰と結びついて江戸時代には月読社とも呼ばれた。南北朝期の延元2年(1337年)に足利尊氏の命で一色範行が荒廃した社殿を復興し、天正18年(1590年)の小田原兵乱で再び焼失したが徳川家康の関東入部後に再建された。現社殿は安政6年(1859年)竣工の総欅権現造である。

所在地
埼玉県さいたま市浦和区岸町3-17-25
御祭神
天照大御神、豊宇気姫命
系統
八坂
和歌山県開運厄除け

鬪雞神社

とうけいじんじゃ

社伝によれば、允恭天皇8年(419)に熊野権現をこの地に勧請し「田辺の宮」と称し奉ったのが起源とされる。別の古文書では天武天皇の時代(684)に十二殿を構え「新熊野證誠十二所大権現」と称したとも伝わり、本殿の裏手にある仮庵山は古くから龍神信仰の中心地、あるいは祭祀の場・御神体として信仰されてきた。平安時代後期には別当・長範によって熊野三所権現が勧請され、1147年に第18代熊野別当・湛快が就任した際には天照皇大神以下十一神を勧請して新熊野権現と称したという。社名は、源平合戦の折に熊野別当・湛増が紅白7羽の鶏を闘わせて神意を占い、白(源氏)が勝ったことから源氏に加勢して熊野水軍を率いたという『平家物語』の故事に由来する。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産に追加登録されており、社殿は国の重要文化財。

所在地
和歌山県田辺市東陽1-1
御祭神
熊野三所神
系統
熊野
大阪府厄除け病気平癒

須佐之男命神社

すさのおのみことじんじゃ

大阪府に鎮座する八坂系の神社です。御祭神は須佐之男命、天児屋根命、事代主命。厄除け・病気平癒・開運のご利益で知られます。

所在地
大阪府摂津市千里丘3丁目15-15
御祭神
須佐之男命、天児屋根命
系統
八坂
島根県縁結び開運

須佐神社

すさじんじゃ

神戸川の上流に鎮座する延喜式内社で、『出雲国風土記』にも記される古社。社伝では、須佐之男命が諸国を巡ったのち「この国は小さいけれどよい国だから、自分の名は木や石ではなくこの土地につけよう」と告げて自ら御魂を鎮め置いた霊蹟とされ、須佐の地名の由来になったと伝えられる。古くから朝廷や武将の崇敬を集め、中世から近世にかけては「須佐大宮」「出雲大宮」「十三所大明神」などと称えられ、松江藩松平家の時代には「国主守護之社」として祀られた。明治5年(1872)に郷社、翌明治6年(1873)に県社へ昇格し、明治32年(1899)には国幣小社に位置づけられ、戦後は別表神社となって現在に至る。本殿は島根県指定文化財。宮司家は代々須佐国造家が継承しており、境内には七不思議と呼ばれる伝承や、大杉と親しまれる御神木が伝わる。

所在地
島根県出雲市佐田町須佐730
御祭神
須佐之男命
系統
出雲
沖縄県開運厄除け

末吉宮

すえよしぐう

琉球八社の一社。社伝によれば、尚泰久王の時代にあたる1456年ごろ、天界寺の鶴翁和尚が熊野三所権現を勧請して祀ったのが始まりと伝えられる。主祭神は伊弉冉尊・速玉男尊・事解男尊の三柱で、ほかに土祖神・澳津彦命・澳津姫命・産土神を別鎮斎として祀っている。琉球王府から厚い保護を受け、首里の北方を守る社として崇敬された。本殿と参道の石造階段は戦前に旧国宝の指定を受けていた。現在は那覇市街を望む末吉公園の丘陵上に鎮座し、社殿へは公園内の参道をたどる。社務所は波上宮が兼務している。

所在地
沖縄県那覇市首里末吉町1-8
御祭神
伊弉冉神、速玉男尊
系統
熊野
福島県開運厄除け

新宮熊野神社

しんぐうくまのじんじゃ

天喜3年(1055)、源頼義が奥州平定にあたって紀州の熊野三山を勧請したのが始まりと伝えられる古社で、熊野本宮・新宮・那智の三山の神を祀る。拝殿にあたる「長床」は平安時代の建築様式を伝える茅葺きの建物で、太い円柱44本が5列に並び、周囲に壁を持たない吹き抜けの構造が大きな特徴となっている。国の重要文化財に指定されており、会津地方における熊野信仰の中心的な存在として知られる。境内には樹齢800年ともいわれる大イチョウがそびえ、秋には見事な黄葉となる。宝物殿も併設され、地元の新宮地区重要文化財保存会によって守り伝えられている。

所在地
福島県喜多方市慶徳町新宮字熊野2258
御祭神
熊野三山(家都御子神、熊野速玉大神
系統
熊野
東京都厄除け病気平癒

品川神社

しながわじんじゃ

文治3年(1187)、源頼朝が安房国の洲崎明神から天比理乃咩命を勧請し、海上交通の安全と祈願成就を祈ったのが創始と伝えられる。元応元年(1319)に二階堂道蘊が宇賀之売命を、文明10年(1478)に太田道灌が素盞嗚尊を合わせ祀り、現在の三柱となった。慶長5年(1600)には徳川家康が関ヶ原の戦いに出陣する前に参拝して戦勝を祈願し、寛永14年(1637)に徳川家光が東海寺を建立した際には当社がその鎮守と定められて幕府の厚い庇護を受けた。明治元年(1868)には明治天皇の思召により准勅祭社の一社に定められ、現在は東京十社のひとつに数えられる。社殿は元禄7年と嘉永3年の焼失後、いずれも時の将軍の命で再建され、昭和39年(1964)に現在の社殿が再建。令和2年(2020)には天皇陛下の御即位を奉祝して社殿の修復が行われた。

所在地
東京都品川区北品川三丁目7番15号
御祭神
天比理乃咩命、素盞嗚尊
系統
八坂
大分県勝負運厄除け

大原八幡宮

おおはらはちまんぐう

大分県日田市田島に鎮座し、大帯比売命(神功皇后)・誉田別尊(応神天皇)・比売大神の三柱を祀る、大分県下有数の規模を誇る八幡宮。680年に靱負郷岩松ヶ峰(現在の天瀬町鞍形尾)に八幡神が示現したのを祀ったのが起源と伝えられる。9世紀半ばには日田郡司の大蔵永弘によって杉原宮から現在「元宮」と呼ばれる地へ遷され、1624年に代官石川主殿守忠総によって現在地へ遷座した。遷座前の地は元大原神社・元宮神社と呼ばれ、江戸時代中期に再建された社殿が今も残る。境内で最も古い建築である楼門は貞享4年(1687)、拝殿・幣殿・本殿は寛政6年(1794)の築造と伝わる。3月15日の米占い行事は国の記録作成等の措置を講ずべき無形民俗文化財に選択され、4月15日の御田植祭は大分県指定の無形民俗文化財である。

所在地
大分県日田市田島2丁目184
御祭神
誉田別命、大帯姫命
系統
八幡
大阪府厄除け病気平癒

大津神社

おおつじんじゃ

大阪府羽曳野市高鷲に鎮座し、素盞嗚尊・奇稲田姫命・天日鷲命を祀る。延長5年(927)にまとめられた『延喜式』に「大津神社」と明記された式内社で、「丹下の郷の大宮」「河内の大宮」と称えられた。応神天皇の頃、難波と大和を結ぶ要路にあたるこの地には渡来系の葛井氏・船氏・津氏が勢力を張っており、そのうち津氏一族がこの地を「大宮山」と称して守護神を奉斎したのが創祀と伝えられる。津氏が朝廷に召されて大和へ移った後は、周辺九か村の氏神として受け継がれた。仏教の隆盛に伴い本地垂迹説に基づいて「午頭天王社」と称し、宮寺・大宮山南之坊が置かれて神仏混淆となり、「北宮の午頭さん」と親しまれた。明治5年(1872)に村社に列格して大津神社に復し、現在は羽曳野市西部・南西部の氏神として信仰されている。配祀神は大山咋命と菅原道真公。

所在地
大阪府羽曳野市高鷲8丁目1-2
御祭神
素盞嗚尊、奇稻田姫命
系統
八坂
和歌山県開運厄除け

熊野三山

くまのさんざん

熊野三山は、和歌山県南部に鎮座する熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社の三社の総称で、単独の神社ではない。紀伊半島南部は古来「熊野」と総称される聖域とされ、熊野川の中洲にあった本宮は川を神格化したものとして家津御子大神を、河口近くの新宮(速玉大社)は熊野速玉大神を、大滝の聖水がもつ生産力への信仰を根源とする那智は熊野夫須美(産霊)大神を、それぞれ主神として祀る。平安後期には神仏習合により三社の神々にも本地仏があてられ、熊野三所(十二所)権現と呼ばれた。三社が互いに三所(十二所)権現を祀り合うことで一体の霊場「熊野三山」となり、「日本第一大霊験所」を称して現世と来世の救いを願う人々の崇敬を集めた。院政期には百度に及ぶ上皇の熊野御幸として信仰が花開き、鎌倉時代以降は庶民にも広まって「蟻の熊野詣」と形容された。

系統
熊野
埼玉県厄除け病気平癒

金子神社

かねこじんじゃ

埼玉県に鎮座する八坂系の神社です。御祭神は素盞嗚尊。厄除け・病気平癒のご利益で知られます。

所在地
埼玉県入間市西三ツ木23
御祭神
素盞嗚尊
系統
八坂

厄除け神社を都道府県から探す

47都道府県から、厄除けに関連する神社を地域別に探せます。

厄除けとは

厄除けは、人生の節目に訪れる「厄年」の災いを祓い、心身の安寧を願うご利益。日本人にとって最も身近な祈祷の一つで、毎年1月から節分にかけては全国の神社が厄除け祈祷で賑わいます。

厄年は中国の陰陽道に由来し、平安時代に貴族社会で定着、江戸時代には庶民にも広まりました。「災いの予防」というより「人生の節目を意識し、身を慎む期間」として伝統が続いてきたのが特徴です。

厄年早見表(数え年)

男性: 前厄 24歳 / 本厄 25歳 / 後厄 26歳、前厄 41歳 / 本厄 42歳(大厄) / 後厄 43歳、前厄 60歳 / 本厄 61歳 / 後厄 62歳

女性: 前厄 18歳 / 本厄 19歳 / 後厄 20歳、前厄 32歳 / 本厄 33歳(大厄) / 後厄 34歳、前厄 36歳 / 本厄 37歳 / 後厄 38歳

特に男性42歳と女性33歳は「大厄」と呼ばれ、心身の変調・社会的責任の増大が重なりやすい年齢として古くから警戒されてきました。3歳・61歳の還暦に厄除けを意識する地域もあります。

厄年にやってはいけないこと

伝統的には「新しいことを始めない」「大きな決断を避ける」「派手なことを慎む」とされます。具体的には転職・起業・新築・引っ越し・大きな投資は本厄の年は避けるのが慣わし。ただ、現代では「神社で祓ってから踏み出す」「節目だからこそ気を引き締める」という前向きな捉え方も一般的になっています。

参拝のポイント

厄除け祈祷は1月1日〜節分(2月3日頃)の間に受けるのが伝統的。年明け直後は混雑するため、1月中旬〜下旬の落ち着いた時期を選ぶ人も多いです。御祈祷の初穂料は5,000円〜10,000円が標準で、特別祈祷や昇殿祈祷では20,000円〜30,000円。 服装は「神様に失礼にならない」程度のきれいめが推奨され、ジーンズ・サンダル・露出の多い服装は避けます。所要時間は祈祷で20〜30分。前厄・本厄・後厄の3年間それぞれお参りするのが伝統で、家族で受ける場合は連名で祈祷可能です。 参拝後は授与された御札を家の神棚または南向き高い場所に祀り、1年後にお礼参りで返納します。

よくある質問

厄年の数え方は数え年ですか満年齢ですか?

神社では伝統的に「数え年」で数えます。生まれた年を1歳とし、毎年元旦に1歳加える数え方です。たとえば2026年1月1日時点で満24歳の男性は数え25歳となり、本厄の年に当たります。1月1日を境に厄年が変わるため、年明け早々の参拝が良いとされる理由はここにあります。

厄年は何歳ですか?早見表が知りたい

男性の本厄は数え25歳・42歳・61歳、女性は19歳・33歳・37歳。男性42歳・女性33歳は特に大厄と呼ばれます。前後1年は前厄・後厄として3年連続でお参りする習慣があります。神社により若干の差異があるので、参拝先の表記もご確認ください。

厄年にやってはいけないことは何ですか?

伝統的には転職・起業・新築・引っ越し・大きな投資など「新しいことを始める」のを避けるとされます。ただし現代では「事前に厄除け祈祷を受けて踏み出す」考え方も広まっており、絶対に避けるべきという固定観念は薄れつつあります。

厄除けはいつ行くのが正解ですか?

1月1日〜節分(2月3日頃)が伝統的な参拝期間。特に節分までに済ませるのが理想とされます。混雑を避けたい場合は1月中旬以降がおすすめ。仕事や家族の都合で行けない場合は、年内のいつでも問題ありません。

厄除けと厄払いの違いは?

ほぼ同義で使われますが、厳密には「厄除け」は災いを近づけない予防的な祈り、「厄払い」は既についた厄を祓い清める祈祷とされます。神社によって用語が異なり、いずれも目的は同じです。寺院では「厄除」が主に使われます。

厄年でないのに厄除け祈願をしても良いですか?

もちろん問題ありません。厄年以外でも人生の節目(結婚・転職・引越し前後・大きな手術前など)、悪いことが続いた時、八方塞がりの年などに厄除けを受ける人は多くいます。

家族で厄除け祈祷を受けられますか?

受けられます。家族全員の名前と生年月日を申し込み用紙に書けば、まとめて祈祷してもらえる神社がほとんど。初穂料は人数分というより一家族としての金額になることが多く、5,000円〜10,000円程度が目安です。