由緒
社伝によれば、景行天皇40年(西暦110年)、日本武尊が東征の折にこの地に立ち寄り、「北方に美しく裾野を広げる富士は、この地から拝すべきである」と述べたのが起源とされる。その言葉を受け、景行天皇50年に大塚丘に祠が建てられ、浅間大神と日本武尊が祀られたのが創建と伝わる。天応元年(781年)の富士山噴火の後、延暦7年(788年)に甲斐国司・紀豊庭朝臣の命により、大塚丘の北方に現在の社殿が建立され、浅間大神はここに遷され、日本武尊は元の大塚丘に留め祀られた。以来、貞応2年(1233年)の北条義時による造営、永禄4年(1561年)の武田信玄による再建、享保から元文年間(1733〜1738年)の村上光清師による大造営など、時代ごとの有力者によって社殿が整えられ、富士山信仰・富士講の中心として今日の境内景観が形づくられた。