大山祇神の別名・表記
大山祇命、大山積神、オオヤマツミなどの表記でも知られています。
大山祇神(おおやまつみのかみ)は、『古事記』で伊邪那岐命・伊邪那美命の子として生まれた山の神です。『古事記』では大山津見神、『日本書紀』では大山祇神、『伊予国風土記』逸文では大山積神と書かれ、木花之佐久夜毘売と石長比売の父神とされます。愛媛県今治市大三島の大山祇神社は、全国の大山積神を祀る神社の総本社とされています。
大山祇命、大山積神、オオヤマツミなどの表記でも知られています。
大山祇神(おおやまつみのかみ)は、『古事記』で伊邪那岐命・伊邪那美命の子として生まれた山の神です。『古事記』では大山津見神、『日本書紀』では大山祇神、『伊予国風土記』逸文では大山積神と書かれ、木花之佐久夜毘売と石長比売の父神とされます。愛媛県今治市大三島の大山祇神社は、全国の大山積神を祀る神社の総本社とされています。
神話上の位置づけと信仰の広がりを整理します。
大山祇神は、『古事記』の神生みで、伊邪那岐命・伊邪那美命から風の神・木の神に続いて生まれた山の神です。『古事記』では大山津見神と書かれ、邇々芸命の結婚の段で木花之佐久夜毘売と石長比売の父として登場します。八俣の大蛇の段に出てくる足名椎や、須佐之男命の妻となった神大市比売も、この神の子と記されています。
表記は神社によって異なり、愛媛県今治市大三島の大山祇神社は大山積神、静岡県の三嶋大社は大山祇命と記します。大山祇神社は『伊予国風土記』逸文に見える和多志大神の名を伝え、山の神であると同時に海や渡航を司る神ともしています。同社には武将たちが長年にわたって奉納してきた甲冑や刀剣が伝わり、全国で国宝・重要文化財に指定された武具類の約8割が同社の宝物館に収められていると案内されています。
大山祇神を祀る神社を訪れる前に押さえたい観点です。
大山祇神を祀る神社には、山中に鎮座し、参拝できる期間が限られる社もあります。出羽三山の湯殿山神社本宮もそのひとつで、雪の深い冬は参拝できません。山の神を祀る社へ向かうときは、各神社が案内する開山期間や参道の状況を事前に確かめ、歩きやすい服装で参拝してください。
有名神社を中心に、大社・一宮・総鎮守など比較の起点にしやすい神社をまとめます。
大山祇神社は大山積神を祀る神社。海の守護・戦勝祈願のご利益で知られ、推古天皇の時代(伝承)に創建された由緒ある神社です。
船跡森 三島神社は大山祇命を祀る、愛媛県八幡浜市保内町宮内の古社。宝亀5年(774年)に大山祇神社の分霊を勧請して創建されたと伝わり、保内郷の総鎮守として崇敬されています。
三嶋大社は大山祇命・積羽八重事代主神を祀る神社。商売繁盛・家内安全のご利益で知られ、不明(奈良時代に記録あり)に創建された由緒ある神社です。
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大山祇神社は大山積神を祀る神社。海の守護・戦勝祈願のご利益で知られ、推古天皇の時代(伝承)に創建された由緒ある神社です。
大山(標高1252m)の山頂と中腹に社殿を持つ神社。雨降り山(あふりやま)とも呼ばれ、雨乞いの神として農民に信仰された。江戸時代には「大山詣り」が盛んで、多くの参拝者が訪れた。
岩木山神社は顕国魂神・多都比姫神を祀る神社。家内安全・五穀豊穣のご利益で知られ、780年(宝亀11年)伝承に創建された由緒ある神社です。
平塚三嶋神社は大山祇命・事代主大神を祀る、神奈川県平塚市夕陽ケ丘の神社。湘南のえびす様として親しまれ、商売繁盛・家内安全・開運招福の信仰を集めています。
船跡森 三島神社は大山祇命を祀る、愛媛県八幡浜市保内町宮内の古社。宝亀5年(774年)に大山祇神社の分霊を勧請して創建されたと伝わり、保内郷の総鎮守として崇敬されています。
明治13年(1880年)頃の創建とされ、官営釜石製鉄所以来の歴史を受け継ぐ製鉄所(旧釜石鉱山田中製鐵所、現・日本製鉄釜石地区)の守護神社。金山彦神・大山祇神・木花咲耶姫を祀る。工場の拡張に伴い遷座を重ね、現在は桜木町に鎮座する。明治27年(1894年)に日本で初めて製造に成功したコークス銑で鋳造された鉄製扁額が伝わり、2012年に釜石市の有形文化財に指定された。尾崎神社との合同祭は昭和42年(1967年)から「釜石まつり」として行われ、神輿の海上渡御「曳き船まつり」や虎舞・神楽が披露される釜石を代表する祭りとなっている。
甲府盆地の南、中央市の南方にそびえる前山の山頂に鎮座し、地元では「お山の神さん」の通称で親しまれている。石祠の本殿には正徳5年(1715年)の銘が刻まれており、江戸時代中期にはすでに祀られていたと考えられている。古くから農耕守護と商売繁昌に霊験があるとされ、甲府盆地一円はもとより遠く京浜方面からも参詣者を集め、春の大祭には麓から山頂まで参拝の列が続いたと伝えられる。近代以降に広く知られるようになって参拝者が増え、平成6年(1994年)に石祠の本殿や拝殿・玉垣が、翌平成7年には社務所などが整備された。境内地は約4900坪、氏子は330戸ほどを数える。山頂へ続く参道沿いの桜並木は「山の神千本桜」と呼ばれ、山梨県の名花百選に選ばれている。
延喜式神名帳に越中国新川郡の小社として載る式内社で、旧社格は県社。創建については、孝謙天皇の御代に桜井庄三日市へ勧請されたとする説のほか、東方の嘉例沢の山頂から御幣が飛来し、現れた三体の神像を「三島大明神」として祀ったのが始まりという伝承も伝わる。天正8年(1580年)に、それまで鎮座していた北方約500メートルの萱堂の地から現在地へ遷ったとされる。明治に入るまでは三島大明神と称し、社名が八心大市比古神社に改められた後も、地元では今なお「三島神社」の通称で親しまれている。主祭神は大山祇神・少彦名神・軻遇突智神の三柱で、天照皇大神を合祀する。古くから氏子は鶏を神の使いとして大切にしたと伝えられ、社宝として鶏之図絵馬が伝わる。2月の折年祭、5月の春祭、10月の秋祭、11月の新嘗祭のほか、6月には茅輪神事が営まれる。
鳥取市鹿野町河内の山あいに鎮座する。創立年代は不詳だが、古くから河内地区の氏神として祀られ、かつては妙見大権現と称した。寛文7年(1667)に鳥取藩主池田家から社領六斗を寄進され、元禄15年(1702)に天照大御神を勧請合祀して妙見茂宇気宮と改めた。明治初年に茂宇気神社と改称し、村内の山神(大山祇命)や稲荷神、境内末社の稲荷大明神(倉稲魂命)を合祀している。明治5年(1872)に村社に列し、大正9年(1920)には神饌幣帛料供進神社に指定された。社名の「もうけ」という響きが「儲け」に通じるとして、近年は商売繁盛や金運の神として知られるようになり、県外からの参拝者も訪れる。社殿へ続く264段の急な石段が印象的な社である。
社伝では千年余り前に大和・春日大社の安在所として天児屋根命を祀ったことに始まり、大化4年(648年)に奈良の三笠山から素盞鳴命と龍神姫命を勧請したと伝える。和銅3年(710年)に興福寺東門院領「閼伽桶の庄」となり、慶長5年(1600年)の関ヶ原合戦以降は伊勢領に属した。南北朝期、文中2年(1373年)の棟札にも「大和州閼伽桶庄宮」と記されている。垂仁天皇の代に天照大神が当地を巡幸した際、鎮座していた春日の神と議って櫛田川の巨石をもって伊勢・大和両国の境と定めたという伝承があり、里人はこの石を「礫石」、付近を「堺が瀬」と呼ぶ。社名も所在地名「赤桶」も神事も祭神も水に関わり、西方約700mには「閼伽桶の井」がある。社殿は朱塗りの春日造三殿並立から明治25年に現在の神明造へ改められた。
社伝によれば仁和2年(886年)、京都の賀茂別雷神社(上賀茂神社)の御分霊を迎えて創建されたという。主祭神は別雷之大神で、開拓・殖産のほか雷除け・嵐除け・災難除け・勝運の神として、古くから「雷電様」の名で親しまれてきた。応仁の乱の兵乱で社殿は荒廃し、正徳年間には廃頽するに至ったが、当時の領主・平出孝政が領民とともに浄財を募って本殿を再建した。天保5年(1834年)に再改築され、元治2年(1865年)には「雷電宮」の称号を受けている。7月第4日曜日の夏大祭では豊年を祈願する梵天奉納神事が行われ、地域の夏の行事として続いている。
創祀年代は不詳です。独鈷山の麓、塩田平の古安曽に鎮座し、鈴子・石神・柳沢の三地区の産土神として崇敬されてきました。社伝では崇神天皇の御代に国家安泰を祈願して各地に社が建てられた際、「阿曾山舎社阿曾大明神」の勅額が奉納されたと伝えます。清和天皇の貞観年間(860年頃)には信濃権守の岑嗣が阿曽山舎社を再建し、仁和4年(888年)にも勅額が奉納されたといいます。寿永年間(1185年頃)に源頼朝が諸国の神社を修理させた折、地頭の芳沢光綱が地主神・石上布留社の境内に社を建てて遷座しました。明治29年9月に郷社に列格。諏訪の神を祀ることから神紋は梶で、境内には二階建ての随身門が残ります。
雲南市南部、八重滝にほど近い山中の岩壁のくぼみに社殿を構える神社です。社伝では、須佐之男命が斐伊川で八岐大蛇を退けたのち、八重山の岩窟にひそんで人々を苦しめていた魔神を退治し、二度と魔物が住みつかないよう母神の伊邪那美命と姉神の天照大神を岩窟に祀ったのが祭祀の始まりと伝えられます。江戸時代には松江藩主松平直政が社殿の修復に力を注いだと伝わり、以後「一社一例国主守護之社」として松江藩・広瀬藩の祈願所とされました。一方で氏子を持たない社であったため財政に苦しみ、天保2年(1831)に牛馬市の興行を願い出たことをきっかけに、牛馬の守護神として広く信仰されるようになります。現在の社殿は享保19年(1734)の再建と伝えられ、随身門の随神像と狛犬は正徳3年(1713)の坪内平七郎利忠の作です。
狭山池の北東の高台に鎮座する式内社で、旧社格は郷社。創建年代は不詳だが、社伝では崇神天皇の勅願により、狭山池が築かれるより前から祀られていたと伝える。『延喜式』神名帳には、現在は境内に合祀されている狭山堤神社とともに、河内国丹比郡の大社として記載されている。南北朝時代にはこの一帯が南北両軍の争う地となって社殿がたびたび兵火にかかり、現在の本殿は室町時代中期、明応2年(1493年)ごろの再建と推定されている。室町期から江戸期にかけては牛頭天王社とも称した。主祭神は天照大神と素盞嗚命で、狭山連の祖神とされる臣狭山命や天児屋根命を配祀し、明治の神社合祀により大山祇神・稲田姫命なども合わせ祀る。狭山郷の鎮守として今も崇敬を集めている。
狩野川の西にそびえる守山の東麓に鎮座する。社伝では大化3年(647年)に大山祇神を祀って創建されたとされ、延喜7年(907年)に豊前の宇佐八幡宮から八幡神を勧請して合祀し、守山八幡宮と称するようになったと伝わる。治承4年(1180年)8月、伊豆に流されていた源頼朝が以仁王の令旨を受けて平家追討を祈願し、当社の社前で挙兵したと伝えられる。頼朝はこの地から、配下が襲撃した目代・山木兼隆の館が焼ける火煙を望み、緒戦の成就を知ったという。現在の本殿は寛永9年(1632年)に久能城主・榊原照久が造営したもので、源氏再興の出発点となった社として知られている。
創建は不詳。延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳には大和国平群郡に「平群神社五座 並大 月次新嘗」と記され、5座が式内大社に列するとともに、朝廷の月次祭・新嘗祭で幣帛に預かる社と定められた古社である。もとは古代豪族・平群氏の祖神を祀ったとされるが、5座の内訳は明らかでない。嘉吉元年(1441年)の『興福寺官務牒疏』には「平群大明神」と見え、近世には「春日大明神」と称された。境内には神宮寺として竜花山西宮密寺があったが、神仏分離により廃絶して社務所となっている。明治維新後は村社に列した。現在の祭神は大山祇神一柱で、本殿に向かって左の摂社には天照大神を祀る。俗に「西宮」と呼ばれ、城山の丘陵上の森の中に鎮座する。
創建年代は不詳だが、社伝では延暦20年(801年)に伝教大師によって社殿が改造されたとされ、桓武天皇の代には既に祀られていたと伝える。それから約100年後に成立した『延喜式』神名帳に載る伊勢国一志郡の式内社で、古来より矢頭山を中心に信仰されてきた。伊勢国司の北畠氏も崇敬篤く、神領を寄進して社の経営を助けたという。波瀬村には矢頭山の神を祀る社が3社あり、村の中央に鎮座する小矢頭神社を本宮、約6km離れた山麓の矢頭神社を中宮、山頂の高岳神社を奥宮として、あわせて矢頭山蔵王権現と称した。明治6年(1873年)の神仏分離で矢頭神社が波氐神社と改称し、明治42年から43年にかけて中宮・奥宮を含む村内32社を小矢頭神社に合祀して現在の波氐神社となった。昭和20年(1945年)に県社に列格している。
社伝では日本武尊が東征の折に創建したと伝えられ、欽明天皇13年(552)に蘇我稲目が再興したとされる古社。御祭神は木花咲耶姫命。富士山の噴火を鎮めるために祀られた浅間神社のひとつで、富士登山道・須山口の起点として栄え、室町時代の1486年には登山道の存在を示す記録が残る。現在の本殿は文政6年(1823)の再建で、慶長16年(1611)建立の旧本殿「古宮」も伝わる。平成25年(2013)には世界文化遺産「富士山」の構成資産に登録された。参道と境内には樹齢400年を超える杉が立ち並び、御神木は樹齢500年以上と推定されている。
羽黒山・月山とともに出羽三山と総称される湯殿山の本宮で、出羽三山の奥宮とされる。標高約1,500mの湯殿山中腹、仙人沢の霊域に鎮座し、社殿を持たず、温泉が湧き出す茶褐色の巨大な霊巌そのものを御神体とする。祭神は大山祇神・大己貴命・少彦名命。古来「語るなかれ、聞くなかれ」と戒められた神秘の行場で、参拝者は素足になりお祓いを受けてから御神体を拝する。江戸時代には修験道の霊地として、西の伊勢参りに対し「東の奥参り」と称されて全国から参詣者を集めた。豪雪地のため開山は例年6月1日から11月初旬までに限られる。
社伝では第5代孝昭天皇の代に富士山山腹に創建されたと伝わる古社で、富士山の噴火により延暦4年(785)に現在地へ遷座した。大同元年(806)に富士下方五社(五社浅間)が定められた際にその首座「六所宮」とされ、「三日市浅間神社」の通称で親しまれる。主祭神は浅間神社としては珍しく、木花開耶姫命の父神にあたる大山祇命。境内の大クスは幹周約13mの巨木で、昭和30年(1955)に静岡県の天然記念物に指定されている。近年、約250年ぶりに社殿が改築された。
大山祇神についての疑問に答えます。
山を司る神です。『古事記』では伊邪那岐命・伊邪那美命の子として生まれました。大三島の大山祇神社では海や渡航を司る神とも、三嶋大社では山森農産の守護神ともされ、神社ごとに信仰の重点が異なります。
『古事記』では、木花之佐久夜毘売と姉の石長比売はともに大山津見神の娘です。大山阿夫利神社は、御祭神が富士山の御祭神の父にあたることから、大山と富士山の両方に参る「両詣り」が盛んに行われたと伝えています。
愛媛県今治市大三島の大山祇神社と、静岡県三島市の三嶋大社が代表的です。ほかに大山阿夫利神社(神奈川県伊勢原市)、岩木山神社(青森県弘前市)、湯殿山神社(山形県鶴岡市)でも御祭神の一柱として祀られています。