由緒
菅原道真公は右大臣にまで昇り詰めながら、藤原時平の讒言によって大宰府へ左遷され、延喜3年(903年)に失意のうちに薨去した。その後、京の都では旱魃・洪水・疫病が相次ぎ、清涼殿への落雷で多くの公卿が命を落とした。人々はこれを道真公の怨霊の祟りと恐れ、御霊を慰めるため天暦元年(947年)に北野の地に社を建てた。やがて怨霊への畏怖は学識と誠実さへの敬慕へと昇華し、「天神様=学問の神」という信仰が全国に広がった。道真公が大宰府へ旅立つ際に「東風吹かばにほひおこせよ梅の花 主なしとて春を忘るな」と詠んだ梅の木が一夜で飛来したとされる「飛梅伝説」も広く語り継がれている。