由緒
天養元年(1144)の創建と伝わる古社で、肥後国三宮とされる。主祭神の蒲智比咩命は古くから当地の近くに祀られていた姫神で、のちに阿蘇神社の健磐龍命、国造神社の速瓶玉命、神武天皇が合わせ祀られた。阿蘇神社・甲佐神社・健軍神社とともに「阿蘇四社」と称され、阿蘇信仰の広がりを示す神社として知られる。境内には平安時代初期のものとされる石造五重塔や、明治9年(1876)の神風連の変で自刃した六烈士ゆかりの石碑が残る。旧社格は郷社。
熊本県に鎮座する神社です。御祭神は蒲智比咩命、健磐龍命、速瓶玉命。開運のご利益で知られます。
天養元年(1144)の創建と伝わる古社で、肥後国三宮とされる。主祭神の蒲智比咩命は古くから当地の近くに祀られていた姫神で、のちに阿蘇神社の健磐龍命、国造神社の速瓶玉命、神武天皇が合わせ祀られた。阿蘇神社・甲佐神社・健軍神社とともに「阿蘇四社」と称され、阿蘇信仰の広がりを示す神社として知られる。境内には平安時代初期のものとされる石造五重塔や、明治9年(1876)の神風連の変で自刃した六烈士ゆかりの石碑が残る。旧社格は郷社。
郡浦神社の御祭神は蒲智比咩命、健磐龍命、速瓶玉命、神武天皇です。
阿蘇神社の主祭神。熊本の地の神として地域守護・繁栄のご利益がある。 代表的な神社としては阿蘇神社が挙げられます。 阿蘇信仰の中心は阿蘇神社で、阿蘇開拓の祖神として重んじられます。
神武天皇は、古事記・日本書紀で初代の天皇とされる人物です。古事記では神倭伊波礼毘古命、日本書紀では神日本磐余彦天皇と記され、父は鵜葺草葺不合命、母は海神の娘の玉依毘売命と伝わります。幼名を狭野尊といい、宮崎県高原町の狭野が生誕の地と伝えられています。
日向で国を治めたのち、四十五歳で東へ向かい、美々津から船出したと伝わります。兄の五瀬命を失うなどの苦難を経て大和に入り、畝傍山東南の橿原宮で即位したとされます。即位の地とされる場所には明治23年(1890)に橿原神宮が創建されました。宮崎では宮崎神宮が神武天皇を主祭神として祀り、その摂社の皇宮神社は東へ向かうまでの宮居の跡と伝わります。
10月9日、10日
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同じ地域や分類に近い神社を合わせて見られます。
阿蘇神社は健磐龍命ほか十二神を祀る神社。縁結び・厄除けのご利益で知られ、紀元前281年(伝承)に創建された由緒ある神社です。
熊本市東区健軍本町に鎮座し、熊本市内で最も古い神社とされる。古くは「たけみや」と呼ばれ、のちに「けんぐん」と読まれるようになった。阿蘇神社を中心とする阿蘇四社の一つに数えられ、健軍大神・健磐龍命を祀る。市電通りに立つ大鳥居から社殿まではおよそ1200mにわたって「八丁馬場」と呼ばれる長い参道が続き、その並木には加藤清正の頃に植えられたと伝えられる杉並木の一部が今も残る。明治10年(1877年)2月
八代平野の北部、氷川町宮原に鎮座する旧郷社。伊勢神宮内宮の天照皇大神、近江日吉社の国常立尊、山城下鴨社の神武天皇の三神を祀ることから三神宮と称する。社伝では平治元年(1159年)、二条天皇の勅命を受けた平重盛が平盛俊に命じて社殿の造営を始め、応保元年(1161年)に落成、盛俊の弟盛房が社司となって神霊を勧請したと伝え、当初は三宮社と呼ばれた。天正16年(1588年)にキリシタン大名小西行長の焼き討
永暦元年(1160)、当時の領主であった阿蘇大宮司惟恭が、阿蘇の神である健磐龍命の分霊を池田村亀ノ甲の地に勧請し、領内鎮護の神として創建したと伝わる。祭神は健磐龍命・国龍命・若彦神の三柱。天正19年(1591)に小西行長の兵火で社殿を焼失し、長い仮殿での奉斎を経て延宝6年(1678)に現在の片平の地へ遷宮・再建された。明治6年(1873)に郷社に列格。江戸時代前期の様式を残す楼門と狛犬は美里町指定