Shrine

松原八幡神社まつばらはちまんじんじゃ

兵庫県に鎮座する八幡系の神社です。勝負運・厄除け・スポーツのご利益で知られます。

由緒

松原八幡神社は、天平宝字7年(763年)に妻鹿の漁師が「八幡大菩薩」と記された霊木を拾い上げ、それを祀ったことに由来すると伝わる。宇佐神宮からの勧請とされ、平安時代には松原荘が石清水八幡宮の社領となり、その別宮として位置づけられた。中殿に品陀和気命(応神天皇)、左殿に息長足姫命(神功皇后)、右殿に比咩大神(比咩三神)を祀る。

基本情報

この神社について

ご利益
勝負運厄除けスポーツ
系統・信仰
八幡

アクセス・参拝情報

アクセス
山陽電鉄本線「白浜の宮駅」から徒歩約5分。秋季例大祭の期間中は、普段無人駅であるこの駅に臨時停車が行われるほど賑わう。

例大祭

秋季例大祭は「灘のけんか祭り」の通称で全国的に知られ、毎年10月14日の宵宮と15日の本宮の2日にわたって営まれる。3基の神輿をぶつけ合う神事や、旧七ヶ村の豪華な屋台が激しく練り合う屋台練りが行われる勇壮な祭りで、兵庫県指定重要無形民俗文化財となっている。

年間行事

正月には初詣で賑わうほか、お宮参りや七五三、厄年払いなど人生の節目を祝う祭事も執り行われている。

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近隣神社

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兵庫県勝負運厄除け

魚吹八幡神社

うすきはちまんじんじゃ

神功皇后摂政3年(202年)、皇后が神託を受けて宇須伎津の浄地を開き、小さな社を建てて玉依比賣命を祀り敷嶋宮と号したのが起こりと伝えられる。のちに仁徳天皇7年(319年)、応神天皇(品陀和氣命)と神功皇后(息長足比賣命)を合わせ祀り、現在の三柱となった。播磨地方でも最大級の24か町・1万数千戸におよぶ氏子圏を持ち、当社の祭礼に漁民が一斉に休漁して網を干して参詣したことが「網干」の地名の由来と伝えら

所在地
兵庫県姫路市網干区宮内193
御祭神
応神天皇、神功皇后
系統
八幡
兵庫県勝負運厄除け

宗佐厄神八幡神社

そうさやくじんはちまんじんじゃ

社伝によれば、天平感宝元年(749年)、孝謙天皇の勅願所として創建されたと伝わる、古い歴史を持つ神社である。「厄除八幡」「厄神さん」の通称は、神護景雲3年(769年)の故事に由来する。宇佐八幡宮への勅使として派遣された和気清麻呂が、道鏡の放った刺客に襲われた際、どこからか現れた巨大な猪が清麻呂を守り難を逃れさせたと伝えられ、これにちなみ厄除けの神として篤く信仰されるようになった。村上天皇の勅宣を受

所在地
兵庫県 加古川市八幡町野村580
御祭神
品陀別命、息長足媛命
系統
八幡
兵庫県勝負運厄除け

柏原八幡宮

かいばらはちまんぐう

社伝によれば、舒明天皇の御代(629〜641年)に出雲連が入船山に素戔嗚尊を祀ったのが当宮の始まりとされる。その後、萬寿元年(1024年)に入船山周辺の3か所から霊泉が湧き出た奇瑞を受け、後一条天皇の勅意により国家鎮護の社として京都・石清水八幡宮から御分霊を勧請し、丹波国「柏原別宮」として創建された。現在の社殿は天正13年(1585年)に豊臣秀吉によって再建されたもので、権現造の先駆けとされ国の重

系統
八幡
京都府勝負運厄除け

宇治上神社

うじがみじんじゃ

宇治川東岸、朝日山の山裾に鎮座する。応神天皇の末の皇子で聡明さゆえに皇太子に立てられた菟道稚郎子命を主祭神とし、応神天皇・仁徳天皇を併せ祀る。社伝では、応神天皇の崩御後に菟道稚郎子が兄の仁徳天皇へ皇位を譲ろうとし、仁徳天皇も父帝の定めを変えられないとして3年にわたり譲り合った結果、世の乱れを憂えた菟道稚郎子が自ら命を絶ち、これを知った仁徳天皇が難波から急ぎ宇治へ赴いて手厚く葬ったことが、のちの創建

所在地
京都府宇治市宇治山田59
御祭神
菟道稚郎子命、応神天皇
系統
八幡