Shrine

守山八幡宮もりやまはちまんぐう

静岡県に鎮座する八幡系の神社です。御祭神は誉田別命、大山祇命、木花開耶姫命。勝負運・厄除け・スポーツのご利益で知られます。

由緒

狩野川の西にそびえる守山の東麓に鎮座する。社伝では大化3年(647年)に大山祇神を祀って創建されたとされ、延喜7年(907年)に豊前の宇佐八幡宮から八幡神を勧請して合祀し、守山八幡宮と称するようになったと伝わる。治承4年(1180年)8月、伊豆に流されていた源頼朝が以仁王の令旨を受けて平家追討を祈願し、当社の社前で挙兵したと伝えられる。頼朝はこの地から、配下が襲撃した目代・山木兼隆の館が焼ける火煙を望み、緒戦の成就を知ったという。現在の本殿は寛永9年(1632年)に久能城主・榊原照久が造営したもので、源氏再興の出発点となった社として知られている。

基本情報

この神社について

御祭神
誉田別命大山祇命木花開耶姫命
ご利益
勝負運厄除けスポーツ
系統・信仰
八幡

アクセス・参拝情報

所在地
静岡県伊豆の国市寺家1204-1
アクセス
伊豆箱根鉄道駿豆線「韮山」駅から徒歩約16分。国道136号から西へ入った守山の東麓に鎮座します。
駐車場
境内に駐車場はありません。近くの北条の里(守山東)駐車場を利用します。

守山八幡宮は何の神様?

守山八幡宮の御祭神は誉田別命大山祇命木花開耶姫命です。

誉田別命

第15代天皇。八幡神として信仰される武運の神。全国の八幡宮の祭神として最も広く祀られる。 代表的な神社としては鶴岡八幡宮、宇佐神宮、函館八幡宮などが挙げられます。 八幡信仰の総本宮としては大分の宇佐神宮が名高く、石清水八幡宮や鶴岡八幡宮も代表社として知られます。

大山祇命

山の神・農業の神。大山積神とも表記される。武器・武勇の神としても信仰される。 代表的な神社としては大山祇神社、三嶋大社、岩木山神社、出羽三山神社などが挙げられます。 全国の山祇神社・三島神社の総本社としては、愛媛県今治市大三島の大山祇神社が知られています。

木花開耶姫命

富士山の神・桜の女神。安産・縁結びのご利益がある。富士山本宮浅間大社の主祭神。 代表的な神社としては富士山本宮浅間大社、北口本宮冨士浅間神社、新屋山神社などが挙げられます。 浅間信仰の中心は富士山本宮浅間大社で、北口本宮冨士浅間神社など富士山麓の古社でも厚く祀られています。

例大祭

例祭は10月10日前後の日曜日に行われ、下の舞殿でしゃぎりや三番叟が奉納されます。

守山八幡宮に関連する目的別ページ

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近隣神社

同じ地域や分類に近い神社を合わせて見られます。

静岡県勝負運厄除け

府八幡宮

ふはちまんぐう

天平年間、遠江国司であった桜井王が国の安寧と繁栄を祈願し、国府庁舎内に八幡神を祀ったのが始まりと伝わる。延喜式内社には数えられなかったものの、歴代の国司に守られ続けてきた。中世には足利氏や今川氏からも篤い崇敬を受け、徳川家康は磐田御殿での鷹狩りの折に参詣し、関ヶ原合戦への出陣に際してもこの地から発したと伝えられる。江戸時代には2代将軍徳川秀忠が鳥居を、末娘の東福門院が本殿を寄進するなど幕府とも縁が

所在地
静岡県磐田市中泉112-1
御祭神
誉田別命、足仲彦命
系統
八幡
山梨県勝負運厄除け

武田八幡宮

たけだはちまんぐう

社記によれば、弘仁13年(822年)、嵯峨天皇の勅命により、武田武大神(日本武尊の御子)を祀る祠を桜の御所から現在地へ遷宮し、九州の宇佐神宮(八幡総本宮)を勧請・合祀して創建されたのが起こりで、地名から武田八幡宮と称したと伝わる。貞観年間(859〜877年)には京都の石清水八幡宮の御霊も社中に勧請された。保延6年(1140年)、新羅三郎義光の曾孫にあたる龍光丸が13歳でこの社の神前で元服し「武田太

所在地
山梨県韮崎市神山町北宮地1185
御祭神
誉田別命、足仲津彦命
系統
八幡
長野県勝負運厄除け

筑摩神社

つかまじんじゃ

社伝では延暦13年(794)、石清水八幡宮から勧請を受けて創建されたと伝わり、「正八幡宮」とも称された。祭神は息長帯比売命(神功皇后)・誉田別命(応神天皇)の八幡神に宗像三女神を合わせた5柱。信濃国府が筑摩郡に移されて以降は「国府八幡宮」とも呼ばれ、室町時代以降は清和源氏の流れをくむ信濃の小笠原氏の祖神として崇敬された。永享11年(1439)に小笠原政康が再建した三間社流造の本殿は松本地方最古の建

所在地
長野県松本市筑摩2-6-1
御祭神
息長帯比売命、誉田別命
系統
八幡
静岡県安産子宝

村山浅間神社

むらやませんげんじんじゃ

富士山における修験道、いわゆる村山修験の中心地として栄えた神社です。社伝では孝昭天皇2年に富士山中腹の水精ヶ岳に創建され、大宝元年(701年)に現在地へ遷ったと伝えられます。平安時代末の末代上人に連なる修行者たちがこの地に寺院を営み、興法寺として神仏習合の霊場を形づくりました。戦国時代の初めには駿河を領した今川氏の庇護を受け、江戸時代には池西坊・辻之坊・大鏡坊の村山三坊が興法寺とともに大宮・村山口

所在地
静岡県富士宮市村山1151
御祭神
木花開耶姫命、大山祗命
系統
浅間