静岡県で厄除けの神社を選ぶポイント
厄除けの参拝先を選ぶときは、所在地だけでなく、御祭神・由緒・アクセスを合わせて確認すると巡りやすくなります。静岡県内で複数の神社を比較し、旅程に合う場所から参拝先を絞り込んでください。
静岡県で厄除けのご利益を目的に参拝したい神社を一覧で紹介します。
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掛川城の北東(鬼門)にあたる龍尾山に鎮座する古社で、古くは龍尾山牛頭天王と称した。延喜式内社「真草神社」を当社とする言い伝えもあるが定かではない。鎮座の創始は不明ながら、宝治2年(1248年)に時の地頭職・忍十郎義広が記した『遠江国旧社詣』のなかに当社を詠んだ歌があり、この時すでに龍尾山に鎮座していたことがわかる。永正2年(1505年)の掛川城築城にあたっては、城内の龍頭山に鎮座していた神社も龍尾山へ遷して合祀し、以後は別当寺として神宮寺が建立された。掛川城の守護神として山内一豊をはじめ歴代城主の崇敬を集め、現在も厄除開運に霊験あらたかな社として知られる。主祭神は素盞嗚尊。
文武天皇の勅願により、紀州熊野三社のうち新宮にあたる熊野速玉大社の分神を高松山へ勧請したのが始まりで、大宝元年(701年)9月のこととされる。社伝によれば、藤原不比等の娘・宮子が幼少より熊野三社を篤く信仰し、文武天皇の皇后となって懐妊した際に熊野へ誓願したところ、無事に皇子(のちの聖武天皇)が誕生した。これを喜んだ天皇・皇后が東国に三所の社を建てることとし、北は山続き、南は海を望むこの地を新宮の宮地と定めたのが高松神社である。西の三熊野神社(本宮)、北の小笠神社(那智)と合わせて遠州の熊野三山を成す。御祭神は伊弉冊尊・速玉男命・亊解男命。源頼朝が伊豆配流の折に当社へ祈願したという伝説も残り、以来1300年にわたり地域の氏神として信仰されてきた。
文武天皇の皇后が紀州の熊野三社に「安産で皇子が誕生すれば東に三つの社を建てて日夜敬う」と誓われ、無事に皇子(のちの聖武天皇)を出産した。その誓いにより大宝元年(701年)、熊野本宮大社をこの横須賀の地へ、熊野那智大社を小笠山(現・小笠神社)へ、熊野速玉大社を高松(現・高松神社)へ遷座したのが起こりと社伝は伝え、あわせて遠州の熊野三社と称される。鎮座とともに朝廷から神領として笠原の庄を賜った。建武2年(1335年)元旦には新田義貞が戦勝祈願に参拝し楠木正成の鈴を奉納したと伝わる。天正6年(1578年)に徳川家康が横須賀城を築いて以降は歴代城主・家臣と城下近郷の信仰を集め、災難除・子授け・安産・縁結びの守り神として崇敬されてきた。御祭神は家津美御子神・伊邪那美神・事解男神。本殿は静岡県指定文化財。
狩野川の西にそびえる守山の東麓に鎮座する。社伝では大化3年(647年)に大山祇神を祀って創建されたとされ、延喜7年(907年)に豊前の宇佐八幡宮から八幡神を勧請して合祀し、守山八幡宮と称するようになったと伝わる。治承4年(1180年)8月、伊豆に流されていた源頼朝が以仁王の令旨を受けて平家追討を祈願し、当社の社前で挙兵したと伝えられる。頼朝はこの地から、配下が襲撃した目代・山木兼隆の館が焼ける火煙を望み、緒戦の成就を知ったという。現在の本殿は寛永9年(1632年)に久能城主・榊原照久が造営したもので、源氏再興の出発点となった社として知られている。
和銅2年(709)、伊予国の大山祇神社から大山積命の分霊を勧請して創建されたと伝わる古社で、標高約1100メートルの山住峠の頂に鎮座する、遠州で最も高所にある神社。古くから山犬(狼)を神使とする山犬信仰で知られ、狛犬も山犬の姿をしている。元亀3年(1572)、武田勢に追われた徳川家康が当地へ逃げ込んだ際、山犬が一斉に吠えて武田勢を退けたと伝わり、家康は翌天正元年(1573)に再び参詣して二振りの刀剣を奉納したとされる。境内には推定樹齢1200年余の二本の大杉がそびえ、静岡県指定天然記念物となっている。明治5年(1872)に現在の社名に改められた。旧社格は県社。
社伝では、文武天皇の勅願により紀伊の熊野三山から熊野三神を勧請して創建されたと伝えられ、その歴史は1300年以上前にさかのぼるとされます。御祭神は事解男尊・伊弉册尊・速玉男尊で、同じく文武天皇の代の創建を伝える掛川市の三熊野神社、御前崎市の高松神社とあわせて「遠州の熊野三山」と呼ばれてきました。社殿は掛川市のほぼ中央に位置する標高265メートルの小笠山の山頂近くに鎮座し、山そのものが古くからの信仰の場となってきました。参道には樹高約20メートル、樹齢400年以上と推定される杉が立ち、市の天然記念物に指定されています。創建時に始まったと伝えられる神事「矢矧祭」が今日まで受け継がれ、五穀豊穣・家内安全・安産を祈願する祭りとして続いています。
後三条天皇の延久年間(1069〜74年頃、約940年前)に創建されたと口伝される古社。紀州熊野本宮の神主が全国行脚の途中でこの地に留まり、熊野の神々を祀ったのが始まりと伝わる。「高い丘を作って人々を救え」との夢告を受けた神主が村人とともに社殿の裏山に土を盛ったと伝えられ、安政の大地震の際には里人がこの丘に避難して津波の難を逃れたという。この塚が「高塚」の地名の由来になったとの説もあり、防災と地域救済の記憶を今に伝える。祭神は伊佐奈伎命・事解之男命・速玉之男命の熊野三神で、「開運みちびきの大神」として信仰される。
富士山本宮浅間大社は木花之佐久夜毘売命を祀る神社。安産・火災消除のご利益で知られ、紀元前27年(伝承)に創建された由緒ある神社です。
事任八幡宮は、己等乃麻知媛命を祀る遠江国一宮。願い事が言のままに叶う神として古くから崇敬され、『枕草子』にもその名が見える。八幡神も祀り、ことだまの杜として信仰を集めている。
天平年間、遠江国司であった桜井王が国の安寧と繁栄を祈願し、国府庁舎内に八幡神を祀ったのが始まりと伝わる。延喜式内社には数えられなかったものの、歴代の国司に守られ続けてきた。中世には足利氏や今川氏からも篤い崇敬を受け、徳川家康は磐田御殿での鷹狩りの折に参詣し、関ヶ原合戦への出陣に際してもこの地から発したと伝えられる。江戸時代には2代将軍徳川秀忠が鳥居を、末娘の東福門院が本殿を寄進するなど幕府とも縁が深く、寛永12年(1635)には現在の楼門と社殿が再建された。明治22年の鉄道開通以降は中泉の総氏神として、今も地域の人々に守られている。
五社神社は、曳馬城(後の浜松城)主・久野越中守により城内に創建されたと伝わります。徳川家康が浜松城主であった天正7年(1579)、秀忠公誕生に際し産土神として崇敬され、翌天正8年(1580)に現在地へ遷座しました。一方の諏訪神社は、延暦10年(791)に坂上田村麻呂が東征の折に創建したと伝え、弘治2年(1556)に曳馬城下へ遷座し、同じく秀忠公の産土神として崇敬されました。両社殿はかつて「お江戸見たくば五社諏訪ごろじ」と謡われた壮麗な建築でしたが、昭和20年(1945)の戦災で焼失。昭和37年(1962)に両社が合祀され、昭和57年(1982)竣工の現社殿に奉斎されています。
静岡県に鎮座する熊野系の神社です。御祭神は素佐之男命。開運・厄除けのご利益で知られます。
秋葉山本宮秋葉神社は、和銅2年(709)の創建と伝えられる。中世には秋葉大権現と称され、火防の神として全国に信仰が広がった。江戸時代には各地に秋葉講が組織され、秋葉街道は多くの参詣者でにぎわった。
静岡県に鎮座する愛宕系の神社です。厄除け・方除けのご利益で知られます。
静岡県に鎮座する熊野系の神社です。開運・厄除けのご利益で知られます。
厄除けの参拝先を選ぶときは、所在地だけでなく、御祭神・由緒・アクセスを合わせて確認すると巡りやすくなります。静岡県内で複数の神社を比較し、旅程に合う場所から参拝先を絞り込んでください。
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