由緒
社伝によれば、応神天皇の神霊は欽明天皇32年(571)に豊前国宇佐郡に現れ、神亀2年(725)に宇佐神宮の地へ遷った。その翌年の神亀3年(726)、御神託によって豊前と太宰府を結ぶ要衝であったこの地に、鎮西随一と称された壮麗な社殿「穂浪宮」が造営されたのが創建と伝わる。神功皇后が三韓征伐からの帰途、当地で率いていた軍勢を解いてそれぞれの故郷へ帰したという伝承も残り、これが「大分」の地名の由来とされる。延喜21年(921)には筥崎浜への遷座の託宣が下り、延長元年(923)に神霊が現在の筥崎宮へ遷ったため、大分八幡宮は筥崎宮の元宮と位置づけられている。中世には朝廷の崇敬も篤く、治暦3年(1071)には筥崎宮に匹敵する規模の社殿が再建されたと伝わるが、応仁の乱以降は衰微した。戦国時代の天正5年(1577)、秋月種実によって社殿背後の嶽宮から現在地へ遷座・再建されている。