由緒
六殿神社は、後白河天皇の御代、鎮西八郎為朝(源為朝)が木原城に居城した際、阿蘇宮を崇敬して西国安鎮祈願の遥拝殿を建てたことに始まると伝わる。その後、治承2年(1178)に高倉天皇の勅願により鎮西地方鎮護の宮として創建の御綸旨を受け、時の内大臣・平重盛が阿蘇大明神・天照皇大神・埴安姫神・諏訪大明神・氷川大明神・稲荷大明神を六殿大明神と号し、木原明熊に仮宮を建てたのが創建とされる。寿永元年(1182)には肥後守菊池隆直が社殿造営にあたり、木原山麓の現在地に社殿を造営、神領を寄進し、神護寺として円福寺も建立された。天文18年(1549)には宇土城主・名和顕忠が宝殿を建立し、飛騨国の名番匠・甚五左衛門を招いて「釘無しの門」と称される楼門を奉建した。天正期の兵火では神領や宝物を失ったが、慶長5年(1600)に加藤清正が宇土城攻略の戦勝を祈願して社殿を改修し、以後も細川歴代藩主や肥後・九州一円の人々から除災招福・心願成就の社として崇敬を集めている。