一宮は、旧国の中で特に重んじられた神社を指す呼び方です。律令国ごとに地域の代表的な神社として崇敬され、旅や地域史をたどるうえで重要な入口になります。
一宮をめぐると、現在の都道府県とは異なる古い地域区分や、土地ごとの信仰の中心が見えてきます。
旧国や地域で特に重んじられた神社。
一宮は、旧国の中で特に重んじられた神社を指す呼び方です。律令国ごとに地域の代表的な神社として崇敬され、旅や地域史をたどるうえで重要な入口になります。
一宮をめぐると、現在の都道府県とは異なる古い地域区分や、土地ごとの信仰の中心が見えてきます。
一宮参拝では、その土地に入る挨拶として参拝する意識がよく合います。旅行や移住、仕事で地域を訪れる際に、その地域の守り神へ挨拶する入口として活用できます。
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社伝によれば第12代景行天皇の御代の創建と伝わり、孝徳天皇の勅願所として、古くから糸魚川の産土神と崇敬されてきた古社。天津彦々火瓊々杵尊・天児屋根命・天太玉命を祀り、境内には奴奈川姫命と八千矛命を祀る式内社・奴奈川神社が並び立つ。4月10日の春季例大祭は二基の神輿が激しくぶつかり合う「けんか祭り」として知られ、押上区が勝てば豊漁、寺町区が勝てば豊作になると伝えられる。祭りでは国の重要無形民俗文化財「糸魚川・能生の舞楽」の舞楽が奉納される。
志摩国の一之宮。創建は約1500年前と伝えられる古社で、稚日女尊を主祭神に、伊佐波登美尊・玉柱屋姫命・狭依姫命を祀る。鳥羽湾に突き出た加布良古崎に鎮座することから地元では「かぶらこさん」と親しまれ、昭和初期までは船で海側から参拝されていた。神明神社(石神さん)・彦瀧大明神とともに「鳥羽三女神」の一社に数えられ、縁結び・夫婦和合や海上安全・大漁祈願の神として信仰を集めている。
創立年代は不詳だが、和銅元年(708)に祭神や歴代祭主を詳細に記した「粟鹿大明神元記」の写本(宮内庁所蔵)が残る、但馬国最古級と伝わる古社。国土開発の神と称され、延喜式の制では名神大社に列し、但馬国一宮として広く崇敬を集めてきた。兵庫県神社庁によれば主祭神は日子坐王で、開化天皇の第三皇子として四道将軍の一人に任ぜられ丹波一円を平定した人物とされ、粟鹿の地はその終焉の地、本殿後方の円墳は王の埋葬地と伝わる。約600年前の建立と伝わる勅使門は市指定文化財。例祭日の10月17日には特殊神事「瓶子渡し」が行われる。旧県社。
社伝では神武天皇2年、神武東征ののち初代紀伊国造となる天道根命が二種の神鏡を奉じて祀ったのに始まると伝えられ、創建2600余年と称される古社。同一境内に二つの本宮が鎮座し、日前神宮は日像鏡を御神体として日前大神を、國懸神宮は日矛鏡を御神体として國懸大神を祀る。両鏡は三種の神器の八咫鏡に先立って鋳造されたと伝えられ、伊勢の神宮に次ぐ宝鏡と尊ばれた。垂仁天皇16年に現在地に遷座したと伝わり、紀伊国一之宮として朝野の崇敬を集め、明治4年には官幣大社に列した。地元では「日前宮」の名で親しまれている。
『延喜式』神名帳に載る式内社の論社で、祭神は足仲彦命(仲哀天皇)と息長足姫命(神功皇后)。社名の「興」は国府を意味するとされ、壱岐国府の印と鑰(蔵の鍵)を納めた社として近世には「印鑰大明神」とも呼ばれた。延宝4年(1676)に神道家・橘三喜が壱岐の式内社を調査した際、当社を式内小社「與神社」に比定したが、これは「興」と「與」の字の見誤りとされ、近年の研究では式内名神大社「天手長男神社」が当社であり、壱岐国一宮であったとする説が有力となっている。明治9年(1876)に村社に列した。
『延喜式』神名帳の加賀国能美郡に載る式内社で、加賀国の総社とされる。社地はかつて「船南山」と呼ばれ、弘仁14年(823)に加賀国が立国された際には国府の南にあたることから「府南社」とも称され、歴代国司の崇敬を受けた。祭神は櫛日方別命。慶長年間には小松城主・丹羽長重が社殿を改築し、寛永年間には加賀藩主・前田利常が神宝を奉納した。明治5年(1872)に郷社に列し、明治39年(1906)に神饌幣帛料供進神社に指定。現在の社殿は昭和37年(1962)に改築されたもの。
『延喜式』神名帳に載る式内社で、周防国一宮。天岩戸神話で三種の神器の一つ八坂瓊曲玉を造ったと伝わる玉祖命を祀り、全国の玉祖神社の総本社とされる。祭神二座のうちもう一座は未詳。創建年代は不明だが、天平10年(738)の『周防国正税帳』に社名が見える古社で、建久6年(1195)には東大寺再建で知られる俊乗房重源が社殿を造営したと伝わる。近くには玉祖命の墓と伝わる「玉の岩屋」があり、境内では天然記念物の日本鶏・黒柏の発祥地として黒柏鶏が飼育されている。県指定無形民俗文化財の占手神事が伝わる。
斉明天皇4年(658年)の創建と伝わる伊賀国一之宮。主祭神の大彦命は第8代孝元天皇の皇子で『日本書紀』の四道将軍の一人とされ、伊賀国阿拝郡に住んだ阿拝氏の祖神である。創建当初は大彦命と、古代に伊賀を開いたと伝わる渡来系の秦氏が祀った少彦名命の二神を祀り、のちに金山比咩命を配祀した。貞観年間には神階五位を授けられ、延喜式では大社に列した古社である。当社に伝わる獅子神楽は三重県の無形文化財に指定され、伊賀地方各地で行われている獅子神楽の原型ともいわれる。
『日本書紀』で全国に樹木を植えたと記される五十猛命を祀る「木の神様」の社で、式内名神大社・紀伊国一之宮。文献上の初見は『続日本紀』の文武天皇大宝2年(702年)で、もとは日前神宮・国懸神宮の社地に祀られ、垂仁天皇16年頃に山東(現在の伊太祈曽)へ移り、和銅6年(713年)に現社地へ遷座したと伝わる。旧社地は南東約500メートルの「亥の森」で、今も旧暦10月初亥日に亥の森祭が行われる。『古事記』では大屋毘古神として大国主神の命を救ったと記されることから、「いのち神」「厄難除けの神」としても信仰される。
『延喜式』神名帳の壱岐島壱岐郡「天手長男神社」(名神大社)の論社で、壱岐国一宮とされてきた神社。中世に所在が分からなくなっていたが、江戸時代に平戸藩の国学者・橘三喜が「若宮」と呼ばれていた鉢形嶺の小祠を式内社に比定し、元禄元年(1688)に平戸藩主松浦氏により社殿が造営された。祭神は天忍穂耳尊・天手力男命・天鈿女命。鎮座地である鉢形嶺の経塚からは延久3年(1071)の刻銘を持つ滑石製の石造弥勒如来坐像が出土しており、国の重要文化財に指定されている(現在は奈良国立博物館が所蔵)。社殿へは137段の苔むした石段を上る。
房総半島南端の御手洗山中腹に鎮座する。宝暦3年(1753)の「洲崎大明神由緒旧記」によれば、神武天皇の御代に天富命が祖母神天比理乃咩命の御神鏡を祀ったのが始まりと伝わる。祭神の天比理乃咩命は安房を開拓した忌部氏の祖・天太玉命の后神で、延喜式内大社「后神天比理乃咩命神社」の論社とされる。治承4年(1180)には石橋山の戦いに敗れて安房へ逃れた源頼朝が参拝して源氏再興を祈願し、神田を寄進した。文化9年(1812)には松平定信が「安房国一宮洲崎大明神」の扁額を奉納したと伝わり、安房国一宮を称する。例祭で奉納される「洲崎のミノコオドリ」は千葉県指定無形民俗文化財。
社伝では第10代崇神天皇の御代に遡る古社。第16代仁徳天皇の御代に毛野国が上下二国に分けられた際、御祭神豊城入彦命の四世孫・奈良別王が下毛野国の国造に任ぜられ、祖神豊城入彦命を荒尾崎(下之宮)に祀ったのが始まりで、承和5年(838年)に現在の臼ヶ峰に遷座したと伝わる。延喜式神名帳に下野国唯一の名神大社として記載され、「下野国一之宮」と呼ばれる。宇都宮の地名は一之宮の転訛とする説もある。相殿に大物主命・事代主命を祀り、藤原秀郷・源頼朝・徳川家康ら武将の崇敬も篤かった。宇都宮はこの神社の門前町として発展し、今も郷土の総氏神として親しまれている。
文武天皇の慶雲4年(707年)、この地に社殿を創建して鏡作神を奉斎したと伝えられる。相殿に天糠戸神・石凝姥神を配祀する。平安時代には官社に列し、延喜式神名帳では美作国唯一の名神大社として記載され、美作国一宮と称される。永保元年(1081年)には正一位の神階を授けられた。平安時代の『今昔物語集』に載る猿神伝説の舞台としても知られ、古くから鍛金・冶金や牛馬の守護神として中国地方一円の崇敬を集めてきた。
伊佐須美神社は伊弉諾尊・伊弉冉尊・大毘古命・建沼河別命を祀る岩代国一之宮・会津総鎮守。延喜式の名神大社に列し、国幣中社を経て、現在も会津を代表する古社として崇敬されています。
釧路一之宮厳島神社は市杵島姫命を祀る神社。縁結び・航海安全のご利益で知られ、1869年(明治2年)に創建された由緒ある神社です。
鹽竈神社は塩土老翁神・武甕槌神を祀る神社。海上安全・安産祈願のご利益で知られ、不明(神代)に創建された由緒ある神社です。
砥鹿神社は大己貴命を祀る三河国一之宮。神体山とされる本宮山に鎮まる奥宮と、里に鎮座する里宮を二所一体として崇敬されてきた。奥宮は本宮山に千三百年以上前から鎮まる神を祀るとされ、三河地方を代表する古社として信仰を集めている。
土佐国一之宮の土佐神社は味鋤高彦根神・一言主神を祀る神社。縁結び・国家安泰のご利益で知られ、崇神天皇の時代に創建された由緒ある神社です。
鳥海山大物忌神社は、鳥海山の山頂に鎮座する御本社と、麓の吹浦・蕨岡にそれぞれ鎮座する口ノ宮の三社を合わせた出羽国一宮である。社伝では欽明天皇25年(564)の創祀と伝えられ、貞観4年(862)に官社に列し、延喜式神名帳には名神大社として記載された古社である。もとは山頂の本社と麓の二つの口ノ宮がそれぞれ独立して信仰されてきたが、昭和30年(1955)に三社を総称して現在の社号となった。山頂の御本殿は伊勢神宮と同様に20年ごとに建て替える式年造営の制を伝えており、現在の御本殿は平成29年(2017)に造営されたもの。平成20年(2008)には山頂本殿から口ノ宮に至る広範な境内が国の史跡に指定されている。
物部神社は、物部氏の祖神とされる宇摩志麻遅命を祀る石見国一宮。古来、文武両道・鎮魂・勝運の神として崇敬されてきた。春日造として大規模な社殿を持ち、物部氏の伝承と石見地方の古い信仰を今に伝えている。
旧国の中で最も格式が高い、または特に重んじられた神社を指す呼称です。地域の信仰や行政的な歴史と深く関わります。
現在の都道府県単位ではなく、旧国単位で考えます。そのため一つの県に複数の一宮がある場合もあります。
地域の中心的な神社をたどることで、古代から中世の国のまとまり、祭神、土地の歴史を横断して理解できる点です。