ご利益

縁結びの神社

縁結びのご利益で探せる神社を112件掲載。代表的な神社はハワイ出雲大社です。

縁結びで知られる御祭神

縁結びで有名な神社

縁結びの神社一覧

112件中1-20件を表示しています。

アメリカ縁結び開運

ハワイ出雲大社

はわいいずもたいしゃ

明治39年(1906年)、出雲大社教の布教のため広島県出身の神職・宮王勝良が渡布し、ホノルルで開教したのが始まりとされる。明治40年(1907年)に最初の社殿が建てられ、大正11年(1922年)には出雲大社を模した大社造の社殿が完成した。太平洋戦争開戦後の1941年、分院長らはFBIに拘束されて米本土に抑留され、教団は解散、社地・社殿は市郡当局の管理下に置かれた。戦後1952年から返還運動が続けられ、1961年に教団側の勝訴によって社殿が戻り、1969年に竣工大祭が斎行された。大國主大神とハワイ産土神を主祭神とし、沖縄県出身移民の氏神など複数の御分霊も合祀する。出雲大社の分社として「出雲大社ハワイ分院」とも称される。

所在地
アメリカ合衆国ハワイ州ホノルル市 215 North Kukui Street, Honolulu, HI 96817
御祭神
大國主大神、ハワイ産土神
系統
出雲
大阪府商売繁盛金運

露天神社

つゆのてんじんしゃ

大阪キタの中心、梅田・曽根崎の総鎮守で、通称「お初天神」。社伝によれば、上古に大阪湾へ浮かぶ小島の一つであった現在地に「住吉須牟地曽根ノ神」を祀ったのが始まりで、古代難波の「難波八十島祭」旧跡の一社とされる。創建年代は定かでないが、八十島祭が文徳天皇の嘉祥3年(850年)まで遡り、6世紀の欽明天皇の頃には形が整っていたとされることから、当社の起源もその頃と推察されている。社名は、昌泰4年(901年)に大宰府へ左遷される途中の菅原道真が当地で詠んだと伝わる「露と散る涙に袖は朽ちにけり」の歌にちなむとされ、元和8年(1622年)の社殿再建の際に道真公が相殿に合祀された。元禄16年(1703年)に境内で起きた心中事件を題材に近松門左衛門が『曽根崎心中』を著したことから、主人公お初の名にちなむ通称で広く知られる。現社殿は昭和20年6月の戦災で焼失した後、昭和32年9月に再建されたもの。

所在地
大阪府大阪市北区曽根崎2-5-4
御祭神
大己貴大神、少彦名大神
系統
天神
島根県縁結び開運

須佐神社

すさじんじゃ

神戸川の上流に鎮座する延喜式内社で、『出雲国風土記』にも記される古社。社伝では、須佐之男命が諸国を巡ったのち「この国は小さいけれどよい国だから、自分の名は木や石ではなくこの土地につけよう」と告げて自ら御魂を鎮め置いた霊蹟とされ、須佐の地名の由来になったと伝えられる。古くから朝廷や武将の崇敬を集め、中世から近世にかけては「須佐大宮」「出雲大宮」「十三所大明神」などと称えられ、松江藩松平家の時代には「国主守護之社」として祀られた。明治5年(1872)に郷社、翌明治6年(1873)に県社へ昇格し、明治32年(1899)には国幣小社に位置づけられ、戦後は別表神社となって現在に至る。本殿は島根県指定文化財。宮司家は代々須佐国造家が継承しており、境内には七不思議と呼ばれる伝承や、大杉と親しまれる御神木が伝わる。

所在地
島根県出雲市佐田町須佐730
御祭神
須佐之男命
系統
出雲
三重県縁結び開運

久留真神社

くるまじんじゃ

三重県鈴鹿市白子に鎮座し、大己貴尊を主祭神に須世理姫命と漢織姫命を配祀する。社伝では、古くは現在の白子・御殿町一帯にあたる「伊勢の森」と呼ばれる神域に大己貴尊と須世理姫尊を祀って「福徳さん」と称え、樹齢千年を超える福徳の松がそびえていたという。雄略天皇の代に渡来した漢織(あやはとり)らが伊勢の人々に紡績や衣縫の技術を伝えた功績を称え、漢織姫命を福徳の女神として合祀したと伝える。延長5年(927)に集大成された延喜式の神名帳に載る式内社で、寛永11年(1634)3月には御殿と代官所の設立用地として伊勢の森の境内を上地し、現在地へ遷座した。その際に2代目・3代目の福徳の松が植えられている。昭和18年(1943)4月に村社から県社となった。

所在地
三重県鈴鹿市白子1-15-15
御祭神
大己貴尊
系統
出雲
長野県縁結び開運

黒沢御嶽神社

くろさわおんたけじんじゃ

木曽御嶽山の黒沢口に鎮座し、山麓の里宮と若宮を総称して御嶽神社と呼ぶ。里宮は少彦名命、若宮は大己貴命を祀り、旧黒沢村の時代からこの地の産土神として信仰されてきた。里宮は御嶽街道でもあった109段の石段を登ったところにあり、若宮には永禄8年(1565)に木曽義昌が家臣とともに奉納した三十六歌仙板絵が伝わって、木曽谷では最も古い絵馬とされる。御嶽山は古くから修験の霊山として登拝が行われていたが、天明4年(1784)に尾張の行者・覚明が黒沢口を一般に開いたことで、御嶽信仰は木曽周辺から全国へと広がった。江戸後期の享和3年(1803)までに黒沢へ伝えられたとみられる太々神楽は、神職と保存会員によって今も受け継がれている。

所在地
長野県木曽郡木曽町三岳3793(里宮)
御祭神
大己貴命、少彦名命
系統
出雲
東京都商売繁盛金運

小野神社

おのじんじゃ

武蔵国一之宮を称する古社で、公式サイトの由緒では安寧天皇18年2月の鎮座と伝える。主祭神は武蔵国開拓の祖神である天下春大神、瀬織津比咩大神、稲倉魂大神の三柱。元慶8年(884年)に正五位上の神階を授けられ、延喜式神名帳には武蔵国八座の一社として載る。国府の近くにあったことから国司や住民の崇敬が篤く、総社六所宮創建の際には東殿第一の席を与えられて一之宮と称されたという。鎌倉末から戦国期にかけて戦乱と多摩川の洪水で荒廃したが、棟札によれば慶長14年(1609年)に徳川二代将軍によって造営再興された。明治の神仏分離で文珠菩薩を移座し郷社に列格。大正15年の失火で社殿を焼失したが昭和2年に本殿・拝殿を再建し、昭和39年に随身門、昭和49年に末社の再建を終えている。

所在地
東京都多摩市一ノ宮1丁目18-8
御祭神
天下春命、瀬織津比咩命
系統
稲荷
和歌山県縁結び開運

淡嶋神社

あわしまじんじゃ

公式サイトの社伝によれば、神功皇后が三韓からの帰路に瀬戸の海上で嵐に遭い、船の苫を海に投げてその流れに従えという神託のとおりに進んだところ、友ヶ島にたどり着いた。島には少彦名命と大己貴命が祀られており、皇后は救われた礼として持ち帰った宝物を供えたという。のちに孫の仁徳天皇が同島を訪れ、島では不自由であろうと対岸の加太へ社を遷して社殿を建てたのが当社の起こりと伝える。祭神は少彦名命・大己貴命・息長足姫命(神功皇后)。少彦名命は医薬の神とされ、女性の病気平癒や安産・子授けの信仰を集めてきた。境内には紀州徳川家から奉納された雛人形などを収める宝物殿や、針供養の針塚がある。

所在地
和歌山県和歌山市加太116
御祭神
少彦名命、大己貴命
系統
出雲
滋賀県縁結び開運

大國主神社

おおくにぬしじんじゃ

滋賀県高島市新旭町饗庭に鎮座し、大己貴神を主祭神とする神社。火産霊神・豊受大神・天児屋根命・小毘古神・菅原道真公を配祀する。社伝によると慶応4年(1868年)までは山王大権現と称し、その後に大國主神社と改号した。勧請の年代は不詳だが、天授6年(1380年)に田井から現在地へ遷座したと伝える。永正8年(1511年)の「御宮年中行事」には、4月初申日に上郷・下郷によって例祭が行われた旨が記されている。延宝年間には甲府宰相から東西32間・南方143間の土地が寄進された。貞享年間の明細帳では境内社が7社あったが、慶応4年の山崩れで5社となり、さらに大正元年(1912年)にすべて天神社へ合祀された。明治9年(1876年)からは例祭を5月12日と定め、午前に祭典、午後に神輿渡御と流鏑馬・走馬の奉納が行われた。神輿は応永元年(1394年)に3基が寄進されたと伝える。

所在地
滋賀県高島市新旭町饗庭619
御祭神
大己貴神
系統
出雲
岐阜県縁結び開運

気多若宮神社

けたわかみやじんじゃ

岐阜県飛騨市古川町上気多に鎮座し、大国主神を主祭神とする神社で、通称は「杉本様(すぎもとさま)」。創祀の年代は不詳だが、『日本三代実録』貞観15年(873年)8月20日条に従五位下を加階されたと見え、元慶5年(881年)には地震の霊異により従五位上へ昇叙されたと伝える。天正17年(1589年)に飛騨三万八千石を領した金森長近の子・可重が増島城を築くと、旧古川町の産土神であった杉本大神を合祀し、以後は杉本大神宮として城の東西鬼門を鎮護する神、また古川の産土神として崇敬された。万治3年(1660年)に社殿が再建され、明治3年(1870年)に気多若宮神社と復古改称、翌4年に郷社と定められ、大正15年(1926年)2月11日に県社へ昇格した。古来の特殊神事として裸祭「起し太鼓」があり、例祭は4月19日深更から20日未明にかけて行われる。

所在地
岐阜県飛騨市古川町上気多1297
御祭神
大国主神
系統
出雲
兵庫県縁結び開運

気多神社

けたじんじゃ

兵庫県豊岡市日高町上郷に鎮座する式内社で、但馬国の総社にあたる。旧社格は郷社。主祭神は大己貴命で、地元では「けたさん」と呼ばれ、近世までは「総社気多大明神」と称された。総社とは一国の主要な神社の神々を集めて祀る神社のことで、但馬国府が置かれたこの地域の中心的な社として崇敬されてきた。延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳には但馬国気多郡の「気多神社」として記載され、式内社に列している。『播磨国風土記』宍禾郡御方里条には、葦原志許乎命(大己貴命)と天日槍命が黒葛を投げ合って国を占う争いをし、葦原志許乎命の投げた黒葛3本のうち1本が但馬の気多郡に落ちたという伝承が記され、郡名を冠するこの社が相当古くから鎮座していたことをうかがわせる。鎌倉時代の『但馬国太田文』によれば、大般若田4町、三十講田1町5反という社領があったとされる。

所在地
兵庫県豊岡市日高町上郷字大門227
御祭神
大己貴命
系統
出雲
京都府縁結び開運

愛宕神社

あたごじんじゃ

京都府亀岡市千歳町国分に鎮座する式内社で、旧社格は村社。火の神である火産霊神を主祭神とし、伊邪那美神・大国主神をあわせて祀る。社伝では、この社の分霊が京都の鷹ヶ峰に祀られ、のちに和気清麻呂によって嵯峨の愛宕山へ遷されて現在の愛宕神社になったと伝えることから、「元愛宕」あるいは「愛宕の本宮」と呼ばれ、全国に数多い愛宕社の総本宮ともいわれる。檜皮葺の一間社流造である本殿は鎌倉時代後期の建立と伝えられ、昭和52年(1977年)1月28日に国の重要文化財に指定されている。火伏せ・防火の神として広く信仰され、4月24日には鎮火祭が営まれる。愛宕山の愛宕神社と同様に「愛宕の三つ参り」の信仰が伝わり、3歳までに参詣すると一生火災に遭わないとされている。

所在地
京都府亀岡市千歳町国分南山ノロ1
御祭神
火産霊神、伊邪那美神
系統
出雲
長野県縁結び開運

有明山神社

ありあけさんじんじゃ

長野県に鎮座する出雲系の神社です。御祭神は手力雄命、八意思兼命、大己貴命。縁結び・開運・家内安全のご利益で知られます。

所在地
長野県安曇野市穂高有明宮城7271(里宮)長野県安曇野市穂高有明(有明山頂)(嶺宮)
御祭神
手力雄命、八意思兼命
系統
出雲
香川県縁結び開運

讃岐国一之宮 田村神社

かがわ じんじゃ

讃岐国一之宮の田村神社は、五柱の御祭神を「田村大神」と総称して祀る香川県高松市の古社。縁結び・勝負運のご利益で知られ、社記に和銅2年(709年)の社殿創建を伝えます。

所在地
香川県高松市一宮町286
御祭神
倭迹迹日百襲媛命、五十狭芹彦命
熊本県縁結び

浮島神社

うきしまじんじゃ

長保3年(1001)、領主井王家三代の井王三郎直久が夢のお告げに従って屋敷の北を掘ったところ、黄金色の兜のような岩とともに水が湧き出して「神ノ池」となり、熊野の神を祀ったのが始まりと伝わる。正式には浮島熊野坐神社と称する。祭神は日本で最初に夫婦の契りを交わしたとされる伊邪那岐命・伊邪那美命の夫婦神で、安産・厄除け・縁結びの社として信仰を集める。どんな大雨や洪水に見舞われても社殿が水面に浮かんでいるように見えたことが「浮島」の名の由来。創建以来、井王家が42代にわたって神主を継承している。社殿を囲む池には阿蘇の伏流水が日々約13万トン湧き出し、アニメ「夏目友人帳」のオープニングに登場したことでも知られる。

所在地
熊本県上益城郡嘉島町井寺2827
御祭神
イザナギの尊、イザナミの尊の夫婦神
滋賀県縁結び開運

小槻大社

おつきたいしゃ

創祀年代は不詳です。この地の古代豪族・小槻山君の祖神である落別命(於知別命)を祀る式内社で、栗太郡八座の一つに数えられます。小槻氏は奈良時代に宮廷へ采女を出し、平安時代から明治に至るまで千年近く官務家として朝廷に仕えました。『日本三代実録』には貞観5年(863年)に従五位下、元慶6年(882年)に従五位上を授けられた記録があり、『日本紀略』には延喜11年(911年)に従四位下を受けたと見えます。中世には青地庄に拠った近江守護佐々木氏の分流・青地氏が篤く崇敬し、弘安4年(1281年)に青地基氏が本殿内陣の元宮殿を新造、康永年間には正一位の神位授与を朝廷に願い出て許されました。現在の本殿は永正16年(1519年)に青地元真が再建したもので、国の重要文化財に指定されています。配祀の大己貴命は、境内に接していた天台宗音楽寺との関わりから日吉西本宮を勧請合祀したものと推察されています。

所在地
滋賀県栗東市下戸山1200
御祭神
於知別命、大己貴命
系統
出雲
群馬県縁結び開運

二宮赤城神社

にのみやあかぎじんじゃ

創建年代は不詳で、社伝では垂仁天皇あるいは景行天皇の御代にさかのぼるとされます。赤城山を神体とする赤城信仰の里宮にあたり、平安時代後期からの「一宮二宮」の格付けのもとで上野国二宮として崇敬されてきた古社です。『延喜式』神名帳の名神大社「赤城神社」の論社の一つに数えられ、豊城入彦命・大己貴尊ほか数柱を祀ります。三夜沢の赤城神社との間で神体が往復する「御神幸」が伝えられ、平成5年に前橋市の重要無形民俗文化財に指定されました。境内地は市の史跡、梵鐘・絵馬・宝塔は市の重要文化財で、二宮赤城神社太々神楽(平成21年指定)と二之宮式三番叟(昭和45年指定)も市の無形民俗文化財として保存会に受け継がれています。茅葺きの社殿が古社の趣を伝えています。

所在地
群馬県前橋市二之宮町886
御祭神
豊城入彦命、大己貴尊 ほか数柱
系統
赤城
兵庫県縁結び開運

伊和神社

いわじんじゃ

播磨国一宮。主祭神の大己貴神は播磨国内を巡歴して国造りを行い、最後に伊和の里で「我が事業は終わった」と仰せられて鎮まったと伝えられ、人々がその神徳を慕って社殿を営んだのが創祀とされる。「我を祀れ」との神託の後、一夜のうちに草木が生い茂り、石の上に二羽の大きな鶴が眠っていた場所に社殿を造営したという伝承があり、創建は成務天皇の甲申年(144)あるいは欽明天皇25年(564)と伝わる。延喜式では明神大社に列し、神階は正一位、明治の社格制度では国幣中社。古来、農工商など産業の神、縁結び・福の神、厄除け・病気平癒・交通安全の神として崇敬されてきた。配祀神は少彦名神・下照姫神。

所在地
兵庫県宍粟市一宮町須行名407
御祭神
大己貴神
系統
出雲
滋賀県縁結び開運

馬路石邊神社

うまじいそべじんじゃ

社伝によれば白鳳3年に建速須佐之男命を奉斎し、朱鳥元年(686)に大己貴命を合祀したことに始まる古社で、延喜式神名帳に記載される式内社。社名は古代の馬道(うまじ)郷の土豪・石邊君氏の氏神であることに由来する。中世には江州田中荘(吉身・守山など)の総鎮守「田中大明神」「田中天王社」と崇められ、鎮守の森は「天王の森」と呼ばれた。弘仁年間には嵯峨天皇の病気平癒祈願の功により神領などが寄進されたと伝わる。元亀・天正年間の野洲川周辺の戦乱で社殿や神宝を焼失し、江戸時代に再興されたが天明4年(1784)に再び火災に遭い、現社殿は文久2年(1862)の再建。明治9年に村社、明治14年に郷社に列した。祭礼では天下泰平・五穀豊穣を祈る古式踊「豊年踊」が奉納される。

所在地
滋賀県守山市吉身4丁目4-1
御祭神
建速須佐之男命、大己貴命
系統
出雲
兵庫県縁結び開運

御形神社

みかたじんじゃ

『播磨国風土記』にその名が見える式内社で、祭神は大国主神の別名とされる葦原志許男神を祀る。社名は、祭神がこの地に杖を刺し植えて形見(御形見)としたという伝承に由来すると伝わり、但馬の神・天日槍命と境を定めたという説話でも知られる。若き日に根の国での試練を乗り越えた祭神の神話にちなみ、人生の節目や試練の折に心を鎮めて新たな歩みを祈る社として崇敬されてきた。室町時代後期に建立された本殿は国の重要文化財に指定されている。

所在地
兵庫県宍粟市一宮町森添280
御祭神
葦原志許男神(大国主神)
系統
出雲
石川県縁結び開運

気多本宮

けたほんぐう

延喜式神名帳に見える「能登生国玉比古神社」とされ、孝元天皇の御代の創祀と伝わる古社。崇神天皇の御代に当社祭神の分霊を羽咋郡の竹津浦に勧請したのが気多神社(気多大社)の起こりとされることから、当社は「気多本宮」と称される。天正年間に前田利家により旧社地から現在の所口の地へ遷座した。明治5年(1872)に県社に列格、明治39年(1906)に神饌幣帛料供進神社に指定。大正12年(1923)に神門・拝殿を銅葺きに改め、昭和42年から46年にかけて社殿の大修理が行われた。

所在地
石川県七尾市所口町ハ部70の1番地
御祭神
大己貴命、素盞鳴命
系統
出雲

縁結び神社を都道府県から探す

47都道府県から、縁結びに関連する神社を地域別に探せます。

縁結びとは

縁結びは、人と人との良縁を取り結ぶご利益。恋愛や結婚の縁にとどまらず、家族・友人・仕事・出会いなど、人生に関わるすべての結びつきを神様にお願いするものです。「縁は異なもの味なもの」という言葉が示すように、日本では古来、縁は人の力を超えた神の領域とされてきました。

神在月と出雲大社の縁結び神話

旧暦10月(新暦11月頃)、全国の神様が出雲に集まり一年間の縁を定めるとされる「神在月」。他の地域では神様が不在となる「神無月」ですが、出雲だけは神在月と呼ばれます。大国主命が主宰する「神議り(かみはかり)」で、人々の縁組・縁結びが決められるという伝承は、縁結び信仰の根源です。島根の出雲大社、松江の八重垣神社の「鏡の池の縁占い」(紙を浮かべて沈む時間で良縁の早さを占う)など、この地域の縁結び文化は今も健在です。

全国の代表的な縁結び神社

関東: 東京大神宮(「東京のお伊勢さん」として縁結びの聖地)、川越氷川神社(縁結び玉) 関西: 貴船神社(結社)、今宮神社(縁結び)、三輪山の大神神社 出雲: 出雲大社、八重垣神社、須佐神社 九州: 竈門神社(太宰府)、筥崎宮

縁結びと恋愛祈願の違い・使い分け

縁結びは恋愛だけでなく「良い仕事の縁」「信頼できる友人との縁」「家族との縁の深まり」なども含む広義のご利益です。純粋な恋愛成就(片思い・復縁)は恋愛祈願と組み合わせるのが効果的とされます。新しい出会いを求める段階では縁結び、具体的な相手がいる段階では恋愛祈願が中心になります。

参拝のポイント

良縁祈願は旧暦10月の神在月(出雲大社の神在祭の時期)が最も活発ですが、通年いつでもお参りできます。御祈祷の初穂料は5,000〜10,000円が一般的。 縁結びの絵馬は神社ごとに形が異なり(ハート型・二本の矢・縁結び玉など)、デザインを集めるのも楽しみのひとつ。お守りは財布やバッグに入れて常に持ち歩くのが伝統。出雲大社では「大社造り」の本殿を正面から拝む際、二礼四拍手一礼の独自の作法があります。

よくある質問

縁結び祈願はいつ行くのが良いですか?

通年いつでもお参りできますが、出雲大社など縁結びの聖地では旧暦10月(神在月)が特に縁起が良いとされます。誕生日・新月・毎月1日など節目に参拝する人も多いです。七夕・バレンタイン前後も恋愛縁結びの参拝ピークです。

縁結びのお守りは複数持っても大丈夫ですか?

神様同士が喧嘩するという考え方は神道にはありません。複数の神社のお守りを持っても問題ありませんが、丁寧に扱い感謝を忘れないことが大切。ただし、お守りはいただいた神社に1年をめどに返納するのが本来の作法です。

縁結びの絵馬には何を書けば良いですか?

「素敵な人と出会えますように」など漠然とした願いより、「○○のような人と良いご縁を結べますように」と具体的に書く方が良いとされます。自分の氏名・日付も書き添えましょう。個人情報への配慮からイニシャルや部分的な伏せ字でも構いません。

出雲大社と東京大神宮、どちらが縁結びに強いですか?

どちらも日本屈指の縁結びの聖地ですが、性格が少し違います。出雲大社は大国主命を祀り、神在月の縁結び神話の発祥地として最も格が高い。東京大神宮は伊勢神宮の祭神(天照大御神・豊受大御神)に加え縁結びの神を祀り、都内最強の縁結び神社として知られます。遠方の方は近い方から、両方参拝できれば理想的です。

仕事・友人の縁も縁結び神社で祈れますか?

もちろん可能です。縁結びは恋愛だけでなく「人生のあらゆる良縁」が対象。「良い仕事仲間と出会えますように」「信頼できる友人の縁を結んでください」という祈りも、縁結びの神様の得意とするところです。

縁結び神社に行ったのに縁が結ばれない場合は?

神道では「祈りは神様への報告・感謝であり、後は神様に委ねる」という考え方をします。焦らず、自分磨き・行動・感謝を続けることが大切。同じ神社に定期的に参拝し、進捗をご報告する形が伝統的な作法です。

縁結びと縁切りを同じ日に祈っても良いですか?

一般的には「縁切り→縁結び」の順序が推奨されます。悪縁を断ち切ることで良縁が入る余地ができるという考え方です。同じ神社で両方できる安井金比羅宮(京都)のような神社なら、一度の参拝で順序よく祈ることができます。