Shrine

沖縄縣護國神社おきなわ そげんじ じんじゃ

沖縄縣護國神社は沖縄県出身の英霊を祀る神社。国家安泰・勝負運のご利益で知られ、1938年(昭和13年)に創建された由緒ある神社です。

由緒

昭和15年(1940年)に創建されたが、昭和20年(1945年)の沖縄戦で社殿は全焼した。沖縄は日本で唯一、地上戦が展開された場所として約20万人の命が失われ、その中には多くの一般市民も含まれていた。戦後に再建されたこの神社は、「二度と戦争を繰り返してはならない」という沖縄の人々の強い意志と、英霊への追悼の念が交差する特別な場所となっている。沖縄戦の記憶と平和への祈りが、この神社を参拝する人々の心に静かに語りかける。

年間行事

三が日の参拝者は沖縄最多級の約27万人、大晦日から提灯が灯る初詣の名所。 10〜12月に七五三祈祷を受付け、11月の週末は着物の無料レンタルも実施。

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近隣神社

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沖縄県開運

金武宮

きんぐう

琉球八社の一つに数えられる神社で、独立した社殿を持たず、金武観音寺の境内地下にある鍾乳洞そのものを御神体とする点に大きな特色があります。創建の年代を伝える確かな記録は残っていませんが、『琉球国由来記』の記述から、尚清王の治世にあたる1527年から1555年の間と推定されています。補陀落山を求めて海を渡ってきた日秀上人が琉球各地を巡るなかでこの洞窟を霊地と定め、自ら彫った三尊を権現の正体として祀った

所在地
沖縄県国頭郡金武町金武222
御祭神
伊弉冉尊、速玉男命
沖縄県開運厄除け

末吉宮

すえよしぐう

琉球八社の一社。社伝によれば、尚泰久王の時代にあたる1456年ごろ、天界寺の鶴翁和尚が熊野三所権現を勧請して祀ったのが始まりと伝えられる。主祭神は伊弉冉尊・速玉男尊・事解男尊の三柱で、ほかに土祖神・澳津彦命・澳津姫命・産土神を別鎮斎として祀っている。琉球王府から厚い保護を受け、首里の北方を守る社として崇敬された。本殿と参道の石造階段は戦前に旧国宝の指定を受けていた。現在は那覇市街を望む末吉公園の丘

所在地
沖縄県那覇市首里末吉町1-8
御祭神
伊弉冉神、速玉男尊
系統
熊野
沖縄県開運厄除け

識名宮

しきなぐう

沖縄県那覇市繁多川に鎮座し、明治以前に琉球国府から特別の扱いを受けた官社「琉球八社」の一社。社号は『琉球神道記』(1608年)に「尸棄那権現」、『琉球国由来記』(1713年)に「姑射山権現」と記される。近世沖縄の権現信仰では、末吉宮を熊野新宮、普天満宮を熊野那智、当宮を熊野本宮に見立てて信仰された。社伝によれば、洞窟内に安置された賓頭盧が夜ごと光を放つのを大阿母志良礼が信仰したところ願いが叶い、尚

所在地
沖縄県那覇市繁多川4-1-43
御祭神
伊弉冉尊、速玉男尊
系統
熊野
沖縄県開運厄除け

天久宮

あめくぐう

那覇市泊に鎮座する琉球八社の一社。『琉球神道記』(1608)に「天久権現」、『琉球国由来記』(1713)に「天久山熊野三社大権現」、『琉球国旧記』(1731)に「天久山三社」、『球陽』(1745)に「天久山権現」「天久宮」と記されるなど、古記録に繰り返しその名がみえる。創建は成化年間(1465〜1487)と伝えられる。縁起では、銘苅村の翁子が天久野で気高い女人と法師に出会い、女人が中腹の洞窟のあた

所在地
沖縄県那覇市泊3丁目19-3
御祭神
伊弉冉尊、速玉男尊
系統
熊野