ご利益

開運の神社

開運のご利益で探せる神社を821件掲載。代表的な神社は屋島神社です。

開運で知られる御祭神

開運で有名な神社

開運の神社一覧

821件中161-180件を表示しています。

宮崎県開運

榎原神社

よわらじんじゃ

日南海岸に近い榎原の地に鎮座する旧県社。万治元年(1658年)、飫肥藩3代藩主の伊東祐久が、神女として崇められた内田万寿姫の進言を受け、鵜戸神宮の分霊を勧請して地福寺の境内に創建したと伝える。もとは榎原大権現と称し、飫肥藩の鎮守として厚い保護を受けた。明治元年に榎原神社と改称し、同6年に郷社、昭和5年に県社へ昇格している。朱塗りの本殿は複雑に入り組んだ屋根を持つ八ツ棟造で、宮崎県内では唯一の遺構とされ、鐘楼や楼門とともに県の有形文化財に指定されている。神仏習合の名残を色濃くとどめる境内には、万寿姫を祀る摂社の桜井神社があり、縁結びを願う参拝者が訪れる。主祭神の天照大神のほか、天忍穂耳命・彦火瓊瓊杵命など皇統系の神々を祀り、大己貴命などを配祀する。

所在地
宮崎県日南市南郷町榎原甲1134-4
御祭神
天照大神、天忍穂耳命
埼玉県開運

芳川神社

よしかわじんじゃ

埼玉県吉川市平沼に鎮座する、吉川の総鎮守です。社伝では鎌倉時代初期の文治3年(1187年)、この地を治めた武士団の吉川氏が古くからの土着神を氏神の諏訪神社として再興したことに始まるとされます。主祭神は武勇や風雨、農耕・開拓の守護神である建御名方命で、相殿に経津主命と愛梁大神を祀ります。江戸期には香取社を相殿として平沼村の鎮守となりました。現在の拝殿は嘉永3年(1850年)の再建、本殿は明治42年(1909年)の建立と伝えられ、拝殿の軒下には方位を示す十二支の彫刻が施されています。明治6年に村社に列格し、明治41年から大正2年にかけて地内の34社を合祀したのを機に社号を芳川神社へ改めました。境内には八坂神社・稲荷神社・松尾神社・吉川天満宮・古峯神社などが並び、社殿の前後にタブノキと大クスが立ちます。裏手には旧下妻街道が通り、一帯はかつて沼地で、平沼の地名もその地形に由来するといわれます。

所在地
埼玉県吉川市平沼315-1
御祭神
建御名方命、経津主命
島根県開運

八重山神社

やえやまじんじゃ

雲南市南部、八重滝にほど近い山中の岩壁のくぼみに社殿を構える神社です。社伝では、須佐之男命が斐伊川で八岐大蛇を退けたのち、八重山の岩窟にひそんで人々を苦しめていた魔神を退治し、二度と魔物が住みつかないよう母神の伊邪那美命と姉神の天照大神を岩窟に祀ったのが祭祀の始まりと伝えられます。江戸時代には松江藩主松平直政が社殿の修復に力を注いだと伝わり、以後「一社一例国主守護之社」として松江藩・広瀬藩の祈願所とされました。一方で氏子を持たない社であったため財政に苦しみ、天保2年(1831)に牛馬市の興行を願い出たことをきっかけに、牛馬の守護神として広く信仰されるようになります。現在の社殿は享保19年(1734)の再建と伝えられ、随身門の随神像と狛犬は正徳3年(1713)の坪内平七郎利忠の作です。

所在地
島根県雲南市掛合町入間57
御祭神
伊邪那美命、天照大神
奈良県開運

夜支布山口神社

やぎうやまぐちじんじゃ

奈良市東部の大柳生に鎮座する氏神で、旧県社。『延喜式』神名帳の大和国添上郡に「夜支布山口神社」(大社、月次・新嘗)として記され、宮殿造営の御料林を伐り出す山の口に坐す神を祀った大和十三山口神社の一つに数えられる。『日本文徳天皇実録』嘉祥3年(850年)に従五位下、『日本三代実録』貞観元年(859年)に正五位上を授けられ、同年には風雨を祈って幣帛が奉られた。社名は養布・養父とも表記され、俗に高野宮・天王社とも呼ばれた。もとは南方約600メートルの上出集落に鎮座していたが、中世に巨石を神体とする立磐神社の境内へ遷ったと伝わる。摂社・立磐神社の本殿は、春日大社本社本殿の第四殿を延享4年(1747年)7月に移築したもので、国の重要文化財に指定されている。現在の祭神は素盞嗚命とされるが、山口神の性格から本来は大山祇命を祀ったとする説もある。

所在地
奈良県奈良市大柳生町3089
御祭神
素盞嗚命
大阪府開運

彌榮神社

やえいじんじゃ

旧記によれば、文禄年間(1592〜1595)に出雲国意宇郡の熊野大社(現在の島根県松江市)から御分霊を迎えて祀ったのが創建と伝わる。当初は牛頭天王社と呼ばれ、創立以来この地の鎮守として信仰されてきた。明治5年(1872)に村社に列せられ、社号を現在の彌榮神社に改めている。明治43年(1910)には旧岡村の御館神社を合祀した。御祭神は素戔嗚尊と仁徳天皇。7月の夏祭では御神輿と鳳輦を中心とした行列が氏地を巡り、天王寺区餌差町の味原御旅所と生野区勝山北の岡御旅所へ渡御する。鶴橋・桃谷の市街地に鎮まる氏神として、今も地域の祭礼の中心となっている。

所在地
大阪府大阪市生野区桃谷2-16-22
御祭神
素戔嗚尊、仁徳天皇
栃木県開運

綱神社

つなじんじゃ

益子町北部の上大羽、大羽山の山あいに鎮座する古社です。鎌倉時代の建久5年(1194)、下野の武将・宇都宮朝綱が創建したと伝えられます。朝綱は公田横領の嫌疑で土佐へ流された際、土佐国一宮の賀茂社に帰郷を祈願し、願いがかなって下野へ戻れたことから、宇都宮氏の氏寺であった尾羽寺の寺域にこの社を建てたといいます。主祭神は味耜高彦根命で、大国主命をあわせて祀ります。現在の本殿は室町時代後期の大永年間(1521〜1528)の建立で、三間社流造・茅葺という全国的にも例の少ない形式をとり、昭和25年(1950)に国の重要文化財に指定されました。境内には大同2年(807)の創建と伝わる摂社・大倉神社が愛宕山から移されており、その本殿も同じく国の重要文化財に指定されています。

所在地
栃木県芳賀郡益子町上大羽
御祭神
味耜高彦根命、大国主命
系統
出雲
北海道開運

鳥取神社

とっとりじんじゃ

釧路市西部の鳥取地区に鎮座する、開拓の歴史とともに歩んできた神社です。明治17年(1884)から18年にかけて、旧鳥取藩の士族とその家族あわせて500人余りが団結して移住し、この地に鳥取村を開きました。故郷の名を村名とした移住者たちは、開拓の心のよりどころとして明治24年(1891)に大国主大神の御分霊を勧請し、産土神として当社を創祀しました。移住者の子孫によって「きりん獅子舞」「傘おどり」「北の開拓者」といった鳥取ゆかりの芸能が受け継がれ、例祭や開拓者への報恩行事で奉納されています。昭和59年(1984)には移住百年を記念し、鳥取城を模した資料館「鳥取百年館」が境内に建てられ、士族移住者が携えた品々や鳥取藩池田家ゆかりの資料が展示されています。

所在地
北海道釧路市鳥取大通4丁目2番18号
御祭神
大国主大神
青森県開運

天王神社

てんのうじんじゃ

七戸城跡(柏葉公園)の向かいにある小高い丘に鎮座する。社伝によれば応永元年(1394年)の勧請を創始とし、七戸城から見て北東の鬼門にあたることから、城の鬼門鎮護を担う社であったと考えられている。宝暦元年(1751年)には天王神楽が伝えられ、旧暦6月の満月の宵から3日間奉納される神事として今日まで受け継がれてきた。境内には樹齢300年以上といわれる大木を含む約500本の山つつじが自生し、春には参道を包むように咲く。つつじの名所として青森県の観光案内でも紹介されている。

所在地
青森県上北郡七戸町天王12-1
御祭神
牛頭天王(素盞嗚尊)
福岡県開運

戸明神社

とあけじんじゃ

天岩戸神話で岩戸開きに力を尽くした天手力雄大神と天児屋根大神を主祭神とする神社です。創建の年代は明らかではありませんが、天文5年(1536年)に記された社記に、もとは岩屋と柏原の間の「戸明浜」に厳めしい社殿を構えていたものを享禄年間(1528〜1532年)に現在地へ移したと伝えられており、遅くとも室町時代後期には当地に鎮座していたことがわかります。若松区西部一帯の広い氏子区域を持ち、安屋・有毛・大鳥居・高須に鎮座する戸明神社の本宮であるとともに、稲国・岩屋・脇田・竹並・払川・塩屋・小敷などに鎮座する産土神社の総社として古くから崇敬されてきました。社号の「戸明」は、天岩戸が開かれた神話にちなむものです。

所在地
福岡県北九州市若松区蜑住974
御祭神
天手力雄大神、天児屋根大神
長野県開運

武井神社

たけいじんじゃ

創立年代は明らかでないが、持統天皇5年頃の創建とする口伝が残る。社名の由来には、諏訪大社の社領であった武井と同じ祭神を祀ることによるとする説と、神官の武居祝一族が奉斎したことによるとする説がある。古くは武井明神・諏訪明神と呼ばれ、現在の社名となったのは文化4年(1807年)。善光寺表参道の東側19か町を氏子とし、妻科神社・湯福神社とともに善光寺三鎮守(善光寺三社)に数えられ、善光寺七社の一社でもある。弘化4年(1847年)の善光寺地震で社殿を焼失し、13年後に再建された。現在の拝殿は平成21年(2009年)に建て替えられたもの。万延元年(1860年)の「御柱祭行列図大絵馬」は長野市指定有形文化財となっている。

所在地
長野県長野市大字長野東町186-2
御祭神
建御名方命、八坂刀売命
大阪府開運

高石神社

たかしのじんじゃ

大阪湾を西に望む高師浜の松林に鎮座する式内社で、旧郷社。創建の年代は詳らかでないが、白雉元年(650年)の鎮座と伝えられ、平安時代の『延喜式』神名帳にも「高石神社」の名が記される古社である。古くは天神の社と呼ばれていた。祭神は少彦名命に天照大神と熊野坐神を合わせ祀る。鎮座地の高師浜は万葉の時代から白砂青松の景勝地として和歌に詠まれてきた土地で、境内には往時の面影を残す松林が広がり、百人一首の歌碑も置かれている。紀州街道が近くを通ることから熊野詣との関わりも深く、境内には熊野権現の御拝所が残る。海に生きる人々の信仰も篤く、船乗りが航海の願解きに相撲を奉納する慣わしがあったと伝わる。

所在地
大阪府高石市高師浜4丁目1-19
御祭神
少彦名命、天照大神
兵庫県開運

高砂神社

たかさごじんじゃ

社伝によれば、神功皇后が外征からの帰途にこの地へ船を寄せ、加護を受けた大己貴命を国家鎮護のために祀ったのが始まりとされる。天禄年間(970〜972)に疫病が流行した際、神託により素盞嗚命と奇稲田姫命を合わせ祀ったところ疫病が鎮まったと伝わる。文禄元年(1592)には豊臣秀吉が朝鮮出兵に際して参拝し、戦勝を祈願したと伝えられる。慶長6年(1601)、姫路城主の池田輝政が社地に高砂城を築くことを定めて社領を寄進し、慶長10年(1605)の築城にともなって社殿は西北の松林へ移された。元和元年(1615)の一国一城令で高砂城が廃されたのち、寛永2年(1625)に姫路藩主本多忠政が社領を寄進して旧地へ戻している。境内の「相生の松」は一つの根から雌雄二本の幹が立つ松で、尉(伊弉諾尊)と姥(伊弉冊尊)が宿る霊松と伝えられ、謡曲『高砂』ゆかりの社として知られる。現在の松は5代目にあたる。旧社格は県社。

所在地
兵庫県高砂市高砂町東宮町190
御祭神
大己貴命、素盞嗚命
系統
出雲
大阪府開運

高須神社

たかすじんじゃ

堺の鉄砲鍛冶・芝辻理右衛門にゆかりの深い神社です。境内の案内板によれば、理右衛門は慶長14年(1609)に徳川家康の命を受け、国内で初めての鉄製大型大砲を鋳造しました。さらに慶長19年(1614)の大坂冬の陣に際しては短期間で多数の鉄砲を仕上げるよう命じられ、その功により元和元年(1615)に高須の地を与えられます。芝辻家は自家と堺の鉄砲鍛冶の繁栄を願い、この地に稲荷明神を勧請して当社を建てたと伝えられます。祭神は豊受大神・猿田彦命・大宮姫命・大物主命の四柱で、豊受大神が稲荷神と重ねて信仰されることから「高須のお稲荷さん」と呼ばれ親しまれてきました。社名は阪堺電気軌道の停留場名にも採られ、鉄砲鍛冶の町として栄えた堺北部の歴史を今に伝えています。

所在地
大阪府堺市堺区北半町東3-5
御祭神
豊受大神、猿田彦命
韓国開運

大邱神社

たいきゅうじんじゃ

日本統治下の朝鮮に設けられた神社で、旧社格は国幣小社。明治39年(1906年)11月3日、大邱府内の達城山に神殿を造営し、皇大神宮の遥拝所としたのが起こり。大正2年(1913年)に大邱神社と改称し、大正4年(1915年)に神殿を改築して拝殿を新築した。翌大正5年(1916年)4月22日、神社寺院規則(大正4年朝鮮総督府令第82号)により天照大神を祭神とする創立が許可された。昭和11年(1936年)8月11日に道供進社に指定され、同年12月7日には国魂大神の増祀が許可、昭和12年(1937年)5月15日に国幣小社へ列格した。例祭日は10月15日。昭和20年(1945年)の日本の敗戦にともない同年11月17日に廃止され、鳥居は1946年、社殿は1966年までに撤去された。跡地は現在の達城公園にあたる。

所在地
大韓民国大邱広域市中区 達城公園(旧・朝鮮慶尚北道大邱府城西町)
御祭神
天照大神、国魂大神
京都府開運

崇道神社

すどうじんじゃ

桓武天皇の弟・早良親王を祭神とする。親王は藤原種継暗殺事件に連座して廃太子となり、淡路へ配流される途上で没した。その後、都で疫病や近親者の不幸が相次いだことが親王の祟りとされ、鎮魂のために当社が創建されたと伝わる。創建年は詳らかでないが、御霊信仰が広まった貞観年間(859〜877)頃とされる。鎌倉から室町期にかけて周辺の廃絶した社を合わせ、上高野一帯の産土神となり、江戸時代には「高野御霊」と呼ばれた。明治41年(1908)には式内社・伊多太神社を境内へ遷座し、大正4年(1915)には出雲高野神社と小野神社を再興して合祀している。崇道天皇のみを祭神とする神社としては京都で唯一とされる。

所在地
京都府京都市左京区上高野西明寺山町34
御祭神
早良親王(崇道天皇)
東京都開運

素盞雄神社

すさのおじんじゃ

荒川区南千住に鎮座し、南千住・三河島・町屋(荒川区)と台東区三ノ輪にまたがる61ヶ町を氏子区域とする、区内で最も広い鎮守。社伝によれば平安時代の延暦14年(795年)、修験道の祖・役小角の高弟である黒珍が、住居の東にあった小塚の奇岩を霊場として崇め祈っていたところ、素盞雄大神・飛鳥大神の二柱が降臨して神託を授けたため一祠を建てたのが始まりとされる。この奇岩は現在も境内に「瑞光石」として祀られ、周辺の旧地名「小塚原」や近隣小学校の名に冠された「瑞光」の由来になっている。享保3年(1718年)の類焼で両社が焼失した後、享保12年(1727年)に二柱を相殿とする瑞光殿が新たに建てられた。素盞雄大神の別名が牛頭天王であることから「お天王さま」と呼ばれ、松尾芭蕉『奥の細道』矢立初めの句碑が建つ境内は「飛鳥の杜」と称されて江戸の文人墨客のサロンともなった。平成7年に御鎮座1200年祭が斎行されている。

所在地
東京都荒川区南千住6-60-1
御祭神
素盞雄大神、飛鳥大神
石川県開運

菅生石部神社

すごういそべじんじゃ

社伝によれば、敏達天皇の御願により宮中で祀られていた菅生石部神を、用明天皇即位元年(585年)にこの地へ遷したのが創祀と伝わる。越の江沼の地の農桑を励ます思し召しにより、当地方の鎮護と五穀豊穣、万民の富饒が祈願されたと伝えられる。菅生石部神は天津日高日子穂穂出見命・豊玉毘売命・鵜葺草葺不合命の三柱の総称で、五穀豊穣、疫病退散、安産育児の守護神として信仰されてきた。天武天皇の代には御願神事が始められたと伝えられ、この神事は今も2月10日に「竹割まつり」の名で受け継がれている。延喜式神名帳に記載される式内の古社で、越前国三宮、加賀国二宮として朝廷の崇敬を受け、天慶3年(940年)には正四位下に叙されたと伝わる。木曾義仲や足利義持、豊臣秀吉、前田利家をはじめとする前田家からも寄進や奉納を受け、明治29年に国幣小社へ列格した。社宝として、国の重要文化財である蒔絵角赤手箱と正親町天皇宸翰御詠草を伝える。

所在地
石川県加賀市大聖寺敷地ル乙81
御祭神
天津日高日子穂穂出見命、豊玉毘売命
群馬県開運

進雄神社

すさのおじんじゃ

高崎市柴崎町に鎮座する旧郷社。社伝によれば、各地で疫病が蔓延していた貞観11年(869年)、清和天皇の詔により尾張国(現在の愛知県西部)の津島神社から神霊を招いて現在地に祀ったのが始まりで、以来「天王宮」と呼ばれ健康・厄除の神として崇敬されてきた。天喜5年(1057年)には源頼義が奥州へ向かう折に武運長久を祈願し、凱旋にあたって社殿の修造と神領の寄進を行ったと伝わる。戦国時代には武田・上杉・北条など諸将の戦勝祈祷文書や社家への安堵状が納められ、今に伝えられている。寛永11年(1634年)には三代将軍徳川家光から御朱印地30石が寄進され、幕末まで続いた。明治初年の神仏分離を機に、当時の宮司が「雄大に進むように」との願いを込めて主祭神スサノオを社号とし「進雄神社」と改称。平成3年(1991年)には総檜・権現造の社殿が新築された。

所在地
群馬県高崎市柴崎町801
御祭神
速須佐之男命、稲田姫命
佐賀県開運

須賀神社

すがじんじゃ

小城市街の北、標高約90メートルの城山の西斜面に鎮座する旧県社で、地元では「祇園さん」の名で親しまれている。社伝では桓武天皇の延暦22年(803年)の創建と伝え、当初は「清祠」と称して肥前国の佐賀・杵島・小城三郡の宗廟として栄えたと古記にある。鎌倉時代、幕府の命により下総国から下向した肥前千葉氏が山城国の祇園社(現在の八坂神社)の分霊を勧請して「祇園社」となり、山上に築かれた千葉城(牛頭城・祇園城)の守護神として歴代城主が篤く奉斎した。戦国期に千葉氏が東西に分裂して衰え、天文15年(1546年)の合戦で城と城下町は焼失したが、代わって当地を領した龍造寺隆信が社地・社領を寄進し、天正18年(1590年)には鍋島直茂が本殿を再建した。江戸時代は小城藩主の崇敬を受け、明治期に須賀神社と改称、大正13年(1924年)に県社へ列格した。麓の神門から社殿までは153段の急な石段が一直線に延び、途中には肥前鳥居が立つ。

所在地
佐賀県小城市小城町松尾3594
御祭神
健速須佐之男大神、櫛稲田姫大神
石川県開運

須須神社

すずじんじゃ

能登半島の先端、日本海に突き出た高座山に鎮座する式内社で旧県社。高座宮と金分宮の二社に夫婦の大神を祀って須須神社と称し、「三崎権現」「須須大明神」として、東北(鬼門)にあたる日本海の守護神・災難除けの神と崇められてきた。社伝では第10代崇神天皇の御代に能登半島最北端の山伏山(鈴ヶ嶽)山頂に創建され、奈良時代の天平勝宝年間に現在地へ遷座したと伝える。『日本三代実録』によれば貞観15年(873年)に従五位上の神階を授けられた。中世には多くの社人社僧を擁して広い社領を持ち、天正12年(1584年)には加賀藩主前田利家が巡国の折に祈願所と定め、社領として神田5町歩を寄進している。元禄10年(1697年)には奥宮の中腹に大燈明堂が設けられ、夜ごとの灯りが船の道しるべとなって明治期の禄剛崎灯台へ受け継がれた。境内の社叢は昭和50年に国の天然記念物に指定されている。

所在地
石川県珠洲市三崎町寺家4-2
御祭神
天津日高彦穂瓊瓊杵尊、美穂須須美命

開運神社を都道府県から探す

47都道府県から、開運に関連する神社を地域別に探せます。

開運とは

開運は、運気の上昇・人生の転機の後押し・全体的な流れの好転を願う総合的なご利益。特定の悩みというより「人生の流れを良い方向に変えたい」「新しい扉を開きたい」という時に祈ります。年初の初詣で多くの人が「今年も良い年になりますように」と祈るのも、広い意味での開運祈願です。

開運信仰の本質——「運を開く」とは

神道では「運(うん)」は天が定め、人が誠実に行動することで活かされるものとされます。「開運」とは棚から牡丹餅のように幸運が降ってくることではなく、「自分の行動と祈りの一致によって、定められた良い運を引き出す」ことを意味します。七福神信仰・初詣・方位学など、開運に関わる日本文化はこの考え方を基盤にしています。

開運祈願の代表的な神社

全国格式最高位: 伊勢神宮(皇大神宮・天照大御神)、出雲大社(大国主命) 東日本: 明治神宮(東京)、三峯神社(埼玉)、鶴岡八幡宮(鎌倉) 西日本: 住吉大社(大阪)、春日大社(奈良)、太宰府天満宮(福岡)

開運グッズの意味と種類

熊手(商売繁盛・開運): 福をかき込む道具として西日本中心に広まる 破魔矢(厄除け・開運): 年末年始に授与される魔除けの矢 絵馬: 祈りを書いて奉納する馬の形の板。全国で最もポピュラーな祈願ツール 七福神巡り: 正月に7社を巡り7神のご利益を集める開運の巡礼

参拝のポイント

年初の初詣(1月1〜3日)が最も活発ですが、誕生日・厄年明け・人生の転機(転職・結婚・新居)でも開運祈願は一般的です。初穂料は5,000〜10,000円。 七福神巡りは正月三が日〜1月15日の間に行うのが伝統。熊手は毎年大きくするのが縁起が良いとされます。開運守・破魔矢は年末年始に新調し、古いものはお焚き上げへ。お守りや開運グッズは「感謝して大切に扱うこと」が最大の作法です。

よくある質問

開運と他のご利益(縁結び・金運)は何が違いますか?

開運は「人生全体の運気の底上げ・方向転換」という包括的なご利益。縁結び・金運は開運の中の特定分野です。「まず何を祈るかわからない」「漠然と人生を好転させたい」という場合に開運が向いています。

開運祈願はどのくらいの頻度で行うべきですか?

年1回(初詣)が基本。誕生日・厄年・節目の時に追加で祈る人もいます。「何度も催促する」より「感謝・報告・新しい祈り」のサイクルが神道の基本作法です。

七福神巡りは1日で全部回らないといけませんか?

1日で回る必要はありません。正月三が日〜松の内(1月15日)までに巡るのが伝統ですが、1ヶ所ずつ別の日に参拝する人も多くいます。焦らずゆっくり巡る方が各神社を丁寧に参拝できます。

開運グッズ(熊手・破魔矢)はどこに飾るのが良いですか?

熊手はお店・リビングの高い場所(南東向き・入口付近)に。破魔矢は神棚、またはリビングの高い位置に東・南向きに。お守りは財布・バッグなど常に携帯できる場所に。大切に扱い、定期的に埃を払うのが礼儀です。

悪いことが続いている時はどの神社に行けばいいですか?

地元の氏神様(一番身近な神社)への参拝が基本です。「最近悪いことが続いています、お守りください」という素直な報告と祈りが最初の一歩。気になるなら厄除け・方除けも合わせて祈るのが伝統的です。

大晦日と元旦どちらに参拝するのが開運に良いですか?

大晦日の深夜参拝(年越し参拝・除夜詣)は「古い年を感謝して送り、新しい年を迎える」意味があり、元旦の初詣は「新しい年の祈りを最初に捧げる」意味があります。どちらも正式な参拝で、どちらが「より開運」という優劣はありません。

引っ越し・転職などの転機に開運参拝は効果がありますか?

転機は「運を開くチャンス」と神道では考えます。引っ越し・転職・起業・結婚など新しいスタートの前に参拝し、「新しい道でのご加護を」と祈ることは、気持ちを整える意味でも開運の作法として有効です。