ご利益

開運の神社

開運のご利益で探せる神社を821件掲載。代表的な神社は屋島神社です。

開運で知られる御祭神

開運で有名な神社

開運の神社一覧

821件中141-160件を表示しています。

岐阜県縁結び開運

気多若宮神社

けたわかみやじんじゃ

岐阜県飛騨市古川町上気多に鎮座し、大国主神を主祭神とする神社で、通称は「杉本様(すぎもとさま)」。創祀の年代は不詳だが、『日本三代実録』貞観15年(873年)8月20日条に従五位下を加階されたと見え、元慶5年(881年)には地震の霊異により従五位上へ昇叙されたと伝える。天正17年(1589年)に飛騨三万八千石を領した金森長近の子・可重が増島城を築くと、旧古川町の産土神であった杉本大神を合祀し、以後は杉本大神宮として城の東西鬼門を鎮護する神、また古川の産土神として崇敬された。万治3年(1660年)に社殿が再建され、明治3年(1870年)に気多若宮神社と復古改称、翌4年に郷社と定められ、大正15年(1926年)2月11日に県社へ昇格した。古来の特殊神事として裸祭「起し太鼓」があり、例祭は4月19日深更から20日未明にかけて行われる。

所在地
岐阜県飛騨市古川町上気多1297
御祭神
大国主神
系統
出雲
兵庫県縁結び開運

気多神社

けたじんじゃ

兵庫県豊岡市日高町上郷に鎮座する式内社で、但馬国の総社にあたる。旧社格は郷社。主祭神は大己貴命で、地元では「けたさん」と呼ばれ、近世までは「総社気多大明神」と称された。総社とは一国の主要な神社の神々を集めて祀る神社のことで、但馬国府が置かれたこの地域の中心的な社として崇敬されてきた。延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳には但馬国気多郡の「気多神社」として記載され、式内社に列している。『播磨国風土記』宍禾郡御方里条には、葦原志許乎命(大己貴命)と天日槍命が黒葛を投げ合って国を占う争いをし、葦原志許乎命の投げた黒葛3本のうち1本が但馬の気多郡に落ちたという伝承が記され、郡名を冠するこの社が相当古くから鎮座していたことをうかがわせる。鎌倉時代の『但馬国太田文』によれば、大般若田4町、三十講田1町5反という社領があったとされる。

所在地
兵庫県豊岡市日高町上郷字大門227
御祭神
大己貴命
系統
出雲
京都府縁結び開運

愛宕神社

あたごじんじゃ

京都府亀岡市千歳町国分に鎮座する式内社で、旧社格は村社。火の神である火産霊神を主祭神とし、伊邪那美神・大国主神をあわせて祀る。社伝では、この社の分霊が京都の鷹ヶ峰に祀られ、のちに和気清麻呂によって嵯峨の愛宕山へ遷されて現在の愛宕神社になったと伝えることから、「元愛宕」あるいは「愛宕の本宮」と呼ばれ、全国に数多い愛宕社の総本宮ともいわれる。檜皮葺の一間社流造である本殿は鎌倉時代後期の建立と伝えられ、昭和52年(1977年)1月28日に国の重要文化財に指定されている。火伏せ・防火の神として広く信仰され、4月24日には鎮火祭が営まれる。愛宕山の愛宕神社と同様に「愛宕の三つ参り」の信仰が伝わり、3歳までに参詣すると一生火災に遭わないとされている。

所在地
京都府亀岡市千歳町国分南山ノロ1
御祭神
火産霊神、伊邪那美神
系統
出雲
兵庫県開運

大石神社

おおいしじんじゃ

兵庫県赤穂市、旧赤穂城内の大石内蔵助屋敷跡に鎮座する神社。明治天皇の宣旨を契機として明治33年(1900年)に神社創立が公許されたが、造営資金が集まらず着工は明治43年(1910年)にずれこみ、大正元年(1912年)11月に四十七義士命を祀る神社として鎮座した。主祭神は大石内蔵助良雄以下四十七義士命と、討ち入り前に自刃した中折の烈士・萱野三平命。あわせて赤穂藩主浅野長直・長友・長矩の三代と、その後に赤穂を治めた森家の先祖で本能寺の変に散った森蘭丸ら七代の武将を合祀する。大石邸庭園には、元禄7年(1694年)に大石内蔵助が笠間から勧請したと伝える大石稲荷社が鎮座する。かつて藩民の信仰を集めた七つの古社は平成12年(2000年)に境内社合祀殿へまとめられ、山鹿素行命を祀る山鹿社や天満宮、八田社などが並ぶ。大願成就の神として広く信仰を集めている。

所在地
兵庫県赤穂市上仮屋旧城内
御祭神
大石内蔵助良雄以下四十七士命、萱野三平
三重県開運

足見田神社

あしみだじんじゃ

三重県四日市市水沢町に鎮座する延喜式内社で、旧社格は郷社。三重県神社庁は主祭神を志那都比古命・志那都比売命・瀬織津比咩命とする。一方で『神明帳考証』は祭神を日本武尊とし、東国平定の帰路にこの地へ立ち寄った日本武尊が「吾が足は三重に曲がるようでひどく疲れた」と語ったことから「三重」の地名が足見田の地に由来するという伝承も伝えられている。創建は垂仁天皇26年とも雄略天皇21年とも伝わり、詳細は定かでない。年間には春祭・新茶祭・慰霊祭・秋祭など、茶どころ水沢の生業と結びついた祭事が営まれる。なかでも7月31日の「水まつり」は享保5年(1720年)を創始とする雨乞い祈願の祭りで、境内に奉納される「お諏訪おどり」は、瀬戸用水の完成に尽力した庄屋・辻久善の功績をたたえる詞章にもとづく踊りとして伝えられ、昭和48年(1973年)1月7日に四日市市の無形民俗文化財に指定された。

所在地
三重県四日市市水沢町707
宮崎県勝負運開運

白鳥神社

しらとりじんじゃ

平安時代中期の天徳3年(959年)創建と伝わる。霧島山で修行していた性空上人の前に日本武尊が現れ、「私は今白鳥になっているが、この地に祀ってほしい」と告げたという伝説にちなみ、白鳥山の北面に「白鳥権現社」として建てられた。室町時代初期に社殿が現在地へ移され、文化6年(1809年)の火災で焼失したのち現在の本殿が再建された。この一帯は景行天皇や日本武尊の伝説の地とされ、島津家代々の崇敬を受けて武運祈願の参詣が重ねられたと伝わる。明治の廃仏毀釈までは金剛乗院満足寺を別当寺とする神仏習合の社であった。元禄16年(1703年)には境内で長さ23.5mのアカマツ2本が伐り出され、翌宝永元年から9か月をかけて奈良・東大寺へ運ばれ大虹梁に用いられたという歴史も持つ。諸建造物は昭和45年2月20日にえびの市指定有形文化財となっている。

所在地
宮崎県えびの市大字末永1479
御祭神
日本武尊
系統
熱田
長野県縁結び開運

有明山神社

ありあけさんじんじゃ

長野県に鎮座する出雲系の神社です。御祭神は手力雄命、八意思兼命、大己貴命。縁結び・開運・家内安全のご利益で知られます。

所在地
長野県安曇野市穂高有明宮城7271(里宮)長野県安曇野市穂高有明(有明山頂)(嶺宮)
御祭神
手力雄命、八意思兼命
系統
出雲
静岡県開運

引手力命神社

ひきてちからのみことじんじゃ

駿河湾へ北に突き出す大瀬崎の先端に鎮座する式内社で、鳥居の扁額にもある通称「大瀬神社」で広く知られる。社伝では、白鳳13年(684年)の大地震で海底が隆起して岬(琵琶島)が現れた際、同じ地震で多くの土地が海没した土佐国から神が土地を引いてきたのだと考えた人々が、引手力命を祀ったのが始まりと伝える。古くから駿河湾の漁民の信仰を一身に集める海の守護神で、船を新造する際には必ず参詣して海上安全を祈願したという。漁民が奉納した絵馬や漁船模型が多数伝わり、静岡県指定の有形民俗文化財となっている。境内にある神池は直径約100m、海から15mと離れていないのに淡水で鯉や鮒が棲み、伊豆七不思議の一つに数えられる。岬を覆う大瀬崎のビャクシン樹林は昭和7年7月25日に国の天然記念物に指定された。

所在地
静岡県沼津市西浦江梨329
御祭神
引手力命
静岡県開運厄除け

三熊野神社

みくまのじんじゃ

文武天皇の皇后が紀州の熊野三社に「安産で皇子が誕生すれば東に三つの社を建てて日夜敬う」と誓われ、無事に皇子(のちの聖武天皇)を出産した。その誓いにより大宝元年(701年)、熊野本宮大社をこの横須賀の地へ、熊野那智大社を小笠山(現・小笠神社)へ、熊野速玉大社を高松(現・高松神社)へ遷座したのが起こりと社伝は伝え、あわせて遠州の熊野三社と称される。鎮座とともに朝廷から神領として笠原の庄を賜った。建武2年(1335年)元旦には新田義貞が戦勝祈願に参拝し楠木正成の鈴を奉納したと伝わる。天正6年(1578年)に徳川家康が横須賀城を築いて以降は歴代城主・家臣と城下近郷の信仰を集め、災難除・子授け・安産・縁結びの守り神として崇敬されてきた。御祭神は家津美御子神・伊邪那美神・事解男神。本殿は静岡県指定文化財。

所在地
静岡県掛川市西大渕5631番地の1
御祭神
家津美御子神、伊邪那美神
系統
熊野
滋賀県開運

安閑神社

あんかんじんじゃ

滋賀県高島市安曇川町三尾里に鎮座し、安閑天皇を祀る。創祀の年月は不詳だが、社伝によれば文禄年間(1592〜1596)には現在の社地から北へ約20間の場所に権現堂という小さな祠があったという。文化元年(1804)に弥惣兵衛が夢のお告げを受けて小堂を再建し、明治6年(1873)に現在の社殿が建てられた。本殿は一間社流造で覆屋を備え、間口四尺三寸・奥行三尺三寸。祭礼日は4月22日である。境内には高さ約1m・幅約1.4mの碑が立ち、表面に絵とも文字とも判別しにくい陰刻があることから、俗に「神代文字」の碑と伝えられている。旧産所村(現在の安曇川町田中馬場地区)にあった三尾神社に伝わった『秀真伝(ホツマツタヱ)』の記号文字に似た点があるとも言われ、地域の歴史をめぐる伝承として語り継がれている。

所在地
滋賀県高島市安曇川町三尾里
御祭神
安閑天皇
沖縄県開運厄除け

天久宮

あめくぐう

那覇市泊に鎮座する琉球八社の一社。『琉球神道記』(1608)に「天久権現」、『琉球国由来記』(1713)に「天久山熊野三社大権現」、『琉球国旧記』(1731)に「天久山三社」、『球陽』(1745)に「天久山権現」「天久宮」と記されるなど、古記録に繰り返しその名がみえる。創建は成化年間(1465〜1487)と伝えられる。縁起では、銘苅村の翁子が天久野で気高い女人と法師に出会い、女人が中腹の洞窟のあたりで消えるのを見て王に奏上したところ、国王が臣下に命じて洞窟へ香を供えさせると自然に火がついたため社殿を造営したという。のちに「我は熊野権現なり。女人は国家の守護神・弁財天である」との神託があったと伝わる。御祭神は伊弉冉尊・速玉男尊・事解男尊。昭和19年(1944)の空襲で社殿を焼失し、戦後は御嶽形式で祀られたが、昭和47年に本殿を建立、本土復帰と同じ5月15日に宗教法人となった。

所在地
沖縄県那覇市泊3丁目19-3
御祭神
伊弉冉尊、速玉男尊
系統
熊野
岡山県開運

安仁神社

あにじんじゃ

岡山市東区西大寺一宮の宮城山(別名・鶴山)に鎮座する古社で、旧備前国の一宮とされる。創立年月は不詳だが、『続日本後紀』承和8年(841)2月8日の条に「安仁神、名神に預る」とあるのが初見で、『延喜式神名帳』には備前国の名神大社として載る。古くは「兄神社」または「久方宮」とも称したと伝えられ、社名の「安仁」は初代神武天皇の「兄」を仮名書きしたことに由来するという。御祭神は神武天皇の兄にあたる五瀬命・稲氷命・御毛沼命。元宮は標高80mほどの山頂にあり、その後、備前藩主池田家の祈願所として現在地に鎮座した。明治4年に国幣中社に列せられ勅使の参向を受けている。かつては鶴山の麓まで海が入り込む良港で、後方の山には磐座や列石が残り、神武東征の船の艫綱を掛けたと伝える綱掛石神社もある。

所在地
岡山県岡山市東区西大寺一宮895
御祭神
五瀬命
滋賀県開運

油日神社

あぶらひじんじゃ

滋賀県甲賀市甲賀町、南鈴鹿の霊峰・油日岳の麓に鎮座し、明治時代までは「油日大明神」と称した。『日本三代実録』には元慶元年(877)に「油日神」が従五位下を授かったと記されており、それ以前から存在した古社であることが分かる。古くは油日岳を神体山とし、山頂には今も岳神社が祀られる。中世には一帯に成長した武士の崇敬を集め、本殿造営の奉加を記した明応4年(1495)の「油日御造宮御奉加之人数」には、杣谷を中心に190にのぼる武士や寺庵からの寄進がみえる。戦国期には上甲賀の武士が結んだ同名中・郡中惣の拠り所となったことから「甲賀の総社」と呼ばれ、境内は「甲賀郡中惣遺跡群」の一つとして国の史跡に指定されている。本殿(明応2年)、拝殿(天正年間)、楼門および東西回廊(永禄9年)は国の重要文化財で、室町時代の社殿がまとまって現存する。

所在地
滋賀県甲賀市甲賀町油日1042
御祭神
油日大神
大阪府開運

阿部野神社

あべのじんじゃ

大阪市阿倍野区北畠に鎮座し、南北朝時代に南朝方として各地を転戦した北畠顕家と、その父・北畠親房を祀る。社地は顕家が戦った古戦場にあたり、近くの北畠公園には顕家の墓と伝えられる場所がある。この古戦場と墓所の由縁により明治18年(1885)に創建され、鎮座に際して、南朝の中心人物として活躍した父・親房も併せて祀られた。夏祭の本宮祭にあたる7月22日には、北畠公園の顕家墓所まで渡御式が斎行され、あわせて夏を無事に乗りきることを祈る夏越祓の儀式も行われる。

所在地
大阪府大阪市阿倍野区北畠3丁目7-20
御祭神
北畠親房、北畠顕家
大阪府開運

少彦名神社

すくなひこなじんじゃ

大阪・道修町は豊臣期の頃から薬種取引の場として薬種業者が集まる町だった。薬は人命に関わるうえ品質の見極めが難しいことから、神の加護を得て職務を正しく果たそうと、安永9年(1780)に京都の五條天神から少彦名命を仲間の寄合所へ迎え、以前から祀っていた中国医薬の祖神・炎帝神農と併せて祀ったのが始まりとされる。以来「神農さん」の愛称で親しまれ、日本医薬総鎮守として病気平癒・健康成就の信仰を集めてきた。文政5年(1822)に大坂でコレラが流行した際、薬種仲間が虎の頭骨などの和漢薬を配合した丸薬「虎頭殺鬼雄黄圓」を作り、病名と薬に「虎」の字が当てられていたことから張り子の虎の守りとともに施与した。これが家内安全・無病息災を願う当社独自の授与品として全国へ広まった。

所在地
大阪府大阪市中央区道修町2丁目1-8
御祭神
少彦名命、神農炎帝
宮崎県開運家内安全

天岩戸神社

あまのいわとじんじゃ

宮崎県高千穂町岩戸に鎮座し、天照皇大神が弟・素盞鳴尊を避けてこもったと『古事記』『日本書紀』が伝える天岩戸そのものを御神体として祀る。岩戸川の渓谷を挟んで西本宮と東本宮が向かい合い、西本宮は大日霎尊(天照皇大神の別称)を、東本宮は天照皇大神を祀る。西本宮の社殿背後の断崖中腹に御窟があり、古くからその神域を御神体として拝してきた。東本宮に伝わる昌泰年間の記録には、天照皇大神が岩戸から出た際、思兼神がその手を取って当地に造営した社殿へ鎮まるよう願ったと記される。弘仁の頃には三田井氏の遠祖・大神大太惟基が荒廃した社殿を再興したと伝わる。約500m上流には八百萬神が集って相談したという天安河原があり、間口40m・奥行30mの大洞窟「仰慕窟」に願をかける信仰が全国に広がっている。

所在地
宮崎県西臼杵郡高千穂町大字岩戸1073-1
御祭神
(西本宮)大日孁尊、(東本宮)天照皇大神
系統
伊勢・神明
京都府開運

山国神社

やまぐにじんじゃ

京都市北部の京北地域、旧山国郷に鎮座する延喜式内社です。社伝では光仁天皇の宝亀年間(770〜780)の鎮座と伝えられ、延暦13年(794)の平安遷都にあたって大内裏造営の用材がこの郷から徴されたため一帯が御杣料地と定められ、修理職の官人が本殿を造営し、和気清麻呂が祭主を務めたといいます。以後、大嘗祭の悠紀殿・主基殿の用材を調える役も担いました。長和5年(1016)には三条天皇から正一位を賜り、御祈願所として菊花の紋章を許されたと伝わります。源平の争乱や元弘の乱でたびたび社殿を失いましたが、細川頼之の執奏により応永6年(1399)に復旧し、このとき足利義満が奉納した丸に二つ引きが以後の神紋となりました。慶長元年(1596)に後陽成天皇によって再建され、明治6年(1873)に郷社、明治33年(1900)に府社へ列格。幕末に官軍として東征した山国隊ゆかりの社としても知られます。

所在地
京都府京都市右京区京北鳥居町宮ノ元1番地
御祭神
大己貴命、大国主命
系統
出雲
滋賀県開運

山津照神社

やまつてるじんじゃ

滋賀県米原市能登瀬、天野川中流域の丘陵上に鎮座する式内社で、『延喜式神名帳』に近江国坂田郡の小社として名を連ねます。社伝では奈良時代、この地を本拠とした豪族・息長氏が祖神を祀ったことに始まるとされ、天平神護2年(766年)に近江の地6戸が神封として寄せられたと記録されます。祭神は国常立尊。仁寿元年(851年)に正六位、貞観8年(866年)に正四位下の神階を受け、寛平9年(897年)には金勝寺の鎮守として年分度者が認められました。暦応2年(1339年)には朝廷の祈願により社殿が修造され、文和3年(1354年)にも勅願があるなど、朝野の崇敬を集めて社領の寄進もたびたび行われました。中世は「青木の宮」と称しましたが明治に旧社号へ復し、明治14年に郷社、大正10年に県社へ列格しました。明治15年の参道拡張工事の際には境内から全長約46mの前方後円墳(山津照神社古墳)が見つかり、金銅製冠や銅鏡、馬具などが出土しました。現在も近郷20か村の氏神として崇敬されています。

所在地
滋賀県米原市能登瀬390
御祭神
国常立尊
愛知県開運

山神神社

やまがみじんじゃ

東郷町の西端、白土地区に鎮座する社で、氏子区域が東郷町白土と名古屋市緑区神の倉にまたがる珍しい神社です。兼務する富士浅間神社の由緒では「奉勧請山神一社」と記された文化4年の棟札から江戸時代後期の勧請と伝えられ、『東郷村誌』などにもとづく記録では寛政11年(1799)4月に傍示本村白土の元山へ勧請したとされます。棟札には元山を「山ノ神」と敬い、その下の磨砂を採ることを禁じる旨が記されており、白土という地名の由来ともなった磨砂の産出とともに集落が発展してきた歴史がうかがえます。祭神は大山咋神。勧請当時の氏子はわずか8戸で、祭礼の日には山仕事を休んで神前に集い一日を過ごす「山の子遊び」が行われていたと伝わります。境内には津島神社・秋葉神社のほか、地元出身の戦没者を祀る白土神社が鎮座しています。

所在地
愛知県愛知郡東郷町春木白土1番地
御祭神
大山咋神
大分県開運

弥栄神社

やさかじんじゃ

大分市の上野丘に鎮座する旧県社。社伝では宝亀2年(771年)、豊後国府にほど近い岩屋寺の境内に祀られたのが起こりとされる。鎌倉時代には豊後を治めた大友氏の初代・能直が国中の疫病退散を願って京都の祇園社を勧請したと伝わり、以後は大友氏の厚い崇敬を受けた。天正14年(1586年)の島津軍による府内侵攻で社殿を焼失したが、元和4年(1618年)に府内藩主・竹中重義が現在地へ移して再建している。江戸期を通じて祇園社(祇園宮)と呼ばれ、明治の神仏分離を経て弥栄神社と改称。明治6年(1873年)に郷社、大正5年(1916年)に県社へ列した。寛永年間の建立と伝わる楼門が今も残る。

所在地
大分県大分市上野丘738
御祭神
素盞嗚尊、大己貴命
系統
出雲

開運神社を都道府県から探す

47都道府県から、開運に関連する神社を地域別に探せます。

開運とは

開運は、運気の上昇・人生の転機の後押し・全体的な流れの好転を願う総合的なご利益。特定の悩みというより「人生の流れを良い方向に変えたい」「新しい扉を開きたい」という時に祈ります。年初の初詣で多くの人が「今年も良い年になりますように」と祈るのも、広い意味での開運祈願です。

開運信仰の本質——「運を開く」とは

神道では「運(うん)」は天が定め、人が誠実に行動することで活かされるものとされます。「開運」とは棚から牡丹餅のように幸運が降ってくることではなく、「自分の行動と祈りの一致によって、定められた良い運を引き出す」ことを意味します。七福神信仰・初詣・方位学など、開運に関わる日本文化はこの考え方を基盤にしています。

開運祈願の代表的な神社

全国格式最高位: 伊勢神宮(皇大神宮・天照大御神)、出雲大社(大国主命) 東日本: 明治神宮(東京)、三峯神社(埼玉)、鶴岡八幡宮(鎌倉) 西日本: 住吉大社(大阪)、春日大社(奈良)、太宰府天満宮(福岡)

開運グッズの意味と種類

熊手(商売繁盛・開運): 福をかき込む道具として西日本中心に広まる 破魔矢(厄除け・開運): 年末年始に授与される魔除けの矢 絵馬: 祈りを書いて奉納する馬の形の板。全国で最もポピュラーな祈願ツール 七福神巡り: 正月に7社を巡り7神のご利益を集める開運の巡礼

参拝のポイント

年初の初詣(1月1〜3日)が最も活発ですが、誕生日・厄年明け・人生の転機(転職・結婚・新居)でも開運祈願は一般的です。初穂料は5,000〜10,000円。 七福神巡りは正月三が日〜1月15日の間に行うのが伝統。熊手は毎年大きくするのが縁起が良いとされます。開運守・破魔矢は年末年始に新調し、古いものはお焚き上げへ。お守りや開運グッズは「感謝して大切に扱うこと」が最大の作法です。

よくある質問

開運と他のご利益(縁結び・金運)は何が違いますか?

開運は「人生全体の運気の底上げ・方向転換」という包括的なご利益。縁結び・金運は開運の中の特定分野です。「まず何を祈るかわからない」「漠然と人生を好転させたい」という場合に開運が向いています。

開運祈願はどのくらいの頻度で行うべきですか?

年1回(初詣)が基本。誕生日・厄年・節目の時に追加で祈る人もいます。「何度も催促する」より「感謝・報告・新しい祈り」のサイクルが神道の基本作法です。

七福神巡りは1日で全部回らないといけませんか?

1日で回る必要はありません。正月三が日〜松の内(1月15日)までに巡るのが伝統ですが、1ヶ所ずつ別の日に参拝する人も多くいます。焦らずゆっくり巡る方が各神社を丁寧に参拝できます。

開運グッズ(熊手・破魔矢)はどこに飾るのが良いですか?

熊手はお店・リビングの高い場所(南東向き・入口付近)に。破魔矢は神棚、またはリビングの高い位置に東・南向きに。お守りは財布・バッグなど常に携帯できる場所に。大切に扱い、定期的に埃を払うのが礼儀です。

悪いことが続いている時はどの神社に行けばいいですか?

地元の氏神様(一番身近な神社)への参拝が基本です。「最近悪いことが続いています、お守りください」という素直な報告と祈りが最初の一歩。気になるなら厄除け・方除けも合わせて祈るのが伝統的です。

大晦日と元旦どちらに参拝するのが開運に良いですか?

大晦日の深夜参拝(年越し参拝・除夜詣)は「古い年を感謝して送り、新しい年を迎える」意味があり、元旦の初詣は「新しい年の祈りを最初に捧げる」意味があります。どちらも正式な参拝で、どちらが「より開運」という優劣はありません。

引っ越し・転職などの転機に開運参拝は効果がありますか?

転機は「運を開くチャンス」と神道では考えます。引っ越し・転職・起業・結婚など新しいスタートの前に参拝し、「新しい道でのご加護を」と祈ることは、気持ちを整える意味でも開運の作法として有効です。