ご利益

開運の神社

開運のご利益で探せる神社を821件掲載。代表的な神社は屋島神社です。

開運で知られる御祭神

開運で有名な神社

開運の神社一覧

821件中101-120件を表示しています。

東京都勝負運開運

鷲神社

おおとりじんじゃ

社伝によれば、天照大御神が天岩戸にこもられた折、天宇受売命が岩戸の前で舞った際に弦という楽器を司った神があり、天手力男命が岩戸を開いたとき、その弦の先に鷲がとまった。神々はこれを世を明るくする瑞兆と喜び、以来この神は鷲の一字を冠して鷲大明神、天日鷲命と称されるようになったという。天日鷲命は諸国の土地を開き、開運・殖産・商売繁昌に霊験の高い神としてこの地に祀られた。のちに日本武尊が東征の途上で戦勝を祈願し、志を遂げた帰りに社前の松へ武具の熊手を掛けて勝ち戦を祝った。その日が11月の酉の日であったことから例祭日と定められ、これが酉の市の起源とされる。この故事により日本武尊も祭神の一柱に加えられた。江戸時代は鷲大明神社と称し、宝暦・明和年間にはすでに酉の祭が相当な賑わいを見せていた。

所在地
東京都台東区千束三丁目18番7号
御祭神
天日鷲命、日本武尊
系統
熱田
宮城県開運

山神社

やまのかみしゃ

崇徳天皇の永治元年(1141年)、摂津国の住人で現在の宮司家の祖にあたる小山田清寧が勧請したと伝えられる。元亀2年(1571年)、その子孫が御神体を奉じて平泉へ向かう途中に小牛田で宿を取ったところ、御神体を持つ者が動けなくなり、この地に鎮まることを望んでいると考えて住み着いたという口伝が残る。天正3年(1575年)に祠を建てて御神体を鎮め、寛文2年(1662年)には仙台藩が小牛田駅を開くのに合わせて間口9間・奥行4間の社殿を造営し遷座した。1700年代には男性中心の山神代参講と女性中心の山神代参婦人講が結ばれ、安産・子授けの神として東北一円から北海道まで信仰が広がった。明治41年の大火で全焼した後、大正6年(1917年)に現在の斎の台へ遷座している。

所在地
宮城県遠田郡美里町牛飼字斎ノ台37
御祭神
木花佐久夜比賣命
三重県開運

宇流富志禰神社

うるふしねじんじゃ

名張の地の氏神として信仰されてきた延喜式内社で、伊賀二十五社の一社に数えられる。主祭神の宇奈根命は水と穀物の神で、御神体である赤岩が名張川のうねりのそばにあることから「うねる」が転じて宇奈根になったと伝えられ、社名も「潤うふし水」に由来するという。『日本三代実録』には貞観15年(873年)に宇奈根神が従五位上を授けられた記事が見える。天正8年(1580年)の天正伊賀の乱で社殿・宝物・古文書をことごとく焼失したが、境内には元久2年(1205年)銘の石燈籠が残り、元和2年の棟札からこの年に再建されたとみられる。のちに伊賀領主筒井定次の重臣松倉勝重、次いで藤堂高吉から神領の寄進を受け、明治14年11月に県社に列した。藤堂家から譲り受けた能面45面は三重県の文化財に指定されている。

所在地
三重県名張市平尾3319
御祭神
宇奈根命
京都府開運

梅宮大社

うめのみやたいしゃ

橘諸兄の母である橘三千代が、酒解神と酒解子神を祀って酒造の安全と子孫の繁栄を祈願したのが始まりと伝えられ、創建は奈良時代の750年頃とされる。当初は南山城の井手のあたりに鎮座していたが、嵯峨天皇の皇后である檀林皇后(橘嘉智子)が現在の梅津の地へ遷したという。皇后がこの社に祈って皇子を授かったと伝わることから授子・安産の神として信仰を集め、境内の「またげ石」は子授けの石として今も知られる。酒解神を祀ることから醸造の守護神としても崇敬され、4月中酉日の献酒報告祭(中酉祭)、11月上卯日の醸造安全繁栄祈願祭(上卯祭)が営まれる。ほかにも嵯峨天皇祭・檀林皇后祭・橘清友公祭など、橘氏ゆかりの人々を偲ぶ祭典が受け継がれている。

所在地
京都府京都市右京区梅津フケノ川町30
御祭神
酒解神、酒解子神
奈良県勝負運厄除け

津島神社

つしまじんじゃ

神仏分離以前は祇園社と称し、旧田原本村の産土神として祀られてきた。明治中期に書写された天治2年(1125年)の棟札に「建立」の文字があったとされ、平安時代後期にはすでに鎮座していたと考えられている。江戸時代には田原本の領主平野家の崇敬を受け、毎年米1石5斗の寄進を受けていた。明治2年(1869年)、平野家の本貫地である尾張国津島の津島社も牛頭天王を祭神とすることから、社名を津島神社と改めた。祭神は素戔鳴命・櫛名田姫命・誉田別命・天児屋根命で、本来は牛頭天王を祭神とする産土神であったとみられる。現在も夏には盛大な祇園祭が営まれ、地元では今も「祇園さん」の愛称で親しまれている。

所在地
奈良県磯城郡田原本町549
御祭神
素戔鳴命、櫛名田姫命
系統
八幡
三重県交通安全開運

都波岐神社・奈加等神社

つばきじんじゃ なかとじんじゃ

伊勢国一之宮とされる都波岐神社と、同じく延喜式内社である奈加等神社を合わせ祀る神社。創立は雄略天皇の御代(5世紀後半)と伝えられる古社で、みちひらきの神とされる猿田彦大神を都波岐神社の祭神、天椹野命と中筒之男命を奈加等神社の祭神として、現在は一つの社殿に相殿の形で祀っている。本殿には平安時代に弘法大師が奉納したと伝わる獅子頭二体を御神体として納め、古くから中戸流獅子舞が受け継がれてきた。同じ鈴鹿市内の椿大神社とともに伊勢国一の宮を称し、全国から一の宮巡拝の参拝者が訪れる。2021年からは手水舎を季節の花で飾る花手水を始め、獅子頭と花をあしらった季節の御朱印を月替わりで頒布している。

所在地
三重県鈴鹿市一ノ宮町1181
御祭神
都波岐神社:猿田彦大神、奈加等神社:天椹野命
系統
住吉
愛知県開運

豊国神社

とよくにじんじゃ

豊臣秀吉の生誕地である尾張中村(現在の名古屋市中村区)に鎮座する。公式の由緒によれば、秀吉生誕地の荒廃を嘆いた時の県令・国定廉平の発令を受け、明治18年(1885年)に地元の有志らによって創建された。御祭神は豊臣秀吉公で、摂社には加藤清正公を祀る。貧しい農民の子から天下人「太閤」となった秀吉にあやかり、出世・開運の神として地元中村をはじめ全国から参拝者が訪れる。明治34年には創建を計画した有志らが境内地周辺の土地を愛知県へ寄付し、県主導で市内最古の公園である中村公園が整備された。参道に建つ中村の大鳥居は、中村区の名古屋市編入を記念して昭和4年に竣工した鉄筋コンクリート造で、全長約24.5メートル、柱の直径2.5メートルと、完成当時は日本一の大きさを誇った。

所在地
愛知県名古屋市中村区中村町字木下屋敷
御祭神
豊臣秀吉公
大阪府開運

泉穴師神社

いずみあなしじんじゃ

大阪府泉大津市の「穴師の里」に鎮座する式内社で、和泉五社の一社、和泉国の二ノ宮として広く崇敬を集めてきた。公式の由緒によれば御鎮座は天武天皇の白鳳元年で、およそ1350年の歴史をもつ。主祭神は農業の神・天忍穂耳尊と、紡織の神・栲幡千々姫命の夫婦二柱で、泉州の地が農耕と紡織によって栄えてきたのは両神の御神徳によるとされる。歴代天皇の崇敬が篤く、正倉院文書によれば聖武天皇が和泉国五社大明神へ社領を下賜した際、当社は大鳥神社とともに千三百石を賜った。天正3年(1575年)10月20日には織田信長から社領安堵の朱印状を受けている。古くから幼児の虫封じに霊験があるとも伝えられる。本殿は豊臣秀頼の造営によるもので、摂社の春日社・住吉社とともに国の重要文化財に指定されている。

所在地
大阪府泉大津市豊中町1丁目1-1
御祭神
天忍穂耳尊、栲幡千千姫命
滋賀県開運

石作神社・玉作神社

いしつくりじんじゃ たまつくりじんじゃ

創祀の年代は遠く、詳らかでない。石作神社の祭神・天火明命は石作連の祖神で、この地はかつて石作郷と称し、『延喜式神名帳』の近江国伊香郡46座のなかに石作神社の名が見える。玉作神社も同帳に載る古社で、玉作連の祖とされる玉祖命を祭神とする。付近の水田の中には「石作」と呼ばれる小丘が残り、古来より浄地として犯してはならないと伝えられてきた。石作部・玉作部は上代文化を地方へ伝えた人々とされ、両社がこの地に並び立つことは、伊香郡の上代文化の中心がどこにあったかを示すものだという。中世以降はたびたび戦禍に遭って社運が傾いたが、その都度再建・再興が試みられて今日に至る。明治9年に村社、明治18年に郷社、大正11年には県社へ昇格した。

所在地
滋賀県長浜市木之本町千田793
御祭神
天火明命、玉祖命
埼玉県開運商売繁盛

大杉神社

おおすぎじんじゃ

埼玉県ふじみ野市、新河岸川のほとりに鎮座する小社。ふじみ野市の文化財解説によれば、明治11年(1878年)に船の守り神として創建され、新河岸川の舟運に従事した船頭や船問屋の信仰を集めた。御祭神は大物主大神。明治18年(1885年)には、新河岸川・荒川・江戸川・利根川・鬼怒川など関東一円の船頭・船問屋およそ100人が協賛して奉納額が納められた。天狗の面を付けた木製のもので、縦100センチメートル・横215センチメートルの大きさがあり、ふじみ野市の有形民俗文化財に指定されている。奉納額は、新河岸川の舟運を支えた船頭たちの厚い信仰心を今に伝える文化財として大切に守られてきた。

所在地
埼玉県ふじみ野市福岡新田
御祭神
大物主大神
系統
三輪
静岡県開運

石室神社

いろうじんじゃ

伊豆半島最南端の石廊崎に鎮座し、断崖のくぼみを利用して社殿が建てられている。石廊権現・石廊崎権現とも呼ばれる。南伊豆町の案内によれば創立は大宝元年(701年)と伝えられ、現在の社殿は明治34年(1901年)に建てられたもの。御祭神は伊波例命で、海上の安全を守る神として船乗りや漁業関係者の信仰を集めてきた。社殿は長さ四間ほどの太い帆柱を大根太として据えた上に造られており、伊豆七不思議の一つに数えられる。これは、昔、江戸へ向かう商船が石廊崎の沖合で大波に遭った際、帆柱を捧げると誓って石廊権現に祈ったところ無事に江戸へ着いたという言い伝えにちなむもので、その帆柱は今も社殿に使われていると伝わる。

所在地
静岡県賀茂郡南伊豆町石廊崎125
御祭神
伊波例命
静岡県開運厄除け

高松神社

たかまつじんじゃ

文武天皇の勅願により、紀州熊野三社のうち新宮にあたる熊野速玉大社の分神を高松山へ勧請したのが始まりで、大宝元年(701年)9月のこととされる。社伝によれば、藤原不比等の娘・宮子が幼少より熊野三社を篤く信仰し、文武天皇の皇后となって懐妊した際に熊野へ誓願したところ、無事に皇子(のちの聖武天皇)が誕生した。これを喜んだ天皇・皇后が東国に三所の社を建てることとし、北は山続き、南は海を望むこの地を新宮の宮地と定めたのが高松神社である。西の三熊野神社(本宮)、北の小笠神社(那智)と合わせて遠州の熊野三山を成す。御祭神は伊弉冊尊・速玉男命・亊解男命。源頼朝が伊豆配流の折に当社へ祈願したという伝説も残り、以来1300年にわたり地域の氏神として信仰されてきた。

所在地
静岡県御前崎市門屋2068番地
御祭神
伊弉冊尊、速玉男命
系統
熊野
徳島県開運

忌部神社

いんべじんじゃ

阿波忌部の祖神・天日鷲命を主祭神とし、徳島市二軒屋町の眉山南東中腹に鎮座する。阿波忌部は古代の宮中祭祀を担った忌部氏に従属した集団で、大嘗祭に際して麁服(あらたえ)と呼ばれる布を献上した。麻植郡(現在の吉野川市周辺)の郡名も阿波忌部が麻を栽培したことに由来すると『古語拾遺』は伝える。忌部神社は『延喜式』神名帳に載る式内社で阿波三社の大社の一つに数えられたが、中世以降に所在が分からなくなり、複数の神社が式内忌部神社の系譜を主張して長い所在地論争が続いた。明治4年(1871年)に所在不明のまま国幣中社に列格されたことで比定が急がれ、明治7年には麻植郡山崎村の忌部神社が有力とされたが、明治14年には美馬郡西端山の五所神社と決定されるなど紛糾した。決着がつかないことから明治18年(1885年)に現在地が社地と定められ、遷座祭を経て国幣中社忌部神社が新設され、五所神社はその摂社となった。

所在地
徳島県徳島市二軒屋町2丁目48
御祭神
天日鷲命
三重県開運

伊奈冨神社

いのうじんじゃ

社伝では崇神天皇5年に神路ヶ岡へ三社が鎮祭されたことに始まると伝える古社。主祭神の保食大神は「稲生の大神」と称され、あらゆる食物、とりわけ稲の稔りを守る神として五穀豊穣・商売繁盛・家内安全・厄除開運の信仰を集めてきた。平安時代の天長年間には弘法大師が参籠して菩薩堂を建てたと伝え、貞観7年(865年)に従四位下を授けられ、『延喜式』神名帳に載る式内社となった。鎌倉時代には正一位に昇り、文永11年(1274年)には三社それぞれに勅額が下賜された。江戸時代には紀伊徳川家から造営料銀が寄進されて三社の大造営が行われている。明治6年に郷社、明治37年に県社に列した。男神坐像と扁額三面は国の重要文化財。境内は「つつじ山」とも呼ばれ、約5000株の紫つつじが群生する三重県指定名勝である。

所在地
三重県鈴鹿市稲生西2-24-20
御祭神
保食神大国道命
大阪府開運

生国魂神社

いくくにたまじんじゃ

「難波大社」「いくたまさん」と呼ばれる大阪最古級の古社。社伝では、神武天皇が東征の途上で難波碕(現在の大阪城付近にあたる石山碕)に至り、日本の国土そのものの神である生島大神・足島大神を祀って国家の安泰を祈ったことに始まるとされる。『日本書紀』孝徳天皇即位前紀には、難波宮の造営に際して「生國魂社の樹」が伐られたという記事が見え、『延喜式』神名帳には「難波坐生國咲國魂神社 二座」として名神大社に列している。中世は現在の大坂城の地に鎮座していたが、天正8年(1580年)の石山合戦の兵火で焼失。豊臣秀吉による大坂城築城にともない、社領三百石の寄進と社殿の造営を受けて天正13年(1585年)に西成郡西高津村の現在地へ遷座した。相殿に大物主大神を祀る。

所在地
大阪府大阪市天王寺区生玉町13-9
御祭神
生島大神、足島大神
奈良県開運

往馬坐伊古麻都比古神社

いこまにいますいこまつひこじんじゃ

生駒山を御神体として仰ぐ生駒谷十七郷の氏神で、通称は往馬大社。社伝では雄略天皇の御代の創祀と伝え、文献上は奈良時代の文書にみえる「往馬神」が初見とされる。祭神は伊古麻都比古命・伊古麻都比賣命をはじめとする七柱。古くから火を司る神として崇敬され、天皇一代一度の大嘗祭に際して火をおこすための火燧木を献上する習わしがあった。神域は小明から小平尾までの十七村におよぶ生駒谷一帯で、上大座・北方座・壱分座・下大座・六ツ座などの宮座によって祭祀が担われてきた。のちに八幡信仰が広まると気長足比賣命・譽田別命なども合祀された。スポーツの日の前日に行われる秋の火祭りは「勝負まつり」とも呼ばれ、松明を担いだ若者が石段を駆け下りる速さを競う行事で、奈良県の無形民俗文化財に指定されている。

所在地
奈良県生駒市壱分町1527-1
御祭神
伊古麻都比古神、伊古麻都比賣神
福岡県開運

雷神社

いかずちじんじゃ

標高955メートルの雷山の中腹に鎮座し、雷神宮とも呼ばれる。水火雷電神を主祭神とし、香椎・住吉・八幡の神々をあわせ祀る。雷山は古くから雷神の鎮まる霊山と仰がれ、かつては女性の参拝が許されなかったと伝わる。雨を司る神として広く崇敬を集め、室町幕府の時代には雨乞い祈祷の重要な祈願所とされた。足利尊氏の庶子・足利直冬が雨乞い祈願の成就を記念して奉納した歌も現存している。近代社格では県社に列し、糸島市南部の雷山一帯の氏神として信仰を集めてきた。例祭は9月16日に営まれる。

所在地
福岡県糸島市雷山148
御祭神
水火雷電神
滋賀県開運

伊香具神社

いかぐじんじゃ

古くは「伊香神」と称された式内名神大社で、伊香郡の開拓神を祀る。社伝では、この地がまだ湖水で田里の開けていなかった頃に伊香津臣命が至り、「ここに留まって永く末代を守ろう」と子孫に告げて土地を拓いたという。のち子孫の伊香宿禰豊厚が天武天皇の白鳳10年以前に社殿を創立して祖神を祀ったと伝える。『日本三代実録』には貞観年間に伊香神へ神階が授けられた記事が見え、社伝には寛平7年(895年)に菅原道真が写経を納めて勅額を賜ったとも記す。建武3年(1336年)には足利尊氏が祈祷を依頼する朱印状を寄せ、これに基づく祈祷が今も正月と9月に営まれている。社殿と宝物は賤ヶ岳の戦いの兵火で焼失し、現在の本殿・拝殿は正徳年間の再建。明治8年に郷社、明治32年に県社へ昇格した。

所在地
滋賀県長浜市木之本町大音688
御祭神
伊香津臣命
静岡県開運

井伊谷宮

いいのやぐう

明治5年(1872年)、明治天皇の思し召しにより創建され、翌年に官幣中社に列した神社。祭神の宗良親王は後醍醐天皇の第四皇子で、幼少期に出家して比叡山天台座主を務めたが、南北朝の動乱のなかで還俗し、一品中務卿征東将軍としてこの井伊谷を本拠に50年余りにわたり吉野朝(南朝)のために各地を転戦した。和歌にも秀で、『新葉和歌集』の編纂にあたったほか自撰家集『李花集』を残している。元中2年(1385年)8月10日、73歳でこの地に没したと伝えられる。昭和5年(1930年)には昭和天皇の親拝を受けた。歌才にちなむ学徳成就・合格、逆境を越えて長寿を保った事績にちなむ長寿・除災開運、道開き・交通安全の神として信仰されている。

所在地
静岡県浜松市浜名区引佐町井伊谷1991-1
御祭神
宗良親王
兵庫県開運家内安全

粒坐天照神社

いいぼにますあまてらすじんじゃ

社伝では推古天皇2年(594年)、この地の有力者・伊福部連駁田彦が神託を受けて創祀したと伝える。神託とともに稲種と水田を授かって耕したところ一粒万倍の大豊作となり、そこから一帯が「イイボ(粒・飯穂・揖保)」と呼ばれるようになったという伝承が残る。社名の「粒坐」は「粒(揖保の郡)に坐す」の意で、揖保の地名の語源ともされる。主祭神は天照国照彦火明神で、稲穂が熟して赤らむ「穂明かり」に由来する稲作・五穀豊穣の神として信仰されてきた。『延喜式』神名帳に載る名神大社にして朝廷の崇敬も厚く、近代社格では県社に列した。伊和神社・海神社とともに播磨三大社と称される。明治12年(1879年)に神仏分離を受けて現在の社号に復し、龍野の町を見下ろす日山(白鷺山)に鎮座している。

所在地
兵庫県たつの市龍野町日山449-1
御祭神
天照国照彦火明神
系統
伊勢・神明

開運神社を都道府県から探す

47都道府県から、開運に関連する神社を地域別に探せます。

開運とは

開運は、運気の上昇・人生の転機の後押し・全体的な流れの好転を願う総合的なご利益。特定の悩みというより「人生の流れを良い方向に変えたい」「新しい扉を開きたい」という時に祈ります。年初の初詣で多くの人が「今年も良い年になりますように」と祈るのも、広い意味での開運祈願です。

開運信仰の本質——「運を開く」とは

神道では「運(うん)」は天が定め、人が誠実に行動することで活かされるものとされます。「開運」とは棚から牡丹餅のように幸運が降ってくることではなく、「自分の行動と祈りの一致によって、定められた良い運を引き出す」ことを意味します。七福神信仰・初詣・方位学など、開運に関わる日本文化はこの考え方を基盤にしています。

開運祈願の代表的な神社

全国格式最高位: 伊勢神宮(皇大神宮・天照大御神)、出雲大社(大国主命) 東日本: 明治神宮(東京)、三峯神社(埼玉)、鶴岡八幡宮(鎌倉) 西日本: 住吉大社(大阪)、春日大社(奈良)、太宰府天満宮(福岡)

開運グッズの意味と種類

熊手(商売繁盛・開運): 福をかき込む道具として西日本中心に広まる 破魔矢(厄除け・開運): 年末年始に授与される魔除けの矢 絵馬: 祈りを書いて奉納する馬の形の板。全国で最もポピュラーな祈願ツール 七福神巡り: 正月に7社を巡り7神のご利益を集める開運の巡礼

参拝のポイント

年初の初詣(1月1〜3日)が最も活発ですが、誕生日・厄年明け・人生の転機(転職・結婚・新居)でも開運祈願は一般的です。初穂料は5,000〜10,000円。 七福神巡りは正月三が日〜1月15日の間に行うのが伝統。熊手は毎年大きくするのが縁起が良いとされます。開運守・破魔矢は年末年始に新調し、古いものはお焚き上げへ。お守りや開運グッズは「感謝して大切に扱うこと」が最大の作法です。

よくある質問

開運と他のご利益(縁結び・金運)は何が違いますか?

開運は「人生全体の運気の底上げ・方向転換」という包括的なご利益。縁結び・金運は開運の中の特定分野です。「まず何を祈るかわからない」「漠然と人生を好転させたい」という場合に開運が向いています。

開運祈願はどのくらいの頻度で行うべきですか?

年1回(初詣)が基本。誕生日・厄年・節目の時に追加で祈る人もいます。「何度も催促する」より「感謝・報告・新しい祈り」のサイクルが神道の基本作法です。

七福神巡りは1日で全部回らないといけませんか?

1日で回る必要はありません。正月三が日〜松の内(1月15日)までに巡るのが伝統ですが、1ヶ所ずつ別の日に参拝する人も多くいます。焦らずゆっくり巡る方が各神社を丁寧に参拝できます。

開運グッズ(熊手・破魔矢)はどこに飾るのが良いですか?

熊手はお店・リビングの高い場所(南東向き・入口付近)に。破魔矢は神棚、またはリビングの高い位置に東・南向きに。お守りは財布・バッグなど常に携帯できる場所に。大切に扱い、定期的に埃を払うのが礼儀です。

悪いことが続いている時はどの神社に行けばいいですか?

地元の氏神様(一番身近な神社)への参拝が基本です。「最近悪いことが続いています、お守りください」という素直な報告と祈りが最初の一歩。気になるなら厄除け・方除けも合わせて祈るのが伝統的です。

大晦日と元旦どちらに参拝するのが開運に良いですか?

大晦日の深夜参拝(年越し参拝・除夜詣)は「古い年を感謝して送り、新しい年を迎える」意味があり、元旦の初詣は「新しい年の祈りを最初に捧げる」意味があります。どちらも正式な参拝で、どちらが「より開運」という優劣はありません。

引っ越し・転職などの転機に開運参拝は効果がありますか?

転機は「運を開くチャンス」と神道では考えます。引っ越し・転職・起業・結婚など新しいスタートの前に参拝し、「新しい道でのご加護を」と祈ることは、気持ちを整える意味でも開運の作法として有効です。