ご利益

開運の神社

開運のご利益で探せる神社を821件掲載。代表的な神社は屋島神社です。

開運で知られる御祭神

開運で有名な神社

開運の神社一覧

821件中81-100件を表示しています。

島根県縁結び開運

須佐神社

すさじんじゃ

神戸川の上流に鎮座する延喜式内社で、『出雲国風土記』にも記される古社。社伝では、須佐之男命が諸国を巡ったのち「この国は小さいけれどよい国だから、自分の名は木や石ではなくこの土地につけよう」と告げて自ら御魂を鎮め置いた霊蹟とされ、須佐の地名の由来になったと伝えられる。古くから朝廷や武将の崇敬を集め、中世から近世にかけては「須佐大宮」「出雲大宮」「十三所大明神」などと称えられ、松江藩松平家の時代には「国主守護之社」として祀られた。明治5年(1872)に郷社、翌明治6年(1873)に県社へ昇格し、明治32年(1899)には国幣小社に位置づけられ、戦後は別表神社となって現在に至る。本殿は島根県指定文化財。宮司家は代々須佐国造家が継承しており、境内には七不思議と呼ばれる伝承や、大杉と親しまれる御神木が伝わる。

所在地
島根県出雲市佐田町須佐730
御祭神
須佐之男命
系統
出雲
沖縄県開運厄除け

末吉宮

すえよしぐう

琉球八社の一社。社伝によれば、尚泰久王の時代にあたる1456年ごろ、天界寺の鶴翁和尚が熊野三所権現を勧請して祀ったのが始まりと伝えられる。主祭神は伊弉冉尊・速玉男尊・事解男尊の三柱で、ほかに土祖神・澳津彦命・澳津姫命・産土神を別鎮斎として祀っている。琉球王府から厚い保護を受け、首里の北方を守る社として崇敬された。本殿と参道の石造階段は戦前に旧国宝の指定を受けていた。現在は那覇市街を望む末吉公園の丘陵上に鎮座し、社殿へは公園内の参道をたどる。社務所は波上宮が兼務している。

所在地
沖縄県那覇市首里末吉町1-8
御祭神
伊弉冉神、速玉男尊
系統
熊野
神奈川県開運家内安全

神明社

しんめいしゃ

天禄元年(970)、伊勢の天照大御神が榛谷の峯に現れたという伝承にもとづき、平安時代中頃に創建されたと伝えられる。鎌倉時代初期の嘉禄元年(1225)には神託によって神明の下宮が造られて現在の地へ遷り、榛谷御厨八郷の総鎮守として広く崇敬を集めて隆盛した。元和5年(1619)に改めて現在地へ遷座し、江戸時代の慶安年間には朱印地4石1斗を安堵されている。明治6年(1873)に村社に列格。明治2年の社殿修営に際しては、明治天皇の御東行の折に本陣・苅部清兵衛宅へ臨時に設けられた鳳輦安置所の御用材を下賜されたと伝わる。平成10年(1998)には約380年ぶりの大造営が行われ、本社・摂末社・神楽殿など境内建物12棟が一新された。御祭神は天照大御神、摂社に豊受大御神を祀る。

所在地
神奈川県横浜市保土ケ谷区神戸町107
御祭神
天照大御神
系統
伊勢・神明
福島県開運厄除け

新宮熊野神社

しんぐうくまのじんじゃ

天喜3年(1055)、源頼義が奥州平定にあたって紀州の熊野三山を勧請したのが始まりと伝えられる古社で、熊野本宮・新宮・那智の三山の神を祀る。拝殿にあたる「長床」は平安時代の建築様式を伝える茅葺きの建物で、太い円柱44本が5列に並び、周囲に壁を持たない吹き抜けの構造が大きな特徴となっている。国の重要文化財に指定されており、会津地方における熊野信仰の中心的な存在として知られる。境内には樹齢800年ともいわれる大イチョウがそびえ、秋には見事な黄葉となる。宝物殿も併設され、地元の新宮地区重要文化財保存会によって守り伝えられている。

所在地
福島県喜多方市慶徳町新宮字熊野2258
御祭神
熊野三山(家都御子神、熊野速玉大神
系統
熊野
愛知県開運家内安全

神明宮

しんめいぐう

愛知県岡崎市大高味町字向田の山あいに鎮座し、天照大神を祀る神社。地元では大川神明宮とも呼ばれる。境内には「大川神明宮の舞台」と称される農村舞台が残されており、明治15年(1882)に建てられた入母屋造・茅葺平入で、棟に千木を載せた特徴的な外観をもつ。間口12.28m、奥行9.41m、高さ10.9mの規模で、内部には直径6.7mの回り舞台(22個の木車を用いた皿回し式)と、3.6m×1.5mの穴を使ったせり出しの仕掛けを備え、地芝居の上演設備をよく伝えている。大正11年(1922)には市川団吉一座が上演するなど、昭和30年(1955)ごろまで実際に芝居の舞台として使われた。昭和51年(1976)11月1日に愛知県指定有形民俗文化財となり、現在も神明宮が所有・管理している。

所在地
愛知県岡崎市大高味町字向田
御祭神
天照大神
系統
伊勢・神明
香川県開運家内安全

鶴尾神社

つるおじんじゃ

香川県に鎮座する春日系の神社です。御祭神は氣長足姫尊、譽田別天皇、莵道稚郎子尊。開運・家内安全のご利益で知られます。

所在地
香川県高松市西春日町字北山浦1066番地
御祭神
氣長足姫尊、譽田別天皇
系統
春日
サンマリノ開運家内安全

サンマリノ神社

さんまりのじんじゃ

サンマリノ共和国セラヴァッレのポデーレ・レジニャーノに鎮座する、ヨーロッパで初めて本格的に建立された神社。2011年の東日本大震災に心を痛めた駐日サンマリノ共和国特命全権大使マンリオ・カデロ氏の発案により建設が進められ、平成26年(2014)6月22日に東京大神宮の権宮司によって鎮座祭が斎行された。御祭神は伊勢神宮と同じ天照大御神で、世界平和と縁結びの神として祀られている。本殿は伊勢神宮と同じ神明造で、一部に伊勢神宮の古材が用いられ、日本で組まれた社殿を船で運んで現地で建て起こした。狛犬は靖国神社のものを写したレプリカで、愛知県岡崎市で製作されている。2024年には創建10年の記念式典が行われた。

所在地
サンマリノ セラヴァッレ
御祭神
天照皇大神
系統
伊勢・神明
滋賀県開運

苗村神社

なむらじんじゃ

滋賀県蒲生郡竜王町綾戸に鎮座する式内社で、延喜式神名帳の「長寸(なむら)神社」にあたる。社伝では垂仁天皇の代にこの地を開拓した祖神を祀ったのが創祀とされ、神域の東に祀られたその社を後に東本殿と呼ぶようになった。御祭神は那牟羅彦神・那牟羅姫神と國狹槌尊で、國狹槌尊は安和2年(969)に大和国吉野金峯山から神域の西へ遷座したと伝え、その社殿を西本殿と称する。西本殿は徳治3年(1308)の棟札とともに国宝に指定され、東本殿・楼門・神輿庫・八幡社本殿・十禅師社本殿などは重要文化財。社名は寛仁元年(1017)に朝廷へ門松用の松苗を献上した縁で後一條天皇から「苗村」の号を賜ったことによると伝え、天文5年(1536)には後奈良天皇から正一位を授けられた。近郷三十三か村に氏子を持つ大宮である。

千葉県開運

御獄神社

みたけじんじゃ

千葉県船橋市前原に鎮座し、素戔嗚尊を祀る。前原は成田街道沿いに開かれた近世の村で、摂津国出身の天野四郎兵衛が開墾請負人となり、延宝元年(1673)に代官伊奈忠常の検分を受けて開村した。開拓当初の暮らしは厳しく、上東野新助が江戸鍛冶橋の行者・釈仙竜を伴って大和の大峰山から蔵王権現を勧請し、前原開拓地3か村の守護神として祀ったのが当社の起こりと伝わる。明治維新の際に蔵王権現の名を改めて御嶽神社となった。御神体である木造蔵王権現三尊立像は鎌倉時代中期以前の造像とみられ、昭和33年(1958)に千葉県の有形文化財に指定されている。社殿は火災と再建を経て現在に至り、前原地区の氏神として親しまれている。

三重県縁結び開運

久留真神社

くるまじんじゃ

三重県鈴鹿市白子に鎮座し、大己貴尊を主祭神に須世理姫命と漢織姫命を配祀する。社伝では、古くは現在の白子・御殿町一帯にあたる「伊勢の森」と呼ばれる神域に大己貴尊と須世理姫尊を祀って「福徳さん」と称え、樹齢千年を超える福徳の松がそびえていたという。雄略天皇の代に渡来した漢織(あやはとり)らが伊勢の人々に紡績や衣縫の技術を伝えた功績を称え、漢織姫命を福徳の女神として合祀したと伝える。延長5年(927)に集大成された延喜式の神名帳に載る式内社で、寛永11年(1634)3月には御殿と代官所の設立用地として伊勢の森の境内を上地し、現在地へ遷座した。その際に2代目・3代目の福徳の松が植えられている。昭和18年(1943)4月に村社から県社となった。

所在地
三重県鈴鹿市白子1-15-15
御祭神
大己貴尊
系統
出雲
長野県縁結び開運

黒沢御嶽神社

くろさわおんたけじんじゃ

木曽御嶽山の黒沢口に鎮座し、山麓の里宮と若宮を総称して御嶽神社と呼ぶ。里宮は少彦名命、若宮は大己貴命を祀り、旧黒沢村の時代からこの地の産土神として信仰されてきた。里宮は御嶽街道でもあった109段の石段を登ったところにあり、若宮には永禄8年(1565)に木曽義昌が家臣とともに奉納した三十六歌仙板絵が伝わって、木曽谷では最も古い絵馬とされる。御嶽山は古くから修験の霊山として登拝が行われていたが、天明4年(1784)に尾張の行者・覚明が黒沢口を一般に開いたことで、御嶽信仰は木曽周辺から全国へと広がった。江戸後期の享和3年(1803)までに黒沢へ伝えられたとみられる太々神楽は、神職と保存会員によって今も受け継がれている。

所在地
長野県木曽郡木曽町三岳3793(里宮)
御祭神
大己貴命、少彦名命
系統
出雲
和歌山県開運厄除け

熊野三山

くまのさんざん

熊野三山は、和歌山県南部に鎮座する熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社の三社の総称で、単独の神社ではない。紀伊半島南部は古来「熊野」と総称される聖域とされ、熊野川の中洲にあった本宮は川を神格化したものとして家津御子大神を、河口近くの新宮(速玉大社)は熊野速玉大神を、大滝の聖水がもつ生産力への信仰を根源とする那智は熊野夫須美(産霊)大神を、それぞれ主神として祀る。平安後期には神仏習合により三社の神々にも本地仏があてられ、熊野三所(十二所)権現と呼ばれた。三社が互いに三所(十二所)権現を祀り合うことで一体の霊場「熊野三山」となり、「日本第一大霊験所」を称して現世と来世の救いを願う人々の崇敬を集めた。院政期には百度に及ぶ上皇の熊野御幸として信仰が花開き、鎌倉時代以降は庶民にも広まって「蟻の熊野詣」と形容された。

系統
熊野
京都府開運家内安全

皇大神社

こうたいじんじゃ

京都府福知山市大江町内宮に鎮座し、天照大神を祀る。三重県の伊勢神宮より54年前に、大和地方から天照大神の御神体をこの地へ遷し、4年間お祀りした場所と伝えられることから「元伊勢内宮皇大神社」と呼ばれる。全国的にも珍しい黒木の鳥居をもち、静かな森の中に茅葺・神明造の本殿が鎮座する。本殿を中心に、樹齢2000年とされる御神木「龍燈の杉」や、2社の脇宮と83の小宮が前後左右を囲んでいる。近隣の豊受大神社(元伊勢外宮)、天岩戸神社とあわせて「元伊勢三社」と総称される。

所在地
京都府福知山市大江町内宮字宮山217
御祭神
天照大神
系統
伊勢・神明
神奈川県開運家内安全

皇大神宮

こうたいじんぐう

神奈川県藤沢市鵠沼神明に鎮座し、天照皇大神を主祭神に、相殿として天手力男命・天太玉命・天児屋根命・天宇受売命・石凝刀売命を祀る。淳和天皇の天長9年(832年)に社殿を造立した記録が残り、勧請の時期はさらに遡ると考えられている。延喜式が撰進された醍醐天皇の頃には、藤沢・西富・大鋸・鵠沼・辻堂などを含む相模国土甘郷の総社とされ、「相模国土甘郷総社神明宮」と称された。長治元年(1104年)に鎌倉権五郎景政が所領の大庭荘を伊勢神宮へ寄進して大庭御厨が成立すると、その広大な神領の総鎮守と定められ、いっそう篤い崇敬を受けた。寿永3年(1184年)には那須与一宗高が屋島で扇の的を射た弓と残りの矢を奉納したと伝わる。社殿は天喜3年(1055年)・元亨2年(1322年)・天正13年(1585年)・昭和60年と造営を重ねている。

所在地
神奈川県藤沢市鵠沼神明2-11-5
御祭神
天照皇大神、他5柱
系統
伊勢・神明
福島県開運

子鍬倉神社

こくわくらじんじゃ

福島県いわき市平の中心部、揚土に鎮座する。延喜式神名帳に載る磐城七社の一つとされるが、中世のうちに社は絶えた。江戸時代に磐城平藩主・内藤義概が調査を行い、桜町に稲荷の小社が残り付近から勾玉が出土した伝えがあることから、そこを当社の古跡と同定。復興にあたって現在の揚土の地に社殿が造営された。御祭神は稲倉魂命(倉稲魂命)で、「子鍬倉」という社名は子・鍬・倉すなわち衣食住を表すとされる。境内のヒイラギは樹高7.2m・幹周1.6mで、昭和55年(1980年)9月1日にいわき市の天然記念物に指定されている。地元では「県社」の愛称で親しまれている。

所在地
福島県いわき市平字揚土30
御祭神
稲倉魂命
秋田県開運

金峰神社

きんぽうじんじゃ

秋田県にかほ市象潟町小滝、鳥海山の麓を流れる奈曽川沿いに鎮座し、古くは蔵王権現と称された。秋田県神社庁の紹介によれば草創は白鳳9年と伝えられ、諸国に疫病が流行した折、役小角が勅を奉じて悪疫退散のため各地を巡り、この地の滝を霊地と見て大和国吉野から蔵王権現を勧請し、堂宇を建立したという。合殿の鳥海神社は上古「立木観音」と称され、斉衡3年(856年)に慈覚大師が鳥海山に住む悪鬼を鎮めた際、一丈六尺の立木観音を自ら刻んで蔵王権現に安置し、あわせて陵王・納曽利の面と獅子頭を作って舞楽を奉納したと伝わる。この舞楽が今日まで伝えられている延年チョウクライロ舞の起こりとされる。

所在地
秋田県にかほ市象潟町小滝字奈曽沢1
御祭神
少彦名神ほか8柱
熊本県開運

健軍神社

けんぐんじんじゃ

熊本市東区健軍本町に鎮座し、熊本市内で最も古い神社とされる。古くは「たけみや」と呼ばれ、のちに「けんぐん」と読まれるようになった。阿蘇神社を中心とする阿蘇四社の一つに数えられ、健軍大神・健磐龍命を祀る。市電通りに立つ大鳥居から社殿まではおよそ1200mにわたって「八丁馬場」と呼ばれる長い参道が続き、その並木には加藤清正の頃に植えられたと伝えられる杉並木の一部が今も残る。明治10年(1877年)2月22日には、西南戦争で薩軍を救援するために結成された熊本隊がこの地で挙兵しており、近代史の舞台ともなった。

所在地
熊本県熊本市東区健軍本町13-1
御祭神
健軍大神、健磐龍命
福井県開運

金崎宮

かねがさきぐう

南北朝時代の延元元年(1336年)、後醍醐天皇の皇子である尊良親王と恒良親王は新田義貞らとともに敦賀へ逃れ金ケ崎城に拠ったが、足利軍の攻撃を受けて落城した。尊良親王は城とともに落命し、恒良親王は捕らえられて延元3年(1338年)に15歳で毒殺されたと伝えられる。明治に入り、敦賀の人々の熱心な請願によって明治23年9月に尊良親王を祭神とする金崎宮の創建が認められ、官幣中社に列した。明治25年11月には恒良親王を合祀し、同26年5月5日に勅使参向のもとで鎮座祭を執り行い、以後5月6日を例祭日と定めている。明治36年3月の町内からの出火で本殿以下三棟を焼失したが、同39年に現在地へ移して再建され、建築様式も流造から神明造に改められた。境内の大部分は国の史跡に指定された金ケ崎城跡にあたる。

所在地
福井県敦賀市金ヶ崎町1-4
御祭神
恒良親王、尊良親王
香川県開運

神谷神社

かんだにじんじゃ

五色台の一峰である白峰山の麓、「神谷」と呼ばれる谷あいに鎮座する古社。火結命・奥津彦命・奥津姫命を主祭神とし、春日四神を相殿に祀る。弘仁3年(812年)に空海の叔父にあたる阿刀大足が勧請あるいは再興したと伝えられるが、詳しいことは分かっていない。社名は平安時代の『延喜式』神名帳に讃岐国阿野郡の一社として記され、『日本三代実録』にも神階を授けられた記事が見える。本殿は化粧棟木下端の墨書によって建保7年(1219年)の建立と明らかで、建築年代がはっきりした三間社流造としては現存最古の例とされ、昭和30年に国宝に指定された。檜皮葺の屋根、ヤリガンナ仕上げの丸柱、面取りの向拝角柱などに鎌倉時代の建築様式がよく表れている。ほかに重要文化財の木造随身立像二体などを伝える。

徳島県開運

上一宮大粟神社

かみいちのみやおおあわじんじゃ

創建年代は不詳だが、古くからさまざまな社号で呼ばれてきた古社で、現在も14枚の棟札が伝わる。祭神の大宜都比売命は五穀をつかさどる神で、伊勢国丹生の郷から阿波国に渡って国土を経営し、この地一帯に粟を蒔き広めたと伝えられる。「大粟」という社名も、鎮座地である神山町神領という地名も、この粟作の伝承に結びついている。神社は大粟山に鎮座し、道の駅「温泉の里神山」からもごく近い。秋祭りでは神輿とだんじりが繰り出し、初日に神山温泉に隣接する八幡神社まで渡御して、翌日に八幡神社を発って地区を巡り大粟神社へ帰る。これは大宜都比売命が八幡神社の彦火火出見神に会いに行くという言い伝えにちなむ神事とされている。

所在地
徳島県名西郡神山町神領字西上角330
御祭神
大宜都比売命

開運神社を都道府県から探す

47都道府県から、開運に関連する神社を地域別に探せます。

開運とは

開運は、運気の上昇・人生の転機の後押し・全体的な流れの好転を願う総合的なご利益。特定の悩みというより「人生の流れを良い方向に変えたい」「新しい扉を開きたい」という時に祈ります。年初の初詣で多くの人が「今年も良い年になりますように」と祈るのも、広い意味での開運祈願です。

開運信仰の本質——「運を開く」とは

神道では「運(うん)」は天が定め、人が誠実に行動することで活かされるものとされます。「開運」とは棚から牡丹餅のように幸運が降ってくることではなく、「自分の行動と祈りの一致によって、定められた良い運を引き出す」ことを意味します。七福神信仰・初詣・方位学など、開運に関わる日本文化はこの考え方を基盤にしています。

開運祈願の代表的な神社

全国格式最高位: 伊勢神宮(皇大神宮・天照大御神)、出雲大社(大国主命) 東日本: 明治神宮(東京)、三峯神社(埼玉)、鶴岡八幡宮(鎌倉) 西日本: 住吉大社(大阪)、春日大社(奈良)、太宰府天満宮(福岡)

開運グッズの意味と種類

熊手(商売繁盛・開運): 福をかき込む道具として西日本中心に広まる 破魔矢(厄除け・開運): 年末年始に授与される魔除けの矢 絵馬: 祈りを書いて奉納する馬の形の板。全国で最もポピュラーな祈願ツール 七福神巡り: 正月に7社を巡り7神のご利益を集める開運の巡礼

参拝のポイント

年初の初詣(1月1〜3日)が最も活発ですが、誕生日・厄年明け・人生の転機(転職・結婚・新居)でも開運祈願は一般的です。初穂料は5,000〜10,000円。 七福神巡りは正月三が日〜1月15日の間に行うのが伝統。熊手は毎年大きくするのが縁起が良いとされます。開運守・破魔矢は年末年始に新調し、古いものはお焚き上げへ。お守りや開運グッズは「感謝して大切に扱うこと」が最大の作法です。

よくある質問

開運と他のご利益(縁結び・金運)は何が違いますか?

開運は「人生全体の運気の底上げ・方向転換」という包括的なご利益。縁結び・金運は開運の中の特定分野です。「まず何を祈るかわからない」「漠然と人生を好転させたい」という場合に開運が向いています。

開運祈願はどのくらいの頻度で行うべきですか?

年1回(初詣)が基本。誕生日・厄年・節目の時に追加で祈る人もいます。「何度も催促する」より「感謝・報告・新しい祈り」のサイクルが神道の基本作法です。

七福神巡りは1日で全部回らないといけませんか?

1日で回る必要はありません。正月三が日〜松の内(1月15日)までに巡るのが伝統ですが、1ヶ所ずつ別の日に参拝する人も多くいます。焦らずゆっくり巡る方が各神社を丁寧に参拝できます。

開運グッズ(熊手・破魔矢)はどこに飾るのが良いですか?

熊手はお店・リビングの高い場所(南東向き・入口付近)に。破魔矢は神棚、またはリビングの高い位置に東・南向きに。お守りは財布・バッグなど常に携帯できる場所に。大切に扱い、定期的に埃を払うのが礼儀です。

悪いことが続いている時はどの神社に行けばいいですか?

地元の氏神様(一番身近な神社)への参拝が基本です。「最近悪いことが続いています、お守りください」という素直な報告と祈りが最初の一歩。気になるなら厄除け・方除けも合わせて祈るのが伝統的です。

大晦日と元旦どちらに参拝するのが開運に良いですか?

大晦日の深夜参拝(年越し参拝・除夜詣)は「古い年を感謝して送り、新しい年を迎える」意味があり、元旦の初詣は「新しい年の祈りを最初に捧げる」意味があります。どちらも正式な参拝で、どちらが「より開運」という優劣はありません。

引っ越し・転職などの転機に開運参拝は効果がありますか?

転機は「運を開くチャンス」と神道では考えます。引っ越し・転職・起業・結婚など新しいスタートの前に参拝し、「新しい道でのご加護を」と祈ることは、気持ちを整える意味でも開運の作法として有効です。