ご利益

開運の神社

開運のご利益で探せる神社を821件掲載。代表的な神社は屋島神社です。

開運で知られる御祭神

開運で有名な神社

開運の神社一覧

821件中121-140件を表示しています。

大阪府開運

坐摩神社

いかすりじんじゃ

大阪市中央区久太郎町に鎮座する旧官幣中社で、生井神・福井神・綱長井神・阿須波神・波比岐神の五柱を総称して坐摩大神と称する。『古語拾遺』などによれば神武天皇の即位に際して神勅により宮中に奉斎されたのが起源とされ、社名は土地や居住地を守る「居所知」が転じた名称という。社伝では神功皇后が新羅からの帰還の折、淀川南岸の田蓑島(現在の天満橋西方、石町付近)に奉祀したのが始まりとされる。『延喜式』には摂津国西成郡唯一の大社と記され、天慶2年(939年)以降は祈雨十一社の一つに列した。天正10年(1582年)の豊臣秀吉による大坂築城に際して替地を命じられ、寛永年間に現在地へ遷座した。鎮座地名の「渡辺」は旧社地の地名を移したもので、渡辺姓発祥の地とされる。現在の社殿は昭和11年(1936年)の官幣中社列格時に造営されたものを、昭和34年(1959年)に鉄筋コンクリート造で戦前の姿のまま復興したもの。

所在地
大阪府大阪市中央区久太郎町 4丁目渡辺 3号
御祭神
坐摩神、(生井神
徳島県開運

一宮神社

いちのみやじんじゃ

徳島市一宮町に鎮座し、大宜都比売命と天石門別八倉比売命を祀る。もとは名西郡神山町の上一宮大粟神社が阿波国一宮であったが、参拝に不便であったため平安時代後期に国府に近いこの地へ分祠が設けられ、以後こちらが一宮とされるようになったと伝える。阿波の祖神を祀る古社で、江戸時代には四国八十八ヶ所霊場の札所を兼ね、神仏習合の「一宮大明神」として庶民の信仰を集めた。神仏分離後は別当であった大日寺が札所を引き継ぎ、現在も大日寺と道を挟んで向かい合って鎮座している。本拝殿は阿波藩主の建立によるもので、本殿は寛永7年(1630年)の建築。三間社流造で正面に千鳥破風を付け、向拝一間を唐破風造とし、銅板葺とする。要所の彫刻に極彩色を施した華やかな意匠を持ち、県内でも建築年代の古い大型の神社本殿として平成5年(1993年)に国の重要文化財に指定された。

所在地
徳島県徳島市一宮町西丁237
御祭神
大宜都比売命、天石門別八倉比売命
和歌山県開運

志磨神社

しまじんじゃ

和歌山市中之島に鎮座する式内名神大社で、旧社格は県社。御祭神は中津島姫命(市杵島姫命の別名)。伊達神社(和歌山市園部)・静火神社(同和田)とともに「紀三所社」と称された。天正13年(1585年)の豊臣秀吉による紀州攻めで被災したのち、寛永5年(1628年)に再興された。現在の本殿は延宝6年(1678年)の建立で、間口1.8メートルの一間社春日造、銅板葺(もとは檜皮葺)。正面の梁を省いて唐破風を設ける独特の形式をとり、各所に鳥獣の彫刻を配して全体に漆や絵具で塗装を施した華やかな造りである。元禄元年(1688年)に紀伊藩の命を受けて「志磨神社」を称するようになり、藩の関与が強まった。昭和19年(1944年)建築の拝殿は神門・袖塀などとともに、和歌山市中心部に残る数少ない良質な近代和風建築として令和6年(2024年)に国の登録有形文化財となった。

所在地
和歌山県和歌山市中之島677
御祭神
中津島姫命
沖縄県開運厄除け

識名宮

しきなぐう

沖縄県那覇市繁多川に鎮座し、明治以前に琉球国府から特別の扱いを受けた官社「琉球八社」の一社。社号は『琉球神道記』(1608年)に「尸棄那権現」、『琉球国由来記』(1713年)に「姑射山権現」と記される。近世沖縄の権現信仰では、末吉宮を熊野新宮、普天満宮を熊野那智、当宮を熊野本宮に見立てて信仰された。社伝によれば、洞窟内に安置された賓頭盧が夜ごと光を放つのを大阿母志良礼が信仰したところ願いが叶い、尚元王(1556〜72年)の長子・尚康伯の病気平癒にも霊験があったため、王子が私財を投じて宮と神応寺を創建したという。尚賢王の代からは毎年1月・5月・9月の吉日に国王の行幸が始まった。社殿はもと洞窟内にあったが湿気で腐朽し、康煕19年(1680年)に洞外へ移して瓦葺とした。戦前の社殿は戦災で焼失し、昭和43年12月に復興、平成25年12月に新社殿が竣工している。

所在地
沖縄県那覇市繁多川4-1-43
御祭神
伊弉冉尊、速玉男尊
系統
熊野
三重県開運

大村神社

おおむらじんじゃ

三重県伊賀市阿保に鎮座する式内社。主祭神の大村の神は第11代垂仁天皇の皇子・息速別命で、『古事記』『日本書紀』には伊許婆夜和気命、池速別命と記される。伊勢の神宮を奉鎮した倭姫命の弟にあたり、この地に宮室を築いて一帯を開拓した神として、また土地の鎮め・地震除災の守り神として古くから信仰を集めてきた。『日本三代実録』には863年に神階が正六位上から従五位下へ昇叙されたとあり、『延喜式』神名帳(927年)にも社名が載る。相殿の武甕槌命・経津主命は、神護景雲元年(767年)に常陸・下総から奈良の三笠山へ遷る途次に当社で休息し、その際に霊石「要石」が奉斎されたと伝える。要石は地下深くまで広がって大地を揺るがす大なまずを押さえているという。天正15年(1587年)建立の旧本殿「宝殿」は国の重要文化財。

所在地
三重県伊賀市阿保1555
御祭神
大村神
奈良県開運

廣瀬大社

ひろせたいしゃ

奈良盆地を流れる川が合流する河合の地に鎮座し、水を司る神として信仰されてきた。社伝では崇神天皇9年、廣瀬の河合の里長への神託により沼地が一夜で陸地に変わって橘が数多く生えたことが天皇に伝わり、この地に社殿を建てて祀ったのが始まりという。『日本書紀』には天武天皇4年(675年)に大忌神を廣瀬の河曲に祀ったとあり、これが毎年4月と7月に営まれた大忌祭の起こりとされる。龍田の風神と一対をなす祭祀として朝廷に重んじられた。『延喜式』神名帳の名神大社で、朝廷奉幣二十二社のうち中七社の一社。弘仁13年に従五位、永保元年(1081年)に正一位を授けられ、明治4年に官幣大社へ列した。現在は神社本庁の別表神社である。

京都府開運家内安全

平野神社

ひらのじんじゃ

京都市北区に鎮座する旧官幣大社。奈良時代末期の創建で、『続日本紀』の延暦元年(782年)に「田村後宮の今木大神に従四位を授ける」との記載があり、当初は平城宮の宮中に祀られていた。延暦13年(794年)の平安遷都と同時に現在の平野の地へ遷座した。御祭神は今木皇大神・久度大神・古開大神・比賣大神の四座で、それぞれ源気新生と活力生成、竈と生活安泰、邪気を振り開く平安、生産力の神とされる。創建当初の境内は平安尺で1500メートル四方に及び、現在の京都御所とほぼ同じ広さだったが、時代とともに縮小して今は200メートル弱四方となっている。本殿は寛永2年(1625年)と同9年(1632年)に建てられた二殿一体の「平野造」で国の重要文化財、拝殿は慶安3年(1650年)の建立。境内では神職と桜保存会が桜の保存・育成を続けている。

所在地
京都府京都市北区平野宮本町1
御祭神
今木皇大神、久度大神
系統
伊勢・神明
鹿児島県開運

枚聞神社

ひらききじんじゃ

薩摩国一宮。社伝では創祀は遠く神代に遡るとされ、『日本三代実録』には貞観2年(860年)に薩摩国従五位下開聞神として記載がある。主祭神は大日孁貴命で、あわせて計9柱を祀る。開聞岳の北麓に鎮座し、古くから交通・航海の安全と漁業の守護神として崇敬を集めた。中世以降は島津氏歴代藩主の信仰を受けて社殿の修理・再建がたびたび行われ、琉球王からも航海安全の神徳に対して奉謝が寄せられたと伝える。明治4年に国幣小社に列格した。地元では「オカイモンサン」の愛称で親しまれている。社宝の松梅蒔絵櫛笥は国の重要文化財で、1月頃と5月頃の年2回、1か月程度公開される。本殿は鹿児島県の重要文化財に指定されている。

所在地
鹿児島県指宿市開聞十町1366
御祭神
大日孁貴命
埼玉県開運

聖神社

ひじりじんじゃ

和銅元年(708年)の創建と伝わる。慶雲5年(708年)に武蔵国秩父郡黒谷から自然銅(にきあかがね)が産出して朝廷に献上され、元明天皇はこれを喜んで年号を「和銅」と改元した。この年に発行されたのが日本最初の流通貨幣とされる「和同開珎」である。献上に際して朝廷から遣わされた勅使が近くの祝山に鉱山の神・金山彦命を祀り、のちに現在地へ遷座して聖神社が創建されたと伝えられる。社の周辺には露天掘りの跡が残る和銅遺跡が広がり、高さ約5メートルの和同開珎のモニュメントが立つ。貨幣発祥の地に鎮座することから地元では「銭神様」と呼ばれて親しまれ、金運や商売繁盛、宝くじの当選を願う参拝者が各地から訪れる。

所在地
埼玉県秩父市黒谷字菅仁田2191
御祭神
金山彦命、国常立尊
滋賀県厄除け開運

鉛練比古神社

えれひこじんじゃ

滋賀県長浜市余呉町中之郷に鎮座する、余呉のなかでも古い歴史と格式をもつとされる神社。現在の主祭神は大山咋大神だが、余呉観光ガイドの解説によれば、もとは天日槍を祀る神社として創建されたと伝える。天日槍は『古事記』に新羅の王子・天之日矛として登場する神で、当社では天日槍が坂口の山を崩して余呉の平野を開拓したと伝えられている。神社の周辺には「日槍屋敷」という地名や、日槍塚と呼ばれる古墳が残り、開拓伝承が地名や遺構として今も土地に刻まれている。

所在地
滋賀県長浜市余呉町中之郷108
御祭神
大山咋神
系統
日吉
三重県商売繁盛金運

大津神社

おおつじんじゃ

伊勢神宮外宮(豊受大神宮)の末社の一社。外宮には末社が八社あり、そのひとつにあたる。祭神は葦原神。伊勢神宮崇敬会の解説によれば五十鈴川の河口を守る神とされ、港口の潮の神であることが社名からうかがえるという。現在は外宮境内の北御門側の参道から脇道へ入り、摂社・度会国御神社の先に鎮座する。神宮125社をめぐる参拝の一社として訪れる人が多い。

所在地
三重県伊勢市豊川町
御祭神
葦原神
系統
伊勢・神明
東京都商売繁盛金運

小野神社

おのじんじゃ

武蔵国一之宮を称する古社で、公式サイトの由緒では安寧天皇18年2月の鎮座と伝える。主祭神は武蔵国開拓の祖神である天下春大神、瀬織津比咩大神、稲倉魂大神の三柱。元慶8年(884年)に正五位上の神階を授けられ、延喜式神名帳には武蔵国八座の一社として載る。国府の近くにあったことから国司や住民の崇敬が篤く、総社六所宮創建の際には東殿第一の席を与えられて一之宮と称されたという。鎌倉末から戦国期にかけて戦乱と多摩川の洪水で荒廃したが、棟札によれば慶長14年(1609年)に徳川二代将軍によって造営再興された。明治の神仏分離で文珠菩薩を移座し郷社に列格。大正15年の失火で社殿を焼失したが昭和2年に本殿・拝殿を再建し、昭和39年に随身門、昭和49年に末社の再建を終えている。

所在地
東京都多摩市一ノ宮1丁目18-8
御祭神
天下春命、瀬織津比咩命
系統
稲荷
大阪府勝負運厄除け

野田恵美須神社

のだえびすじんじゃ

公式サイトの社伝によれば、永久元年(1113年)11月20日、この地の開発にあたって大神を勧請し氏神として奉ったのが起源とされる。境内に伝わる御影石の建石には「ゑみすのみや」と刻まれ、側面に「永久三乙未年三月」(1115年)の年紀があることから、平安時代末期には鎮座していたとみられる。祭神は恵美須大神(事代主大神)・天照皇大神・八幡大神の三柱で、創建以来「えびす様」として信仰されてきた。大阪湾が深く入り込んでいた時代にこの地を開いたのは漁業を営む人々だったと伝わる。元亀元年(1570年)には三好氏が野田城を築き、当社を城の守護神として武士の信仰も集めた。江戸時代には商都大坂の発展とともに「福の神」として商人の崇敬を受けるようになった。

所在地
大阪市福島区玉川4丁目1番1
御祭神
恵美須大神、天照皇大神
系統
八幡
愛媛県開運

別宮大山祇神社

べっくおおやまずみじんじゃ

祭神は大山積大神。愛媛県神社庁の由緒によれば、和銅5年(712年)に大領・越智玉澄が伊予国一ノ宮である大三島の大山祇神社の地御前として勧請創建し、その別宮として社殿以下の建造物が本社に劣らぬ壮観であったと『豫陽盛衰記』に記されるという。元亨2年(1322年)の兵乱、昭和20年の空襲と再三の災火に遭いながらも、「別宮さん」として今治の人々の崇敬を集めて現在に至る。拝殿は天正3年(1575年)に来島城主・村上通総が再建したもので、当地方唯一の純和様の神社建築として愛媛県指定有形文化財となっている。隣接する四国八十八ヶ所55番札所・南光坊はもと当社の供僧八坊の一つで、両所を合わせて参る習わしが伝わる。境内の大楠は樹齢350年以上と推定されている。

所在地
愛媛県今治市別宮町3丁目6-1
御祭神
大山積大神
系統
三島・大山祇
和歌山県縁結び開運

淡嶋神社

あわしまじんじゃ

公式サイトの社伝によれば、神功皇后が三韓からの帰路に瀬戸の海上で嵐に遭い、船の苫を海に投げてその流れに従えという神託のとおりに進んだところ、友ヶ島にたどり着いた。島には少彦名命と大己貴命が祀られており、皇后は救われた礼として持ち帰った宝物を供えたという。のちに孫の仁徳天皇が同島を訪れ、島では不自由であろうと対岸の加太へ社を遷して社殿を建てたのが当社の起こりと伝える。祭神は少彦名命・大己貴命・息長足姫命(神功皇后)。少彦名命は医薬の神とされ、女性の病気平癒や安産・子授けの信仰を集めてきた。境内には紀州徳川家から奉納された雛人形などを収める宝物殿や、針供養の針塚がある。

所在地
和歌山県和歌山市加太116
御祭神
少彦名命、大己貴命
系統
出雲
愛知県開運

氷上姉子神社

ひかみあねごじんじゃ

熱田神宮の境外摂社で、祭神は日本武尊の妃・宮簀媛命。熱田神宮の公式由緒によれば仲哀天皇の時代に創祀され、持統天皇4年(690年)に現在地へ遷座した。故地は宮簀媛命の父神の館があった場所と伝えられる。日本武尊の没後、この火上の里で守られていた草薙神剣を熱田の地へ遷して祀ったのが熱田神宮の始まりとされ、熱田神宮の創祀に最も関わりの深い社とされる。永徳2年(1382年)の火災を機に、字名が「火上」から「氷上」に改められた。現在の本殿は明治26年に別宮八剣宮の本殿を移したもの。地元では「お氷上さん」と呼ばれて親しまれ、境内北側の斎田では熱田神宮に奉る米を作る御田植祭が続けられている。

宮城県開運厄除け

熊野那智神社

くまのなちじんじゃ

宮城県名取市の高舘山山頂に鎮座し、名取熊野三社の一つに数えられる。第一主神は羽黒飛龍大神、第二主神は熊野夫須美大神で、ほかに速玉神・家都御子神・大穴牟遅神など計7柱を祀る。社伝によれば、養老元年(717年)閏6月、名取郡廣ノ浦(現在の閖上)の漁師・治兵衛が海中から光を放つ御神体を引き揚げて家に祀ったところ、夜ごと西の山並みへ龍燈のような光が走った。神託を求めると「我は羽黒飛龍の神なり」との告げがあり、光の向かった高舘山に社殿を建てて羽黒飛龍大権現として祀った。これが養老3年(719年)6月10日と伝える。保安4年(1123年)には名取老女が紀州熊野三社をこの地に勧請し、那智の御分霊を合祀して熊野那智権現と号した。伊達家代々の崇敬が篤く、社地の拡張と社殿造営、祭祀料の寄進を受けた。明治31年(1898年)の拝殿移転工事の際には床下から懸仏や銅鏡155点が見つかり、国・県の文化財に指定された。

所在地
宮城県名取市高舘吉田舘山8
御祭神
羽黒飛龍神、伊弉冉尊
系統
熊野
岡山県開運厄除け

熊野神社

くまのじんじゃ

岡山県倉敷市林、児島半島の郷内地区に鎮座し、「日本第一熊野十二社権現宮」と称する。伊邪那美神・伊邪奈岐神・家都御子神・速玉之男神を祀る。社伝によれば、修験道の祖・役小角が文武天皇3年(699年)に朝廷から訴追されて伊豆大島へ配流された際、義学・義玄・義真・寿玄・芳玄の5人の弟子が熊野本宮大社の御神体を奉じて各地を巡り、役小角が赦免された大宝元年(701年)3月に神託を得て、紀州熊野本宮をこの地へ遷したと伝える。天平12年(740年)には聖武天皇が児島一円を社領として寄進した。応仁の乱で社堂を焼失したが、別当大願寺の天誉によって明応元年(1492年)に再建され、江戸時代には備前岡山藩主池田光政の厚い保護を受けた。南面して一列に並ぶ6棟の本殿のうち第二殿は国の重要文化財、残る第一殿と第三〜第六殿の5棟は岡山県の重要文化財に指定されている。

所在地
岡山県倉敷市林684
御祭神
伊邪那美神、伊邪奈岐神
系統
熊野
滋賀県縁結び開運

大國主神社

おおくにぬしじんじゃ

滋賀県高島市新旭町饗庭に鎮座し、大己貴神を主祭神とする神社。火産霊神・豊受大神・天児屋根命・小毘古神・菅原道真公を配祀する。社伝によると慶応4年(1868年)までは山王大権現と称し、その後に大國主神社と改号した。勧請の年代は不詳だが、天授6年(1380年)に田井から現在地へ遷座したと伝える。永正8年(1511年)の「御宮年中行事」には、4月初申日に上郷・下郷によって例祭が行われた旨が記されている。延宝年間には甲府宰相から東西32間・南方143間の土地が寄進された。貞享年間の明細帳では境内社が7社あったが、慶応4年の山崩れで5社となり、さらに大正元年(1912年)にすべて天神社へ合祀された。明治9年(1876年)からは例祭を5月12日と定め、午前に祭典、午後に神輿渡御と流鏑馬・走馬の奉納が行われた。神輿は応永元年(1394年)に3基が寄進されたと伝える。

所在地
滋賀県高島市新旭町饗庭619
御祭神
大己貴神
系統
出雲
滋賀県開運

大皇器地祖神社

おおきみきじそじんじゃ

滋賀県東近江市君ヶ畑町に鎮座し、木地師の祖神とされる惟喬親王を祀る神社。旧社格は村社で、御神紋は十六菊。社伝によれば、貞観年間に惟喬親王がこの山へ入り、寛平9年(897年)2月に薨去した。親王の入山以前は小松村畑と称したこの地は、以後「君ヶ畑」と改められ、親王のために造営された御殿は高松宮・高松御所と呼ばれた。翌寛平10年(898年)4月に神殿を造営して親王の神霊を鎮祭したのが当社の起源で、このとき天皇から勅使が立てられ「大皇大明神」の社号を賜ったと伝える。親王が在世中、小椋信濃守久長・小椋伯耆守光吉の両名に命じて木地の器物を作らせたことから、親王は木地の祖神と仰がれ、当社は全国の木地師の発祥の社とされる。明治5年(1872年)までは正月・5月・9月に国家安泰と皇室永続を祈る祈禱符を宮中へ献上していた。明治15年(1882年)に社号を大皇器地祖神社へ復旧する認可を得た。

所在地
滋賀県東近江市君ヶ畑町977
御祭神
惟喬親王

開運神社を都道府県から探す

47都道府県から、開運に関連する神社を地域別に探せます。

開運とは

開運は、運気の上昇・人生の転機の後押し・全体的な流れの好転を願う総合的なご利益。特定の悩みというより「人生の流れを良い方向に変えたい」「新しい扉を開きたい」という時に祈ります。年初の初詣で多くの人が「今年も良い年になりますように」と祈るのも、広い意味での開運祈願です。

開運信仰の本質——「運を開く」とは

神道では「運(うん)」は天が定め、人が誠実に行動することで活かされるものとされます。「開運」とは棚から牡丹餅のように幸運が降ってくることではなく、「自分の行動と祈りの一致によって、定められた良い運を引き出す」ことを意味します。七福神信仰・初詣・方位学など、開運に関わる日本文化はこの考え方を基盤にしています。

開運祈願の代表的な神社

全国格式最高位: 伊勢神宮(皇大神宮・天照大御神)、出雲大社(大国主命) 東日本: 明治神宮(東京)、三峯神社(埼玉)、鶴岡八幡宮(鎌倉) 西日本: 住吉大社(大阪)、春日大社(奈良)、太宰府天満宮(福岡)

開運グッズの意味と種類

熊手(商売繁盛・開運): 福をかき込む道具として西日本中心に広まる 破魔矢(厄除け・開運): 年末年始に授与される魔除けの矢 絵馬: 祈りを書いて奉納する馬の形の板。全国で最もポピュラーな祈願ツール 七福神巡り: 正月に7社を巡り7神のご利益を集める開運の巡礼

参拝のポイント

年初の初詣(1月1〜3日)が最も活発ですが、誕生日・厄年明け・人生の転機(転職・結婚・新居)でも開運祈願は一般的です。初穂料は5,000〜10,000円。 七福神巡りは正月三が日〜1月15日の間に行うのが伝統。熊手は毎年大きくするのが縁起が良いとされます。開運守・破魔矢は年末年始に新調し、古いものはお焚き上げへ。お守りや開運グッズは「感謝して大切に扱うこと」が最大の作法です。

よくある質問

開運と他のご利益(縁結び・金運)は何が違いますか?

開運は「人生全体の運気の底上げ・方向転換」という包括的なご利益。縁結び・金運は開運の中の特定分野です。「まず何を祈るかわからない」「漠然と人生を好転させたい」という場合に開運が向いています。

開運祈願はどのくらいの頻度で行うべきですか?

年1回(初詣)が基本。誕生日・厄年・節目の時に追加で祈る人もいます。「何度も催促する」より「感謝・報告・新しい祈り」のサイクルが神道の基本作法です。

七福神巡りは1日で全部回らないといけませんか?

1日で回る必要はありません。正月三が日〜松の内(1月15日)までに巡るのが伝統ですが、1ヶ所ずつ別の日に参拝する人も多くいます。焦らずゆっくり巡る方が各神社を丁寧に参拝できます。

開運グッズ(熊手・破魔矢)はどこに飾るのが良いですか?

熊手はお店・リビングの高い場所(南東向き・入口付近)に。破魔矢は神棚、またはリビングの高い位置に東・南向きに。お守りは財布・バッグなど常に携帯できる場所に。大切に扱い、定期的に埃を払うのが礼儀です。

悪いことが続いている時はどの神社に行けばいいですか?

地元の氏神様(一番身近な神社)への参拝が基本です。「最近悪いことが続いています、お守りください」という素直な報告と祈りが最初の一歩。気になるなら厄除け・方除けも合わせて祈るのが伝統的です。

大晦日と元旦どちらに参拝するのが開運に良いですか?

大晦日の深夜参拝(年越し参拝・除夜詣)は「古い年を感謝して送り、新しい年を迎える」意味があり、元旦の初詣は「新しい年の祈りを最初に捧げる」意味があります。どちらも正式な参拝で、どちらが「より開運」という優劣はありません。

引っ越し・転職などの転機に開運参拝は効果がありますか?

転機は「運を開くチャンス」と神道では考えます。引っ越し・転職・起業・結婚など新しいスタートの前に参拝し、「新しい道でのご加護を」と祈ることは、気持ちを整える意味でも開運の作法として有効です。