ご利益

開運の神社

開運のご利益で探せる神社を804件掲載。代表的な神社はアメリカ椿大神社です。

開運で知られる御祭神

開運で有名な神社

開運の神社一覧

804件中221-240件を表示しています。

福島県開運

白河神社

しらかわじんじゃ

みちのくの入口として名高い白河関跡の丘に鎮座する神社で、「関の明神」「二所関明神」とも呼ばれる。社伝では成務天皇5年(315年)、白河国造・鹽伊乃自直命の神霊を祀ったのが始まりとされ、宝亀2年(771年)に天太玉命、住吉明神の中筒男命、玉津島明神の衣通姫命を合わせ祀ったと伝える。境内一帯の白河関跡は、奈良から平安時代にかけて陸奥と下野を分ける関が置かれた場所で、都人にとって陸奥への境目を意味し、古来数多くの和歌に詠まれてきた。関跡は国の史跡に指定されている。現在の社殿は仙台藩主・伊達政宗が寄進したものと伝えられ、本殿の棟には九曜と竪三引両の紋が見える。2022年に東北勢が全国高校野球選手権で初優勝した際、「白河の関越え」の言葉とともに注目を集めた。

所在地
福島県白河市旗宿字関ノ森120
御祭神
鹽伊乃自直命、天太玉命
香川県開運

白羽神社

しらはじんじゃ

高松市牟礼町牟礼と大町一帯の氏神で、旧社格は郷社。文明年間(1469〜1487)の創建と伝わり、当初は楠窪神と称した。社伝によれば、当郷の領主・中村氏宗が「八幡大神である」との夢告を受け、さらに白い矢が東方から飛来して城北の林中へ入るという神示があったことから、現在地に社殿を営んで白羽八幡宮と称するようになったという。祭神は誉田別命・足仲彦命・息長足姫命の八幡三神である。源平合戦の古戦場・屋島の東に位置し、秋祭りでは境内での獅子舞の奉納と、ちょうさと呼ばれる太鼓台の練りが地域の一大行事となっている。

所在地
香川県高松市牟礼町牟礼1354
御祭神
誉田別命、足仲彦命
京都府開運

福王子神社

ふくおうじじんじゃ

光孝天皇の女御で宇多天皇の母である班子女王を祀る。昌泰3年(900年)に68歳で崩じた班子女王の陵墓が付近にあったことに由来し、多くの皇子皇女を生んだことから「福王子」の社名がついたとも伝える。前身は『延喜式』に名の見える深川神社とされるが、応仁の乱のさなかの応仁2年(1468年)に焼失した。寛永21年(1644年)に徳川家光と仁和寺の覚深法親王によって社殿が再建され、以後は宇多天皇が開いた仁和寺の鎮守神、また近隣旧6か村の氏神として信仰されてきた。寛永再興の本殿・拝殿・鳥居は1973年に国の重要文化財に指定されている。境内には、氷室から宮中へ氷を運ぶ途中で命を落とした役夫の霊を慰める夫荒神社が末社として祀られている。

所在地
京都府京都市右京区宇多野福王子町58
御祭神
班子女王
滋賀県開運

三大神社

さんだいじんじゃ

創祀年代は不詳。社伝では天智天皇の御代に風の神である志那津彦命・志那津姫命を祀ったのが始まりで、のちに応徳年間(1084〜1087年)に大宅公主命が合祀されたと伝える。『延喜式神名帳』にみえる伊冨伎神社の論社の一つ。明治に入って現在の社号に改められ、明治9年に村社に列した。本殿の傍らに立つ高さ約2メートルの六角石燈籠は正応4年の刻銘をもち、鎌倉時代の石造美術を代表する作として国の重要文化財に指定されている。境内の藤は樹齢400年を超える古木で、花穂が地面を擦るほど長く伸びることから「砂擦りの藤」と呼ばれ、滋賀県指定自然記念物および草津市指定天然記念物となっている。

所在地
滋賀県草津市志那町309
御祭神
志那津彦命、志那津姫命
高知県開運

佐川龍馬神社

さがわりょうまじんじゃ

平成10年(1998年)11月の創建。前年の平成9年に地元有志が結成した「佐川龍馬海援隊」が、佐川にも龍馬ゆかりの名所をつくろうと建立した。鎮座地は、坂本龍馬が土佐藩を脱藩した際に沢村惣之丞とともに越えたと伝わる葉山街道の道筋のすぐそばで、急坂の朽木峠にほど近い山中にあたる。芝生の敷かれた龍馬公園の一角に建つ小さな祠で、龍馬にゆかりのある品を御神体として祀る。宗教法人ではなく、例祭は近隣の神社から神職を招いて執り行われている。毎年3月には脱藩の道をたどるウォーキングイベントが催され、当社前が出発地点となっている。

所在地
高知県高岡郡佐川町川ノ内組118(龍馬公園内)
御祭神
坂本龍馬
滋賀県開運家内安全

坂田神明宮

さかたしんめいぐう

滋賀県米原市宇賀野に鎮座し、内宮に天照皇大神、外宮に豊受毘売命を祀る。社伝によれば垂仁天皇8年、天照大神を淡海の甲可日雲宮からこの地へ遷して2年間奉斎したとされ、その御分霊を祀る旧社として古くは坂田宮・坂田大神宮とも称され、坂田郡の総社として信仰を集めた。大神の鎮座地を求めて諸国を巡った倭姫命の神徳を偲び、倭姫命を祀ったことが当宮の起源とも伝えられる。江戸時代には彦根藩井伊家の崇敬が篤く、享保18年(1733)に藩主井伊直惟が社殿を造営して神殿を寄進、以後も社殿修復の費用が献じられ、奥方からは鏡・絵馬・石燈籠などが奉献された。明治14年(1881)に郷社、昭和20年(1945)に県社へ列した。社宝として後陽成天皇宸筆の御神号懸軸(重要文化財)を伝える。

所在地
滋賀県米原市宇賀野835-2
御祭神
天照皇大神、豊受毘売命
系統
伊勢・神明
三重県開運

志氐神社

しでじんじゃ

四日市市羽津の氏神で、罪・穢れを祓い去る祓戸四神の一柱である気吹戸主神を主祭神とし、伊邪那岐命・伊邪那美命ほか九柱を合わせ祀る。社伝では垂仁天皇の御代の鎮座と伝え、古くは「高野御前」と称した。壬申の乱の際、のちの天武天皇が吉野から桑名へ向かう途次、迹太川のほとりで伊勢の皇大神宮を遥拝し、その際に「シデ」(御幣)を垂らして禊祓いを行ったことから「志氐」の名が起こり社名になったと伝わる。延長5年(927年)成立の延喜式神名帳に載る式内社で、明治維新までは羽津・吉沢・別名・八幡・鵤の各村の総社とされた。明治6年に郷社、明治39年に神饌幣帛料供進社と定められ、明治40年以降は白須賀の神明社・住吉社、八幡の八幡神社、別名の長谷神社・荒神社など周辺各字の神社を合祀した。昭和6年には県社に列している。

所在地
三重県四日市市大宮町14-6
御祭神
気吹戸主神、伊邪那岐命
大阪府開運

狭山神社

さやまじんじゃ

狭山池の北東の高台に鎮座する式内社で、旧社格は郷社。創建年代は不詳だが、社伝では崇神天皇の勅願により、狭山池が築かれるより前から祀られていたと伝える。『延喜式』神名帳には、現在は境内に合祀されている狭山堤神社とともに、河内国丹比郡の大社として記載されている。南北朝時代にはこの一帯が南北両軍の争う地となって社殿がたびたび兵火にかかり、現在の本殿は室町時代中期、明応2年(1493年)ごろの再建と推定されている。室町期から江戸期にかけては牛頭天王社とも称した。主祭神は天照大神と素盞嗚命で、狭山連の祖神とされる臣狭山命や天児屋根命を配祀し、明治の神社合祀により大山祇神・稲田姫命なども合わせ祀る。狭山郷の鎮守として今も崇敬を集めている。

所在地
大阪府大阪狭山市半田1丁目223
御祭神
天照大神、素盞嗚命
青森県開運

猿賀神社

さるがじんじゃ

社伝によれば、蝦夷平定に赴いて敗死した上毛野君田道命の神霊を祀ったのが起こりで、欽明天皇28年(567年)の大洪水の際に神霊が当地へ遷ったと伝えます。延暦12年(793年)に坂上田村麻呂が現在地に祠を建て、勅命により大同2年(807年)社殿が造営され、以後「猿賀山深砂大権現(深砂宮・神蛇宮)」として崇められました。中世は藤原秀衡や北畠顕家ら在地の有力者、近世は津軽藩主津軽為信が祈願所と定め、社殿の造営や社領の寄進を重ねています。明治4年(1871年)の神仏分離で権現号を廃して猿賀神社と改称し、明治13年に県社、昭和34年(1959年)に神社本庁の別表神社となりました。眼の守護神、また辰年・巳年生まれの守り神としての信仰でも知られ、崇敬圏は青森県内にとどまらず北海道・東北一円に及びます。

所在地
青森県平川市猿賀石林175
御祭神
上毛野君田道命、保食神
奈良県開運

丹生川上神社下社

にうかわかみじんじゃしもしゃ

吉野の山あいに鎮座する、水を司る闇龗神(くらおかみのかみ)を祀る古社。社伝では天武天皇の白鳳4年(675年)、「人の声の聞こえない深山に社殿を建てて祀れば、天下のために雨を降らせ、長雨を止めよう」という神託を受けて創建されたと伝える。『延喜式』神名帳の名神大社「丹生川上神社」および二十二社(下八社)の論社で、朝廷は日照りには黒馬、長雨には白馬を奉って祈願した。この馬の奉献が絵馬の起こりになったとも語り伝えられている。明治4年に官幣大社丹生川上神社と定められたが、その後に鎮座地をめぐる議論を経て上社・中社が加わり、現在は三社が並立していずれも神社本庁の別表神社となっている。祭神は大正時代に高龗神から闇龗神へ改められた。

所在地
奈良県吉野郡下市町長谷1-1
御祭神
闇龗神
系統
丹生
鳥取県開運

名和神社

なわじんじゃ

建武中興に功のあった武将・名和長年と、その一族郎党42柱を祀る。長年は元弘3年(1333)、隠岐を脱出した後醍醐天皇を船上山に迎え、鎌倉幕府軍を破った伯耆国の豪族である。社伝によれば承応から明暦の頃(1652〜57)、長年の遺徳を慕う地元の人々が名和氏の屋敷跡に小祠を建てたことに始まり、延宝5年(1677)に社地を移して氏殿権現と称された。明治11年(1878)に社号を名和神社と改め、別格官幣社に列せられている。昭和7年から10年(1932〜35)にかけて大規模な社殿が造営された。建武中興十五社の一社に数えられる。

所在地
鳥取県西伯郡大山町名和556
御祭神
名和長年、名和一族戦没将士四十二柱
三重県開運

能褒野神社

のぼのじんじゃ

日本武尊を主祭神とし、妃の弟橘姫命と子の建貝児王を配祀する。古事記・日本書紀は、東国平定の帰路に伊吹山の神の怒りに触れて病に倒れた日本武尊が、この能褒野の地で亡くなったと伝える。明治12年(1879)、内務省が丁子塚(能褒野王塚古墳)を日本武尊の陵墓「能褒野墓」と治定したことを受け、その傍らに神社を創建する動きが起こった。明治16年(1883)に社号が定められ、翌17年に創建の許可を得て、明治28年(1895)に社殿が竣工し鎮座祭が営まれた。明治42年(1909)には配祀神を加え、近隣約40社を合祀して村社に列格。大正14年(1925)に県社へ昇格した。隣接する能褒野王塚古墳は墳丘長約90m、後円部の高さ約8.5mで、伊勢北部地方では最大規模の前方後円墳である。

所在地
三重県亀山市田村町1409
御祭神
日本武尊、弟橘姫命
長野県開運

若一王子神社

にゃくいちおうじじんじゃ

長野県大町市大町に鎮座し、伊弉冉尊・仁品王・妹耶姫・若一王子の四柱を祀る。社伝では垂仁天皇の御代に仁品王が社を建てて伊弉冉尊を奉祀したのが始まりとされ、のちに土地の創始の神として仁品王とその后・妹耶姫が合祀された。安曇郷を領した仁科氏の崇敬が篤く、嘉祥2年(849)の創建と伝えられる。仁科盛遠が熊野那智大社に詣で、第五殿に祀られる若一王子を勧請してからは若一王子の宮と称された。現在の本殿は戦国末期の弘治2年(1556)に仁科盛康が造営した隅木入春日造の一間社で、国の重要文化財。承応3年(1654)には社殿の大修造が行われた。明治の神仏分離の際に現社号へ改め、昭和6年(1931)に県社、昭和51年(1976)に別表神社へ加列。境内には観音堂(宝永3年/1706)と三重塔(宝永8年/1711)が残り、神仏習合の姿を今に伝える。社叢「王子の森」は長野県天然記念物。

所在地
長野県大町市大字大町2097
御祭神
伊弉冉尊、仁品王
大阪府開運

錦織神社

にしこおりじんじゃ

創建年代は不詳だが、昭和10年(1935)の本殿修理の際に平安時代中期の瓦が発見され、その頃までさかのぼる古社と考えられている。錦織という地名は、百済から渡来した人々が綾織・錦織の技術を伝えて朝廷に献じたことに由来するとされ、当社もその一族の氏神として祀られたと伝わる。大和川支流の石川の谷に位置することから、建水分神社・美具久留御魂神社とともに河内国の三水分社の一つに数えられ、古くは『水郡神社』とも呼ばれた。現在の本殿は正平18年(1363)に三善貞行が再建したもので、総檜皮葺・漆塗り、丸みを帯びた唐破風の上に三角形の千鳥破風を載せた装飾性の高い建築として知られる。本殿と摂社天神社本殿・摂社春日社本殿の3棟が国の重要文化財に指定されている。明治40年(1907)に現在の社名へ改称された。

所在地
大阪府富田林市宮甲田町9-46
御祭神
建速素戔嗚命、品陀別命
北海道開運

中標津神社

なかしべつじんじゃ

北海道東部、中標津町の市街地に鎮座する神社。祭神は天照大御神・大国主神・倉稲魂神の三柱。1913年(大正2年)8月、当時の標津村に入植した人々が開拓の守護神として小祠を建てたのが始まりで、当初は現在の丸山公園付近にあった。その後たびたび移転を重ね、1919年(大正8年)に現在地へ落ち着いた。1933年(昭和8年)に本殿・幣殿・拝殿が造営され、1942年(昭和17年)に内務省から公認神社として認可された。1975年(昭和50年)には老朽化した社殿を建て替え、今日の姿となっている。旧共成神社を合祀しており、その祭神も併せて祀る。開拓の歴史がそのまま社史となっている、比較的新しい北海道らしい神社である。

所在地
北海道標津郡中標津町西1条南4丁目1番地
御祭神
天照大御神、大国主神
宮城県開運厄除け

名取熊野三社

なとりくまのさんしゃ

紀州の熊野三山を模して名取の高舘丘陵に勧請された、熊野本宮社・熊野神社(新宮社)・熊野那智神社の三社をまとめた呼称です。保安年間(1120〜1124年)に熊野信仰を篤くした「名取老女」が勧請したと伝えられ、熊野那智神社は保安4年(1123年)に那智の分霊を合祀して社名を改めたとされます。仙台湾を熊野灘に、名取川を熊野川に、高舘丘陵を熊野の山並みに見立てて三社を配した地理的な対応関係が特徴です。中世以降は伊達氏の崇敬を受け、永正11年(1514年)の伊達稙宗以降、歴代当主と仙台藩主から寄進や奉納を重ねて受けました。三社の中心となった熊野神社の本殿は熊野造の特徴を持つ宮城県指定有形文化財で、春秋の例祭に奉納される熊野堂神楽・熊野堂舞楽は宮城県指定無形民俗文化財です。

所在地
宮城県名取市高舘熊野堂字岩口上51
御祭神
速玉男尊、伊弉冉尊
系統
熊野
京都府開運

向日神社

むこうじんじゃ

向日山に鎮座していた「向神社(上ノ社)」と「火雷神社(下ノ社)」を起源とし、いずれも延喜式神名帳に載る古社である。社伝では養老2年(718)に向神社が現在地へ鎮座したとされ、火雷神社は継体天皇の頃の創建と伝わる。建治元年(1275)に両社が合わせ祀られ、現在の向日神社となった。本殿は応永29年(1422)の再建で、室町時代の三間社流造を代表する建築として国の重要文化財に指定されており、明治神宮本殿の設計に際して参考にされたと伝えられる。本殿の覆屋や幣殿、拝殿、境内の門や摂末社など多数の建物も国の登録有形文化財となっている。地元では「明神さん」の名で親しまれている。

所在地
京都府向日市向日町北山65
御祭神
向日神、火雷大神
岐阜県健康祈願開運

長滝白山神社

ながたきはくさんじんじゃ

霊峰白山を神体山と仰ぐ白山信仰の美濃側の拠点で、白山三馬場のうち「美濃馬場」と呼ばれた地に鎮座する。社伝では養老元年(717年)に泰澄が白山に登拝し、白山中宮長瀧寺を開いたのが始まりとされる。天長5年(828年)に法相宗から天台宗へ改まり、同9年には加賀の白山本宮、越前の平泉寺とともに白山三馬場の一つに数えられた。中世には1万3千石の神領と多数の坊院を擁して隆盛し、全国から信仰者が集まった。明治の神仏分離により長滝白山神社と長瀧寺に分かれ、明治32年(1899年)の大火で多くの建物を失ったが、神仏習合時代の旧観を残す同一境内に両者が並び、国指定の重要無形民俗文化財「長滝の延年」をはじめ多くの文化財を伝えている。

所在地
岐阜県郡上市白鳥町長滝字杉山91
御祭神
伊弉諾尊、伊弉冉尊
系統
白山
北海道開運

三吉神社

みよしじんじゃ

明治11年(1878)、秋田県出身の木村藤吉が郷里の太平山三吉神社(秋田市)の御分霊を豊平川東詰に奉斎したことに始まる。翌明治12年(1879)4月、当時の渡島通121番地(現在の中央区南1条西8丁目)へ遷座した。毎月8日に小祭を営み、例大祭は当初5月8日と定められたが、大正13年(1924)に三代目宮司・佐藤桂が5月15日へ改めている。昭和5年(1930)には県社に昇格した。開拓・医薬の神である大己貴神・少彦名神とともに、勝利成功や事業繁栄の神として信仰される藤原三吉神を祀る。札幌の中心市街に鎮座し、5月15日の例大祭は多くの市民に親しまれている。

所在地
北海道札幌市中央区南1条西8丁目17番地
御祭神
大己貴神、少彦名神
熊本県開運

宮原三神宮

みやはらさんじんぐう

八代平野の北部、氷川町宮原に鎮座する旧郷社。伊勢神宮内宮の天照皇大神、近江日吉社の国常立尊、山城下鴨社の神武天皇の三神を祀ることから三神宮と称する。社伝では平治元年(1159年)、二条天皇の勅命を受けた平重盛が平盛俊に命じて社殿の造営を始め、応保元年(1161年)に落成、盛俊の弟盛房が社司となって神霊を勧請したと伝え、当初は三宮社と呼ばれた。天正16年(1588年)にキリシタン大名小西行長の焼き討ちで社殿を失うが、慶長年間に加藤清正によって復興され、その後は細川氏の保護を受けた。現在の社殿は天保10年(1839年)の造営である。明治の神仏分離により別当の神蔵寺を廃して社号を宮原三神宮と改め、八代北部一帯の総鎮守として崇敬されてきた。

所在地
熊本県八代郡氷川町宮原491
御祭神
天照皇大神、国常立尊

開運神社を都道府県から探す

47都道府県から、開運に関連する神社を地域別に探せます。

開運とは

開運は、運気の上昇・人生の転機の後押し・全体的な流れの好転を願う総合的なご利益。特定の悩みというより「人生の流れを良い方向に変えたい」「新しい扉を開きたい」という時に祈ります。年初の初詣で多くの人が「今年も良い年になりますように」と祈るのも、広い意味での開運祈願です。

開運信仰の本質——「運を開く」とは

神道では「運(うん)」は天が定め、人が誠実に行動することで活かされるものとされます。「開運」とは棚から牡丹餅のように幸運が降ってくることではなく、「自分の行動と祈りの一致によって、定められた良い運を引き出す」ことを意味します。七福神信仰・初詣・方位学など、開運に関わる日本文化はこの考え方を基盤にしています。

開運祈願の代表的な神社

全国格式最高位: 伊勢神宮(皇大神宮・天照大御神)、出雲大社(大国主命) 東日本: 明治神宮(東京)、三峯神社(埼玉)、鶴岡八幡宮(鎌倉) 西日本: 住吉大社(大阪)、春日大社(奈良)、太宰府天満宮(福岡)

開運グッズの意味と種類

熊手(商売繁盛・開運): 福をかき込む道具として西日本中心に広まる 破魔矢(厄除け・開運): 年末年始に授与される魔除けの矢 絵馬: 祈りを書いて奉納する馬の形の板。全国で最もポピュラーな祈願ツール 七福神巡り: 正月に7社を巡り7神のご利益を集める開運の巡礼

参拝のポイント

年初の初詣(1月1〜3日)が最も活発ですが、誕生日・厄年明け・人生の転機(転職・結婚・新居)でも開運祈願は一般的です。初穂料は5,000〜10,000円。 七福神巡りは正月三が日〜1月15日の間に行うのが伝統。熊手は毎年大きくするのが縁起が良いとされます。開運守・破魔矢は年末年始に新調し、古いものはお焚き上げへ。お守りや開運グッズは「感謝して大切に扱うこと」が最大の作法です。

よくある質問

開運と他のご利益(縁結び・金運)は何が違いますか?

開運は「人生全体の運気の底上げ・方向転換」という包括的なご利益。縁結び・金運は開運の中の特定分野です。「まず何を祈るかわからない」「漠然と人生を好転させたい」という場合に開運が向いています。

開運祈願はどのくらいの頻度で行うべきですか?

年1回(初詣)が基本。誕生日・厄年・節目の時に追加で祈る人もいます。「何度も催促する」より「感謝・報告・新しい祈り」のサイクルが神道の基本作法です。

七福神巡りは1日で全部回らないといけませんか?

1日で回る必要はありません。正月三が日〜松の内(1月15日)までに巡るのが伝統ですが、1ヶ所ずつ別の日に参拝する人も多くいます。焦らずゆっくり巡る方が各神社を丁寧に参拝できます。

開運グッズ(熊手・破魔矢)はどこに飾るのが良いですか?

熊手はお店・リビングの高い場所(南東向き・入口付近)に。破魔矢は神棚、またはリビングの高い位置に東・南向きに。お守りは財布・バッグなど常に携帯できる場所に。大切に扱い、定期的に埃を払うのが礼儀です。

悪いことが続いている時はどの神社に行けばいいですか?

地元の氏神様(一番身近な神社)への参拝が基本です。「最近悪いことが続いています、お守りください」という素直な報告と祈りが最初の一歩。気になるなら厄除け・方除けも合わせて祈るのが伝統的です。

大晦日と元旦どちらに参拝するのが開運に良いですか?

大晦日の深夜参拝(年越し参拝・除夜詣)は「古い年を感謝して送り、新しい年を迎える」意味があり、元旦の初詣は「新しい年の祈りを最初に捧げる」意味があります。どちらも正式な参拝で、どちらが「より開運」という優劣はありません。

引っ越し・転職などの転機に開運参拝は効果がありますか?

転機は「運を開くチャンス」と神道では考えます。引っ越し・転職・起業・結婚など新しいスタートの前に参拝し、「新しい道でのご加護を」と祈ることは、気持ちを整える意味でも開運の作法として有効です。