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開運の神社

開運のご利益で探せる神社を821件掲載。代表的な神社は屋島神社です。

開運で知られる御祭神

開運で有名な神社

開運の神社一覧

821件中201-220件を表示しています。

宮城県開運厄除け

名取熊野三社

なとりくまのさんしゃ

紀州の熊野三山を模して名取の高舘丘陵に勧請された、熊野本宮社・熊野神社(新宮社)・熊野那智神社の三社をまとめた呼称です。保安年間(1120〜1124年)に熊野信仰を篤くした「名取老女」が勧請したと伝えられ、熊野那智神社は保安4年(1123年)に那智の分霊を合祀して社名を改めたとされます。仙台湾を熊野灘に、名取川を熊野川に、高舘丘陵を熊野の山並みに見立てて三社を配した地理的な対応関係が特徴です。中世以降は伊達氏の崇敬を受け、永正11年(1514年)の伊達稙宗以降、歴代当主と仙台藩主から寄進や奉納を重ねて受けました。三社の中心となった熊野神社の本殿は熊野造の特徴を持つ宮城県指定有形文化財で、春秋の例祭に奉納される熊野堂神楽・熊野堂舞楽は宮城県指定無形民俗文化財です。

所在地
宮城県名取市高舘熊野堂字岩口上51
御祭神
速玉男尊、伊弉冉尊
系統
熊野
京都府開運

向日神社

むこうじんじゃ

向日山に鎮座していた「向神社(上ノ社)」と「火雷神社(下ノ社)」を起源とし、いずれも延喜式神名帳に載る古社である。社伝では養老2年(718)に向神社が現在地へ鎮座したとされ、火雷神社は継体天皇の頃の創建と伝わる。建治元年(1275)に両社が合わせ祀られ、現在の向日神社となった。本殿は応永29年(1422)の再建で、室町時代の三間社流造を代表する建築として国の重要文化財に指定されており、明治神宮本殿の設計に際して参考にされたと伝えられる。本殿の覆屋や幣殿、拝殿、境内の門や摂末社など多数の建物も国の登録有形文化財となっている。地元では「明神さん」の名で親しまれている。

所在地
京都府向日市向日町北山65
御祭神
向日神、火雷大神
岐阜県健康祈願開運

長滝白山神社

ながたきはくさんじんじゃ

霊峰白山を神体山と仰ぐ白山信仰の美濃側の拠点で、白山三馬場のうち「美濃馬場」と呼ばれた地に鎮座する。社伝では養老元年(717年)に泰澄が白山に登拝し、白山中宮長瀧寺を開いたのが始まりとされる。天長5年(828年)に法相宗から天台宗へ改まり、同9年には加賀の白山本宮、越前の平泉寺とともに白山三馬場の一つに数えられた。中世には1万3千石の神領と多数の坊院を擁して隆盛し、全国から信仰者が集まった。明治の神仏分離により長滝白山神社と長瀧寺に分かれ、明治32年(1899年)の大火で多くの建物を失ったが、神仏習合時代の旧観を残す同一境内に両者が並び、国指定の重要無形民俗文化財「長滝の延年」をはじめ多くの文化財を伝えている。

所在地
岐阜県郡上市白鳥町長滝字杉山91
御祭神
伊弉諾尊、伊弉冉尊
系統
白山
北海道開運

三吉神社

みよしじんじゃ

明治11年(1878)、秋田県出身の木村藤吉が郷里の太平山三吉神社(秋田市)の御分霊を豊平川東詰に奉斎したことに始まる。翌明治12年(1879)4月、当時の渡島通121番地(現在の中央区南1条西8丁目)へ遷座した。毎月8日に小祭を営み、例大祭は当初5月8日と定められたが、大正13年(1924)に三代目宮司・佐藤桂が5月15日へ改めている。昭和5年(1930)には県社に昇格した。開拓・医薬の神である大己貴神・少彦名神とともに、勝利成功や事業繁栄の神として信仰される藤原三吉神を祀る。札幌の中心市街に鎮座し、5月15日の例大祭は多くの市民に親しまれている。

所在地
北海道札幌市中央区南1条西8丁目17番地
御祭神
大己貴神、少彦名神
熊本県開運

宮原三神宮

みやはらさんじんぐう

八代平野の北部、氷川町宮原に鎮座する旧郷社。伊勢神宮内宮の天照皇大神、近江日吉社の国常立尊、山城下鴨社の神武天皇の三神を祀ることから三神宮と称する。社伝では平治元年(1159年)、二条天皇の勅命を受けた平重盛が平盛俊に命じて社殿の造営を始め、応保元年(1161年)に落成、盛俊の弟盛房が社司となって神霊を勧請したと伝え、当初は三宮社と呼ばれた。天正16年(1588年)にキリシタン大名小西行長の焼き討ちで社殿を失うが、慶長年間に加藤清正によって復興され、その後は細川氏の保護を受けた。現在の社殿は天保10年(1839年)の造営である。明治の神仏分離により別当の神蔵寺を廃して社号を宮原三神宮と改め、八代北部一帯の総鎮守として崇敬されてきた。

所在地
熊本県八代郡氷川町宮原491
御祭神
天照皇大神、国常立尊
鹿児島県開運

宮浦宮

みやうらぐう

延喜式神名帳に名を連ねる大隅国の式内社で、神武天皇に天神七代・地神五代を合わせた計18柱を祀ります。宝暦2年(1752年)に正一位の神階を授けられ、「正一位宮浦大明神」の勅額が掲げられたと伝えられますが、それ以前の詳しい沿革は明らかになっていません。寛政3年(1791年)、桜島の噴火に伴う大火で社殿を焼失し、薩摩藩主の島津斉宣によって再興されました。明治6年(1873年)に県社に列格し、明治10年(1877年)の西南戦争でも被害を受けています。本殿の前には南北に分かれて2本の大イチョウがそびえ、「福山の夫婦イチョウ」として昭和39年(1964年)に鹿児島県の天然記念物に指定されました。樹齢は千年を数えるとも伝えられ、晩秋の黄葉の時期には多くの人が訪れます。

所在地
鹿児島県霧島市福山町福山2437
御祭神
神武天皇、天神七代
滋賀県開運

水尾神社

みおじんじゃ

『延喜式神名帳』の「水尾神社二座(近江国・高島郡)」に比定される式内社で、高島郡では唯一の名神大社。創祀年代は不詳だが、天平神護元年(765年)にはすでに存在した記録がある。社伝によれば、垂仁天皇の皇子で三尾君の祖とされる磐衝別命が猿田彦命の天成神道を学ぶため当地に来住し、朝夕に三尾大明神を遥拝したことから、この地を「拝戸」と称するようになったという。その子の磐城別王が父を三尾山に葬り、磐衝別命を祀る河南社(現在の社地)を創建したと伝える。もう一座の比咩神は継体天皇の母である振姫にあてられ、もとは水尾川を隔てた河北社に祀られていたが、昭和46年(1971年)の台風で社殿が倒壊したため現社地へ遷座した。旧県社。

所在地
滋賀県高島市拝戸716
御祭神
磐衝別命、比咩神
岡山県開運

美作総社宮

みまさかそうじゃぐう

美作国の総社にあたる神社で、国司が国内の神々をまとめて祀るために設けられた社に始まります。社伝では欽明天皇25年(564年)の創建と伝えますが、確実な文献に現れるのは戦国時代の永禄年間からです。美作国内の多数の神社を合わせ祀っており、中山神社・高野神社とともに美作三大社の一社に数えられてきました。現在の本殿は永禄5年(1562年)に毛利元就が再建したもので、明暦3年(1657年)に大規模な改修を受けています。桁行三間・梁間三間の入母屋造妻入・こけら葺で、美作地方独自の「中山造」と呼ばれる形式を伝える建築として、1914年(大正3年)に国の重要文化財(当時の特別保護建造物)に指定されました。江戸時代には津山藩主から篤い崇敬を受けています。

所在地
岡山県津山市総社427
御祭神
大己貴命、鏡作命
系統
出雲
山梨県開運

美和神社

みわじんじゃ

甲斐国二宮として崇敬されてきた古社で、笛吹市御坂町二之宮に鎮座する。祭神は大物主命。『甲斐国志』などが伝える社伝によれば、景行天皇の御代、日本武尊の東征に際して大和国の大神神社から勧請し、甲斐国造・塩海足尼が祭主となって祀ったのが始まりという。文献上の初見は『日本三代実録』貞観5年(863年)の記事で、神階を授けられたことが見え、国史見在社に数えられる。一条天皇の時代に甲斐国二之宮の号を受け、一宮の浅間神社、三宮の玉諸神社とともに甲斐国の水防の祭儀を担った。戦国期には武田氏の崇敬を受けている。旧社格は県社。平安時代の作とされる木造大物主神立像は国の重要文化財、室町期から伝わる太々神楽は山梨県指定の無形民俗文化財となっている。

所在地
山梨県笛吹市御坂町二之宮1450-1
御祭神
大物主命
兵庫県開運

御厨神社

みくりやじんじゃ

創立の年月は火災で記録を失い不詳。社伝によれば、神功皇后が西征の途中に二見浦へ船を寄せて船子を集め兵糧を調えた際、土地の人々が食物を献じたことに由来し、神饌を調える場所を意味する「御厨」が社名になったと伝える。伊勢神宮の御厨(荘園)であったとする説もある。貞観年間(859〜877)に八幡宮を勧請し、延喜元年(901)に大宰府へ左遷される途上の菅原道真が船を二見浦へ寄せて社地に上陸したという所縁から、寛和年間(985〜987)に天満宮を勧請したと伝わる。長暦年間(1037〜1040)に現在地の「卯の花の森」へ遷り、以後は誉田別命・菅原道真・素盞嗚命の三座を相殿に祀る。道真が一夜を明かしたという「仮寝の岡」の伝承が残り、船頭や回船業者など海運関係者の信仰も集めてきた。境内には紅梅・白梅があり、紅梅は2月上旬から中旬、白梅は2月中旬から3月上旬に見頃を迎える。

所在地
兵庫県明石市二見町東二見1323
御祭神
誉田別命(応神天皇)、菅原道真
熊本県開運

松井神社

まついじんじゃ

肥後細川家の筆頭家老を務めた松井家の初代・松井康之と、八代城主となった二代・興長を祀ります。明治14年(1881年)、松井家の旧家臣団やゆかりの人々によって創建された比較的新しい神社で、旧社格は郷社です。境内地はもと八代城の北の丸にあたり、元和8年(1622年)に加藤正方が母・妙慶禅尼の隠居所を建てた場所でした。加藤家改易後は茶人としても知られる細川忠興(三斎)の居所となって庭園が整えられ、興長が八代城主に任じられてからは松井家代々の居館が置かれています。境内の茶庭と心字池は市指定史跡で、忠興手植えと伝わる臥龍梅は熊本県指定天然記念物。枝が竜の臥す姿のように曲がりくねることからこの名があり、2月下旬から3月初めにかけて淡紅色の八重の花を咲かせます。

所在地
熊本県八代市北の丸町2-18
御祭神
松井康之、松井興長
熊本県開運

松橋神社

まつばせじんじゃ

松橋熊野宮、松橋権現社とも呼ばれる熊野系の社。創建については、永承4年(1049)に勅を受けて勧請されたとする伝えと、社家である下田家の祖・下田伊予守惟勝が夢のお告げを受けて熊野権現を勧請したとする伝えの二つが残る。室町時代には宇土城主の菊池氏や名和氏から寄進・保護を受けた。慶長4年(1599)、キリシタン大名・小西行長により社殿が焼き討ちに遭ったため神体を山中へ避難させ、加藤清正の時代になって現在地に復興したと伝えられる。旧社格は村社。境内には推定樹齢700〜800年とされる大楠がそびえ、恵比須社・天神社・水神社の石祠が末社として祀られている。

所在地
熊本県宇城市松橋町松橋1218
御祭神
伊邪那美命、事解男命
宮崎県開運

槵觸神社

くしふるじんじゃ

『古事記』が天孫降臨の地として記す「筑紫日向高千穂之久士布流多気」に比定される槵觸の峰に鎮座します。古くは峰そのものを御神体とし社殿を設けない祭祀が行われていましたが、元禄7年(1694年)に社殿が建立されました。創建当初は天児屋根命を「槵觸大明神」として祀っていたと伝えられ、明治期の改称を経て現在の社号となりました。現在は瓊々杵尊を主神に、天児屋根命・天太玉命・経津主命・武甕槌命の5柱を祀ります。旧社格は県社。周辺には四皇子峰や高天原遥拝所など神話にまつわる伝承地が点在し、遊歩道で結ばれた高千穂の神話めぐりの中心的な一社となっています。

所在地
宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井713
御祭神
瓊々杵尊、天児屋根命
大阪府開運

美具久留御魂神社

みぐくるみたまじんじゃ

『延喜式』神名帳に河内国石川郡の式内社として載る古社で、旧社格は郷社。社伝では崇神天皇10年、この地に五彩の大蛇が現れたのを大国主命の荒御魂の現れとみて祀ったのが始まりとされ、のちに丹波からの神懸かりによって「美具久留御魂」の神名を贈られたと伝える。『日本文徳天皇実録』嘉祥3年(850年)12月の条には「河内国和爾神の階を進め、従五位上を加う」とあり、当社は和爾神社の別名でも呼ばれてきた。本殿には五座を祀り、中央に美具久留御魂神、左に天水分神・弥都波廼売命、右に国水分神・須勢理比売命を配して、水を司る神への信仰を伝えている。羽曳野丘陵の東斜面中腹、標高約103メートルの地に鎮座し、富田林市の文化財解説では「下水分(しもすいぶん)神社」の通称でも紹介されている。

所在地
大阪府富田林市宮町3丁目2053
御祭神
美具久留御魂大神、天水分神
兵庫県開運

舞子六神社

まいころくじんじゃ

創建の詳しい経緯は記録の散逸により不明だが、社に伝わる神具の銘から元禄2年(1689年)にはすでに祀られていたことが分かる。江戸時代前期から中葉にかけて、播州明石郡山田村の総鎮守として六社大明神の社を建て、六柱の神を祀ったのが創始とされる。明治初年の神仏分離令により明神号が廃されて六社神社となり、明治7年(1874年)2月に現在の社名である舞子六神社と改称した。明治10年(1877年)には落雷による火災で社殿を焼失し、のちに再建されている。明石海峡を望む高台に鎮座し、「まいこむの宮」の呼び名でも親しまれている。

所在地
兵庫県神戸市垂水区西舞子1丁目5-7
御祭神
伊邪那岐大神、伊邪那美大神
台湾開運

高士神社

くすくすじんじゃ

台湾南部、パイワン族の集落である高士村に鎮座します。日本統治時代の1939年(昭和14年)、当時の高雄州恒春郡蕃地クスクス社に祠として鎮座したのが始まりで、天照皇大神を祀り集落の人々の信仰を集めました。戦時中には出征する若者の武運を祈る場ともなっています。戦後は社殿が失われて廃絶しましたが、2015年に日本の神職の尽力によって社殿が再建され、翌2016年には鳥居が奉納されました。2018年には台湾人として初めて神職の資格を得た人物が例祭を執り行い、地元の人々の手で祭祀が続けられています。現在は高士佛の戦没者の霊を祀る社として、集落の住民と日本からの参拝者に守られています。白い鳥居が山の斜面に立つ景観で知られます。

所在地
台湾 屏東県牡丹郷高士村
御祭神
天照皇大神、高士佛戦没之霊神
大阪府開運

小松神社

こまつじんじゃ

正式名称は小松神社だが「星田妙見宮」の名で広く知られる。創建は平安時代の弘仁年間(810〜824年)と伝わり、弘法大師空海が交野を訪れて獅子窟寺で秘法を唱えた際、天上から七曜の星(北斗七星)が交野の三か所に分かれて降ったという降星伝説を起源とする。その一つが落ちたとされる地が当社で、大師自ら妙見を祀ったのが始まりという。江戸時代までは仏教では北辰妙見大菩薩、陰陽道では太上神仙鎮宅霊符神として信仰され、明治の神仏分離を経て天之御中主大神ほかを祭神とするようになった。御神体は影向石と呼ばれる巨岩で、織女石(たなばたせき)とも呼ばれ、古代の磐座信仰の名残とされる。平成28年(2016年)には鎮座1200年の奉祝大祭が営まれた。

所在地
大阪府交野市星田9丁目60-1
御祭神
天之御中主大神、高皇産霊大神
大阪府開運

日部神社

くさべじんじゃ

大阪府堺市西区草部に鎮座し、彦坐王・神武天皇・道臣命を主祭神とする。彦坐王は、この一帯を拠点とした豪族・日下部首氏の祖神とされる。創建の経緯は詳らかでないが、本居宣長『古事記伝』は、神武天皇が東征の際に上陸し長髄彦と最初の戦いをした「日下の蓼津」をこの一帯に比定している。明治44年(1911)に近隣の八坂神社・熊野神社・菅原神社を合祀し、旧八坂神社の社地へ遷座した。現在の社地・本殿・神門は旧八坂神社のもので、拝殿は旧菅原神社から移築されたものである。本殿は、その前にあった石燈籠に「正平二十四年卯月八日」(正平24年/1369年)の銘が刻まれていることや建築様式から、その頃の建立と考えられ、石燈籠とともに大正6年(1917)に国の重要文化財に指定された。本殿の蟇股には多彩な彫刻が施される。神門は江戸時代の作で堺市指定文化財。

所在地
大阪府堺市西区草部262
御祭神
彦坐王、神武天皇
滋賀県開運

菌神社

くさびらじんじゃ

滋賀県栗東市中沢に鎮座し、意富斗能地神・意富斗乃辨神を祀る。社伝では舒明天皇9年(637)の勧請と伝え、古くは口狭比良(くさひら)大明神と称した。のちに草平大明神と呼ばれ、安土桃山時代からは菌大明神の社号が用いられるようになったという。江戸時代には膳所城主の崇敬が篤く、境内一町四方が除地とされたほか、城主戸田氏が神領三反を寄進し、以後も本多氏・菅沼氏・石川氏ら歴代の城主が神領を安堵した。明治9年(1876)に村社へ列格。現在の本殿は一間社流造で江戸時代中期の建築とされ、拝殿は入母屋造。正月の「おこない」と5月の例祭には特殊神饌が供えられる。境内社として八幡神社と春日神社が鎮座する。

所在地
滋賀県栗東市中沢1-11-15
御祭神
意富斗能地神、意富斗乃辨神
埼玉県開運

駒形神社

こまがたじんじゃ

創建年代は不詳。『駒形大明神勧進帳』によれば、慶長年間(1596〜1615年)に没した高貴な人物の愛馬が当地の有力者の夢に現れ、馬の頭を祀れば諸病を治し災難を除くと告げたため、その人物が馬が斃れたという場所を訪ねて馬の頭を得、これを祀ったのが起こりと伝える。馬を神格化した駒形信仰の社として駒形村の鎮守となり、明治5年(1872年)に近代社格制度のもとで村社に列した。明治42年(1909年)の神社合祀により周辺の3社が合祀されている。現在は常駐の神職を置かず、近隣の彦江神社が社務を兼務している。

所在地
埼玉県三郷市駒形499
御祭神
駒形大明神

開運神社を都道府県から探す

47都道府県から、開運に関連する神社を地域別に探せます。

開運とは

開運は、運気の上昇・人生の転機の後押し・全体的な流れの好転を願う総合的なご利益。特定の悩みというより「人生の流れを良い方向に変えたい」「新しい扉を開きたい」という時に祈ります。年初の初詣で多くの人が「今年も良い年になりますように」と祈るのも、広い意味での開運祈願です。

開運信仰の本質——「運を開く」とは

神道では「運(うん)」は天が定め、人が誠実に行動することで活かされるものとされます。「開運」とは棚から牡丹餅のように幸運が降ってくることではなく、「自分の行動と祈りの一致によって、定められた良い運を引き出す」ことを意味します。七福神信仰・初詣・方位学など、開運に関わる日本文化はこの考え方を基盤にしています。

開運祈願の代表的な神社

全国格式最高位: 伊勢神宮(皇大神宮・天照大御神)、出雲大社(大国主命) 東日本: 明治神宮(東京)、三峯神社(埼玉)、鶴岡八幡宮(鎌倉) 西日本: 住吉大社(大阪)、春日大社(奈良)、太宰府天満宮(福岡)

開運グッズの意味と種類

熊手(商売繁盛・開運): 福をかき込む道具として西日本中心に広まる 破魔矢(厄除け・開運): 年末年始に授与される魔除けの矢 絵馬: 祈りを書いて奉納する馬の形の板。全国で最もポピュラーな祈願ツール 七福神巡り: 正月に7社を巡り7神のご利益を集める開運の巡礼

参拝のポイント

年初の初詣(1月1〜3日)が最も活発ですが、誕生日・厄年明け・人生の転機(転職・結婚・新居)でも開運祈願は一般的です。初穂料は5,000〜10,000円。 七福神巡りは正月三が日〜1月15日の間に行うのが伝統。熊手は毎年大きくするのが縁起が良いとされます。開運守・破魔矢は年末年始に新調し、古いものはお焚き上げへ。お守りや開運グッズは「感謝して大切に扱うこと」が最大の作法です。

よくある質問

開運と他のご利益(縁結び・金運)は何が違いますか?

開運は「人生全体の運気の底上げ・方向転換」という包括的なご利益。縁結び・金運は開運の中の特定分野です。「まず何を祈るかわからない」「漠然と人生を好転させたい」という場合に開運が向いています。

開運祈願はどのくらいの頻度で行うべきですか?

年1回(初詣)が基本。誕生日・厄年・節目の時に追加で祈る人もいます。「何度も催促する」より「感謝・報告・新しい祈り」のサイクルが神道の基本作法です。

七福神巡りは1日で全部回らないといけませんか?

1日で回る必要はありません。正月三が日〜松の内(1月15日)までに巡るのが伝統ですが、1ヶ所ずつ別の日に参拝する人も多くいます。焦らずゆっくり巡る方が各神社を丁寧に参拝できます。

開運グッズ(熊手・破魔矢)はどこに飾るのが良いですか?

熊手はお店・リビングの高い場所(南東向き・入口付近)に。破魔矢は神棚、またはリビングの高い位置に東・南向きに。お守りは財布・バッグなど常に携帯できる場所に。大切に扱い、定期的に埃を払うのが礼儀です。

悪いことが続いている時はどの神社に行けばいいですか?

地元の氏神様(一番身近な神社)への参拝が基本です。「最近悪いことが続いています、お守りください」という素直な報告と祈りが最初の一歩。気になるなら厄除け・方除けも合わせて祈るのが伝統的です。

大晦日と元旦どちらに参拝するのが開運に良いですか?

大晦日の深夜参拝(年越し参拝・除夜詣)は「古い年を感謝して送り、新しい年を迎える」意味があり、元旦の初詣は「新しい年の祈りを最初に捧げる」意味があります。どちらも正式な参拝で、どちらが「より開運」という優劣はありません。

引っ越し・転職などの転機に開運参拝は効果がありますか?

転機は「運を開くチャンス」と神道では考えます。引っ越し・転職・起業・結婚など新しいスタートの前に参拝し、「新しい道でのご加護を」と祈ることは、気持ちを整える意味でも開運の作法として有効です。