信仰

八幡信仰の神社

応神天皇を祀る八幡信仰。

八幡信仰について

応神天皇を祀る八幡信仰。信仰ごとの由緒や流れを踏まえて、神社を横断的に見比べる入口として使えます。

代表格として宇佐神宮を登録しています。

中心祭神は応神天皇です。

八幡信仰とは

由来と信仰の広がりを整理します。

八幡信仰は、応神天皇を八幡神として祀る信仰です。武家の守護神として源氏をはじめ多くの武士に崇敬され、国家鎮護・勝負運・厄除けの神として全国へ広がりました。

宇佐神宮、石清水八幡宮、鶴岡八幡宮を代表格に、地域の総鎮守としての役割を持つ八幡宮も多くあります。

応神天皇とは

八幡信仰を理解するうえで中心になる御祭神です。

応神天皇は、八幡神として全国の八幡宮に祀られる御祭神です。武家の守護神、国家鎮護の神として信仰され、勝負運や厄除け、地域守護の祈願先として知られます。

八幡信仰では、比売神や神功皇后と合わせて祀られることも多く、地域の総鎮守としての役割も担ってきました。

参拝のポイント

八幡信仰の神社を訪れる前に押さえたい観点です。

八幡宮では、勝負事だけでなく地域や家族の安泰を願う参拝も自然です。受験、試合、仕事の節目では、結果だけでなく正しい判断と平常心を願うと祈りが整います。

八幡信仰で有名な神社

有名神社を中心に、大社・一宮・総鎮守など比較の起点にしやすい神社をまとめます。

有名神社大分県開運勝負運

宇佐神宮

うさ じんぐう

宇佐神宮は八幡大神・比売大神を祀る神社。勝運・厄除けのご利益で知られ、725年(神亀2年)に創建された由緒ある神社です。

所在地
大分県宇佐市南宇佐2859
御祭神
応神天皇、比売大神
系統
八幡
熊本県勝負運厄除け

西岡神宮

にしおかじんぐう

和銅6年(713)、元明天皇の御代に宇土の総鎮護として創建されたと伝わる古社。当初は春日大神と住吉大神を祀り、平安時代の1048年に八幡大神を合わせ祀って「三宮大明神」と称され、今も「三宮さん」の名で親しまれる。天正16年(1588)、キリシタン大名であった宇土城主・小西行長により社殿を焼かれたが、慶長6年(1601)に加藤清正が現在地に再興し、その後は肥後熊本藩主細川家代々の保護を受けた。明治4年(1871)に西岡神宮と改称。境内には神の宿る岩「磐座 百官石」があり、例祭で奉納される御獅子舞は熊本県指定の無形民俗文化財となっている。

所在地
熊本県宇土市神馬町694
御祭神
一之宮(春日大神)、二之宮(八幡大神)
系統
八幡
福岡県勝負運厄除け

高良大社

こうらたいしゃ

高良大社は、高良玉垂命・八幡大神・住吉大神を祀る筑後国一之宮。延喜式では名神大社に列し、筑後地方の総鎮守として朝廷や武家から崇敬された。高良山に鎮座し、九州最大級の社殿と長い信仰史を伝える。

所在地
福岡県久留米市御井町1番地
御祭神
高良玉垂命、八幡大神
系統
八幡
山口県勝負運厄除け

住吉神社

すみよしじんじゃ

長門国一宮で、大阪の住吉大社、博多の住吉神社と並ぶ「日本三大住吉」の一社。社伝では、神功皇后が三韓出兵の折に住吉大神から「吾が荒魂を穴門の山田村に祀れ」という神誨を受けて創祀したと伝え、住吉三神の荒魂を祀るのが大きな特色である。相殿に応神天皇・武内宿禰命・神功皇后・建御名方命を祀る。『延喜式』神名帳には名神大社として載る。本殿は応安3年(1370年)に大内弘世が造進したもので、五つの社殿を檜皮葺の屋根で連ねた九間社流造という全国的にも特異な形式をもち、室町初期の社寺建築として昭和28年に国宝に指定された。拝殿は天文8年(1539年)に毛利元就が寄進したもので、室町末期の手法をよく伝え昭和29年に国の重要文化財に指定されている。歴代の領主から手厚い保護を受けてきた古社である。

所在地
山口県下関市一の宮住吉一丁目11-1
御祭神
住吉三神、応神天皇
系統
八幡
佐賀県勝負運厄除け

千栗八幡宮

ちりくはちまんぐう

公式サイトによれば、神亀元年(724年)に肥前国養父郡司・壬生春成が神託を受けて創建したと伝わり、令和6年に御創建千三百年を迎えた。祭神は應神天皇・仲哀天皇・神功皇后のほか、難波皇子・宇治皇子・住吉明神・武内宿禰を合わせ祀る。古くから宇佐神宮の別宮として知られ、平安時代には五所別宮の一社として朝廷の崇敬を受け、肥前国一の宮とされてきた。筑後川を望む段丘上に鎮座し、社前の石段が参道をなす。境内社には手足の神として信仰される武雄神社と、郡司が狩猟中に八幡神の使いである鳩が弓の上にとまったという創建伝承にちなむ鳩森稲荷神社がある。3月15日の「お粥試し」は日本有数の粥占神事として知られる。

所在地
佐賀県三養基郡みやき町大字白壁字千栗
御祭神
応神天皇、仲哀天皇
系統
八幡

八幡信仰の神社一覧

129件中21-40件を表示しています。

東京都勝負運厄除け

八幡神社

にしくぼはちまんじんじゃ

寛弘年間(1004〜12年)に源頼信が石清水八幡宮の神霊を勧請し、霞ヶ関のあたりに創建したと伝わる。太田道灌の江戸城築城に際して現在地へ遷座した。徳川秀忠の正室崇源院が戦勝祈願の報賽として社殿建立を遺し、その意により寛永11年(1634年)に社殿が造営されている。江戸時代には「江戸八所八幡」の一つに数えられ、八八幡詣として多くの参詣を集めて門前町が栄えた。享保8年(1723年)と文化8年(1811年)の火災で被害を受け、昭和20年3月の戦災では社殿を焼失したが昭和28年に復興。平成27年には失われていた御本社神輿を復興し、平成29年に神幸祭を斎行した。令和元年からは「令和の御造替事業」として施設を再建し、令和3年10月29日に本殿遷座祭が斎行された。境内は縄文期の西久保八幡貝塚としても知られる。

所在地
東京都港区虎ノ門5-10-14
御祭神
品陀和気命、息長帯比売命
系統
八幡
広島県勝負運厄除け

草津八幡神社

くさつはちまんじんじゃ

推古天皇の御代(593〜628年)、宮島の厳島神社とほぼ同じ頃に、入江の奥へ多紀理姫命を海路の守護神として祀ったのが創祀と伝わる。鎌倉時代以前に武蔵国渋谷郷から移り住んだ社家の祖が宇佐八幡宮より八幡神を勧請し、古くから当地に祀られていた「多紀理の宮」と合祀して八幡宮を創建、のちに力箭八幡宮と呼ばれた。神功皇后がこの地で軍船を揃え弓矢(箭)の訓練をしたという伝承から「力箭山」の名が残り、草津の旧名を軍津浦と伝える。大永4年(1524年)に修造。明治25年に厳島神社から市寸島姫命・湍津姫命を勧請し、明治末期の神社統廃合で素盞嗚神・倉稲魂神・金刀比羅神を合祀した。社殿はもと海浜近くにあり再建のたびに高所へ移され、現在は力箭山(行者山)中腹に鎮座する。現社殿は昭和6年に近郷六箇村の氏子により再建されたもので、広島市西区一帯の総氏神として崇敬される。

所在地
広島県広島市西区田方1丁目11-18
御祭神
品陀和気命、帯中津日子命
系統
八幡
大分県勝負運厄除け

薦神社

こもじんじゃ

別名を大貞八幡宮といい、承和年間(834〜848年)の創建と伝わる古社。境内の三角池(御澄池)を御神体として内宮とし、社殿を外宮と称する点に特色がある。養老4年(720年)の隼人の反乱では、この池に自生する真薦で編んだ枕状の御験を神輿に奉じて征討軍が向かったと伝えられ、八幡総本宮である宇佐神宮と深い関わりを持つ。御祭神は応神天皇・比売大神・息長帯比売命。現在の神門は元和8年(1622年)に中津藩主細川忠興が造営した三間一戸の二重門で、平面規模に比して背が高く、初重に裳階を付けて釣合をとる。他に類例のない江戸時代初期の珍しい形式として、昭和63年に国の重要文化財に指定された。平成7年から9年にかけて解体修理が行われ、造営当初の姿へ復元されている。内宮である三角池と外宮の社殿は大分県の史跡および天然記念物に指定されている。

所在地
大分県中津市大字大貞209
御祭神
応神天皇、比売大神
系統
八幡
三重県勝負運厄除け

川上山若宮八幡宮

かわかみさんわかみやはちまんぐう

三重県津市美杉町川上、伊勢・伊賀・大和の国境に近い雲出川水源の地に鎮座する。創建の年代は明らかでないが、社伝によれば、家城から奥の一帯は磐之媛皇后の御領地「岩野郷」で、仁徳天皇がこの郷の開拓に努めたという。履中天皇の御代(5世紀初め)、郷民が仁徳天皇と磐之媛皇后の遺徳を慕い、伊勢平野を見下ろす修験業山の麓のこの清らかな地を選んで社を設け、両者の御魂を祀ったのが日本最古の若宮八幡宮であると伝えられる。社殿の創始以前から、修験業山の自然の磐座である高宮に国津神・天津神・八百萬神を尊崇してきたことが創建の淵源とされる。中世は修験道の霊場となり、伊勢国司北畠氏は当社の加護を頼って隣村多気に居城を構え、春秋の大祭には自ら参詣した。江戸時代の津藩主藤堂家も北畠氏の故事にならって篤く崇敬し、代々の祈願所とした。

系統
八幡
京都府勝負運厄除け

離宮八幡宮

りきゅうはちまんぐう

京都府乙訓郡大山崎町に鎮座する八幡宮。平安時代初め、僧・行教が宇佐八幡宮の神霊を勧請したのが始まりで、社伝では貞観2年(860)に人々の平和を願って造営されたとする。この地が嵯峨天皇の離宮「河陽宮」の跡であったことから、後に離宮八幡宮と改称された。平安時代末に神官が「長木(ながき)」という搾油器を発明して荏胡麻油の量産を可能にし、灯明用の油として朝廷や社寺に納めた。室町時代には油の専売を担う「油座」の本拠地となり、諸国の油商人は当宮の許状なしには油を販売できなかったほどの富と権力を集めた。元治元年(1864)の禁門の変では長州藩の屯所となって社殿を焼失し、現在の社殿は昭和初期の再建である。今も「油の神様」として、全国の製油会社や油販売会社の関係者から篤い信仰を集めている。

系統
八幡
富山県勝負運厄除け

宇佐八幡宮

うさはちまんぐう

JR城端線福光駅の西、旧福光町の市街地に鎮座する。社伝によれば天平勝宝2年(750年)、大伴家持が越中守であった頃にその子・大伴持豊が福光城において、石黒庄の総社として豊前の宇佐から分霊を勧請したことに始まるという。古くから痘瘡除けの守護神として広く信仰を集め、寛仁元年(1017年)には別当寺である寛仁寺が建立された。春の福光春季例大祭は220年以上の歴史をもつ祭礼で、厄年の男性が神輿を担いで丸1日かけて市街地を巡行する行事として知られる。

所在地
富山県南砺市福光6865
系統
八幡
茨城県勝負運厄除け

若宮八幡宮

わかみやはちまんぐう

応永年間(1394〜1428)、佐竹氏12代の佐竹義仁が鎌倉の鶴岡八幡宮から分霊を勧請し、太田城内に守護神として祀ったのが始まりと伝わる。以後は佐竹氏歴代の祈願所となり、関ヶ原の戦い後に佐竹氏が秋田へ移封された際には、分霊が大館城の守護神として奉持された。江戸時代には水戸徳川家の崇敬を受け、慶長14年(1609)に初代藩主徳川頼房の病気平癒祈願が成就したと伝えられる。水戸藩が領内の八幡社を整理した「八幡改め」の際にも存続を許された四社の一つに数えられ、宝永5年(1708)に現在地へ遷座した。祭神は仁徳天皇にあたる大鷦鷯尊で、倉稲魂命を併せ祀る。境内には樹齢500年を超えるケヤキの巨木群があり、最大のものは高さ約30m、幹周約8.5mで茨城県の天然記念物に指定されている。

所在地
茨城県常陸太田市宮本町2344
御祭神
大鷦鷯尊(仁徳天皇)、倉稲魂命
系統
八幡
大阪府勝負運厄除け

澤田八幡神社

さわだはちまんじんじゃ

藤井寺市沢田に鎮座する旧村社で、祭神は品陀和気命(応神天皇)。江戸時代初期に、近隣の誉田八幡宮から八幡神を勧請したものと伝わる。太閤検地によって沢田村が誉田八幡宮の神領となり、のちにその神領が隣接する古室村へ配置換えされた際、村人たちの意思で改めて八幡神を迎えたのが始まりとされる。拝殿には明暦元年(1655年)11月付の棟札が残り、旧地から一町ほど西の現在地へ遷宮したことが記されている。安永6年(1777年)付の棟札もあり、江戸期に複数回の造替が行われたことがわかる。明治5年(1872年)に村社に列格した。1922年(大正11年)に開通した近鉄南大阪線が町中を避けて敷設された結果、線路が参道を横切ることになり、境内に踏切がある神社として広く知られている。

所在地
大阪府藤井寺市沢田4丁目2-3
御祭神
品陀和気命
系統
八幡
静岡県勝負運厄除け

守山八幡宮

もりやまはちまんぐう

狩野川の西にそびえる守山の東麓に鎮座する。社伝では大化3年(647年)に大山祇神を祀って創建されたとされ、延喜7年(907年)に豊前の宇佐八幡宮から八幡神を勧請して合祀し、守山八幡宮と称するようになったと伝わる。治承4年(1180年)8月、伊豆に流されていた源頼朝が以仁王の令旨を受けて平家追討を祈願し、当社の社前で挙兵したと伝えられる。頼朝はこの地から、配下が襲撃した目代・山木兼隆の館が焼ける火煙を望み、緒戦の成就を知ったという。現在の本殿は寛永9年(1632年)に久能城主・榊原照久が造営したもので、源氏再興の出発点となった社として知られている。

所在地
静岡県伊豆の国市寺家1204-1
御祭神
誉田別命、大山祇命
系統
八幡
愛知県勝負運厄除け

鳴海八幡宮

なるみはちまんぐう

名古屋市緑区、旧鳴海村の氏神として祀られてきた神社。創建年代は不詳だが、貞永元年(1232年)に久野家の初代が社職に就いたという記録が伝わり、境内には樹齢千年を超えると伝えられる大楠が御神木としてそびえる。この大木の存在から、当社が平安時代以前にさかのぼる古社である可能性が指摘されている。『延喜式』神名帳の尾張国愛智郡「川原神社」の比定社の一つにも挙げられている。長く八幡社と呼ばれてきたが、昭和34年(1959年)の伊勢湾台風で社殿が被害を受け、昭和43年(1968年)に本殿・拝殿を新築した際に鳴海八幡宮と改称した。主祭神は品陀和気命(応神天皇)で、息長帯日売命(神功皇后)ほか計五柱を祀る。

所在地
愛知県名古屋市緑区鳴海町字前之輪23
御祭神
品陀和気命、息長帯日売命
系統
八幡
茨城県勝負運厄除け

水戸八幡宮

みとはちまんぐう

文禄元年(1592)、常陸太田から水戸へ居城を移した佐竹義宣が、氏神として崇敬していた常陸太田の馬場八幡宮から八幡大神を水戸城内に勧請したことに始まる。慶長3年(1598)に本殿が建立され、水府(水戸)総鎮守と定められた。元禄7年(1694)にいったん那珂西村(現・城里町那珂西)へ遷されたが、宝永6年(1709)、水戸藩三代藩主・徳川綱條の代に現在の白幡山の社地へ改めて鎮座した。本殿は国の重要文化財に指定されている。日光連山や久慈の山並みを望む高台にあり、茨城百景・茨城観光百選・市民が選ぶ水戸百景にも選ばれている。

所在地
茨城県水戸市八幡町8-54
御祭神
誉田別尊、息長足日売尊
系統
八幡
愛媛県勝負運厄除け

日招八幡大神社

ひまねきはちまんだいじんじゃ

松山八社八幡の五番社で、神紋は四つ目菱、旧社格は郷社。社伝では崇峻天皇2年(589年)、国司の越智益躬が筑紫の宗像大社から門島の森に宗像三女神を勧請し、門島比咩神社と称したのが始まりとされる。大同年間(806〜809年)に痘瘡を患った大納言藤原雄友が祈願して平癒したことから、伊予痘瘡宮として崇敬を集めた。元慶2年(878年)に石清水八幡宮から八幡神を勧請して合祀した。元暦元年(1184年)、伊予に入国した佐々木盛綱(高綱とも伝える)が戦いに臨んだ際、勝敗が決しないまま日没が迫るなか当社に祈願して軍扇で入日を招くと日が差し戻り勝利したという故事から、日招八幡宮と改めたと伝える。明治5年(1872年)に郷社に列した。平成12年(2000年)の火災で本殿・拝殿を焼失したが、平成27年(2015年)に社殿が再建されている。

所在地
愛媛県松山市保免西1丁目4番3号
御祭神
市杵島姫命、湍津姫命
系統
八幡
長崎県勝負運厄除け

八幡宮神社

はちまんぐうじんじゃ

対馬の中心・厳原の清水山麓に鎮座する対馬国一宮の論社で、旧県社。正式な社名は「八幡宮神社」で「厳原」の地名は入らないが、他所の八幡宮と区別するため「厳原八幡宮」とも呼ばれ、楼門にかかる扁額も「八幡宮神社」と記す。社伝では、神功皇后が三韓征伐からの帰途に清水山へ行啓し、神霊の宿る山として山頂に磐境を設け、神鏡と幣帛を置いて天神地祇を祀ったのが起こりとされる。677年(天武天皇6年)、天武天皇の勅命により清水山の麓に社殿を造営して八幡神を祀ったのが創建と伝わる。上県郡の上津八幡宮(現在の海神神社)に対して当社は下津八幡宮と並び称され、戦国時代頃からは府中八幡宮と呼ばれるようになった。1871年(明治4年)に式内名神大社「和多都美神社」に比定されて改称したことがあったが、1890年(明治23年)に元の八幡宮へ戻している。1874年(明治7年)に郷社、1916年(大正5年)に県社へ昇格した。

所在地
長崎県対馬市厳原町中村字清水山645-1
御祭神
応神天皇、神功皇后
系統
八幡
茨城県勝負運厄除け

馬場八幡宮

ばばはちまんぐう

社伝では天喜4年(1056年)、前九年の役に向かう源頼義が当地にあった熊野神社の境内に陣を張り、社前に据えた2枚の平石に石清水八幡宮の神霊を勧請して戦勝を祈願したのが始まりとされる。以後この地で勢力を伸ばした佐竹氏が守護神として崇敬し、初代昌義が社殿を造営して太田郷の総社とした。佐竹氏は代々当社の神前で元服の儀を行うのを家例とし、天正2年(1574年)の落雷で社殿を焼失した後、同8年に19代義重が現在の本殿を再建している。本殿は常陸太田市指定文化財。20代義宣は天正20年(1592年)に分霊を水戸八幡宮へ、慶長7年(1602年)の秋田移封の際には八幡秋田神社へ遷した。

所在地
茨城県常陸太田市馬場町574
御祭神
誉田別尊、息長足比咩命
系統
八幡
東京都勝負運厄除け

八幡神社

はとのもりはちまんじんじゃ

鳩森八幡神社の創建には、いにしえの瑞祥にまつわる伝承が残る。かつてこの地の森にたびたび瑞雲が現れ、村人が分け入ると多くの白い鳩が西へ飛び立ったといい、この不思議な出来事にちなんで祠が建てられ「鳩森」と名付けられたと伝わる。貞観2年(860年)、関東巡教中の慈覚大師円仁がこの地に立ち寄った際、村民の願いを受けて神功皇后と応神天皇の御尊像を祀り、「正八幡宮」として崇敬されるようになったという。現在も応神天皇・神功皇后の二柱を御祭神とする。社殿は弘化2年(1845年)に上棟した欅造りであったが、昭和20年(1945年)の戦災で焼失し、戦後の復興を経て平成5年(1993年)に戦前の姿へと復元された。戦火をくぐり抜けたご神木の銀杏は、今も境内で命をつないでいる。境内には都内最古とされる富士塚(鳩森八幡神社富士塚)や将棋堂もあり、多くの参拝者に親しまれている。

所在地
東京都渋谷区千駄ヶ谷一丁目1番24号
御祭神
応神天皇、神功皇后
系統
八幡
東京都勝負運厄除け

大宮八幡宮

おおみやはちまんぐう

康平6年(1063)、源頼義が前九年の役平定の途上、大空に八条の白雲がたなびくのを八幡大神の加護の瑞兆と感じ、乱の平定後に京都・石清水八幡宮から分霊を勧請して創建したと伝わる。子の八幡太郎義家も後三年の役ののち社殿を修築し、千本の若松を植えたと伝えられる。かつて「武蔵国八幡一之宮」と称された。昭和44年(1969)には境内から弥生時代の祭祀遺跡が発掘され、太古からの聖域であることが確認された。御祭神は応神天皇・仲哀天皇・神功皇后。「東京のへそ」とも呼ばれ、安産・子育て厄除けの信仰を集める。

所在地
東京都杉並区大宮2-3-1
御祭神
八幡大神(応神天皇)、仲哀天皇
系統
八幡
東京都勝負運厄除け

御田八幡神社

みたはちまんじんじゃ

和銅二年(709)、東国鎮護の神として祀られたのが始まりと伝わり、延喜式内社の稗田神社にあたるとも伝えられる。幾度かの遷座を経て寛永五年(1628)に現在地へ鎮座し、明治三十年に御田八幡神社と改称された。三田・高輪・芝浦・港南一帯の氏神として、1300年を超える歴史の中で地域の信仰を集め続けている。

所在地
東京都港区三田3-7-16
御祭神
誉田別尊命、天児屋根命
系統
八幡
東京都勝負運厄除け

鷲神社

わしじんじゃ

鷲神社は東京都足立区島根に鎮座し、主祭神の日本武尊は『子育てわし大明神』とも称される。相殿には誉田別命(安産福徳の神)・国常立命(国土主宰の神)を祀り、須佐之男命・天照大御神もあわせて奉斎する。かつてこの一帯は海岸線に近く、島の根のような地形をなしていたことから『浮島明神』とも呼ばれ、ご祭神が船でこの地に着いたという伝承が残る。文保2年(1318)に中興されたと伝わり、応永年間の文書には足利将軍家からの寄進が記されている。元禄8年(1695)には村内に点在していた七つの祠のうち八幡社・明神社の二柱が合祀され、享保元年(1716)には8代将軍徳川吉宗が鷹狩りの途中に立ち寄ったとも伝えられている。

所在地
東京都足立区島根4-25-1
御祭神
日本武尊、誉田別命
系統
八幡
三重県勝負運厄除け

津八幡宮

つはちまんぐう

建武年間(1334〜38)に山城国男山の石清水八幡宮の分霊を垂水村千歳山に勧請したのが起源と伝わる。津藩2代藩主・藤堂高次が鷹狩の際に当社で雨宿りをした縁で崇敬を寄せ、寛永9年(1632)正月に藤方村の現在地へ社殿を遷して造営し、藩祖・藤堂高虎の神霊も合祀された。寛永21年(1644)には垂水村・藤方村のうちから300石が神領として寄進されている。御祭神は応神天皇・神功皇后で、相殿に住吉大神・藤堂高虎公を祀る。寛永12年(1635)に始まった当宮の祭礼が津まつりの起こりとされ、城下町津の伝統行事として今日まで続いている。

所在地
三重県津市藤方2339
御祭神
応神天皇、神功皇后
系統
八幡
奈良県勝負運厄除け

手向山八幡宮

たむけやまはちまんぐう

天平勝宝元年(749)、東大寺の大仏(盧舎那仏)造立にあたり、豊前国(現・大分県)の宇佐八幡宮から勧請され、東大寺の鎮守社とされた古社。御祭神は応神天皇・姫大神・仲哀天皇・神功皇后・仁徳天皇。現在の本殿は元禄4年(1691)の再建と伝わる。東大寺に隣接する手向山の麓に鎮座し、古くから紅葉の名所として知られる。毎年10月5日には勧請ゆかりの祭事である転害会(てがいえ)が行われ、東大寺転害門でも神事が営まれる。

所在地
奈良県奈良市雑司町434
御祭神
応神天皇、姫大神
系統
八幡

八幡信仰に関連するご利益一覧

八幡信仰の神社一覧から、よく紐づくご利益をまとめています。

よくある質問

八幡信仰についての疑問に答えます。

八幡神はどのような神様ですか?

応神天皇を中心に祀る神で、武運、国家鎮護、地域守護の信仰を集めます。神社によって比売神や神功皇后を合わせて祀る場合もあります。

八幡宮は勝負運だけの神社ですか?

勝負運で知られますが、それだけではありません。厄除け、家内安全、地域守護、安産など、地域の総鎮守として幅広い祈願を受け止める神社も多いです。

代表的な八幡宮はどこですか?

大分の宇佐神宮、京都の石清水八幡宮、神奈川の鶴岡八幡宮が代表格です。各地の一宮や総鎮守にも八幡信仰の神社があります。