中部の神社一覧
中部の都道府県別一覧と神社カードをまとめるページです。
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中部の神社一覧
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長草天神社
愛知県大府市長草町に鎮座し、菅原道真を祀る。明応3年(1494)に地頭・藤田民部の邸内に祀られていた道真を、村の産土神として迎えたのが創建と伝えられる。この地がかつて英比(あぐい)ノ庄に属していたことから、道真の孫にあたる菅原雅規(英比丸)も御祭神として併せ祀っている。学問の神を祀ることから合格祈願の参拝者が多い。例祭の「どぶろくまつり」は室町時代から500年以上続く神事で、藤田民部が寄進した田の収穫米でどぶろくを造り、氏子や参拝者に振る舞ったのが起源とされる。寛文8年(1668)にどぶろく酒造を再開した記録が残り、現在も境内のどぶろく酒造所で6つの酒元組が輪番で醸造している。大府市の無形民俗文化財に指定され、境内には道真の歌碑と鷽替神事之碑がある。
- 所在地
- 愛知県大府市長草町本郷44
- 御祭神
- 菅原道真
- 系統
- 天神
黒沢御嶽神社
木曽御嶽山の黒沢口に鎮座し、山麓の里宮と若宮を総称して御嶽神社と呼ぶ。里宮は少彦名命、若宮は大己貴命を祀り、旧黒沢村の時代からこの地の産土神として信仰されてきた。里宮は御嶽街道でもあった109段の石段を登ったところにあり、若宮には永禄8年(1565)に木曽義昌が家臣とともに奉納した三十六歌仙板絵が伝わって、木曽谷では最も古い絵馬とされる。御嶽山は古くから修験の霊山として登拝が行われていたが、天明4年(1784)に尾張の行者・覚明が黒沢口を一般に開いたことで、御嶽信仰は木曽周辺から全国へと広がった。江戸後期の享和3年(1803)までに黒沢へ伝えられたとみられる太々神楽は、神職と保存会員によって今も受け継がれている。
- 所在地
- 長野県木曽郡木曽町三岳3793(里宮)
- 御祭神
- 大己貴命、少彦名命
- 系統
- 出雲
金崎宮
南北朝時代の延元元年(1336年)、後醍醐天皇の皇子である尊良親王と恒良親王は新田義貞らとともに敦賀へ逃れ金ケ崎城に拠ったが、足利軍の攻撃を受けて落城した。尊良親王は城とともに落命し、恒良親王は捕らえられて延元3年(1338年)に15歳で毒殺されたと伝えられる。明治に入り、敦賀の人々の熱心な請願によって明治23年9月に尊良親王を祭神とする金崎宮の創建が認められ、官幣中社に列した。明治25年11月には恒良親王を合祀し、同26年5月5日に勅使参向のもとで鎮座祭を執り行い、以後5月6日を例祭日と定めている。明治36年3月の町内からの出火で本殿以下三棟を焼失したが、同39年に現在地へ移して再建され、建築様式も流造から神明造に改められた。境内の大部分は国の史跡に指定された金ケ崎城跡にあたる。
- 所在地
- 福井県敦賀市金ヶ崎町1-4
- 御祭神
- 恒良親王、尊良親王
豊国神社
豊臣秀吉の生誕地である尾張中村(現在の名古屋市中村区)に鎮座する。公式の由緒によれば、秀吉生誕地の荒廃を嘆いた時の県令・国定廉平の発令を受け、明治18年(1885年)に地元の有志らによって創建された。御祭神は豊臣秀吉公で、摂社には加藤清正公を祀る。貧しい農民の子から天下人「太閤」となった秀吉にあやかり、出世・開運の神として地元中村をはじめ全国から参拝者が訪れる。明治34年には創建を計画した有志らが境内地周辺の土地を愛知県へ寄付し、県主導で市内最古の公園である中村公園が整備された。参道に建つ中村の大鳥居は、中村区の名古屋市編入を記念して昭和4年に竣工した鉄筋コンクリート造で、全長約24.5メートル、柱の直径2.5メートルと、完成当時は日本一の大きさを誇った。
- 所在地
- 愛知県名古屋市中村区中村町字木下屋敷
- 御祭神
- 豊臣秀吉公
龍尾神社
掛川城の北東(鬼門)にあたる龍尾山に鎮座する古社で、古くは龍尾山牛頭天王と称した。延喜式内社「真草神社」を当社とする言い伝えもあるが定かではない。鎮座の創始は不明ながら、宝治2年(1248年)に時の地頭職・忍十郎義広が記した『遠江国旧社詣』のなかに当社を詠んだ歌があり、この時すでに龍尾山に鎮座していたことがわかる。永正2年(1505年)の掛川城築城にあたっては、城内の龍頭山に鎮座していた神社も龍尾山へ遷して合祀し、以後は別当寺として神宮寺が建立された。掛川城の守護神として山内一豊をはじめ歴代城主の崇敬を集め、現在も厄除開運に霊験あらたかな社として知られる。主祭神は素盞嗚尊。
- 所在地
- 静岡県掛川市下西郷84番地
- 御祭神
- 素盞嗚尊(かつては牛頭天王)、櫛稲田姫尊
- 系統
- 八坂
石室神社
伊豆半島最南端の石廊崎に鎮座し、断崖のくぼみを利用して社殿が建てられている。石廊権現・石廊崎権現とも呼ばれる。南伊豆町の案内によれば創立は大宝元年(701年)と伝えられ、現在の社殿は明治34年(1901年)に建てられたもの。御祭神は伊波例命で、海上の安全を守る神として船乗りや漁業関係者の信仰を集めてきた。社殿は長さ四間ほどの太い帆柱を大根太として据えた上に造られており、伊豆七不思議の一つに数えられる。これは、昔、江戸へ向かう商船が石廊崎の沖合で大波に遭った際、帆柱を捧げると誓って石廊権現に祈ったところ無事に江戸へ着いたという言い伝えにちなむもので、その帆柱は今も社殿に使われていると伝わる。
- 所在地
- 静岡県賀茂郡南伊豆町石廊崎125
- 御祭神
- 伊波例命
高松神社
文武天皇の勅願により、紀州熊野三社のうち新宮にあたる熊野速玉大社の分神を高松山へ勧請したのが始まりで、大宝元年(701年)9月のこととされる。社伝によれば、藤原不比等の娘・宮子が幼少より熊野三社を篤く信仰し、文武天皇の皇后となって懐妊した際に熊野へ誓願したところ、無事に皇子(のちの聖武天皇)が誕生した。これを喜んだ天皇・皇后が東国に三所の社を建てることとし、北は山続き、南は海を望むこの地を新宮の宮地と定めたのが高松神社である。西の三熊野神社(本宮)、北の小笠神社(那智)と合わせて遠州の熊野三山を成す。御祭神は伊弉冊尊・速玉男命・亊解男命。源頼朝が伊豆配流の折に当社へ祈願したという伝説も残り、以来1300年にわたり地域の氏神として信仰されてきた。
- 所在地
- 静岡県御前崎市門屋2068番地
- 御祭神
- 伊弉冊尊、速玉男命
- 系統
- 熊野
井伊谷宮
明治5年(1872年)、明治天皇の思し召しにより創建され、翌年に官幣中社に列した神社。祭神の宗良親王は後醍醐天皇の第四皇子で、幼少期に出家して比叡山天台座主を務めたが、南北朝の動乱のなかで還俗し、一品中務卿征東将軍としてこの井伊谷を本拠に50年余りにわたり吉野朝(南朝)のために各地を転戦した。和歌にも秀で、『新葉和歌集』の編纂にあたったほか自撰家集『李花集』を残している。元中2年(1385年)8月10日、73歳でこの地に没したと伝えられる。昭和5年(1930年)には昭和天皇の親拝を受けた。歌才にちなむ学徳成就・合格、逆境を越えて長寿を保った事績にちなむ長寿・除災開運、道開き・交通安全の神として信仰されている。
- 所在地
- 静岡県浜松市浜名区引佐町井伊谷1991-1
- 御祭神
- 宗良親王
一宮浅間神社
社伝では景行天皇の御代の創祀と伝える古社。『日本三代実録』にみえる貞観6年(864年)の富士山大噴火を受け、翌貞観7年(865年)に勅命で甲斐国八代郡に建てられ官社に列したという「浅間明神の祠」に相当するとされ、『延喜式』神名帳に載る甲斐国八代郡の名神大社「浅間神社」の論社の一つに数えられる。当初は正体山に祀られ、延長2年(924年)10月に現在地へ遷宮したと伝わる。祭神は木花咲耶姫命。近代社格は村社。高田地区の鎮守として親しまれ、例大祭では約100人の担ぎ手が神輿を担いで地区内を練り歩く。境内には各種のツツジが植えられ、5月初旬に見ごろを迎える。
- 所在地
- 山梨県西八代郡市川三郷町高田字宮本3696
- 御祭神
- 木花咲耶姫命
- 系統
- 浅間
鼻顔稲荷神社
岩村田の商店街の東側を流れる湯川の断壁に社殿が構えられた稲荷社。公式サイトによれば、永禄年間(1558〜1569年)に京都の伏見稲荷から御分霊を賜って建立されたと伝わり、佐久市観光ナビや佐久広域連合の紹介でも四百年余前の勧請と説明されている。祭神は宇迦御魂神。日本五大稲荷の一つに数えられ、厄除け・商売繁盛・家内安全・社運隆昌・交通安全・安産・学業成就など幅広い祈願で信仰を集める。鳥居をくぐって参道を進んだ御姿殿には、巻物をくわえた子持ちの稲荷狐が据えられて参拝者を迎える。2月11日の初午祭には参道にだるまや縁起物の露店が並び、多くの人でにぎわう。
- 所在地
- 長野県佐久市大字岩村田字鼻顔4261
- 御祭神
- 宇迦之御魂命
- 系統
- 稲荷
冨士山下宮小室浅間神社
富士山から流れ下った剣丸尾溶岩流の突端に鎮座し、祭神は木花咲耶姫命。公式サイトの由緒によれば、延暦12年(793年)に坂上田村麻呂が東征の折、古吉田の地から富士山に戦勝を祈願して大勝し、その神護に感謝して大同2年(807年)に甲斐国都留郡古吉田の森組の地へ草創したと伝える。古い記録では単に「宮」と記され、富士北麓に住む人々の産土大神・鎮守として信仰の中心にあった。のちに周辺へ浅間神社が増えるなかで富士山から下手にあることから「下ノ宮」「冨士山下宮」と呼ばれるようになり、明治に「小室浅間神社」へ改称。昭和32年(1957年)に山梨県で二番目の別表神社に加列された。馬を第一の神使とし、筒粥祭と流鏑馬祭の占いが地域の生活指針となってきたことから、占い・お神籤を司る神としても知られる。
- 系統
- 浅間
氷上姉子神社
熱田神宮の境外摂社で、祭神は日本武尊の妃・宮簀媛命。熱田神宮の公式由緒によれば仲哀天皇の時代に創祀され、持統天皇4年(690年)に現在地へ遷座した。故地は宮簀媛命の父神の館があった場所と伝えられる。日本武尊の没後、この火上の里で守られていた草薙神剣を熱田の地へ遷して祀ったのが熱田神宮の始まりとされ、熱田神宮の創祀に最も関わりの深い社とされる。永徳2年(1382年)の火災を機に、字名が「火上」から「氷上」に改められた。現在の本殿は明治26年に別宮八剣宮の本殿を移したもの。地元では「お氷上さん」と呼ばれて親しまれ、境内北側の斎田では熱田神宮に奉る米を作る御田植祭が続けられている。
気多若宮神社
岐阜県飛騨市古川町上気多に鎮座し、大国主神を主祭神とする神社で、通称は「杉本様(すぎもとさま)」。創祀の年代は不詳だが、『日本三代実録』貞観15年(873年)8月20日条に従五位下を加階されたと見え、元慶5年(881年)には地震の霊異により従五位上へ昇叙されたと伝える。天正17年(1589年)に飛騨三万八千石を領した金森長近の子・可重が増島城を築くと、旧古川町の産土神であった杉本大神を合祀し、以後は杉本大神宮として城の東西鬼門を鎮護する神、また古川の産土神として崇敬された。万治3年(1660年)に社殿が再建され、明治3年(1870年)に気多若宮神社と復古改称、翌4年に郷社と定められ、大正15年(1926年)2月11日に県社へ昇格した。古来の特殊神事として裸祭「起し太鼓」があり、例祭は4月19日深更から20日未明にかけて行われる。
- 所在地
- 岐阜県飛騨市古川町上気多1297
- 御祭神
- 大国主神
- 系統
- 出雲
浅間神社
甲斐国一宮として崇敬されてきた古社で、木花開耶姫命を主祭神とする。社伝によれば垂仁天皇8年正月、現在の摂社・山宮神社が鎮座する神山の麓に初めて祀られたのが起こりで、富士山が大噴火した翌年にあたる貞観7年(865年)12月9日に現在地へ遷座したと伝える。延喜の制では名神大社に列し、明治4年(1871年)に国幣中社へ列格した。祭神は大山祇神の娘で天孫瓊瓊杵尊の妃とされる「富士の神」であり、山火鎮護のほか農業・酒造の守護、婚姻や子授け・安産にも霊験があると信仰されてきた。山梨県内では最も古い部類に入る神社の一つで、平成27年(2015年)には現在地への遷座から1150年を数える鎮座1150年祭が斎行された。境内の摂社・山宮神社は創祀の地とされ、3月の山宮神幸祭などで本社と結ばれている。
- 所在地
- 山梨県笛吹市一宮町一宮1684
- 御祭神
- 木花開耶姫命
- 系統
- 浅間
武田八幡宮
社記によれば、弘仁13年(822年)、嵯峨天皇の勅命により、武田武大神(日本武尊の御子)を祀る祠を桜の御所から現在地へ遷宮し、九州の宇佐神宮(八幡総本宮)を勧請・合祀して創建されたのが起こりで、地名から武田八幡宮と称したと伝わる。貞観年間(859〜877年)には京都の石清水八幡宮の御霊も社中に勧請された。保延6年(1140年)、新羅三郎義光の曾孫にあたる龍光丸が13歳でこの社の神前で元服し「武田太郎信義」と名乗ったことが甲斐武田氏の発祥とされ、韮崎市が甲斐武田氏発祥の地といわれる由来となっている。信義は当社を氏神として尊崇した。御祭神は武田武大神(日本武尊の御子)・誉田別命・足仲津彦命・息長足姫命。現在の本殿は天文10年に武田晴信(信玄)が再興したもので、三間社流造・檜皮葺、木割が雄大で装飾的意匠に優れ室町時代の特色を示すとして国の重要文化財に指定されている。石鳥居・若宮八幡宮本殿・二の鳥居は山梨県指定文化財。
- 所在地
- 山梨県韮崎市神山町北宮地1185
- 御祭神
- 誉田別命、足仲津彦命
- 系統
- 八幡
有明山神社
長野県に鎮座する出雲系の神社です。御祭神は手力雄命、八意思兼命、大己貴命。縁結び・開運・家内安全のご利益で知られます。
- 所在地
- 長野県安曇野市穂高有明宮城7271(里宮)長野県安曇野市穂高有明(有明山頂)(嶺宮)
- 御祭神
- 手力雄命、八意思兼命
- 系統
- 出雲
引手力命神社
駿河湾へ北に突き出す大瀬崎の先端に鎮座する式内社で、鳥居の扁額にもある通称「大瀬神社」で広く知られる。社伝では、白鳳13年(684年)の大地震で海底が隆起して岬(琵琶島)が現れた際、同じ地震で多くの土地が海没した土佐国から神が土地を引いてきたのだと考えた人々が、引手力命を祀ったのが始まりと伝える。古くから駿河湾の漁民の信仰を一身に集める海の守護神で、船を新造する際には必ず参詣して海上安全を祈願したという。漁民が奉納した絵馬や漁船模型が多数伝わり、静岡県指定の有形民俗文化財となっている。境内にある神池は直径約100m、海から15mと離れていないのに淡水で鯉や鮒が棲み、伊豆七不思議の一つに数えられる。岬を覆う大瀬崎のビャクシン樹林は昭和7年7月25日に国の天然記念物に指定された。
- 所在地
- 静岡県沼津市西浦江梨329
- 御祭神
- 引手力命
三熊野神社
文武天皇の皇后が紀州の熊野三社に「安産で皇子が誕生すれば東に三つの社を建てて日夜敬う」と誓われ、無事に皇子(のちの聖武天皇)を出産した。その誓いにより大宝元年(701年)、熊野本宮大社をこの横須賀の地へ、熊野那智大社を小笠山(現・小笠神社)へ、熊野速玉大社を高松(現・高松神社)へ遷座したのが起こりと社伝は伝え、あわせて遠州の熊野三社と称される。鎮座とともに朝廷から神領として笠原の庄を賜った。建武2年(1335年)元旦には新田義貞が戦勝祈願に参拝し楠木正成の鈴を奉納したと伝わる。天正6年(1578年)に徳川家康が横須賀城を築いて以降は歴代城主・家臣と城下近郷の信仰を集め、災難除・子授け・安産・縁結びの守り神として崇敬されてきた。御祭神は家津美御子神・伊邪那美神・事解男神。本殿は静岡県指定文化財。
- 所在地
- 静岡県掛川市西大渕5631番地の1
- 御祭神
- 家津美御子神、伊邪那美神
- 系統
- 熊野
秋葉神社
長野市の繁華街・権堂町に鎮座する秋葉社。秋葉信仰は静岡県の秋葉神社の祭神である火之迦具土神を火防の神として仰ぐもので、長野市内でも各地に小祠として祀られてきた。『長野市誌』によれば、権堂町の当社は西後町・十念寺境内の秋葉神社の御分身を勧請して建てられたと伝えられる。その十念寺の秋葉社は、酒屋の菊屋が秋葉三尺坊を祀って秋葉堂として建立したものと伝わり、三尺坊が酒を買いに来た折に主人が名のある修験者だろうと酒代を受け取らなかったところ、火難よけの御符などを授けられ、以後長く菊屋が栄えたという伝承が残る。また当社は、現在西町にある西方寺が権堂町にあった時代の秋葉堂を移したものともいわれる。主に花街の信仰を集め、現在のような立派な社殿が建てられたのは明治に入ってからである。
- 所在地
- 長野県長野市鶴賀2231
- 御祭神
- 軻遇突智神
- 系統
- 愛宕
山神神社
東郷町の西端、白土地区に鎮座する社で、氏子区域が東郷町白土と名古屋市緑区神の倉にまたがる珍しい神社です。兼務する富士浅間神社の由緒では「奉勧請山神一社」と記された文化4年の棟札から江戸時代後期の勧請と伝えられ、『東郷村誌』などにもとづく記録では寛政11年(1799)4月に傍示本村白土の元山へ勧請したとされます。棟札には元山を「山ノ神」と敬い、その下の磨砂を採ることを禁じる旨が記されており、白土という地名の由来ともなった磨砂の産出とともに集落が発展してきた歴史がうかがえます。祭神は大山咋神。勧請当時の氏子はわずか8戸で、祭礼の日には山仕事を休んで神前に集い一日を過ごす「山の子遊び」が行われていたと伝わります。境内には津島神社・秋葉神社のほか、地元出身の戦没者を祀る白土神社が鎮座しています。
- 所在地
- 愛知県愛知郡東郷町春木白土1番地
- 御祭神
- 大山咋神
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