中部の神社一覧
中部の都道府県別一覧と神社カードをまとめるページです。
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中部の神社一覧
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石室神社
伊豆半島最南端の石廊崎に鎮座し、断崖のくぼみを利用して社殿が建てられている。石廊権現・石廊崎権現とも呼ばれる。南伊豆町の案内によれば創立は大宝元年(701年)と伝えられ、現在の社殿は明治34年(1901年)に建てられたもの。御祭神は伊波例命で、海上の安全を守る神として船乗りや漁業関係者の信仰を集めてきた。社殿は長さ四間ほどの太い帆柱を大根太として据えた上に造られており、伊豆七不思議の一つに数えられる。これは、昔、江戸へ向かう商船が石廊崎の沖合で大波に遭った際、帆柱を捧げると誓って石廊権現に祈ったところ無事に江戸へ着いたという言い伝えにちなむもので、その帆柱は今も社殿に使われていると伝わる。
- 所在地
- 静岡県賀茂郡南伊豆町石廊崎125
- 御祭神
- 伊波例命
高松神社
文武天皇の勅願により、紀州熊野三社のうち新宮にあたる熊野速玉大社の分神を高松山へ勧請したのが始まりで、大宝元年(701年)9月のこととされる。社伝によれば、藤原不比等の娘・宮子が幼少より熊野三社を篤く信仰し、文武天皇の皇后となって懐妊した際に熊野へ誓願したところ、無事に皇子(のちの聖武天皇)が誕生した。これを喜んだ天皇・皇后が東国に三所の社を建てることとし、北は山続き、南は海を望むこの地を新宮の宮地と定めたのが高松神社である。西の三熊野神社(本宮)、北の小笠神社(那智)と合わせて遠州の熊野三山を成す。御祭神は伊弉冊尊・速玉男命・亊解男命。源頼朝が伊豆配流の折に当社へ祈願したという伝説も残り、以来1300年にわたり地域の氏神として信仰されてきた。
- 所在地
- 静岡県御前崎市門屋2068番地
- 御祭神
- 伊弉冊尊、速玉男命
- 系統
- 熊野
井伊谷宮
明治5年(1872年)、明治天皇の思し召しにより創建され、翌年に官幣中社に列した神社。祭神の宗良親王は後醍醐天皇の第四皇子で、幼少期に出家して比叡山天台座主を務めたが、南北朝の動乱のなかで還俗し、一品中務卿征東将軍としてこの井伊谷を本拠に50年余りにわたり吉野朝(南朝)のために各地を転戦した。和歌にも秀で、『新葉和歌集』の編纂にあたったほか自撰家集『李花集』を残している。元中2年(1385年)8月10日、73歳でこの地に没したと伝えられる。昭和5年(1930年)には昭和天皇の親拝を受けた。歌才にちなむ学徳成就・合格、逆境を越えて長寿を保った事績にちなむ長寿・除災開運、道開き・交通安全の神として信仰されている。
- 所在地
- 静岡県浜松市浜名区引佐町井伊谷1991-1
- 御祭神
- 宗良親王
一宮浅間神社
社伝では景行天皇の御代の創祀と伝える古社。『日本三代実録』にみえる貞観6年(864年)の富士山大噴火を受け、翌貞観7年(865年)に勅命で甲斐国八代郡に建てられ官社に列したという「浅間明神の祠」に相当するとされ、『延喜式』神名帳に載る甲斐国八代郡の名神大社「浅間神社」の論社の一つに数えられる。当初は正体山に祀られ、延長2年(924年)10月に現在地へ遷宮したと伝わる。祭神は木花咲耶姫命。近代社格は村社。高田地区の鎮守として親しまれ、例大祭では約100人の担ぎ手が神輿を担いで地区内を練り歩く。境内には各種のツツジが植えられ、5月初旬に見ごろを迎える。
- 所在地
- 山梨県西八代郡市川三郷町高田字宮本3696
- 御祭神
- 木花咲耶姫命
- 系統
- 浅間
鼻顔稲荷神社
岩村田の商店街の東側を流れる湯川の断壁に社殿が構えられた稲荷社。公式サイトによれば、永禄年間(1558〜1569年)に京都の伏見稲荷から御分霊を賜って建立されたと伝わり、佐久市観光ナビや佐久広域連合の紹介でも四百年余前の勧請と説明されている。祭神は宇迦御魂神。日本五大稲荷の一つに数えられ、厄除け・商売繁盛・家内安全・社運隆昌・交通安全・安産・学業成就など幅広い祈願で信仰を集める。鳥居をくぐって参道を進んだ御姿殿には、巻物をくわえた子持ちの稲荷狐が据えられて参拝者を迎える。2月11日の初午祭には参道にだるまや縁起物の露店が並び、多くの人でにぎわう。
- 所在地
- 長野県佐久市大字岩村田字鼻顔4261
- 御祭神
- 宇迦之御魂命
- 系統
- 稲荷
冨士山下宮小室浅間神社
富士山から流れ下った剣丸尾溶岩流の突端に鎮座し、祭神は木花咲耶姫命。公式サイトの由緒によれば、延暦12年(793年)に坂上田村麻呂が東征の折、古吉田の地から富士山に戦勝を祈願して大勝し、その神護に感謝して大同2年(807年)に甲斐国都留郡古吉田の森組の地へ草創したと伝える。古い記録では単に「宮」と記され、富士北麓に住む人々の産土大神・鎮守として信仰の中心にあった。のちに周辺へ浅間神社が増えるなかで富士山から下手にあることから「下ノ宮」「冨士山下宮」と呼ばれるようになり、明治に「小室浅間神社」へ改称。昭和32年(1957年)に山梨県で二番目の別表神社に加列された。馬を第一の神使とし、筒粥祭と流鏑馬祭の占いが地域の生活指針となってきたことから、占い・お神籤を司る神としても知られる。
- 系統
- 浅間
氷上姉子神社
熱田神宮の境外摂社で、祭神は日本武尊の妃・宮簀媛命。熱田神宮の公式由緒によれば仲哀天皇の時代に創祀され、持統天皇4年(690年)に現在地へ遷座した。故地は宮簀媛命の父神の館があった場所と伝えられる。日本武尊の没後、この火上の里で守られていた草薙神剣を熱田の地へ遷して祀ったのが熱田神宮の始まりとされ、熱田神宮の創祀に最も関わりの深い社とされる。永徳2年(1382年)の火災を機に、字名が「火上」から「氷上」に改められた。現在の本殿は明治26年に別宮八剣宮の本殿を移したもの。地元では「お氷上さん」と呼ばれて親しまれ、境内北側の斎田では熱田神宮に奉る米を作る御田植祭が続けられている。
気多若宮神社
岐阜県飛騨市古川町上気多に鎮座し、大国主神を主祭神とする神社で、通称は「杉本様(すぎもとさま)」。創祀の年代は不詳だが、『日本三代実録』貞観15年(873年)8月20日条に従五位下を加階されたと見え、元慶5年(881年)には地震の霊異により従五位上へ昇叙されたと伝える。天正17年(1589年)に飛騨三万八千石を領した金森長近の子・可重が増島城を築くと、旧古川町の産土神であった杉本大神を合祀し、以後は杉本大神宮として城の東西鬼門を鎮護する神、また古川の産土神として崇敬された。万治3年(1660年)に社殿が再建され、明治3年(1870年)に気多若宮神社と復古改称、翌4年に郷社と定められ、大正15年(1926年)2月11日に県社へ昇格した。古来の特殊神事として裸祭「起し太鼓」があり、例祭は4月19日深更から20日未明にかけて行われる。
- 所在地
- 岐阜県飛騨市古川町上気多1297
- 御祭神
- 大国主神
- 系統
- 出雲
浅間神社
甲斐国一宮として崇敬されてきた古社で、木花開耶姫命を主祭神とする。社伝によれば垂仁天皇8年正月、現在の摂社・山宮神社が鎮座する神山の麓に初めて祀られたのが起こりで、富士山が大噴火した翌年にあたる貞観7年(865年)12月9日に現在地へ遷座したと伝える。延喜の制では名神大社に列し、明治4年(1871年)に国幣中社へ列格した。祭神は大山祇神の娘で天孫瓊瓊杵尊の妃とされる「富士の神」であり、山火鎮護のほか農業・酒造の守護、婚姻や子授け・安産にも霊験があると信仰されてきた。山梨県内では最も古い部類に入る神社の一つで、平成27年(2015年)には現在地への遷座から1150年を数える鎮座1150年祭が斎行された。境内の摂社・山宮神社は創祀の地とされ、3月の山宮神幸祭などで本社と結ばれている。
- 所在地
- 山梨県笛吹市一宮町一宮1684
- 御祭神
- 木花開耶姫命
- 系統
- 浅間
武田八幡宮
社記によれば、弘仁13年(822年)、嵯峨天皇の勅命により、武田武大神(日本武尊の御子)を祀る祠を桜の御所から現在地へ遷宮し、九州の宇佐神宮(八幡総本宮)を勧請・合祀して創建されたのが起こりで、地名から武田八幡宮と称したと伝わる。貞観年間(859〜877年)には京都の石清水八幡宮の御霊も社中に勧請された。保延6年(1140年)、新羅三郎義光の曾孫にあたる龍光丸が13歳でこの社の神前で元服し「武田太郎信義」と名乗ったことが甲斐武田氏の発祥とされ、韮崎市が甲斐武田氏発祥の地といわれる由来となっている。信義は当社を氏神として尊崇した。御祭神は武田武大神(日本武尊の御子)・誉田別命・足仲津彦命・息長足姫命。現在の本殿は天文10年に武田晴信(信玄)が再興したもので、三間社流造・檜皮葺、木割が雄大で装飾的意匠に優れ室町時代の特色を示すとして国の重要文化財に指定されている。石鳥居・若宮八幡宮本殿・二の鳥居は山梨県指定文化財。
- 所在地
- 山梨県韮崎市神山町北宮地1185
- 御祭神
- 誉田別命、足仲津彦命
- 系統
- 八幡
有明山神社
長野県に鎮座する出雲系の神社です。御祭神は手力雄命、八意思兼命、大己貴命。縁結び・開運・家内安全のご利益で知られます。
- 所在地
- 長野県安曇野市穂高有明宮城7271(里宮)長野県安曇野市穂高有明(有明山頂)(嶺宮)
- 御祭神
- 手力雄命、八意思兼命
- 系統
- 出雲
引手力命神社
駿河湾へ北に突き出す大瀬崎の先端に鎮座する式内社で、鳥居の扁額にもある通称「大瀬神社」で広く知られる。社伝では、白鳳13年(684年)の大地震で海底が隆起して岬(琵琶島)が現れた際、同じ地震で多くの土地が海没した土佐国から神が土地を引いてきたのだと考えた人々が、引手力命を祀ったのが始まりと伝える。古くから駿河湾の漁民の信仰を一身に集める海の守護神で、船を新造する際には必ず参詣して海上安全を祈願したという。漁民が奉納した絵馬や漁船模型が多数伝わり、静岡県指定の有形民俗文化財となっている。境内にある神池は直径約100m、海から15mと離れていないのに淡水で鯉や鮒が棲み、伊豆七不思議の一つに数えられる。岬を覆う大瀬崎のビャクシン樹林は昭和7年7月25日に国の天然記念物に指定された。
- 所在地
- 静岡県沼津市西浦江梨329
- 御祭神
- 引手力命
三熊野神社
文武天皇の皇后が紀州の熊野三社に「安産で皇子が誕生すれば東に三つの社を建てて日夜敬う」と誓われ、無事に皇子(のちの聖武天皇)を出産した。その誓いにより大宝元年(701年)、熊野本宮大社をこの横須賀の地へ、熊野那智大社を小笠山(現・小笠神社)へ、熊野速玉大社を高松(現・高松神社)へ遷座したのが起こりと社伝は伝え、あわせて遠州の熊野三社と称される。鎮座とともに朝廷から神領として笠原の庄を賜った。建武2年(1335年)元旦には新田義貞が戦勝祈願に参拝し楠木正成の鈴を奉納したと伝わる。天正6年(1578年)に徳川家康が横須賀城を築いて以降は歴代城主・家臣と城下近郷の信仰を集め、災難除・子授け・安産・縁結びの守り神として崇敬されてきた。御祭神は家津美御子神・伊邪那美神・事解男神。本殿は静岡県指定文化財。
- 所在地
- 静岡県掛川市西大渕5631番地の1
- 御祭神
- 家津美御子神、伊邪那美神
- 系統
- 熊野
秋葉神社
長野市の繁華街・権堂町に鎮座する秋葉社。秋葉信仰は静岡県の秋葉神社の祭神である火之迦具土神を火防の神として仰ぐもので、長野市内でも各地に小祠として祀られてきた。『長野市誌』によれば、権堂町の当社は西後町・十念寺境内の秋葉神社の御分身を勧請して建てられたと伝えられる。その十念寺の秋葉社は、酒屋の菊屋が秋葉三尺坊を祀って秋葉堂として建立したものと伝わり、三尺坊が酒を買いに来た折に主人が名のある修験者だろうと酒代を受け取らなかったところ、火難よけの御符などを授けられ、以後長く菊屋が栄えたという伝承が残る。また当社は、現在西町にある西方寺が権堂町にあった時代の秋葉堂を移したものともいわれる。主に花街の信仰を集め、現在のような立派な社殿が建てられたのは明治に入ってからである。
- 所在地
- 長野県長野市鶴賀2231
- 御祭神
- 軻遇突智神
- 系統
- 愛宕
山神神社
東郷町の西端、白土地区に鎮座する社で、氏子区域が東郷町白土と名古屋市緑区神の倉にまたがる珍しい神社です。兼務する富士浅間神社の由緒では「奉勧請山神一社」と記された文化4年の棟札から江戸時代後期の勧請と伝えられ、『東郷村誌』などにもとづく記録では寛政11年(1799)4月に傍示本村白土の元山へ勧請したとされます。棟札には元山を「山ノ神」と敬い、その下の磨砂を採ることを禁じる旨が記されており、白土という地名の由来ともなった磨砂の産出とともに集落が発展してきた歴史がうかがえます。祭神は大山咋神。勧請当時の氏子はわずか8戸で、祭礼の日には山仕事を休んで神前に集い一日を過ごす「山の子遊び」が行われていたと伝わります。境内には津島神社・秋葉神社のほか、地元出身の戦没者を祀る白土神社が鎮座しています。
- 所在地
- 愛知県愛知郡東郷町春木白土1番地
- 御祭神
- 大山咋神
宇佐八幡宮
JR城端線福光駅の西、旧福光町の市街地に鎮座する。社伝によれば天平勝宝2年(750年)、大伴家持が越中守であった頃にその子・大伴持豊が福光城において、石黒庄の総社として豊前の宇佐から分霊を勧請したことに始まるという。古くから痘瘡除けの守護神として広く信仰を集め、寛仁元年(1017年)には別当寺である寛仁寺が建立された。春の福光春季例大祭は220年以上の歴史をもつ祭礼で、厄年の男性が神輿を担いで丸1日かけて市街地を巡行する行事として知られる。
- 所在地
- 富山県南砺市福光6865
- 系統
- 八幡
武井神社
創立年代は明らかでないが、持統天皇5年頃の創建とする口伝が残る。社名の由来には、諏訪大社の社領であった武井と同じ祭神を祀ることによるとする説と、神官の武居祝一族が奉斎したことによるとする説がある。古くは武井明神・諏訪明神と呼ばれ、現在の社名となったのは文化4年(1807年)。善光寺表参道の東側19か町を氏子とし、妻科神社・湯福神社とともに善光寺三鎮守(善光寺三社)に数えられ、善光寺七社の一社でもある。弘化4年(1847年)の善光寺地震で社殿を焼失し、13年後に再建された。現在の拝殿は平成21年(2009年)に建て替えられたもの。万延元年(1860年)の「御柱祭行列図大絵馬」は長野市指定有形文化財となっている。
- 所在地
- 長野県長野市大字長野東町186-2
- 御祭神
- 建御名方命、八坂刀売命
高天神社
掛川市南部にそびえる高天神山の山頂近くに鎮座する神社で、祭神は高皇産霊命・天菩比命・菅原道真公の三柱です。高天神城の略年表には913年に山頂へ宮柱が建てられたと記されており、古くからこの山が信仰の場であったことがうかがえます。戦国時代、この山には遠江支配の要とされた高天神城が築かれ、当社は城の守護を担う神社と位置づけられました。城は武田氏と徳川氏が繰り返し争奪した要衝で、天正9年(1581)の落城を経てのちに廃城となりますが、神社はそのまま山上に残り、周辺の人々の信仰を集め続けました。社名は「高天・神社」ではなく、菅原道真を祀る天神社を意味する「高・天神社」と解されています。近代社格制度では郷社に列しました。
- 所在地
- 静岡県掛川市上土方嶺向2650
- 御祭神
- 高皇産霊命、天菩比命
- 系統
- 天神
菅生石部神社
社伝によれば、敏達天皇の御願により宮中で祀られていた菅生石部神を、用明天皇即位元年(585年)にこの地へ遷したのが創祀と伝わる。越の江沼の地の農桑を励ます思し召しにより、当地方の鎮護と五穀豊穣、万民の富饒が祈願されたと伝えられる。菅生石部神は天津日高日子穂穂出見命・豊玉毘売命・鵜葺草葺不合命の三柱の総称で、五穀豊穣、疫病退散、安産育児の守護神として信仰されてきた。天武天皇の代には御願神事が始められたと伝えられ、この神事は今も2月10日に「竹割まつり」の名で受け継がれている。延喜式神名帳に記載される式内の古社で、越前国三宮、加賀国二宮として朝廷の崇敬を受け、天慶3年(940年)には正四位下に叙されたと伝わる。木曾義仲や足利義持、豊臣秀吉、前田利家をはじめとする前田家からも寄進や奉納を受け、明治29年に国幣小社へ列格した。社宝として、国の重要文化財である蒔絵角赤手箱と正親町天皇宸翰御詠草を伝える。
- 所在地
- 石川県加賀市大聖寺敷地ル乙81
- 御祭神
- 天津日高日子穂穂出見命、豊玉毘売命
須須神社
能登半島の先端、日本海に突き出た高座山に鎮座する式内社で旧県社。高座宮と金分宮の二社に夫婦の大神を祀って須須神社と称し、「三崎権現」「須須大明神」として、東北(鬼門)にあたる日本海の守護神・災難除けの神と崇められてきた。社伝では第10代崇神天皇の御代に能登半島最北端の山伏山(鈴ヶ嶽)山頂に創建され、奈良時代の天平勝宝年間に現在地へ遷座したと伝える。『日本三代実録』によれば貞観15年(873年)に従五位上の神階を授けられた。中世には多くの社人社僧を擁して広い社領を持ち、天正12年(1584年)には加賀藩主前田利家が巡国の折に祈願所と定め、社領として神田5町歩を寄進している。元禄10年(1697年)には奥宮の中腹に大燈明堂が設けられ、夜ごとの灯りが船の道しるべとなって明治期の禄剛崎灯台へ受け継がれた。境内の社叢は昭和50年に国の天然記念物に指定されている。
- 所在地
- 石川県珠洲市三崎町寺家4-2
- 御祭神
- 天津日高彦穂瓊瓊杵尊、美穂須須美命
中部に関連するご利益一覧
中部の神社一覧から、よく紐づくご利益をまとめています。