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中部の神社一覧

中部の都道府県別一覧と神社カードをまとめるページです。

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中部の神社一覧

207件中41-60件を表示しています。

富山県勝負運厄除け

宇佐八幡宮

うさはちまんぐう

JR城端線福光駅の西、旧福光町の市街地に鎮座する。社伝によれば天平勝宝2年(750年)、大伴家持が越中守であった頃にその子・大伴持豊が福光城において、石黒庄の総社として豊前の宇佐から分霊を勧請したことに始まるという。古くから痘瘡除けの守護神として広く信仰を集め、寛仁元年(1017年)には別当寺である寛仁寺が建立された。春の福光春季例大祭は220年以上の歴史をもつ祭礼で、厄年の男性が神輿を担いで丸1日かけて市街地を巡行する行事として知られる。

所在地
富山県南砺市福光6865
系統
八幡
長野県開運

武井神社

たけいじんじゃ

創立年代は明らかでないが、持統天皇5年頃の創建とする口伝が残る。社名の由来には、諏訪大社の社領であった武井と同じ祭神を祀ることによるとする説と、神官の武居祝一族が奉斎したことによるとする説がある。古くは武井明神・諏訪明神と呼ばれ、現在の社名となったのは文化4年(1807年)。善光寺表参道の東側19か町を氏子とし、妻科神社・湯福神社とともに善光寺三鎮守(善光寺三社)に数えられ、善光寺七社の一社でもある。弘化4年(1847年)の善光寺地震で社殿を焼失し、13年後に再建された。現在の拝殿は平成21年(2009年)に建て替えられたもの。万延元年(1860年)の「御柱祭行列図大絵馬」は長野市指定有形文化財となっている。

所在地
長野県長野市大字長野東町186-2
御祭神
建御名方命、八坂刀売命
静岡県学業成就

高天神社

たかてんじんじゃ

掛川市南部にそびえる高天神山の山頂近くに鎮座する神社で、祭神は高皇産霊命・天菩比命・菅原道真公の三柱です。高天神城の略年表には913年に山頂へ宮柱が建てられたと記されており、古くからこの山が信仰の場であったことがうかがえます。戦国時代、この山には遠江支配の要とされた高天神城が築かれ、当社は城の守護を担う神社と位置づけられました。城は武田氏と徳川氏が繰り返し争奪した要衝で、天正9年(1581)の落城を経てのちに廃城となりますが、神社はそのまま山上に残り、周辺の人々の信仰を集め続けました。社名は「高天・神社」ではなく、菅原道真を祀る天神社を意味する「高・天神社」と解されています。近代社格制度では郷社に列しました。

所在地
静岡県掛川市上土方嶺向2650
御祭神
高皇産霊命、天菩比命
系統
天神
石川県開運

菅生石部神社

すごういそべじんじゃ

社伝によれば、敏達天皇の御願により宮中で祀られていた菅生石部神を、用明天皇即位元年(585年)にこの地へ遷したのが創祀と伝わる。越の江沼の地の農桑を励ます思し召しにより、当地方の鎮護と五穀豊穣、万民の富饒が祈願されたと伝えられる。菅生石部神は天津日高日子穂穂出見命・豊玉毘売命・鵜葺草葺不合命の三柱の総称で、五穀豊穣、疫病退散、安産育児の守護神として信仰されてきた。天武天皇の代には御願神事が始められたと伝えられ、この神事は今も2月10日に「竹割まつり」の名で受け継がれている。延喜式神名帳に記載される式内の古社で、越前国三宮、加賀国二宮として朝廷の崇敬を受け、天慶3年(940年)には正四位下に叙されたと伝わる。木曾義仲や足利義持、豊臣秀吉、前田利家をはじめとする前田家からも寄進や奉納を受け、明治29年に国幣小社へ列格した。社宝として、国の重要文化財である蒔絵角赤手箱と正親町天皇宸翰御詠草を伝える。

所在地
石川県加賀市大聖寺敷地ル乙81
御祭神
天津日高日子穂穂出見命、豊玉毘売命
石川県開運

須須神社

すずじんじゃ

能登半島の先端、日本海に突き出た高座山に鎮座する式内社で旧県社。高座宮と金分宮の二社に夫婦の大神を祀って須須神社と称し、「三崎権現」「須須大明神」として、東北(鬼門)にあたる日本海の守護神・災難除けの神と崇められてきた。社伝では第10代崇神天皇の御代に能登半島最北端の山伏山(鈴ヶ嶽)山頂に創建され、奈良時代の天平勝宝年間に現在地へ遷座したと伝える。『日本三代実録』によれば貞観15年(873年)に従五位上の神階を授けられた。中世には多くの社人社僧を擁して広い社領を持ち、天正12年(1584年)には加賀藩主前田利家が巡国の折に祈願所と定め、社領として神田5町歩を寄進している。元禄10年(1697年)には奥宮の中腹に大燈明堂が設けられ、夜ごとの灯りが船の道しるべとなって明治期の禄剛崎灯台へ受け継がれた。境内の社叢は昭和50年に国の天然記念物に指定されている。

所在地
石川県珠洲市三崎町寺家4-2
御祭神
天津日高彦穂瓊瓊杵尊、美穂須須美命
長野県開運

若一王子神社

にゃくいちおうじじんじゃ

長野県大町市大町に鎮座し、伊弉冉尊・仁品王・妹耶姫・若一王子の四柱を祀る。社伝では垂仁天皇の御代に仁品王が社を建てて伊弉冉尊を奉祀したのが始まりとされ、のちに土地の創始の神として仁品王とその后・妹耶姫が合祀された。安曇郷を領した仁科氏の崇敬が篤く、嘉祥2年(849)の創建と伝えられる。仁科盛遠が熊野那智大社に詣で、第五殿に祀られる若一王子を勧請してからは若一王子の宮と称された。現在の本殿は戦国末期の弘治2年(1556)に仁科盛康が造営した隅木入春日造の一間社で、国の重要文化財。承応3年(1654)には社殿の大修造が行われた。明治の神仏分離の際に現社号へ改め、昭和6年(1931)に県社、昭和51年(1976)に別表神社へ加列。境内には観音堂(宝永3年/1706)と三重塔(宝永8年/1711)が残り、神仏習合の姿を今に伝える。社叢「王子の森」は長野県天然記念物。

所在地
長野県大町市大字大町2097
御祭神
伊弉冉尊、仁品王
静岡県勝負運厄除け

守山八幡宮

もりやまはちまんぐう

狩野川の西にそびえる守山の東麓に鎮座する。社伝では大化3年(647年)に大山祇神を祀って創建されたとされ、延喜7年(907年)に豊前の宇佐八幡宮から八幡神を勧請して合祀し、守山八幡宮と称するようになったと伝わる。治承4年(1180年)8月、伊豆に流されていた源頼朝が以仁王の令旨を受けて平家追討を祈願し、当社の社前で挙兵したと伝えられる。頼朝はこの地から、配下が襲撃した目代・山木兼隆の館が焼ける火煙を望み、緒戦の成就を知ったという。現在の本殿は寛永9年(1632年)に久能城主・榊原照久が造営したもので、源氏再興の出発点となった社として知られている。

所在地
静岡県伊豆の国市寺家1204-1
御祭神
誉田別命、大山祇命
系統
八幡
静岡県安産子宝

村山浅間神社

むらやませんげんじんじゃ

富士山における修験道、いわゆる村山修験の中心地として栄えた神社です。社伝では孝昭天皇2年に富士山中腹の水精ヶ岳に創建され、大宝元年(701年)に現在地へ遷ったと伝えられます。平安時代末の末代上人に連なる修行者たちがこの地に寺院を営み、興法寺として神仏習合の霊場を形づくりました。戦国時代の初めには駿河を領した今川氏の庇護を受け、江戸時代には池西坊・辻之坊・大鏡坊の村山三坊が興法寺とともに大宮・村山口登拝道と山頂の大日堂を管理しています。明治の神仏分離により興法寺は廃されて神社として存続し、大正13年(1924年)に県社へ昇格しました。2013年には「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産として世界文化遺産に登録されています。境内には修験者や登拝者が身を清めた水垢離場が残ります。

所在地
静岡県富士宮市村山1151
御祭神
木花開耶姫命、大山祗命
系統
浅間
岐阜県健康祈願開運

長滝白山神社

ながたきはくさんじんじゃ

霊峰白山を神体山と仰ぐ白山信仰の美濃側の拠点で、白山三馬場のうち「美濃馬場」と呼ばれた地に鎮座する。社伝では養老元年(717年)に泰澄が白山に登拝し、白山中宮長瀧寺を開いたのが始まりとされる。天長5年(828年)に法相宗から天台宗へ改まり、同9年には加賀の白山本宮、越前の平泉寺とともに白山三馬場の一つに数えられた。中世には1万3千石の神領と多数の坊院を擁して隆盛し、全国から信仰者が集まった。明治の神仏分離により長滝白山神社と長瀧寺に分かれ、明治32年(1899年)の大火で多くの建物を失ったが、神仏習合時代の旧観を残す同一境内に両者が並び、国指定の重要無形民俗文化財「長滝の延年」をはじめ多くの文化財を伝えている。

所在地
岐阜県郡上市白鳥町長滝字杉山91
御祭神
伊弉諾尊、伊弉冉尊
系統
白山
愛知県勝負運厄除け

鳴海八幡宮

なるみはちまんぐう

名古屋市緑区、旧鳴海村の氏神として祀られてきた神社。創建年代は不詳だが、貞永元年(1232年)に久野家の初代が社職に就いたという記録が伝わり、境内には樹齢千年を超えると伝えられる大楠が御神木としてそびえる。この大木の存在から、当社が平安時代以前にさかのぼる古社である可能性が指摘されている。『延喜式』神名帳の尾張国愛智郡「川原神社」の比定社の一つにも挙げられている。長く八幡社と呼ばれてきたが、昭和34年(1959年)の伊勢湾台風で社殿が被害を受け、昭和43年(1968年)に本殿・拝殿を新築した際に鳴海八幡宮と改称した。主祭神は品陀和気命(応神天皇)で、息長帯日売命(神功皇后)ほか計五柱を祀る。

所在地
愛知県名古屋市緑区鳴海町字前之輪23
御祭神
品陀和気命、息長帯日売命
系統
八幡
山梨県開運

美和神社

みわじんじゃ

甲斐国二宮として崇敬されてきた古社で、笛吹市御坂町二之宮に鎮座する。祭神は大物主命。『甲斐国志』などが伝える社伝によれば、景行天皇の御代、日本武尊の東征に際して大和国の大神神社から勧請し、甲斐国造・塩海足尼が祭主となって祀ったのが始まりという。文献上の初見は『日本三代実録』貞観5年(863年)の記事で、神階を授けられたことが見え、国史見在社に数えられる。一条天皇の時代に甲斐国二之宮の号を受け、一宮の浅間神社、三宮の玉諸神社とともに甲斐国の水防の祭儀を担った。戦国期には武田氏の崇敬を受けている。旧社格は県社。平安時代の作とされる木造大物主神立像は国の重要文化財、室町期から伝わる太々神楽は山梨県指定の無形民俗文化財となっている。

所在地
山梨県笛吹市御坂町二之宮1450-1
御祭神
大物主命
新潟県開運家内安全

春日山神社

かすがやまじんじゃ

新潟県上越市大豆に鎮座し、戦国武将・上杉謙信を上杉謙信命として祀る。創建は比較的新しく、明治20年(1887)に謙信の遺徳を慕った旧高田藩士・小川澄晴が創建を発起し、近代郵便制度の創始者として知られる前島密らの援助を得て、明治34年(1901)に山形県米沢の上杉神社から分霊を迎えて創祀された。本殿は神明造で、旧社格は県社。境内には上杉謙信と、上越出身の童話作家・小川未明に関する資料を展示する宝物館が置かれ、昭和31年(1956)11月には小川未明の詩碑が建立された。令和4年(2022)には春日山旅館から寄贈された上杉謙信像が安置されている。例祭は5月5日と9月13日に行われ、正月には初詣や二年参りの参拝者で賑わう。

所在地
新潟県上越市大字大豆1743
御祭神
上杉謙信命
系統
春日
長野県開運

風間神社

かざまじんじゃ

創祀年代は不詳で、当地の開拓にあたって風の神を祀ったのが起こりと伝えられる古社です。『延喜式』神名帳の信濃国水内郡「風間神社」に比定される式内社で、『日本書紀』推古天皇の条にみえる水内神、『日本三代実録』貞観2年(860年)に叙位の記事がある飄別神を当社とする説があります。天元2年(979年)には諏訪神家の庶流・矢島忠直が神領の庄司として下向して風間氏を称し、各地に広がる風間氏の祖となりました。中世には諏訪信仰の影響を受けて諏訪大明神と称し、元禄10年(1697年)に風間大明神へ、文政5年(1822年)に現在の風間神社へと社号を改めています。同じ文政5年に始まった太々神楽獅子舞は、平成10年(1998年)に長野市の選択無形民俗文化財となりました。

所在地
長野県長野市風間781-1
御祭神
級長津彦命、級長戸辺命
富山県健康祈願開運

上梨白山宮

かみなしはくさんぐう

五箇山の上梨集落に鎮まる古社で、伝承では奈良時代の泰澄が人形山に開いた堂塔にはじまり、のちに山麓の上梨へ移されたと伝えられます。本殿には文亀2年(1502年)の棟札が残り、富山県内に現存する最も古い木造建築とされ、国の重要文化財に指定されています。規模は小さな一間社流造で、豪雪から守るため鞘堂に覆われています。白山信仰の菊理媛命を主祭神に、諏訪と八幡の神をあわせ祀っています。五箇山を代表する古い民謡「こきりこ」は、古くからこの白山宮の祭礼で歌い継がれてきたもので、現在も秋の祭りで奉納されています。

所在地
富山県南砺市上梨654
御祭神
菊理媛命、諏訪大明神
系統
白山
岐阜県厄除け開運

日吉神社

ひよしじんじゃ

弘仁8年(817年)、東国への布教のため東山道を下った伝教大師最澄が、地元郡司の帰依を受けて近江・日吉大社の大宮(大己貴大神)・二宮(大山咋大神)・宇佐宮・樹下宮の四社を勧請し創建したと伝えます。のちに慈覚大師円仁が客人宮・牛尾宮・三宮の三社を加え、山王七社として七柱を祀る形が整いました。平安期以降は延暦寺領・平野荘の鎮守として崇敬を集め、岐阜県独自の社格である金幣社に列しています。室町時代後期に建てられた三重塔は国の重要文化財、本殿は岐阜県指定重要文化財で、神輿および百八燈明台は岐阜県指定重要有形民俗文化財。三重塔は令和6年(2024年)7月に火災で被災しましたが修復工事が行われ、令和8年(2026年)3月に修復完了報告祭が営まれました。

所在地
岐阜県安八郡神戸町神戸1
御祭神
大己貴大神、大山咋大神
系統
日吉
静岡県開運

鹿苑神社

ろくおんじんじゃ

静岡県に鎮座する神社です。御祭神は大名牟遅命。開運のご利益で知られます。

所在地
静岡県磐田市二ノ宮1767
御祭神
大名牟遅命
愛知県商売繁盛金運

矢作神社

やはぎじんじゃ

社名は日本武尊の東征伝説に由来する。尊が賊退治の矢を求めた際、一匹の蝶が人の姿となって矢作川の中州に生える竹を採ってきて、矢作部がその竹で一夜のうちに一万本の矢を作り献じたと伝えられ、境内には「矢竹」と日本武尊の像が祀られている。江戸時代には幕府直営で行われた矢作橋の掛け替え工事の完成を記念する絵馬が奉納されており、宝暦12年(1762)や天明元年(1781)奉納の絵馬を含む「矢作神社絵馬群」12点が岡崎市指定有形民俗文化財となっている。約300年続くと伝わる大祭は、五穀豊穣などを願う行事として今も受け継がれている。

所在地
愛知県岡崎市矢作町字宝珠庵1
御祭神
素盞嗚尊、豊受大神
系統
稲荷
静岡県開運厄除け

山住神社

やまずみじんじゃ

和銅2年(709)、伊予国の大山祇神社から大山積命の分霊を勧請して創建されたと伝わる古社で、標高約1100メートルの山住峠の頂に鎮座する、遠州で最も高所にある神社。古くから山犬(狼)を神使とする山犬信仰で知られ、狛犬も山犬の姿をしている。元亀3年(1572)、武田勢に追われた徳川家康が当地へ逃げ込んだ際、山犬が一斉に吠えて武田勢を退けたと伝わり、家康は翌天正元年(1573)に再び参詣して二振りの刀剣を奉納したとされる。境内には推定樹齢1200年余の二本の大杉がそびえ、静岡県指定天然記念物となっている。明治5年(1872)に現在の社名に改められた。旧社格は県社。

所在地
静岡県浜松市天竜区水窪町山住230番地
御祭神
大山積命、事解男命
系統
熊野
富山県開運

多久比禮志神社

たくひれしじんじゃ

社伝によれば白鳳元年(672)4月の創建と伝わる古社で、旧社格は郷社。伝承では、林宿禰弥鹿伎が神通川を船で遡る途中、白髪の老人から対岸の松の木の際の泉が塩水であることを告げられ、その水を煮詰めて塩を得たことから、これを土地の開拓を促す神託と受け止めて社殿を建てたのが起源とされ、鎮座地の「塩」という地名もこれに因むと伝わる。御祭神は彦火火出見命・豊玉姫命・鹽土老翁で、「塩の宮」とも呼ばれ、製塩や塩業との関わりが深い神社として崇敬されてきた。明治期に『延喜式』神名帳の多久比禮志神社に比定されて現社名に改称したが、同社の論社は他にも数社ある。

所在地
富山県富山市塩690
御祭神
彦火火出見命、豐玉姫命
愛知県開運

高座結御子神社

たかくらむすびみこじんじゃ

熱田神宮の境外摂社で、名古屋市熱田区高蔵町に鎮座する。創建は熱田神宮とほぼ同時期と伝えられる悠遠の古社で、『延喜式』神名帳では名神大社に列している。御祭神は尾張氏の祖神とされる高倉下命で、この地の産土神として祀られてきた。古くから子育ての神としての信仰が篤く、境内末社・御井社の井戸を幼児にのぞかせて疳の虫封じを祈る「高座の井戸のぞき」という独特の風習が伝わる。例祭は6月1日。

中部に関連するご利益一覧

中部の神社一覧から、よく紐づくご利益をまとめています。