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近畿の神社一覧

近畿の都道府県別一覧と神社カードをまとめるページです。

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近畿の神社一覧

394件中21-40件を表示しています。

三重県開運

比自岐神社

ひじきじんじゃ

創祀年代は不詳で、延喜式神名帳の伊賀国伊賀郡「比自岐神社」に比定される式内社です。祭神の比自岐神は、かつてこの地を治めた伊賀比自岐和気氏の祖神とされ、垂仁天皇の庶子である円目王の妃を出した一族として朝廷とのつながりも伝えられます。天王宮、大森神社という別称もありました。天正9年(1581年)の天正伊賀の乱で社殿をことごとく焼失し、慶長9年(1604年)に再建されています。明治末の一村一社の合祀令により旧比自岐村内に鎮座していた33社を合祀し、大正13年(1924年)に県社へ昇格しました。社前には「右いせみち、左うへの道」と刻まれた道標が残り、伊勢参宮街道の一つが当地を通っていたことを伝えています。

所在地
三重県伊賀市比自岐683
御祭神
比自岐神、天児屋根命
兵庫県学業成就

東天神社

ひがしてんじんじゃ

兵庫県神社庁の由緒によれば、天平年間に行基が昆陽池をはじめ猪名野笹原一帯を開拓した際、その事業成就を祈願する場として設けられたと伝わる神社です。昆陽村の東の氏神にあたり、市場町・辻町・大工町・中町・東町を氏子の範囲としてきました。昆陽村にはもう一つの氏神として西天神社があり、東西で対をなしています。祭神の伊弉諾尊・伊弉冊尊は夫婦神で万物を生んだ祖神とされることから、息災延命長寿の信仰を集めてきました。境内手前には「左 中山 三田 小濱 有馬」「右 大坂 尼ヶ崎」と刻まれた角柱型の道標が立ち、本殿の背後には「庚申祭所」と刻まれた昆陽村の庚申碑の一つが祀られています。

所在地
兵庫県伊丹市昆陽4-1
御祭神
伊弉諾尊、伊弉冊尊
系統
天神
三重県開運

名居神社

ないじんじゃ

創祀年代は不詳です。『日本書紀』には推古天皇7年(599年)に大和を中心とする大地震があり、四方に「なゐの神(地震の神)」を祀らせたと記されており、伊賀国におけるその一社が当社であると伝えられてきました。延喜式神名帳の伊賀国名張郡「名居神社」に比定される式内社で、旧社格は村社です。「なゐ」は本来「地」を意味する古語で、近世には地祇大明神・国津大明神と呼ばれ、国津神である大己貴命が主祭神とされるようになりました。元伊勢の伝承地の一つにも数えられます。境内には興玉神社と山神社が祀られ、皇大神宮と橿原神宮の遙拝所も設けられています。

所在地
三重県名張市下比奈知2092
御祭神
大己貴命、少彦名命
系統
出雲
和歌山県開運

荒島神社

あらしまじんじゃ

紀伊半島中央部、日高川の上流にあたる旧龍神村甲斐ノ川(現在の田辺市龍神村甲斐ノ川)に鎮座する。創建の年代は明らかでない。この一帯は明治22年(1889年)に甲斐ノ川・小家・福井の三地区が合わさって下山路村となった地域で、当社は古くからその氏神として祀られてきた。秋には旧村域の三地区が獅子舞と神輿を繰り出す祭礼が営まれ、山間の集落の結び付きを今に伝えている。なお和歌山県の文化情報アーカイブでは、社名を「荒嶋神社」とも表記する。

所在地
和歌山県田辺市龍神村甲斐ノ川603
滋賀県安産子宝

吉姫神社

よしひめじんじゃ

滋賀県湖南市石部東に鎮座する古社で、同じ湖南市内の吉御子神社と女神・男神の対をなす関係にあると伝えられる。吉御子神社側の由緒によれば、垂仁天皇2年に宇加之彦の子である吉比古・吉比女の二神を神籠(ひもろぎ)を建てて祀ったことに始まり、承平5年(935年)に両神を末社から本社へ遷して吉御子神社と称するようになったという。当社はこのうち女神である吉比女(吉姫)を祀る社にあたる。社に伝わる木造狛犬は南北朝時代の作とされ、素朴で愛らしい表情で知られる。毎年5月1日の石部祭では、吉御子神社と当社の両社から神輿が同時に担ぎ出され、それぞれの御旅所へ向かって市内を巡行する。

所在地
滋賀県湖南市石部東8-4-1
御祭神
木花開耶姫、上鹿葺津姫
系統
浅間
滋賀県開運

馬見岡綿向神社

うまみおかわたむきじんじゃ

滋賀県蒲生郡日野町村井に鎮座し、天穂日命・天夷鳥命・武三熊大人命を祀る。社伝では神武天皇の御代に、出雲国から天穂日命に供奉して来た彦健忍雄心命が東方に聳える綿向山に開拓の祖神を迎え祀ったのが起こりで、欽明天皇6年(545年)に山頂へ祠を建てたのが創祀と伝える。平安初期の延暦15年(796年)に里宮として現在地へ遷され、『延喜式』神名帳にみえる馬見岡神社の論社とされる。以来、蒲生上郡の総社・日野の大宮として当地の産土神と仰がれ、鎌倉から安土桃山期にはこの地の領主であった蒲生氏一族が氏神として庇護し、江戸時代には全国に名をはせた日野商人の財力に支えられて出世開運の神として崇敬を集めた。現在の本殿は宝永4年(1707年)に氏子中の寄進により建立されたもの。標高1,110mの綿向山山頂に祀る奥之宮・大嵩神社では、20年ごとに社殿を建て替える式年遷宮が今も続けられている。

所在地
滋賀県蒲生郡日野町村井705
御祭神
天穂日命、天夷鳥命
奈良県開運

畝尾都多本神社

うねおつたもとじんじゃ

奈良県橿原市木之本町に鎮座し、「哭沢の神社(なきさわのもり)」とも呼ばれる。祭神の哭沢女神(泣沢女神)は、『古事記』において国生みの最後の段階で伊邪那美神が火の神・火之迦具土神を生んで亡くなったのを、伊邪那岐神が悲しんで泣いた涙から生まれた女神と伝えられる。当社は社殿(神殿)を持たず、玉垣で囲んだ空井戸を御神体とするのが大きな特色で、境内には末社の八幡神社が鎮座する。また、桧隈女王が「哭沢の 神社に神酒据ゑ 祈れども 我が大君は 高日知らしぬ」と詠んだと伝わる万葉歌碑が境内に建てられている。『延喜式』神名帳の十市郡にもその社名がみえる古社で、天香久山の麓に鎮まる畝尾坐健土安神社とは至近の位置関係にある。

所在地
奈良県橿原市木之本144
御祭神
泣沢女神
奈良県開運

畝尾坐健土安神社

うねおにますたけはにやすじんじゃ

奈良県橿原市下八釣町、天香久山の北西麓・赤埴山の麓に鎮座する。祭神は健土安比売神で、公式には天児屋根命を併せ祀るとする。『延喜式』神名帳十市郡の「畝尾坐健土安神社 大、月次新嘗」に比定される式内大社で、近世には天照大神社と称した(旧村社)。『日本書紀』神武天皇即位前紀には、天皇が天香山の埴土を取って多くの平瓫を造り、自ら斎戒して諸神を祭って国土を安定させ、土を取った所を「埴安」と名づけたとあり、当社はその埴安に鎮まる土の霊とされる。天平2年(730年)には神戸の租稲九十束のうち四束が祭神料に充てられ(『大倭国正税帳』)、天安3年(859年)1月27日に従五位下から従五位上へ昇叙された(『日本三代実録』)。神社と天香久山の間には赤埴山と呼ばれる小丘があり、埴安伝承地の石碑が建つ。令和元年からは天香山神社とともに、神武天皇の埴採りの神話にもとづく神事を毎年斎行している。

所在地
奈良県橿原市下八釣町138
御祭神
健土安比売命
京都府勝負運厄除け

宇治上神社

うじがみじんじゃ

宇治川東岸、朝日山の山裾に鎮座する。応神天皇の末の皇子で聡明さゆえに皇太子に立てられた菟道稚郎子命を主祭神とし、応神天皇・仁徳天皇を併せ祀る。社伝では、応神天皇の崩御後に菟道稚郎子が兄の仁徳天皇へ皇位を譲ろうとし、仁徳天皇も父帝の定めを変えられないとして3年にわたり譲り合った結果、世の乱れを憂えた菟道稚郎子が自ら命を絶ち、これを知った仁徳天皇が難波から急ぎ宇治へ赴いて手厚く葬ったことが、のちの創建の由来になったと伝える。京都府の説明によれば、本殿(国宝)は平安時代後期に伐採された木材を用いた一間社流造の三殿からなり、神社建築としては日本最古の本殿とされる。拝殿(国宝)は鎌倉時代前期に伐採された桧を使った優れた建物遺構である。「古都京都の文化財」の構成資産として世界文化遺産に登録されている。御神徳は学業成就・武運隆昌・家内安全で、祭神名の「菟」にちなみうさぎの授与品でも知られる。

所在地
京都府宇治市宇治山田59
御祭神
菟道稚郎子命、応神天皇
系統
八幡
大阪府商売繁盛金運

露天神社

つゆのてんじんしゃ

大阪キタの中心、梅田・曽根崎の総鎮守で、通称「お初天神」。社伝によれば、上古に大阪湾へ浮かぶ小島の一つであった現在地に「住吉須牟地曽根ノ神」を祀ったのが始まりで、古代難波の「難波八十島祭」旧跡の一社とされる。創建年代は定かでないが、八十島祭が文徳天皇の嘉祥3年(850年)まで遡り、6世紀の欽明天皇の頃には形が整っていたとされることから、当社の起源もその頃と推察されている。社名は、昌泰4年(901年)に大宰府へ左遷される途中の菅原道真が当地で詠んだと伝わる「露と散る涙に袖は朽ちにけり」の歌にちなむとされ、元和8年(1622年)の社殿再建の際に道真公が相殿に合祀された。元禄16年(1703年)に境内で起きた心中事件を題材に近松門左衛門が『曽根崎心中』を著したことから、主人公お初の名にちなむ通称で広く知られる。現社殿は昭和20年6月の戦災で焼失した後、昭和32年9月に再建されたもの。

所在地
大阪府大阪市北区曽根崎2-5-4
御祭神
大己貴大神、少彦名大神
系統
天神
滋賀県交通安全美容

都久夫須麻神社

つくぶすまじんじゃ

琵琶湖に浮かぶ竹生島に鎮座し、竹生島神社とも呼ばれる。市杵島比売命(弁財天)、宇賀福神、産土神の浅井比売命、龍神を祀る。『総国風土記』は雄略天皇3年(459年)に浅井姫命を祀る小祠が建てられたのを始まりとし、縁起では神亀元年(724年)に天照大神の神託によって市杵島姫命が当島に祀られ、天平3年(731年)に聖武天皇が参拝して神殿を新築し、社前に天忍穂耳命・大己貴命を祀ったと伝える。天平宝字8年(764年)の藤原仲麻呂の乱では当社の神護によって乱が治まったとして神位が授けられたと記される。平安期に神宮寺の宝厳寺が島内に建立されて以降、天台の僧の参詣を通じて弁才天信仰が盛んになり、寿永2年(1183年)に平経正が当社拝殿で琵琶の秘曲を弾じた逸話は『平家物語』などに伝わる。数度の火災を経て再建され、現在の本殿は慶長7年(1602年)に伏見桃山御殿の一部を移して造営されたもので、国宝に指定されている。

所在地
滋賀県長浜市早崎町1665
御祭神
市杵島比売命、宇賀福神
系統
厳島
大阪府開運

積川神社

つがわじんじゃ

延喜式内社で、中世以前には和泉国内でも有数の大社として和泉五社の一社に数えられた古社。牛滝川の上流に鎮座し、水利の神として流域の人々の信仰を集めた神社であったと考えられている。現在の本殿は豊臣秀頼が再建したと伝えられ、三間社流造・正面千鳥破風付・桧皮葺の建築で、国の重要文化財に指定されている。このほか鎌倉期の木造男女神像8体と、熊野街道沿いの遥拝鳥居に掲げられ白河院の宸筆と伝わる木造扁額が大阪府指定文化財となっており、淀殿の寄進と伝わる神輿も伝存する。岸和田市域を代表する式内社として、現在も地域の信仰を集めている。

所在地
大阪府岸和田市積川町350
御祭神
生井神、栄井神
和歌山県開運厄除け

鬪雞神社

とうけいじんじゃ

社伝によれば、允恭天皇8年(419)に熊野権現をこの地に勧請し「田辺の宮」と称し奉ったのが起源とされる。別の古文書では天武天皇の時代(684)に十二殿を構え「新熊野證誠十二所大権現」と称したとも伝わり、本殿の裏手にある仮庵山は古くから龍神信仰の中心地、あるいは祭祀の場・御神体として信仰されてきた。平安時代後期には別当・長範によって熊野三所権現が勧請され、1147年に第18代熊野別当・湛快が就任した際には天照皇大神以下十一神を勧請して新熊野権現と称したという。社名は、源平合戦の折に熊野別当・湛増が紅白7羽の鶏を闘わせて神意を占い、白(源氏)が勝ったことから源氏に加勢して熊野水軍を率いたという『平家物語』の故事に由来する。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産に追加登録されており、社殿は国の重要文化財。

所在地
和歌山県田辺市東陽1-1
御祭神
熊野三所神
系統
熊野
奈良県開運

立石海神社

たていしかいじんじゃ

奈良県吉野郡下市町の立石に鎮座する、立石の産土神。下市町の資料によれば、『神社記』の天保3年(1832)6月の調査には、当社の祭神は雨の神として祀られる氏神であり「竜王宮社」と名づけられていたと記され、その後に石神社を合祀して「海神社」と称するようになったと伝えられる。もとは下立石の垣内にあった八大竜王と、上立石字石神にあった石神の二社を合わせ祀ったもので、本殿に向かって右が八大竜王、左が石神であると地元では伝えている。社前の右側には稲荷神社も合祀されている。山上に鎮座する旧村社で、水の神・雨の神への信仰が集落の暮らしと結びついてきた神社である。

所在地
奈良県吉野郡下市町大字立石1260
御祭神
八大龍王
大阪府厄除け病気平癒

須佐之男命神社

すさのおのみことじんじゃ

大阪府に鎮座する八坂系の神社です。御祭神は須佐之男命、天児屋根命、事代主命。厄除け・病気平癒・開運のご利益で知られます。

所在地
大阪府摂津市千里丘3丁目15-15
御祭神
須佐之男命、天児屋根命
系統
八坂
滋賀県開運

苗村神社

なむらじんじゃ

滋賀県蒲生郡竜王町綾戸に鎮座する式内社で、延喜式神名帳の「長寸(なむら)神社」にあたる。社伝では垂仁天皇の代にこの地を開拓した祖神を祀ったのが創祀とされ、神域の東に祀られたその社を後に東本殿と呼ぶようになった。御祭神は那牟羅彦神・那牟羅姫神と國狹槌尊で、國狹槌尊は安和2年(969)に大和国吉野金峯山から神域の西へ遷座したと伝え、その社殿を西本殿と称する。西本殿は徳治3年(1308)の棟札とともに国宝に指定され、東本殿・楼門・神輿庫・八幡社本殿・十禅師社本殿などは重要文化財。社名は寛仁元年(1017)に朝廷へ門松用の松苗を献上した縁で後一條天皇から「苗村」の号を賜ったことによると伝え、天文5年(1536)には後奈良天皇から正一位を授けられた。近郷三十三か村に氏子を持つ大宮である。

大阪府厄除け病気平癒

大津神社

おおつじんじゃ

大阪府羽曳野市高鷲に鎮座し、素盞嗚尊・奇稲田姫命・天日鷲命を祀る。延長5年(927)にまとめられた『延喜式』に「大津神社」と明記された式内社で、「丹下の郷の大宮」「河内の大宮」と称えられた。応神天皇の頃、難波と大和を結ぶ要路にあたるこの地には渡来系の葛井氏・船氏・津氏が勢力を張っており、そのうち津氏一族がこの地を「大宮山」と称して守護神を奉斎したのが創祀と伝えられる。津氏が朝廷に召されて大和へ移った後は、周辺九か村の氏神として受け継がれた。仏教の隆盛に伴い本地垂迹説に基づいて「午頭天王社」と称し、宮寺・大宮山南之坊が置かれて神仏混淆となり、「北宮の午頭さん」と親しまれた。明治5年(1872)に村社に列格して大津神社に復し、現在は羽曳野市西部・南西部の氏神として信仰されている。配祀神は大山咋命と菅原道真公。

所在地
大阪府羽曳野市高鷲8丁目1-2
御祭神
素盞嗚尊、奇稻田姫命
系統
八坂
三重県縁結び開運

久留真神社

くるまじんじゃ

三重県鈴鹿市白子に鎮座し、大己貴尊を主祭神に須世理姫命と漢織姫命を配祀する。社伝では、古くは現在の白子・御殿町一帯にあたる「伊勢の森」と呼ばれる神域に大己貴尊と須世理姫尊を祀って「福徳さん」と称え、樹齢千年を超える福徳の松がそびえていたという。雄略天皇の代に渡来した漢織(あやはとり)らが伊勢の人々に紡績や衣縫の技術を伝えた功績を称え、漢織姫命を福徳の女神として合祀したと伝える。延長5年(927)に集大成された延喜式の神名帳に載る式内社で、寛永11年(1634)3月には御殿と代官所の設立用地として伊勢の森の境内を上地し、現在地へ遷座した。その際に2代目・3代目の福徳の松が植えられている。昭和18年(1943)4月に村社から県社となった。

所在地
三重県鈴鹿市白子1-15-15
御祭神
大己貴尊
系統
出雲
和歌山県開運厄除け

熊野三山

くまのさんざん

熊野三山は、和歌山県南部に鎮座する熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社の三社の総称で、単独の神社ではない。紀伊半島南部は古来「熊野」と総称される聖域とされ、熊野川の中洲にあった本宮は川を神格化したものとして家津御子大神を、河口近くの新宮(速玉大社)は熊野速玉大神を、大滝の聖水がもつ生産力への信仰を根源とする那智は熊野夫須美(産霊)大神を、それぞれ主神として祀る。平安後期には神仏習合により三社の神々にも本地仏があてられ、熊野三所(十二所)権現と呼ばれた。三社が互いに三所(十二所)権現を祀り合うことで一体の霊場「熊野三山」となり、「日本第一大霊験所」を称して現世と来世の救いを願う人々の崇敬を集めた。院政期には百度に及ぶ上皇の熊野御幸として信仰が花開き、鎌倉時代以降は庶民にも広まって「蟻の熊野詣」と形容された。

系統
熊野
京都府開運家内安全

皇大神社

こうたいじんじゃ

京都府福知山市大江町内宮に鎮座し、天照大神を祀る。三重県の伊勢神宮より54年前に、大和地方から天照大神の御神体をこの地へ遷し、4年間お祀りした場所と伝えられることから「元伊勢内宮皇大神社」と呼ばれる。全国的にも珍しい黒木の鳥居をもち、静かな森の中に茅葺・神明造の本殿が鎮座する。本殿を中心に、樹齢2000年とされる御神木「龍燈の杉」や、2社の脇宮と83の小宮が前後左右を囲んでいる。近隣の豊受大神社(元伊勢外宮)、天岩戸神社とあわせて「元伊勢三社」と総称される。

所在地
京都府福知山市大江町内宮字宮山217
御祭神
天照大神
系統
伊勢・神明

近畿に関連するご利益一覧

近畿の神社一覧から、よく紐づくご利益をまとめています。