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近畿の神社一覧

近畿の都道府県別一覧と神社カードをまとめるページです。

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近畿の神社一覧

394件中21-40件を表示しています。

奈良県開運

六縣神社

むつがたじんじゃ

曽我川の右岸の堤に接して境内を構える旧村社。もとは「六所明神」「保田明神」と呼ばれていたが、神殿に六面の神鏡が掛けられていたことから、明治初期に六縣神社と改称された。祭神の六縣命は、高市・葛木・十市・志貴・山辺・曽布という大和国の六つの県(あがた)を司る神々とされる。境内は隣接する富貴寺と一体で、神仏習合の名残をとどめる。毎年2月11日の夜に拝殿で行われる御田植神事「子出来おんだ祭」で広く知られ、水見回り・牛使い・施肥・土こなげ・田植・螺拾いの六つの所作に続いて、妊婦(本厄の男性が演じる)が夫のもとへ弁当を運び出産の所作を見せる安産の神事、さらに種蒔きの所作が演じられる。この神事は平成18年(2006)に奈良県の指定文化財となった。

所在地
奈良県磯城郡川西町保田30
御祭神
高市命、葛木命
奈良県交通安全美容

宗像神社

むなかたじんじゃ

桜井市外山(とび)、鳥見山の山麓に鎮座する式内社で、『延喜式』神名帳に「宗像神社三座」と載る名神大社。宗像三女神を祀り、『日本三代実録』には筑前国の宗像神社(現・宗像大社)と「同神別社」であると記されている。創祀の経緯は詳らかでなく、天武天皇の後宮に入って高市皇子を生んだ胸形尼子娘の縁により皇子の外戚の氏神として祀られたとする伴信友の説のほか、畿内に住んだ宗像氏が本貫地の神を分祀したとする説もある。のちに高市皇子の後裔とされる高階氏が氏神として崇め、元慶4年(880)に官社に列した。南北朝時代の興国2年(1341)、高階義岑が弟とともに南朝方に与して鵄(とび)村で戦った際の兵火により社殿を焼失し、社領も失って衰退、以後は長く「春日社」と称された。幕末には国学者・鈴木重胤の尽力もあって、安政6年(1859)に筑前の宗像神社から改めて神霊を迎え、翌万延元年(1860)に社殿を復旧している。明治8年(1875)に宗像神社の社号へ復し、同40年(1907)に村社となった。

所在地
奈良県桜井市外山818
御祭神
多紀理毘売命、市寸嶋比売命
系統
厳島
京都府交通安全美容

宗像神社

むなかたじんじゃ

京都御苑の南西部、かつての花山院邸跡に鎮座する。社伝では延暦14年(795)、藤原冬嗣が桓武天皇の命を受け、皇居鎮護のために筑前の宗像神(現在の福岡・宗像大社の三女神)を勧請し、自邸である東京第の西南隅に祀ったのが創祀とされる。この邸はのちに東の花山院と西の小一条第に分かれ、『帝王編年記』『日本三代実録』などの古記録には当社の鎮座地が小一条殿と記される。天承元年(1131)に藤原家忠が花山院を伝領して花山院家を開くと、同家が別当として代々奉祀した。応仁の乱の兵火で焼失したが再建され、周辺一帯が公家町となったのちも鎮座地を変えず、明治8年(1875)に府社に列している。市寸島比売命を祀ることから「御所の弁天さん」と呼ばれ、御所の裏鬼門にあたることから方除けの信仰も集めてきた。境内には繁栄稲荷社・少将井社・金刀比羅宮・花山稲荷社のほか、昭和44年(1969)に観光業者の発案で創祀された京都観光神社が並ぶ。

所在地
京都府京都市上京区京都御苑9
御祭神
多紀理比売命、多岐都比売命
系統
厳島
三重県開運

本居宣長ノ宮

もとおりのりながのみや

『古事記伝』を著した江戸中期の国学者・本居宣長を神として祀る神社。碩学である宣長を神として祀ろうとする気運は早くからあり、明治初年に川口常文らが主唱して実現した。明治8年(1875)3月、旧山室村にある宣長の奥墓のかたわらに社殿を建て、山室山神社と号したのが創祀である。明治22年(1889)に現在の松阪市役所が建つ地へ遷座し、明治36年(1903)には県社に昇格した。大正4年(1915)、松阪発祥の聖地とされる四五百(よいほ)の森へ遷り、現在地に落ち着いている。昭和6年(1931)に社号を本居神社と改め、戦後の社格廃止と宗教法人化を経て、平成7年(1995)に現在の「本居宣長ノ宮」となった。相殿には宣長の学統を継いだ平田篤胤を祀り、学業成就・合格祈願の神として信仰を集める。境内には、市内の紡績工場から遷された末広稲荷大神も鎮座する。

所在地
三重県松阪市殿町1533番地2
御祭神
秋津彦美豆櫻根大人(本居宣長)、神霊能真柱大人(平田篤胤)
滋賀県開運

還来神社

もどろぎじんじゃ

祭神の藤原旅子は太政大臣・藤原百川の娘で、桓武天皇の妃となり淳和天皇を生んだ。社伝によれば、龍華の荘(現在の大津市伊香立途中町・上龍華町・下龍華町)は藤原氏の食邑地で旅子の生誕地にあたり、延暦7年(788年)に没した際「生地である比良南麓の梛の大木の下に葬れ」と遺命したことから、この地に神霊として祀られたという。平治の乱(1159年)で敗走した源義朝の一行が当社で白羽鳴鏑の矢を献じて武運長久を祈り、途中で落伍した源頼朝も山中をさまよった末に社頭へたどり着いて源氏再興を祈願し、東国へ落ち延びたと伝える。後年、頼朝は神恩に報いて神田を寄進した。「還り来る」という社名の由緒から、日清・日露戦争や太平洋戦争では出征者の無事帰還を祈る参拝が絶えず、現在も旅行安全・交通安全・病気平癒・尋ね人の帰還祈願で信仰を集めている。

所在地
滋賀県大津市伊香立途中町518
御祭神
藤原旅子霊
三重県開運

水屋神社

みずやじんじゃ

社伝では千年余り前に大和・春日大社の安在所として天児屋根命を祀ったことに始まり、大化4年(648年)に奈良の三笠山から素盞鳴命と龍神姫命を勧請したと伝える。和銅3年(710年)に興福寺東門院領「閼伽桶の庄」となり、慶長5年(1600年)の関ヶ原合戦以降は伊勢領に属した。南北朝期、文中2年(1373年)の棟札にも「大和州閼伽桶庄宮」と記されている。垂仁天皇の代に天照大神が当地を巡幸した際、鎮座していた春日の神と議って櫛田川の巨石をもって伊勢・大和両国の境と定めたという伝承があり、里人はこの石を「礫石」、付近を「堺が瀬」と呼ぶ。社名も所在地名「赤桶」も神事も祭神も水に関わり、西方約700mには「閼伽桶の井」がある。社殿は朱塗りの春日造三殿並立から明治25年に現在の神明造へ改められた。

所在地
三重県松阪市飯高町赤桶2507
御祭神
天児屋根命、素盞鳴尊
滋賀県開運

鹽津神社

しおつじんじゃ

創祀の年代は不詳ですが、『延喜式神名帳』に近江国浅井郡の式内社として記される「鹽津神社」の論社とされ、香取神社・香取五神社とともに比定候補に挙げられています。祭神は製塩や航海を司るとされる塩土老翁神で、彦火火出見尊と豊玉姫尊を配祀します。鎮座地の塩津浜は琵琶湖の最北端にあたり、日本海側と湖上水運を結ぶ港として古くから開けた土地で、社名も地名と結びついています。近代の社格では明治9年(1876年)に村社、明治17年(1884年)に郷社へ加列されました。本殿は一間社流造で、神紋は三ッ巴。境内社として八幡神社・琴平神社・愛宕神社が祀られています。平成20年(2008年)には近隣の遺跡から神像5体が出土し、当社との関わりが研究の対象となっています。

所在地
滋賀県長浜市西浅井町塩津浜547
御祭神
塩土老翁神、彦火火出見尊
奈良県開運

狭井神社

さいじんじゃ

大神神社の摂社で、正式には狭井坐大神荒魂神社という。三輪山の北麓、大神神社の拝殿から北へ延びる「くすり道」を進んだ先に鎮座する。社伝では垂仁天皇の時代の創祀と伝えられ、『延喜式』神名帳にも名を載せる古社である。主祭神は三輪の神の荒魂で、その力強い神威から古来病気平癒の神として厚い信仰を集めてきた。境内の井戸は社名「狭井」の由来とされ、湧き出る水は薬水と呼ばれて万病に効くと伝えられてきた。4月18日の鎮花祭は「薬まつり」の名で知られ、大宝律令(701年)に大神神社とこの社で行う国家の祭祀として規定された疫病除けの神事で、現在も製薬・医薬関係者が多く参列する。境内には三輪山への登拝口があり、その受付を担っている。

所在地
奈良県桜井市三輪1422
御祭神
大神荒魂神、大物主神
滋賀県開運

上許曾神社

かみこそじんじゃ

近江国浅井郡に鎮座する式内社で、『延喜式』神名帳に載る近江国155座のうち浅井郡14社の一つに数えられる。社伝によれば桓武天皇の延暦8年(789年)、参議・橘奈良麻呂が詔を受けて草野姫命を勧請し、上許曽社と称したのが創建という。仁寿元年(851年)には正六位を授けられたと伝わる。治承年間(1177〜81年)に相殿として4柱の神を合わせ祀った。一帯は古く草野郷・上草野郷、のちに上許曽庄などと呼ばれた地で、社名もこの地名に由来する。明治9年(1876年)に村社、明治15年(1882年)に郷社へ列格した。本殿は入母屋造で、境内には大杉が育ち、上草野の地の鎮守として今日まで祀られている。

所在地
滋賀県長浜市高山町2
御祭神
草野姫命
大阪府開運

蒲田神社

かまたじんじゃ

大阪市淀川区東三国に鎮座する氏神社。社伝では南北朝時代、この地の有力者であった佛生院又三郎が播磨国室津の「室の明神」の分霊を迎え、村の鎮守として祀ったことに始まると伝わる。あわせて、上賀茂社の分霊を船で室の宮へ移す途中につむじ風に遭い、この地で風待ちをした縁で当社にも勧請したという古伝も残る。祭神は食物と稲を司る宇賀御魂神と、雷除け・厄除けの神である別雷神。明治5年(1872年)に村社に列し、明治42年(1909年)12月、一帯が蒲の茂る田園であったことにちなんで現在の社名に改められた。境内には樹齢650年以上と伝わる楠の切り株が安置され、その上に小さな祠が祀られているほか、樹齢数百年の楠が数本現存している。

所在地
大阪府大阪市淀川区東三国2-18-12
御祭神
宇賀御魂神、別雷神
大阪府開運

星田神社

ほしだじんじゃ

創建年代は詳らかでない。社伝によれば、古く境内に一本の大杉があり、そこに交野物部氏の祖神である饒速日命を「交野大明神」として祀ったのが起こりとされる。天文4年(1535年)の奥書をもつ神名帳に交野大明神の名が見え、正平21年(1366年)銘の石塔も伝わっていたという。宝永年間(1704〜1711年)に磐船神社から住吉四神の神霊が遷され、現在の本殿が建立された。以後は底筒男命・中筒男命・表筒男命と神功皇后を祀り、総称して住吉大神と称して、航海守護や産業・住居の守護、安産の神として崇敬されている。もとの祭神である交野大明神は境内の交野社(古宮)に祀られ、毎年6月19日に古宮祭が営まれる。

所在地
大阪府交野市星田2丁目5-14
御祭神
底筒男命、中筒男命
滋賀県開運

波久奴神社

はくぬじんじゃ

滋賀県長浜市高畑町に鎮座する式内社で、旧社格は郷社。創建の年代は明らかでない。配祀の物部守屋大連については、用明天皇2年(587年)の争いで蘇我馬子に敗れた守屋が漆部小坂を伴って自らの領地であった当地へ逃れ、追跡を避けるため同年10月に小谷山東峡の岩窟へ隠れ、その後は萩の茂る高畑の地に草庵を結んで「萩生翁」と名を偽りながら里人を教化したという伝承が残る。没後、里人がその徳を偲んで祠を建て「正一位萩野大明神」と崇めたのが起こりと伝えられる。明治14年(1881年)に郷社に列格し、明治34年(1901年)には物部守屋大連を合祀した。本殿は三間社流造。

所在地
滋賀県長浜市高畑町296
御祭神
高皇産霊神、物部守屋大連
三重県開運

平群神社

へぐりじんじゃ

創建年代は不詳です。古代豪族・平群氏の祖とされる平群木菟宿禰を主祭神とし、『日本書紀』が木菟宿禰は仁徳天皇と同じ日に生まれたと伝えることで知られます。その後裔が伊勢国へ移り住み、祖神を祀ったのが当社の始まりと伝えられています。延喜式内社に比定される古社で、社殿は平群山の東斜面に鎮座します。この地は倭建命が足を留めた場所という伝承も残り、境内には歌碑が建てられています。のちに武内宿禰、天照大神、大己貴命、素戔嗚命、大山津見命、倭建命が合祀されました。

所在地
三重県桑名市志知3693
御祭神
平群木菟宿禰、武内宿禰
系統
出雲
三重県開運

比自岐神社

ひじきじんじゃ

創祀年代は不詳で、延喜式神名帳の伊賀国伊賀郡「比自岐神社」に比定される式内社です。祭神の比自岐神は、かつてこの地を治めた伊賀比自岐和気氏の祖神とされ、垂仁天皇の庶子である円目王の妃を出した一族として朝廷とのつながりも伝えられます。天王宮、大森神社という別称もありました。天正9年(1581年)の天正伊賀の乱で社殿をことごとく焼失し、慶長9年(1604年)に再建されています。明治末の一村一社の合祀令により旧比自岐村内に鎮座していた33社を合祀し、大正13年(1924年)に県社へ昇格しました。社前には「右いせみち、左うへの道」と刻まれた道標が残り、伊勢参宮街道の一つが当地を通っていたことを伝えています。

所在地
三重県伊賀市比自岐683
御祭神
比自岐神、天児屋根命
兵庫県学業成就

東天神社

ひがしてんじんじゃ

兵庫県神社庁の由緒によれば、天平年間に行基が昆陽池をはじめ猪名野笹原一帯を開拓した際、その事業成就を祈願する場として設けられたと伝わる神社です。昆陽村の東の氏神にあたり、市場町・辻町・大工町・中町・東町を氏子の範囲としてきました。昆陽村にはもう一つの氏神として西天神社があり、東西で対をなしています。祭神の伊弉諾尊・伊弉冊尊は夫婦神で万物を生んだ祖神とされることから、息災延命長寿の信仰を集めてきました。境内手前には「左 中山 三田 小濱 有馬」「右 大坂 尼ヶ崎」と刻まれた角柱型の道標が立ち、本殿の背後には「庚申祭所」と刻まれた昆陽村の庚申碑の一つが祀られています。

所在地
兵庫県伊丹市昆陽4-1
御祭神
伊弉諾尊、伊弉冊尊
系統
天神
三重県開運

名居神社

ないじんじゃ

創祀年代は不詳です。『日本書紀』には推古天皇7年(599年)に大和を中心とする大地震があり、四方に「なゐの神(地震の神)」を祀らせたと記されており、伊賀国におけるその一社が当社であると伝えられてきました。延喜式神名帳の伊賀国名張郡「名居神社」に比定される式内社で、旧社格は村社です。「なゐ」は本来「地」を意味する古語で、近世には地祇大明神・国津大明神と呼ばれ、国津神である大己貴命が主祭神とされるようになりました。元伊勢の伝承地の一つにも数えられます。境内には興玉神社と山神社が祀られ、皇大神宮と橿原神宮の遙拝所も設けられています。

所在地
三重県名張市下比奈知2092
御祭神
大己貴命、少彦名命
系統
出雲
和歌山県開運

荒島神社

あらしまじんじゃ

紀伊半島中央部、日高川の上流にあたる旧龍神村甲斐ノ川(現在の田辺市龍神村甲斐ノ川)に鎮座する。創建の年代は明らかでない。この一帯は明治22年(1889年)に甲斐ノ川・小家・福井の三地区が合わさって下山路村となった地域で、当社は古くからその氏神として祀られてきた。秋には旧村域の三地区が獅子舞と神輿を繰り出す祭礼が営まれ、山間の集落の結び付きを今に伝えている。なお和歌山県の文化情報アーカイブでは、社名を「荒嶋神社」とも表記する。

所在地
和歌山県田辺市龍神村甲斐ノ川603
滋賀県安産子宝

吉姫神社

よしひめじんじゃ

滋賀県湖南市石部東に鎮座する古社で、同じ湖南市内の吉御子神社と女神・男神の対をなす関係にあると伝えられる。吉御子神社側の由緒によれば、垂仁天皇2年に宇加之彦の子である吉比古・吉比女の二神を神籠(ひもろぎ)を建てて祀ったことに始まり、承平5年(935年)に両神を末社から本社へ遷して吉御子神社と称するようになったという。当社はこのうち女神である吉比女(吉姫)を祀る社にあたる。社に伝わる木造狛犬は南北朝時代の作とされ、素朴で愛らしい表情で知られる。毎年5月1日の石部祭では、吉御子神社と当社の両社から神輿が同時に担ぎ出され、それぞれの御旅所へ向かって市内を巡行する。

所在地
滋賀県湖南市石部東8-4-1
御祭神
木花開耶姫、上鹿葺津姫
系統
浅間
滋賀県開運

馬見岡綿向神社

うまみおかわたむきじんじゃ

滋賀県蒲生郡日野町村井に鎮座し、天穂日命・天夷鳥命・武三熊大人命を祀る。社伝では神武天皇の御代に、出雲国から天穂日命に供奉して来た彦健忍雄心命が東方に聳える綿向山に開拓の祖神を迎え祀ったのが起こりで、欽明天皇6年(545年)に山頂へ祠を建てたのが創祀と伝える。平安初期の延暦15年(796年)に里宮として現在地へ遷され、『延喜式』神名帳にみえる馬見岡神社の論社とされる。以来、蒲生上郡の総社・日野の大宮として当地の産土神と仰がれ、鎌倉から安土桃山期にはこの地の領主であった蒲生氏一族が氏神として庇護し、江戸時代には全国に名をはせた日野商人の財力に支えられて出世開運の神として崇敬を集めた。現在の本殿は宝永4年(1707年)に氏子中の寄進により建立されたもの。標高1,110mの綿向山山頂に祀る奥之宮・大嵩神社では、20年ごとに社殿を建て替える式年遷宮が今も続けられている。

所在地
滋賀県蒲生郡日野町村井705
御祭神
天穂日命、天夷鳥命
奈良県開運

畝尾都多本神社

うねおつたもとじんじゃ

奈良県橿原市木之本町に鎮座し、「哭沢の神社(なきさわのもり)」とも呼ばれる。祭神の哭沢女神(泣沢女神)は、『古事記』において国生みの最後の段階で伊邪那美神が火の神・火之迦具土神を生んで亡くなったのを、伊邪那岐神が悲しんで泣いた涙から生まれた女神と伝えられる。当社は社殿(神殿)を持たず、玉垣で囲んだ空井戸を御神体とするのが大きな特色で、境内には末社の八幡神社が鎮座する。また、桧隈女王が「哭沢の 神社に神酒据ゑ 祈れども 我が大君は 高日知らしぬ」と詠んだと伝わる万葉歌碑が境内に建てられている。『延喜式』神名帳の十市郡にもその社名がみえる古社で、天香久山の麓に鎮まる畝尾坐健土安神社とは至近の位置関係にある。

所在地
奈良県橿原市木之本144
御祭神
泣沢女神

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